第四夜/前編
ふと意識のスイッチが入り、目が覚めた。
ゆっくりと瞳を開ければ、目の前には見慣れぬ天井がある。
ここは九鬼駅前にある護国鎮守府保有のカフェ、その二階の寝室だ。昨日はお風呂で身を清めてから、魔力の鍛錬をそこそこに眠りについてしまった。
わたしは上半身を起こして、ベッドの横に置かれた見覚えのないデジタル時計を見た。
「……五時半、ですか。少し寝すぎました……けれど、随分と非常識な来客ですね。どなたでしょう?」
静かに深呼吸しながら、意識して全身に魔力を循環させる。
寝起きで呆けた頭に、酸素と血が巡り出すのを感じた。同時に、昨日よりも今日、より速やかに魔力が流れ始めたのを自覚する。
起き上がり、軽く屈伸をすると、身体の調子がすこぶる良いことに気付いた。この快調さが柊南天から処方された薬の影響か、それとも魔力を扱えることになった影響かは分からない。だが、どちらにしろ、そう遠くないうちに全快できるだろう。
「――あら? これは想定外のお客様ですね」
階下に降りると、仏頂面をした九鬼連理が座っていた。
「九鬼さん、おはようございます。せっかくですので、朝の鍛錬にお付き合い頂けませんか?」
実力のある誰かが来たのは気配で把握していたが、相手が九鬼連理とは思わず、わたしはついほくそ笑んでいた。朝から豪華な鍛錬が出来そうだ。
しかし、そんなわたしの気持ちとは裏腹に、九鬼連理は呆れた顔で息を吐いた。
「……相変わらず、市松人形ちゃんはイカレてるな。まだ五時半だぞ? まさか起きてくるとは思わなかったぜ」
「それにしては驚きませんね? ちなみに、わたしは市松人形ちゃんではありませんよ?」
「……おっとぉ? 静ちゃんの冗談かと思ってたけど、マジで魔力回路が定着してやがる。こりゃ、懸念してたことも当たりかなぁ?」
わたしが強い威圧を向けると、九鬼連理は驚いた表情をして椅子から立ち上がった。途端、その全身から魔力が炎のように揺らめくのが視える。
これが九鬼連理の魔力か――なるほど、素晴らしい。
魔力視のおかげで、九鬼連理の実力が以前よりもずっと詳しく理解出来る。
「いつの間に、魔力視も修得しやがったんだ。市松人形ちゃん、お前、神言桜花宗に入信でもしてんのか?」
九鬼連理の魔力がぼんやりと赤い色を纏いだす。それは全てを焼き尽くすような苛烈な圧力を伴う魔力だ。龍ヶ崎十八が纏っていた優しい印象とは真逆で、攻撃的な魔力である。
「わたしがどうして、神言桜花宗に属さなければならないのです? わたしは護国鎮守府ですよ?」
「本当に良い度胸してるぜ、市松人形ちゃんはよ」
九鬼連理がスッと右腕を薙いだ。緩やかな動きだが、わたしの呼吸の合間を狙っており、咄嗟に反応するのが難しいタイミングの攻撃だった。
とはいえ、これがただの脅しであることは分かっていたので、眼球に直撃しないようにだけ気を付けて、首を傾げる最小限の動作で避けた。
「――へぇ? 魔力を投げた、のですか?」
わたしの頬を半透明の魔力が掠っていく。それは刃のように鋭かったが、肌が斬れることはなく、張り手をされたような衝撃だけあった。
ジンジンと熱を持つ頬を撫でて、わたしは血が出ていないことを確認してから、九鬼連理に集中する。
ところが、九鬼連理は脱力した状態で、放っていた殺気と魔力を霧散させた。
「おい、市松人形ちゃん。お前、昨日、静ちゃんを脅したんだろ? 静ちゃんが泣き付いてきたぜ?」
「あらあら? 剣持さん、早速、わたしのことを喋ってしまったのですか? 約束が違いますね」
