第一夜
一夜明けて、時刻はそろそろ午前八時を過ぎる。
窓の外を見れば、昨日よりも本格的な土砂降りになっている。ひっきりなしに窓を叩く雨の音が、耳に煩い。
わたしは重苦しい溜息を漏らす。
これ以上ないほど曇天の空は、いまのわたしの気分を表していた。
「――綾女さん。大丈夫? やっぱり、内臓の疲労が取れていない状況で、取材だけとはいえ、外出するなんて無茶だったんだよ。今日一日は養生して、体調次第では、明日以降も、登校しないで家で安静にしていて欲しいな」
ガチャリ、と扉が開き、龍ヶ崎十八がそんなことを言いながら、わたしの寝室に入って来る。その手にはお盆があり、龍ヶ崎十八特製の栄養満点な御粥が乗っていた。
ベッドしかない無骨なわたしの部屋に、とても香しい匂いが充満した。
「十八くん、ありがとう、ございます――」
わたしは疲れを隠さず、儚げな声で感謝の言葉を口にする。同時に、上半身を起こして、心配そうな顔をした龍ヶ崎十八に微笑を向けた。
わたしは昨日、またもや水天宮円に負けた。手も足も出ず、あっけなく窒息で気絶させられてしまったのである。
そしてトドメも刺さずに、こうして自宅に帰された訳だ。
殺されなかったのは半ば予想通りではあるが、だからと言って、まさか監視なしに自宅に戻されるとは思わなかった。ここまで警戒されていないのは予想外だ。
これはつまり、わたしを自由にさせても、何ら脅威にならないという宣言に他ならない。
そこまで舐められていることを考えると、さすがに屈辱を通り越して、自らの不甲斐なさ、情けなさに首を吊りたくなる。
ちなみに昨日の経緯として、水天宮円はわたしを倒してから、言葉の通りすぐに龍ヶ崎十八に連絡してくれたらしい。そのうえで、身体中ボロボロだったわたしを魔術か何かで癒して、びしょ濡れの服も着替えさせてくれたようだ。
龍ヶ崎十八が到着した頃には、わたしは気絶していただけで異常はなかったそうだ。だから龍ヶ崎十八に怪しまれることもなく、そのまま家まで送り届けられたのである。
(……貧血で倒れただけ、という言い訳が通じるほどに……わたしの身体を、治すことも出来る……つまり、多少の傷ではダメージさえ与えられない、か……ここまで強大な敵だと、戦意が萎えてしまうではありませんか……)
わたしは思考とは裏腹に、とても嬉しくなる気持ちを必死に抑えた。ついにやけそうになる頬を引き締めて、傍らの龍ヶ崎十八に意識を向ける。
「――今日は、安静にします……でも、本当に、貧血で倒れただけですから……それほど大仰にしないで頂きたいです」
「貧血を甘くみないでよ、綾女さん。そもそも、貧血になった原因から考えると、とてもじゃないけど外出も許可出来ないところだよ? 見た目が大丈夫でも、内臓と骨、体組織が万全じゃないんだから……」
龍ヶ崎十八が憮然とした表情のまま、わたしにそんな忠言をぶつけてくる。
その言葉は、嘘偽りなくわたしを心配するものだ。だが、それは過保護に過ぎるだろう。万全などと言う慢心は、修行中のわたしにはまだ早い。
「ご心配、お掛けします――我ながら、情けない身体です」
「情けないことはないよ。というかむしろ、丈夫過ぎて逆に心配だよ」
龍ヶ崎十八は言いながら、わたしに御粥を差し出してくれる。温かいそれを両手で受け取り、渡されたレンゲでゆっくりと咀嚼する。
熱すぎず、ヌル過ぎず、丁度良い温度と程よい塩加減が口の中に広がる。
「……そう言えば、綾女さん。どうして、移動する前に一報入れてくれなかったんだよ? あまりにも遅いから、武尊と降りたら誰も居なくて……撮影で場所移動するなら、その前に連絡くれる約束だったじゃないか!」
「…………ごめんなさい……水天宮さんとのお喋りが楽しくて……つい、忘れてしまいました……」
