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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
人修羅を継ぐ者
2/64

第一夜


 師父が提示した試練の一つ目――『殺せ』と言った写真の女は、さして苦労せずに見つかった。


 五十嵐葵(イガラシアオイ)――私立五葉女学院、普通科の二年生である。

 成績は非常に優秀。定期考査では、常に学年トップ10に名を連ねている才女らしい。

 容姿は端麗。町を歩けば、モデルや芸能人のスカウトが声を掛けてくることもしばしば。明るく眩しいその笑顔から、五葉女学院で開催しているミスコンでは、二年連続、準ミス五葉を冠している。

 しかもその上その容姿や成績を鼻にかけることはなく、学年の違いも関係なく、誰にでも優しい性格をしている。誰にでも笑顔で接して、誰からも慕われる。人徳溢れるまさに非の打ち所のない生徒のようだ。

 また、運動神経も抜群。テニス部の現部長であり、高校一年生のときから全国大会に出場している実力者だ。高校の運動能力テストでも、軒並み10点満点中10点のオンパレードだという。

 そして何より極め付けは、その家柄だろう。五十嵐家は代々が、政治家の家系である。彼女の祖父は国会議員で、実父は現職の市長である。

 何一つ文句のつけようがないほど完璧で、嫌味なほどに出来すぎている。当然、彼女の悪い噂はどれだけ探しても一つも見つからなかった。


 清廉潔白、才色兼備――五十嵐葵を飾り立てる言葉は、探すほどに多く出てくる。


 ちなみに、過去から現在まで、付き合った男性は居ないらしい。周りからは高嶺の花とでも思われているようだ――本人曰く、それが欠点らしい。


「およそ誰かに恨まれるような人間ではありませんね。まぁ、あえて狙われるとすれば、政治に絡んだ悪意でしょうか?」


 わたしは、ここ一週間で調べ上げた五十嵐葵の人となりを思ってから、遠巻きに実物を眺めた。


 五十嵐葵は、五葉女学院の正門のところで、五人ほどの親しい友達と談笑しながら迎えの車が来るのを待っていた。

 一方でわたしは、正門が見渡せるバス停の待合で、バス待ちの振りをしながら、彼女たちの動向を観察している。


 今日は金曜日、いまは放課後。

 普段ならばこの時間、五十嵐葵はテニス部で練習しているはずだが、調べたところによると、毎週金曜日だけは、習い事を優先してテニス部を休むらしい。

 実際に、放課後になってすぐ正門に来るということは、その調査通りのようだ。


「――じゃあさ、今度はカラオケ行こうよ、葵」

「いいわよ。でも私、そんな歌上手くないよ?」

「嘘ばっかり! この前、そんなこと言いながら、精密採点で95点とか叩き出してたじゃん!」

「うわぁ、流石、葵ちゃん――」


 などと、五十嵐葵たちは盛り上がり、きゃいきゃいと騒がしく談笑していた。そんな光景を横目に、五葉女学院の生徒たちが次々と帰宅していく。

 わたしはそんな会話を盗み聞きながら、遠巻きに堂々と観察していた。


 それからほどなくして、黒塗りのベンツがゆっくりと正門の前に止まった。五十嵐葵を迎えに来た車である。


「あ、来ちゃった。それじゃ、帰るわね」

「――じゃあね、葵! また来週!!」

「うん、またねぇ」


 停車したベンツからは、いかにもボディガードです、と言わんばかりのゴツイ黒服が現れて、五十嵐葵を後部座席に促していた。

 五十嵐葵は、友達五人に笑顔で手を振って、慣れた仕草でベンツに乗り込んだ。

 わたしは五十嵐葵を乗せたベンツを遠巻きに見送ってから、ちょうどのタイミングで訪れたバスに迷わず乗車する。

 五十嵐葵は今日殺す。

 そのため為に、まずは彼女の稽古先に向かう必要がある。

 

「さて、と――ああ、そういえば……蒼森山を登山するのは久しぶりですね」


 わたしは動き出したバスの窓から外を眺めながら、そんな呟きを漏らした。

 思えば、師父の道場がある為、ついでに九鬼山にはよく登っているが、蒼森山を登るのは珍しい。以前に登ったのは、数年前だったと記憶している。

 道に迷わないようにしないと――なんて、下らないことを考えながら、わたしはバスの停車地点名の表示を眺めた。

 市内を巡回するこのバスで、降車地点は『蒼森山登山道入り口』である。


 ところで、五十嵐葵の習い事とは、和のお稽古――茶道・華道・日本舞踊の三つのようだ。

 彼女は週に一度、九鬼市の外れにある『桜花流(オウカリュウ)・和の嗜み』と言う看板を掲げた個人経営の教室に通っていた。

 そんな『桜花流・和の嗜み』の教室は、標高800メートルを誇る蒼森山の中腹、500メートル付近に建てられた大きな洋館で開かれている。

 その洋館は個人の邸宅であり、九鬼市の大地主、水天宮(スイテングウ)家の別邸である。

 蒼森山の車道を車で登って、だいたい三十分ほど掛かる距離にある。

  