「おいおいおい。約束ってのは、お人好しの十八にバラす、バラさない、って話だろ? 守ってるじゃねぇか。オレは別に、市松人形ちゃんのことを十八に告げ口なんざしねぇし、する意味も、必要もねえと思ってる。オレが今日来た理由は単純だ。静ちゃんのタレコミを受けて、いくつか市松人形ちゃんに確認しないといけないことが出来たんだよ」
九鬼連理は格好良くパチンと指先を鳴らす。
すると、今度は目に見える拳大の炎が掌に浮かび上がり、二つ、三つ、四つ、と次々増えて、グルグル空中を旋回し始める。魔力で具現化された炎である。
わたしは少しだけ身構えた。炎の強さは、直撃すれば身体の一部が弾け飛ぶだろう威力に思える。
「――魔力視は出来てた。んじゃ、次の確認だな。市松人形ちゃんは果たして、魔力を正しく使えてるかどうか。つまり、魔術の加護を得ているのかどうか、だな」
「嗚呼、要するに――わたしの鍛錬を手伝ってくださるのですね?」
わたしの嬉しそうな笑顔に、九鬼連理が苦笑を返す。それを合図に、わたしはカウンターを足場に天井へと跳び上がる。
「蜘蛛かよ、市松人形ちゃん」
クルリと天地を逆転させて、天井に着地する。そして、一呼吸だけ天井に張り付き、次の瞬間、側面の壁に向かって跳躍する。
その動きは壁に当たって弾かれるスーパーボールだ。
「……厄介な動きだなぁ。加減しないぞ? 死ぬなよ」
「――大きなお世話です」
九鬼連理が素早く掌を向けてくる。
その動きに合わせて、炎が左右に踊りながらわたしに向かって飛んできた。けれど、炎の動きはわたしよりもずっと遅い。
九鬼連理の認識速度は、わたしの動きにピッタリと付いてきている。だが、その速度に炎が追い付かない様子だ。
(……魔術は思ったより万能ではないのですね……威力は素晴らしいようですけれど……)
わたしが上下左右に跳び回る後に続いて、どこまでも炎が追尾してくる。その過程で、椅子やカウンター、壁やテーブルを爆散させていた。
店内があっという間にしっちゃかめっちゃかになる。
炎の動きは怖くない。当たれば恐怖だが、歩法飛天の速度には及ばない。一方、喜ばしいことに、九鬼連理の認識はこの超速をもってしても振り切れなかった。
「――死ぬな、とは言ったが、ここまで疾いのは予想外だわ。市松人形ちゃん、お前、完治してないのに、ここまで動けるのかよ!? やっぱ化物だわ」
「失礼な――むしろ、この速度に付いてくる、九鬼さんこそ化物でしょう?」
わたしは九鬼連理の意識の外に逃げるべく、縦横無尽に店内を跳び回る。ほんの微かでも九鬼連理が隙を見せるか、わたしを見失えば、その一瞬で勝負を決められる。
だが、そんな簡単に上手く行くわけはない。どれだけ素早く、どれだけ虚を突いた動きを見せようが、九鬼連理の反射神経は振り切れなかった。
しばしの間、わたしは飛び跳ねて逃げ回り、九鬼連理も炎を操作するだけだった。
「……はぁ……しゃあねぇ――ほれ?」
「ふぅ――」
わずか二分間、されど永遠にも思える二分間。その短くも長い膠着に、九鬼連理が終止符を打った。
唐突に九鬼連理は脱力した。視線だけでなく、意識までもわたしから外して、炎の操作さえ大きく乱して見せた。
明らかに誘いだ。どう考えても罠だろう。けれど、それが罠だと分かっていても、わたしはあえて踏み込む。
「――無刀之型、穿ち月」
露骨なその罠を逃さず、わたしは当然、殺す気で九鬼連理の左胸を抉る。狙いは心臓、貫ければ即死する一撃だ。
「鬼神闘術――剛体」
九鬼連理が疲れたように呟いた。瞬間、わたしの手刀は胸元に突き刺さり、ガキン、と激しい音を立てる。
「――化物、ですか?」
「どっちがだ、っつうの」
わたしの穿ち月は、無刀だろうと厚さ20センチの岩盤さえ貫く威力だ。だというのに、九鬼連理の胸元に直撃して、皮膚一つ削れず五指が全て圧し折れた。
骨に当たった訳ではない。貫く刹那の手応えは、完全に柔肌だった。