わたしはシュンと落ち込んだ様子で顔を伏せて、弱々しい声音で謝った。あまりにも露骨な嘘だが、龍ヶ崎十八は、わたしのその声に騙されて、それ以上強く言わずに押し黙る。
しかし、納得は当然出来ていないのだろう。
しばし沈黙した後、意を決した風に息を呑み込んで、何やら口にしようとする。それを察して、わたしは先んじて質問をぶつけた。
「綾女さ――」
「――あ、そう言えば、焔さんとは、仲良くなれたのでしょうか?」
「ん――え、あ、え? 武尊?」
「ええ、焔さん。水天宮さんの彼氏さんですよ――とても意気投合しているように見えましたけれど、その後はどうしたのかな、と」
それは適当な質問ではなく、ちゃんと意図のある質問である。だが、その意図は龍ヶ崎十八には分からないようだ。
龍ヶ崎十八は素っ頓狂な顔をしてから、ああ、と説明してくれる。
「武尊は、面白いヤツだったよ。なんか、あんな見た目だけど、普段は研究機関の事務員をやっているらしい。結構な高給取りで、九鬼市にある高層マンションの最上階に住んでるって言ってたけど、ほとんど寝に帰るだけだとも言ってたな。独り暮らしだから、遊びに来いよって誘われたけど……水天宮さんが、結構頻繁に寝泊まりに来るらしいから、丁重に断ったよ。あ、けど、そんな水天宮さんとは、付き合ってるけど、その……男女の関係ではないらしい……なんか、だいぶ付き合いが長いようで、従兄って関係の延長で付き合ってるんだって……少なくとも武尊は、水天宮さんに対する恋愛感情はないらしい。告白したのも、水天宮さんから一方的に伝えてきたって言ってた……」
「へぇ? 水天宮さんは、もっと奥手かと思っておりましたけれど、割と積極的なんですね」
「うん。それは俺も思った――――って、違う違う。武尊のことなんて、どうでもいいんだよ! 俺が言いたいのは、これ以上、綾女さんの独断専行を許す訳には行かないって話だ。今回はただの体調不良だったみたいだけど、これが敵対組織の攻撃だったら、助けられなかったよ!? 綾女さんはいま、俺のパートナーなんだ。だから、俺と行動してる時に別行動するなら、面倒でも連絡するように――」
上手く誤魔化せたと思った矢先に、龍ヶ崎十八はハッとして、話を軌道修正をした。割とその剣幕は激しく、本気で怒ってる様子が窺える。
わたしはそんな龍ヶ崎十八に素直に謝罪した。もはや聞きたいことは聞けたので、話を本筋に戻しても問題ない。
この様子であれば、龍ヶ崎十八は焔武尊から何も聞かされていないし、水天宮円の正体にも気付いていないようだ。同時に、焔武尊も龍ヶ崎十八が何者か察していないように思われる。少なくとも、そういった話題にはならなかったことが、今のやり取りで窺えた。
「本当に、ご心配お掛けして申し訳ありません。今度からちゃんと、十八くんに報・連・相いたします――ご馳走様。御粥、とても美味しかったです。お腹がいっぱいになって、少し眠気が出てきました。お叱りは後で受けますので、ひと眠りしても宜しいでしょうか?」
ガミガミクドクド、姑の如く細かく文句を言う龍ヶ崎十八に、わたしは少し火照った風を装って、シュンとした薄幸の美少女を演じる。
普段、学校内でも行っている演技だが、弱っている時に異性の前で実行すると効果てきめんだろう。
チラと潤んだ瞳を向ければ、龍ヶ崎十八は、悪いことをしてしまった、と罪悪感を露わにした表情を浮かべており、小言を呑んで頭を下げた。
本当に、素直で愛らしい反応をするものだ――わたしはついつい口元を緩めそうになった。だがそれをすると演技が見破られてしまう。
「…………ごめんなさい……もう、眠りますね」