しかし肉に指先が食い込んだ瞬間、突如、肌が硬化した。その硬さはまさに鋼の如く、斬鉄でもってようやく切り裂けるだろう強度だ。およそ人間の筋肉とは思えない。
九鬼連理は鋼鉄製のロボットなのか――わたしは咄嗟に、五指が折れた手刀を戻そうとして、その場からバックステップする。けれどその前に、右腕を掴まれる。
捕まれた腕を振り払おうと力を篭めるが、信じられないことに振りほどけなかった。
「――っ!? 動け、ない!?」
「剛力だ――けど、ゴリラ並の怪力だな、市松人形ちゃんよ」
九鬼連理に握られた腕は、全力で引いているのにピクリとも動かない。まるで空間に腕が縫い付けられたかのようだ。
これはマズイ、と思った時にはもう遅かった。
「くれぐれも、死ぬなよ?」
動けないわたしの無防備な背中に、九鬼連理の放った炎が直撃した。凄まじい衝撃と熱量が身体を突き抜ける。
「こ、の――くっ!?」
直撃した炎は、まるでバットのフルスイングを思わせる威力でぶつかり、同時に背中を一気に燃え上がらせた。熱いのか痛いのか、感覚が麻痺したかのような一撃だ。
衝撃と痛みにグラつく身体を必死に堪えると、続いて二つ、三つ、四つと連続で炎が炸裂した。わたしは身体に流れる魔力を意識して、全神経を背中に集中させた。
「……魔術の加護も手に入れてる、と。しかも強度はB級、いや、A級か? 魔術で防御した訳でもないのに、火傷程度かよ……」
「――――ぉおお!」
「ほいほい、っと!」
炎を受け切った直後、わたしは動かない腕を支点に脚を高く蹴り上げて、九鬼連理の脳天に渾身の踵落としを繰り出した。
だが脚を蹴り上げた瞬間、九鬼連理は掴んでいた腕をグッと押して、わたしの身体を吹っ飛ばす。
バランスを崩して尻餅をつきそうになるが、蹴り上げた脚の勢いそのまま、身体を捻って回転しながら距離を取った。
「よし、んじゃ。最終確認だ――市松人形ちゃんは神言桜花宗のスパイか否か?」
背中が開いたドレスみたいになった無様な格好を晒すわたしに、九鬼連理は両手を上げた降参のポーズをしている。
そんな九鬼連理に渾身の威圧をぶつけるが、受け止めるどころか流された。九鬼連理は、もはや闘う意思がないとばかりに完全脱力して、先ほどまでの威圧さえ引っ込めていた。
「……その口頭質問で、いったい何が確認出来るのでしょうか? わたしが本当のことを言う保証などないでしょう?」
わたしは、せっかくここから愉しくなるのに、と舌打ちしながら威圧する。九鬼連理はそれを鼻で笑いながら、人差し指と中指で銃を形作ってわたしに向けてくる。
「生憎オレは、嘘を見抜ける能力があるんだぜ? 黙ってて悪かったけどな」
「――御冗談を。嘘でしょう?」
「くくく、やっぱ分かるか?」
九鬼連理の台詞を、わたしは即答で否定した。見え透いた嘘過ぎて、むしろ失笑レベルだった。けれどそのやり取りだけで、九鬼連理には充分だったようだ。
指で形作った銃を撃った仕草をして、フッと指先に息を吹き掛ける。
「さて、それじゃあ、そろそろオレは帰るかな。用事は全部済んだしな」
「――あら? 質問しておいて、答えを聞かずにお帰りになるのですか?」
九鬼連理は興味ないとばかりに背を向けて扉へ歩く。その背中を引き留めるように、わたしは挑発的な笑みを向けた。
「あ? ああ、スパイか否か、ってのか。もう答えは出たぜ。ズバリ、スパイではないだろ?」
「何やら含みがありますが……その判断は、いかなる理由から、でしょうか?」
何やら確信を持って断言する九鬼連理に、わたしは鋭い殺気をぶつける。それさえ受け流しながら、振り返って横目で見てくる。
「市松人形ちゃん。お前、聡すぎるんだよ。オレが質問した時、まず真っ先に、意図を探る癖があるよなぁ? つまりソレだ。市松人形ちゃんの性格上、仮にスパイなら平然とトボけるか、もしくはスパイだったらどうしますかって質問返しするだろ? ま、言うて昨日、静ちゃんからも、否定してたとは聞いてるから、疑っちゃいなかったがな」
「……へぇ? 随分と、わたしの性格をご存じですね」
「簡単な推理だぜ。ちなみによぉ、市松人形ちゃんが何か隠してる、且つ、神言桜花宗とも何らか繋がりがあることも把握したぜ。ついでに、オレらにも何か決定的な嘘を吐いてるってこともな」
「…………失礼な。わたしがどうして嘘を吐いていると?」
「オレが嘘を見抜けない、って即答出来た理由がそうだろ?」
サラリと名推理をしてから、九鬼連理は勝ち誇ったドヤ顔を見せながら視線を切る。
確かに、嘘を見抜けないと即答できるのは、既に嘘を吐いていて、それが見破られていないと確信していなければ吐けない台詞だろう。わたしは少し軽率な発言をしてしまったことを悔やんだ。
しかしそれにしても、九鬼連理はムカつくほどに優秀だ。わたしは笑顔の裏で憎しみを燃やす。
スタイル抜群、同性が羨むほどの美貌、超人的な戦闘力、名探偵顔負けの頭脳明晰さ、あらゆることをこなす才能、大財閥としての財力とコネ――九鬼連理のパーソナルデータを思い浮かべて、その恵まれ過ぎている境遇に苛立ちしか湧いてこない。
まあ、それはそれとして、そこまで察しているのであれば、わたしを泳がせる理由は一つだろう。
「――敵になるか味方になるか、見定めている訳ですね?」
「察しが良いのは美徳にゃならんぜ? けどまぁ、今回の任務に関しては、市松人形ちゃんが今後使えるかどうかの試金石ではあるがな。あとは単純に、任務に適するメンバーが、オレか市松人形ちゃんしかいなかったってのもある。で、オレが辞退したから、市松人形ちゃんにお鉢が回ってきただけだ」
「わたしか、九鬼さんしかいない? それはどういう理由で、でしょうか?」
「ハッ――虚空時貞の趣味が、ご立派だってだけだ。お人好しの十八にでも聞けよ」
じゃな、と捨て台詞を残して、九鬼連理は出て行った。
誰も居なくなったグチャグチャの店内を見渡して、わたしは満足気に微笑んだ。
第二関節辺りで逆側に折れている五指を眺めると、今更ながらで鈍痛が襲い掛かってくる。それを自覚した途端、背中の火傷もジクジクと痛みと熱を訴えだした。
けれど、そんな痛みなど些細なことである。わたしにとっては、緊張感ある実戦形式の鍛錬が出来たことに勝る悦びはなかった。朝から、とても有意義で満足できた。
ひとまず汗を流して、学校へ向かう準備をしよう。
「指は……とりあえず包帯でも巻いておきますか」
わたしは五指を無造作に掴んで、ボキっと無理やり直した。そのうえで固定して、後で龍ヶ崎十八に癒してもらうことにする。
「……昨日の拳の火傷も、一晩でだいぶ治っていますね……これは魔力を手に入れたおかげでしょうか?」
わたしは思い出したように左手の傷を眺めながら、そんなことを独り言ちた。
身体中に魔力が充実していると、新陳代謝が活発になるのを自覚できる。その影響か、想像以上に身体の調子は良く、傷の治りも早い気もする。
事実、昨日ダメージを受けて焼け爛れた左手は、もうかさぶたになっており痛みもなかった。
時計を見れば、そろそろ六時を回る。
サッサとシャワーを浴びて制服に着替えよう。
わたしは背中の火傷や指の骨折の痛みを我慢しながらシャワーを浴びて、準備万端にカフェを出た。ちゃんと言われた通り戸締り、火の元の確認はしておいた。
「さて――朝食はコンビニで済ませましょう」
わたしはとりあえず、駅前のコンビニエンスストアに立ち寄った。朝食は、エネルギーチャージを謳う飲むタイプの栄養補助食品を買って、移動しながら食べる。