「あ、いや、俺こそごめん――今日は一日、安静にしててね。俺はちょっと、護国鎮守府に呼び出されてるから行ってくるよ」
「ええ――行ってらっしゃいませ」
消え入りそうな声で龍ヶ崎十八に言葉を投げて、そのままベッドに横になった。わたしのその様を見てから、龍ヶ崎十八は少しだけ落ち込んだ様子で、食べ終えた食事を片付けてくれる。
「うん、看病してあげられなくて申し訳ない。行ってきます」
龍ヶ崎十八の申し訳なさそうな声に返事はせず、わたしは狸寝入りをする。すぐに寝息を立て始めたわたしを一瞥してから、龍ヶ崎十八は部屋を出て行った。
しばらく静かに寝息を立てていると、玄関が開く音と鍵を閉める音、龍ヶ崎十八の出て行く気配が感じられた。ちなみに、家を出る寸前に、携帯電話で話している様子も聞こえた。
流石に耳に集中していても、会話の内容までは聞き取れなかったが、どうやら相手は九鬼連理のようだった。
「……護国鎮守府の呼び出し、というのは嘘ではないようですね……」
わたしは家の中に自分以外誰も居なくなったのを見計らってから、ゆっくりと上半身を起こした。瞬間的に、ズキン、と身体の内側が軋むような痛みがする。
関節のみならず、内臓も鈍痛があった。思っているよりもずっと回復が鈍いようだ。
「けれど……あれほどのダメージが、僅か一日でここまで治るのですから、本当に十八くん様様です――そう言えば、水天宮さんは、この能力の代償に寿命を削っていると仰ってましたね」
自らの体調を認識してから、わたしは水天宮円との戦闘を反芻して、ふとその台詞を思い出す。
龍ヶ崎十八が自身の生命力を使ってわたしを癒していることは理解していたが、まさか寿命を削ってまで癒してくれているとは思っていなかった。
ここまでされてしまったならば、もう生涯を共にするしかないだろう。
文字通りに命を懸けて護ってくれている男子の想いを真正面から受け止めたら、わたしでなくとも大半の女性は落ちるに決まっている。
「……本当に健気で、尊い人です。さて、それはそれとして、優華さんに返信しないと……」
自嘲しながら独り言ちて、充電している携帯電話を手に取った。画面を見れば、想像通りに為我井優華からSNSが大量に届いている。一日一回以上、必ずメッセージを送ってくるので、むしろメッセージが来ないと心配になってしまう。
まあ返信は常にするわけではなく、既読スルーも日常茶飯事だが――
「――内容は、やはりインタビューの話ばかりですね……清香さんからの進展などは、特にないようで――――ん?」
わたしが流し読みで為我井優華のメッセージを眺めていると、突然、電話が架かってきた。着信音は『天国と地獄』――わたしはその相手を見て、思考と同時に身体を硬直させた。
驚きで呼吸さえ忘れてしまい、しばし部屋の中に天国と地獄の音楽が響き渡る。
「あり、得ない――」
携帯電話の画面に表示されたのは、『師父』の一文字である。
それは死んだはずの師父――蒼森玄が、緊急用として契約していた衛星電話からの着信だった。
「――どう、して?」
わたしは、着信音を半ばまで聞いてから、掠れた声でその一言を呟いた。
着信番号の設定を今一度確認するが、間違いなくそれは師父のものである。
師父が生前、家族にも知らせず契約した衛星電話だと言っていた。結局、生きていた時には一度として架かってきたことも、架けたこともないのだが――もしや着信番号設定を誤っていて、別人の電話番号を登録してしまったのだろうか。
ついついそんな下らないことを考えるほどに、わたしは酷く動揺していた。死んだはずの人間からの着信に混乱を隠せない。
わたしは電話に出ることも出来ず、ただ呆けたように画面を見詰めていた。そんな中、呼び出し音は鳴りやまず、やがて一分ほどが経過した。