九鬼駅から学校までは、途中、別路線に乗り継いで、およそ一時間強だった。自宅から向かうより少しだけ遠い印象だが、そもそも早めに出ているので遅刻はないだろう。
朝の登校は昨日と同様、時間帯が早いこともあり、人はまばらだった。教室でゆっくりと魔力の訓練でもしよう。
「おはよう~、綾女ちゃん! 昨日は酷いよぉ~、アタシを置き去りにしたでしょぉ!? あの後、大変だったんだよぉ~。淑ネェにも怒られるし、先生にも怒られるし、奉仕点も減点されるしぃ――最悪だったよぉ~」
「おはようございます、優華さん……昨日はご愁傷様です。今日は寝不足ではなさそうですね?」
わたしが教室に到着すると、為我井優華に挨拶された。サラリと挨拶を交わしながら席について、首を傾げる。ちなみに、教室内にはわたしたち以外の生徒は登校していない。
「うん、今日は元気いっぱいだよぉ! だって、昨日はあの後、家でずっと寝てたもん――って、その右手の包帯、どうしたの!?」
目敏くわたしの右手に気付いて、為我井優華は心配そうな顔で質問してくる。説明するのが煩わしいので適当に返す。
「おっちょこちょいですよね。扉に指を挟んでしまいまして、だいぶ腫れてしまったので――ところで、それは何をしているのでしょうか?」
若干強引に話題を変えて、為我井優華の手元を覗き込む。為我井優華は、机のうえにプリントを何枚も広げて、一生懸命何かを書いている。
わたしの質問に、為我井優華は泣きそうな顔で、プリントの一枚を目の前に掲げた。
プリントのタイトルは『奉仕活動計画』と記載されており、日付と内容という項目が白紙だった。
「昨日の寝不足の原因が、夜遊びだってバレちゃったから、奉仕科目で追試が発生しちゃったんだよぉ! この計画表に、夏休みの活動を書いて、今日中に提出しないと、単位くれないって脅されたんだよぉ!!」
「……あらあら、ご愁傷様です」
為我井優華はプリントを次々に見せてくれる。
奉仕計画活動が三枚、内訳を記載する用紙が倍の六枚、成果物を記載するプリントが三枚と、やたらハードルの高い罰則である。
わたしは呆れた顔をしながら、頑張ってください、と左手で背中を撫でて、自席に座る。教科書を取り出して、勉強する振りで魔力の鍛錬に勤しんだ。
そうこうしているうちに、朝礼、授業、休憩、授業、と続いて、あっという間に放課後になった。
ところで、為我井優華は、授業中、休憩時間中も含めて、ずっと奉仕活動を考えていたようだが、まだ書き切れていない様子である。
「それでは、優華さん。わたし、今日はもう失礼しますね? また明日――あまり無理なさらず」
「――うぅん、綾女ちゃん、また明日ぁ……ああああ、終わらないよぅ」
嘆く為我井優華に苦笑しながら、わたしは教室を後にする。
わたしと入れ替わるように、生徒会長兼実姉であるところの為我井淑可が、お目付け役として教室に入っていったので、軽く挨拶だけ交わして学校を後にした。
さて、今日から土井MCBに潜入捜査だ――と、意気込みつつ、わたしは九鬼駅前のカフェではなく、柊南天の『モダン柊』へと向かった。
報告がてら、【魔王】虚空時貞の情報を教えてもらおうと考えていた。
「へい、らっしゃい!! だが、まだ開店前だぜぇ――て、おやや? これはこれは、綾女嬢じゃないスか? どしたスか?」
準備中の看板を無視して、わたしはガラリと引き戸を開ける。
すると案の定、見知った動きで、テンプレートな台詞を吐く割烹着姿の柊南天が現れた。
「ご報告がありまして――嗚呼、それとついでに、昼食を奢って頂きたいです」
わたしは呼吸をするように自然に魔力視をして、現れた割烹着姿の柊南天が幻影であることを看破すると、そのままの足で、厨房に踏み込んだ。見渡すと、厨房奥のテーブルでカップ麺を啜っている白衣の柊南天を発見した。
柊南天は認識阻害を施していたようだが、わたしはそれを魔力視で看破する。認識阻害は、存在を認識した瞬間、最初からそうであったように肉眼でも発見出来るようになった。
なるほど――認識阻害は使い方次第ではあるが、思うほど強力ではないかも知れない。少し残念だ。
「昼食、スか? それは別に、いいっスよ? じゃあ、ちょっと三分ほどお待ちを――」
「――わたしは、お好み焼きが食べたいです。カップ麺ではありません」
「……あ、そスか」
手元にあった未開封カップ麺に手を伸ばそうとしたのを見て、わたしはすかさず釘を刺した。なぜわざわざ評判のお好み焼き屋に来ているのに、カップ麺を食べなければならないのか。
柊南天は不満そうな表情のまま、椅子から立ち上がりぐっと背伸びをする。そして白衣を脱いで、エプロンとビニール手袋をつけると、厨房の奥の冷蔵庫を漁り始める。
「んで、綾女嬢は何がご所望っスか?」
「オススメは何でしょうか?」
「モダン柊スペシャルっスね。おかずに、ライスは要りまスか?」
「……お好み焼きだけで結構です」
「はいはいはい。レディースセットと」
柊南天は手慣れた様子で、食材の入ったボールを四つほどテーブルに並べる。厨房の鉄板のスイッチを入れて火加減を見つつ、サッと油を引いて、同時に空のボールに食材を組み合わせていた。
適当にしか見えないが、決まった配分量で食材を混ぜているようで、迷いなくひとつ分のボールを完成させる。
「……モダン柊スペシャルとは、どんなお好み焼きですか?」
ボールの中にドロッと濁った液体を混ぜる様を見て、わたしは少し恐怖を覚えながら問う。
柊南天は視線さえ向けず、手際良い所作で調理を続けて、鉄板の上に具材を広げる。途端に、厨房は香ばしい匂いに支配された。
「豚バラ、鳥ひき肉、長芋と蓮根、葱が具材で、味噌風味をつけた柊南天特製出汁で混ぜるんス。隠し味もありまスけど、それは秘密っス。レシピも秘密っス」
ジュワー、と匂いに負けず劣らずの美味しい音が聞こえて、否応なく空腹が刺激される。
「――で、相談って何スか?」
完成したお好み焼きにソースをひいて、鰹節と青海苔をまぶしながら、柊南天が首を傾げた。
ええ、とわたしは頷く。
「今日、これから土井MCBで潜入捜査をすることになりまして……魔王さんに関しての情報を知りたいのです」
「――はぁ!? え、嘘で……あ、そっか! って、マジか!? ヘブンロード嬢の後追いしてなかったスけど、護国鎮守府に行ったんスか!? そらそうか……そうなると、今の護国鎮守府で、顔バレしてなくて、巨乳でもなくて、虚空時貞を追い詰められるだけの実力があるのは……龍ヶ崎家の御曹司と、九鬼家の御令嬢か、綾女嬢ってとこスね――マジで最悪の展開っス。しかも潜入捜査ってことは、巨乳の囮を用意するんスね。綾女嬢、チーム行動出来るんスか?」
「…………巨乳?」
柊南天は天を仰いで、あちゃあ、と嘆いている。出来上がったお好み焼きは、可愛らしい皿に切り分けられて提供された。
わたしは皿を受け取り、早速、お好み焼きを一口食べた。
とても美味しい。オススメというのは嘘ではない。この味を提供出来るのであれば、モダン柊が話題になるのも納得だった。
「……って、ま、いいや。で、虚空時貞の何が知りたいんスか?」
「……巨乳、というのが何のことか、説明を求めますけれど?」
柊南天はエプロンとビニール手袋を外して、白衣に着替えながら烏龍茶を差し出す。
烏龍茶も有難く受け取りながら、とりあえず聞き逃せない情報から訊ねた。