「――あ」
ふいに外から聞こえた救急車の音に、わたしはハッとして、慌てて通話ボタンをプッシュする。ピ、と無事に通話状態になる。
これが何コール目かは覚えていないが、幸いにも切られることはなかった。ちなみに、着信設定は呼び出し時間を最大にしており、滅多に留守番電話には切り替わらない。今回はそれが功を奏したようだ。
「……もし、もし? どなたでしょうか?」
しかし、通話状態にも関わらず相手側は無音だった。
わたしは通話中であることを確認してから、無音の相手に恐る恐ると訊ねる。すると、はぁ、と露骨な溜息が聞こえてから、相手が喋り出した。
「――どなたも何も、まさか引き継ぎがないってことスか? マジスか? あ、うち、この番号で分かると思うスけど、人修羅の相棒スよ――ちな、確認スけど、おたくさん、蒼森玄氏の秘蔵っ子、四代目【人修羅】を引き継いだ『鳳仙綾女』嬢で間違いなし、スか?」
独特なイントネーション、幼く甲高い声、不躾で軽い口調に、わたしは二の句が継げなかった。
相手が何者か、どうしてそんなことまで知っているのか、あまりにも多すぎる情報量に思考が停止してしまっている。
けれど相手はお構いなく、わたしの返事を待たずにペラペラと話を続けた。
「って、間違いないの確認して架けてるんスけどね――あ、そーそー、今回の依頼、無事に達成してくれてマジ感謝っス。流石に今回は、初めての引き継ぎで相手が『天然の魔女』なんで、半年は時間掛かるって思ってたスけど、それをたった一か月で終わらせるなんざ、驚きの結果スよ」
「……あ、あの……申し訳ありませんが……何の話か……わたしには――」
「――ん? 電話口、鳳仙綾女嬢スよね? えと、カメラどれだっけ……あ、これか――うん、綾女嬢で間違いないじゃんスか。相変わらず、極上の美人で羨ましいっス。あー、と? この資料だと……いや、マジ、こんな娘が人修羅て、世も末、全世界は地獄祭りっスわ」
遠隔でどこからか見ているような口ぶりに、わたしは慌てて周囲を見渡す。だが、ここはわたしの私室であり、監視カメラの類はあるはずがない――と、怪訝な顔を浮かべた刹那、携帯がビデオ通話になっていることに気付く。
わたし側だけが一方的にビデオ通話しており、相手は画面が真っ暗だった。
「――なっ!? どうして!?」
わたしは慌てて解除しようと試みるが、遠隔でロックでもされているのか、何の操作も受け付けなかった。ただでさえ、いきなりの展開に脳内は混乱している。当然ながら気持ちも落ち着かず、問いたいことさえ満足に口に出せなかった。
そんな混乱を察することもなく、電話口の相手はとんでもない内容を口走り始める。
「あ、脱線、脱線。失礼、失礼。今回の電話は、単純至極っス。業務報告と意思確認スよ。えー、業務報告として、異端管理局から労いの言葉と、追加の依頼が届いてるっス。労いは『風神の討伐を果たしてくれて感謝してる』って感じの文章なんで、もう捨てたっスけど、んなのは置いといて、追加依頼が、これまたエグいっス。副教主『虚空時貞』絡みで、樹市に新設された新支部を壊滅させてくれって内容ス。いやはや、そりゃちと厳しっつって、もちろん断っておいたスよ? あ、それといま、うちが使用してる衛星電話、蒼森氏の代替わりと併せて新しいのに変更するっス。だから、一週間くらい連絡取れないんで、宜しくっス。最後に意思確認っすけど――」
「――ちょ、ちょっと待って、くださいませんか? あまりにも急なお話すぎて、いま頭が追いつかず……」