「へ? あ、教えてもらってないんスか? そのままの意味スよ? 虚空時貞って、七十五歳にもなる老害のくせして、性欲モリモリの好色ゲス野郎なんスよ。特に巨乳が好みで、気に入った女性は、催眠で隷属化させて、信者で性奴隷として囲い込んでるんス。それが露骨過ぎて……巨乳で美女なら確実に狙い撃ちされるんス。一方、綾女嬢や九鬼家の御令嬢みたいなのは守備範囲外だから、間違いなくスルーされるっス。だからご安心を」
「……酷く不愉快な言い回しですね。そして、何を安心するのでしょうか」
柊南天が自らの胸を手で隠しながら、同情するような視線をわたしの胸に向けていた。その視線に殺意を篭めた睨みを返しながら、お好み焼きをもう一切れ口にする。
「綾女嬢なら、不意打ちされないし、警戒もされないって話ス」
「侮られる、ということですか? わたしは、魔王さんと本気の殺し合いがしたいのですけれど?」
「そこはむしろ、好都合じゃないスか? 侮られてればこそ、直接対決出来る可能性が高いスから――だって、仮に綾女嬢が巨乳だったら、きっと気付かないうちに催眠で隷属化されちゃいまスよ?」
「……嗚呼、なるほど。狙われると、不意打ちで催眠術を掛けられるのですか?」
「そスよ、そスよ。しかも虚空時貞は弱い者イジメが大好物スから、侮られてればそれだけ、大人げなく全力で来るっス。だから、虚空時貞と闘う状況に出来れば、綾女嬢が望む展開になると思いまスよ?」
柊南天の説明に、わたしはニヤリと笑みを浮かべながら頷いた。だがここで、ふと疑問も浮かぶ。
「柊さん……魔王さんとわたしは、どちらが強いと思いますか?」
いまわたしは魔力が扱えるようになって、明らかに以前より強くなった。けれどそれを差し引いても、まだ虚空時貞の方が格上だと認識している。
しかしそんなわたしの期待とは裏腹に、柊南天の反応を見ていると、虚空時貞はそれほど脅威ではないように思えてしまう。
わたしは確認のために問い掛けたつもりだったが、柊南天は即答で吐き捨てた。
「タイマンじゃ綾女嬢のが強いっスよ? 不意打ちされない限り、負ける要素はないっス。そして不意打ちされることもないっス。だってその胸じゃ――ねぇ?」
溜息を漏らしながら失礼な発言をする柊南天に、わたしは不愉快そうな顔で青筋を立てた。けれど冷静に、それならば何が『最悪の展開』なのか――今度は、柊南天の台詞に疑問が浮かぶ。
「……それでは、潜入捜査に対する懸念点は何でしょうか?」
「決まってるっス――破壊神、金城菊次郎の存在スよ」
柊南天は忌々しそうに即答した。
その名前は何度か耳にしている。現在の『最強』を冠する男だ。
「破壊神は、数少ない脅威SS級っス。それも間違いなく、三代目【人修羅】蒼森玄氏の全盛期よりも強いス。ってか恐らく、サラちゃんの現役時代より強い可能性もあるっス。少なくとも、いまの綾女嬢じゃ、一万回闘って一万回死ぬっス。破壊神と遭遇したら、生き残る術がないス。ちな、破壊神って容赦ないんで、綾女嬢を甘く見たりもしないス。だから確実に殺されるっス」
「……柊さんにそこまで言われると、一度、手合わせしてみたくなりますね」
「言うと思ったス。けど、手合わせイコール死亡なんで、うちはオススメしないス」
わたしはお好み焼きを一切れだけ残して、烏龍茶で一息ついた。美味しいは美味しいのだが、粉物は思ったよりも腹にたまる。
「それと、懸念点じゃなくて、超えなければならない厄介な障害が三つあるス。一つ目が、虚空時貞の取り巻き――武装ハーレム七人衆っスね。意思を持たない巨乳美女の傀儡七人組ス。催眠術で身体能力のリミッターが解除されてて、死の恐怖もなく襲い掛かってくる脅威C級からB級に値する連中っス。ま、言うて、この連中じゃ、いまの綾女嬢を相手にするには力不足っスけど、いちいち闘うのは面倒でしょうねぇ。ちな、連中の何が厄介かって、催眠術で操られてるだけの一般人ってとこが厄介ス。護国鎮守府だとこの連中、保護対象スよ。うちらは気にせず殺せまスけど」