「――ん、あ? はい? 追いつかないって、冗談キツイスわ。え、鳳仙綾女嬢っスよね? って、はいはい、なるほど、なるほど。分かります、分かります。つまりそれは、テンパったから順序立てた説明が大事ってことスね? そして、あわよくば、うちとの会話を長引かせて、少しでも多くの情報を引き出そうという魂胆スか? まぁ、仕方ない。説明しまスわ」
どこかで聞いたような言い回しを口にしながら、電話口の相手は、少し落ち着いたトーンで言葉を続ける。
「蒼森玄氏は、相変わらず雑スよね。引き継ぎ、しっかり出来てないみたいスから、状況確認から行いまスわ。うち、三代目【人修羅】蒼森玄氏の、六代目の相棒ス。ちな、電話口でうちと話してるクールな声のおたくさんは、元【暁の鳳雛】でありながら、三代目【人修羅】の後継者として育てられた異端児――県立三幹高等学校普通科に通う二年生、鳳仙綾女嬢で、相違ないスよね?」
「……アカ、ツキ……って……どうして、それを?」
「ん? どうしても何も……あれれぇ? 蒼森氏って、どこまで話してたんスか? 共有なし、じゃ情報追えないっスわ。ま、じゃあ、蒼森氏が何も言わずに逝ったって想定して話しまスかね? うち、さっきも言ったスけど、人修羅の相棒なんスよ。だから、いまは綾女嬢の相棒スよ」
「相棒……わたし、の?」
「そスよ、そスよ。って、知ってる前提で喋ってましたけど、もしかして知らないスか? 綾女嬢がいまの人修羅、スよ? そもそものとこ、【人修羅】って通り名は、異端管理局が認定している称号ス。認定される条件は二つ。仕込刀魔女殺しを所持していること。危険度SSに認定されたフリーの暗殺者であること。どっちも、いまの綾女嬢は満たしてるっスよ?」
わたしはごくりと唾を呑み、少しだけ冷静になった頭で言い返す。
「失礼ですけれど、確かに【魔女殺し】は受け継ぎましたが、残念ながら、まだ人修羅の業を継いではいません。継ぐ前に、師父は亡くなってしまいました」
「あ、そういう堅苦しいサムライ節はどうでもいいんで――つか、魔女殺しを受け継いだなら、立派な人修羅じゃないっスか。だって、その仕込刀、銘を人修羅、号を魔女殺しと呼ぶんスよ? イコール持ち主こそ、人修羅っす。それに大体、これ、特殊な業態の仕事っスから、んな精神論どうでもいいスわ。誰に認められる、認められない、とか無関係に、前任者が居なくなったら誰かが引き継ぐって話っス。んで、前任者の引き継ぎが不十分だろうと、後任が居るなら、あとはやる気の問題だけ。一応、うちこれでも、蒼森氏から全ての情報引き継いでるんで、困ることはないスよ。ついでにうち、暁に連なる者の虐殺を請負った時から相棒してたんで、綾女嬢の事情も詳しいっスよ?」
「…………」
「そーそー。それで、スね。人修羅って、巷じゃ『最高の暗殺者』の代名詞でもあるんス。だから、結構引く手あまたで依頼が飛び込んでくるっス。それらの依頼、今後はどうしますか? うち、これからも綾女嬢に仕事振っていいスか? 蒼森氏からの遺言には、綾女嬢の好きにさせろ、ってありますけど……どうなんスか?」
一方的なマシンガントークと有無を言わせぬ質問の嵐に、わたしは沈黙で返す。この電話口の相手が伝えたいことは理解出来た。
いまだに状況は呑み込めないが、わたしの答えも決まっている。
しかしそれは大前提として、電話口の相手が信頼に足る人間の場合だけである。ここまでのやり取りから、とてもじゃないが電話口の相手を信頼出来る要素は、全く存在しない。
わたしは慎重に言葉を選んで、質問に質問で返した。
「……その……依頼を請ける場合と、請けない場合について、お聞きしたいのですけれど?」
「ふむふむ、なるほど、なるほどぉ――つまり、うち、今、値踏みされてるし、疑われてるっスか?」
「…………とても察しがいいようで」
すると、電話口の相手は質問の意図をすぐさま理解して、苦笑交じりに答えた。
「人修羅を正式に継ぐって場合には、うちの正体を晒すっスよ。ま、同時に、異端管理局にもそれを通知するっス――うち、これでも形式上、異端管理局と人修羅の窓口係やってまスから」
「異端管理局、とは確か、裏社会を牛耳る大組織、とやらでしたか?」
「あ、そういう質問も、正式に引き継ぐ場合に説明するス。んで、引き継がない場合は、選択肢が二つありまスね。一つ目は、仕込刀魔女殺しを返却する。ちな、返却したら、後は何してもいいっスよ? 護国鎮守府で生計を立てようが、今話題の神言桜花宗に身を寄せようが、暁天会とか黒龍幇に所属しようが――堅気に戻ろうが、何でもいいス」
電話口の相手は、わたしの素性を全て把握している、とばかりにマウントを取って、薄笑いを浮かべたような口調で言ってくる。
そこにツッコミは入れず、続く言葉を待つ。
「二つ目は、返却せずに賞金首になる――これ、オススメしないス。賞金首になった場合、フリーの暗殺者だけじゃなくて、世界中から猛者がやってきて、命を狙われることになるス。平穏な生活はもう送れないでしょうし、身近な人たちは軒並み殺されるでしょうね。ついでに、綾女嬢の素性、過去が護国鎮守府にも露見するんで、間違いなく敵対することになるス。護国鎮守府は頭固いスからね。暁の関係者と認定されるに決まってるっスよ? そしたら、人生詰みっスわ」
「……貴女が、裏社会全般に、とても明るいことは理解しました。ちなみに、今わたしが置かれている状況というのは、どういう状況かお伺いできますか? 否応なしに、選択を迫られているように感じますけれど、実際のところはどうなのか、と」
「お、おお? いやぁ、流石っスね? 手元の情報通り、頭脳明晰ってのは、マジ話スね。混乱してるって言ってる割に、冷静で鋭い指摘――安心してほしいっス。いまはうち以外、綾女嬢のことを把握してる人間は居ないス。その理由とか事情とか、諸々を含めて、今後の希望を伺ってるっス」
電話口の相手は、わたしの問いに感心した様子の相槌を打った。
馬鹿みたいに軽薄な口調と言葉選びの割に、先ほどから随分と察しが良い。質問の意図を汲み取り、真に聞きたいことを回答してくれている。
ついでに余計なことをベラベラ喋るので、混乱してしまうのが難点だが――
「――回答に、お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「いっスよ? けど、分かってると思いまスけど、何も選択しない、イコール、人修羅として扱われるってことスからね?」
「それで不利益を被ることはありますか?」
「んー、不利益、ねぇ……ま、あり、なしで言えば、あり、じゃないかなぁ? 例えばもし、うちのとこに人修羅を紹介してくれって依頼が来た場合、適切な報酬が払われれば、綾女嬢の素性を伝えることになりまス。そしたら、意味のない戦闘が発生する危険性はあるスね」
「……素性を伝えないでください、とお願いしたら?」
「残念ながらそれ、正式に引き継ぐって話でいいスか? 綾女嬢が意思を決めてくれたら、うちの方も、相棒として最大限、条件を更新できますよ?」
「…………」
少しだけ整理しよう。わたしはそのまま沈黙する。
電話口の相手を信頼するかどうか、その言葉が真実かどうかはさておき、ここまでの話を総合して分かることは、つまりわたしを取り巻く環境が何か変わった訳ではないということだ。
現時点でわたしは、師父――先代の蒼森玄から強制的に【人修羅】の役目を引き継いだ状況にあるらしい。だが、引き継ぎ意思の確認が出来ていないことから、依頼の斡旋や、所属組織の全容、詳細な説明は行ってくれないようだ。
わたしには選択肢があり、人修羅という役目を降りることも自由だと言っている。