柊南天の説明に、わたしは興味なさげに頷いた。
操られているだけの一般人と聞いてしまうと、確かに闘うのが面倒だ。きっと殺そうとすると、龍ヶ崎十八に止められるだろう。
まあ、わたしがそもそも、格下相手に奮闘する気などない。この連中と遭遇したら、迷わず龍ヶ崎十八に押し付けよう。
「二つ目の障害が、虚空時貞の【魔女の騎士】――『金城果林』スね。本名、南雲果林。戸籍上、破壊神の娘ってなってるんスけど血縁関係はないっス。破壊神が虚空時貞の右腕なら、コイツは左腕っスね」
「…………強いのですか?」
「んー、個体戦闘能力だけなら、虚空時貞本人より強いス。戦闘スタイルは全て、虚空時貞の上位互換で、催眠術が使えないだけスね。綾女嬢に言わせれば、一番歯応えのある獲物じゃないスか?」
「……それはそれは、期待できそうです」
「あ、ついでに言うとこの果林嬢は、『取り寄せ』って、異能を保有してるス。事前に印を付けておいた物質を、一瞬で手元に取り寄せる異能ス。油断しないと思うスけど、素手でも警戒した方が良いっス」
「それは素晴らしい。いっそう期待できそうですね」
嬉しい情報を聞けた、とわたしは今日からの潜入捜査に期待が高まった。すると、そんなわたしに、柊南天がズズイ、と顔を寄せて、忠告してくる。
「ちな、警告しておきまスけど、この『取り寄せ』。虚空時貞の助力があれば、人間も取り寄せることが出来るんス。つまり虚空時貞と一緒に居た場合、破壊神を取り寄せられるってことっス。だからくれぐれも、果林嬢と虚空時貞を同時に相手するのだけは避けてくださいっス。破壊神を取り寄せられたら、どう足掻いても、ゲームオーバーっス」
殺されるっスからね、と釘を刺す柊南天に、わたしはとりあえず頷いた。
正直、状況によるので、約束は出来ない。けれど、やむを得ない状況にならない限り、挑戦するのは見送ろう。今回の目的は、虚空時貞を殺すことである。
一足飛びに最強を狙うのは焦り過ぎだ。物事には順番がある。まずは虚空時貞から、だろう。
柊南天は、さて、と説明を続ける。
「んで、三つ目。最後にして最大の障害が、虚空時貞の逃げ足の速さと警戒心の強さっス。【魔王】の異名は、確実に勝てる相手としか闘わないことから付いたっス。虚空時貞は、敵が自分よりも強いと感じたら、すぐさま身を隠して、破壊神を取り寄せるっス。格上を見たら速攻逃げるし、想定外の問題が起きても同様っス。だからその警戒を潜り抜けて闘いに漕ぎつけるのが、たぶん一番困難っスね。この卑劣さゆえに、虚空時貞の暗殺は難しいんスよ」
柊南天の言葉に、わたしは眉を顰めて言葉を失う。
それは、ひどく萎える情報だ。警戒心が強いのは素晴らしいことだが、そこまで臆病者であることは予想外だ。そう言えば、弱い者イジメが大好物とも言っていたか。心底、軽蔑するクズ野郎ではないか。
そんなわたしの胸中を察したか、柊南天が続けた。
「だから、うちは依頼を受けなかったス。いまの綾女嬢が独りで虚空時貞に挑んだら、きっと破壊神が取り寄せられるに決まってるっス。あ、ただ今回、話してて気付きましたけど、護国鎮守府の協力があるなら、妙案が一つあるっス。破壊神を呼び寄せず、且つ虚空時貞も逃がさない方法が――しかも、これならきっと、綾女嬢が大満足できる展開にもなるっスよ?」
柊南天は少しだけ声のトーンを落としながら、内緒話をするように、一つの提案をしてきた。
わたしはその提案の全容を聞いて、面倒だな、と呟いた。