まあ、わたしの心はとっくに決まっているので、返答は一つである。しかしながら、即答するには、やはり電話口の相手が信頼できないと不可能だ。
しばしそうして熟考していると、電話口の相手が思い出したように口を開く。
「あ、そう言えば、回答を待つのはいいスけど、最初に言った通り、衛星電話を交換するんで、この電話で回答いただけない場合は、返事を聞くのは一週間以上先になりまスよ? その間、何があってもうちから綾女嬢には連絡しませんし、綾女嬢からも連絡出来ないスよ」
「――けれどそれは、正式に引き継いでも同じでは?」
「いやいや、ちゃうス。ちゃうちゃうちゃうス。意思確認出来たら、うちの素性とか教えられるんで、直接会話も出来るス。うちから、綾女嬢に逢いに行くことも出来るし、連絡手段は用意するつもりス」
電話口の相手は軽い口調でそう説明する。それを聞いてから、わたしはもう一つ質問を重ねる。
「引き継いだ後に、辞めることは出来るものですか?」
「辞める、って選択肢を口にする可能性があるなら、うちとしては、引き継がないことをオススメするス。ってか、引き継ぐ、って回答した人間が、死ぬ以外にこの役目を辞めた前例なんざ一切ないっスけどね。事実として、蒼森玄氏も後任を用意したからこそ自ら死を選んだじゃないスか――っと、失言失言。いまのはサービスが過ぎたスねぇ」
「――まだまだわたしは未熟者ですが、謹んで四代目【人修羅】の役目を引き継がせていただければと存じます。何らかの手続きが必要でしょうか?」
「お? ふむふむ、なるほど、なるほど、分かります、分かります。やっぱ綾女嬢はそういう性格っスよねぇ?」
わたしは挑発的なその失言に、もはや信用云々など度外視して、思惑通りに即答していた。電話口の相手は、そんなわたしのかぶせ気味の返答にとても満足げだった。
「良かった、良かった。うちの判断、違ってなかったス。さてそんじゃ、一旦、この電話は終わりにしまスわ。後ほどメールするんで、いろいろ確認お願いしまス。んで、明日の放課後にでも、直接お会いしましょ」
失礼しまス、とわたしの返事も聞かず、電話は一方的に途切れた。
電話がもう完全に切れていることを確認してから、わたしは携帯電話を傍らに投げて、パタリとベッドに横になる。
『事実として、蒼森玄氏も後任を用意したからこそ自ら死を選んだ――』
瞼を閉じて気持ちを落ち着かせるように深呼吸しながら、つい先ほどの言葉を反芻した。
師父の真意、師父の死に何らかの真相があったとするならば、何としてもそれを聴かなければならないだろう。その為ならば、どれほど相手が怪しかろうと、喜んでその土俵に上がってやる。
「もしかしたら……真の意味での、試練があるやも知れませんし……」
正真正銘の【人修羅】と成る為に、人修羅の業とやらを継ぐ為に、最後の試練が隠されているかも知れない。
そんな甘っちょろい思考をしつつ、五十嵐葵との道場でのやりとりも思い返す。
『――結構、あっけなかったわ。と言うか、ここまで弱いと思ってなかったわ』
五十嵐葵は確かに強者だった。
わたしと比べれば、明らかな格上だった。わたしが死を覚悟して、ようやく紙一重で殺すことができたほどだ。
しかし、それこそ疑問だったのだ。
衰えたとはいえ、わたしと互角以上に闘えたはずの師父が、どうしてあっけなく殺されたのか――
「――わたしが殺せた相手に、師父が遅れを取るはずなど、決してあり得ないのですから……」
しかしこれが、わざと死を選んだのであれば、納得は出来る。だがその理由は、知らなければならない。
師父が何を思い、どんな遺言を残したのか、それを知る権利はわたしにしか存在しないのだから――