 五十嵐葵は迎えのベンツに乗ってそこに直行して、一方でわたしは、登山道までバスで、そこから準備運動がてら徒歩で向かった。

 流石に徒歩だと、軽く三時間ほど掛かってしまったが、無事に目的の洋館まで辿り着いた。


「森の中に隠れるようにして建築された洋館――暗くなっていることもあって、外観はこれ以上ないほど怪しいですね」


 遠目から見上げる大きな洋館は、いかにも殺人事件の舞台になりそうな外観をしていた。

 だが、ここで事件は起きない――事件は、帰り道で起きるのだから。


 わたしは万が一にも無関係な第三者に目撃されないよう気を付けて、洋館のお客様用の駐車場に回り込む。

 軽く十数台は停められるだろうお客様用の駐車場には、暇そうにタバコをくゆらせている黒服が二人と、五十嵐葵を乗せてきた黒塗りベンツ、洋館の住人が利用している車と思しき軽自動車が五台あった。

 黒服がここで待っているということは、五十嵐葵の習い事はまだ終わっていないようだ。


 五十嵐葵が帰宅していないことに、わたしは安堵の吐息を漏らした。時間的には、そろそろ彼女の稽古が終わる頃合である。


「せっかくここまで来て、入れ違いに帰っていたら……逃してしまったら、また来週になってしまいますからね……」


 師父から試練の期限は設けられていないとはいえ、たかだか同年代の素人を殺すのに、一週間以上も時間を要するのは、あまりにも遅すぎるだろう。

 殺すのに時間が掛かれば掛かるほど、殺すことに躊躇したと勘違いされるかも知れない。師父に万が一そんな勘違いをされて、侮られてしまったらあまりに屈辱過ぎる。


「――――お待たせです。皆さん、ご苦労様。それじゃ、遅くなっちゃいましたが、サッサと帰りましょ」


 森の中に隠れていたとき、ふとそんな声が聴こえてきて、わたしはハッとする。

 見れば、お客様用の駐車場には、セーラー服姿の五十嵐葵が姿を現していた。やっとで稽古が終わったようだ。

 わたしは即座に気持ちを切り替えて、事前に練っておいた暗殺計画を実行に移すべく、すかさず車用の山道を走って下る。

 殺すポイントに先回りしなければならない。


 今回、五十嵐葵を殺す計画は単純だ。

 ずばり、事故死に見せ掛けるつもりである。


 全容はこうだ――夜遅い時間、街灯のないカーブだらけで見通しが悪い山道を下る車が、突如現れた小動物に驚き、運悪くハンドルを切り損ねて、崖下に転落する。

 そんな事故死に見せかけた暗殺ストーリーを、わたしは計画していた。

 お誂え向きに、洋館に到る山道の途中には、200メートルほどの高さをした大橋が架けられており、その直前には、魔の直角カーブと言われるほど、見通しの悪いカーブが控えている。

 

「――ここで、わたしは車を急停止させる。そして状況を整えてから、車ごと崖下に落下させる、と。さて後は、イレギュラーの目撃者が現れないことを祈るだけですね」


 わたしは目的のポイントに早々に辿り着くと、いまや遅し、と坂の上から車が現れるのを待ち構えた。

 気持ちの準備も、身体の準備も万端状態である。後はここに、標的が訪れるだけだ。


 万が一にも、この状況で仕損じることなどない――その自信がある。


 そんなことを考えながらしばらく待つと、車のエンジン音が耳に届いてきて、ヘッドライトの明かりが坂の上から見えてきた。

 わたしは、カーブの奥、坂の上に視線を向けて、やってくる車が五十嵐葵を乗せたベンツであることを祈った。


 果たして、カーブから姿を現した車は、黒塗りのベンツ――そのナンバープレートも間違いなく、五十嵐葵を送迎していた車だった。


 わたしはニヤリとほくそ笑んで――――向かってくる車の前に、思い切り飛び出した。


 パァァ――ッッ!!! キキ――ィッ、と。


 けたたましいクラクションと共に、ベンツが急ブレーキを掛ける。車体は横に大きく振れて、勢いを殺すべく、大橋の手すり部分に車体を擦り付けながら、かろうじて停車した。


「――だ、大丈夫か!? 怪我はないかっ!?」


 そしてすぐさま、停車したベンツの運転席から、慌てた様子の黒服が飛び出してくる。

 わたしは驚いた表情をして見せて、その場に蹲ったまま、車の中の様子を見詰める。


 車内には、黒服がもう一人。標的の五十嵐葵は、ビックリした表情で口元を押さえて固まっているのが見えた。


「お、おい、キミ!? 怪我は――――ぐぅ!?」

「――さて、全員、殺して差し上げます」


 動かないわたしの安否を気遣って、慌てふためいて駆け寄ってくる黒服。その鳩尾に、わたしは渾身のボディブローをお見舞いした。

 不意打ちで放ったまったく予期しないその一撃に、屈強な黒服は白目を剥いて泡を吐きながら、バタリと顔から地面に倒れ込んだ。

 180センチを越える筋肉質の巨体が、地面でビクビクと痙攣している様を見下ろして、わたしは冷めた視線を車内に投げる。


「おい、なんだ!? いったい、どうしたんだ!?」


 あまりの異常事態を察して、車内からもう一人の黒服が飛び出してくる。その際、彼はさりげなく、車内の五十嵐葵に待機するよう指示を出していた。

 なかなか冷静な男のようだ。多少腕に心当たりがあるかも――少しは、戦闘を愉しめるかも知れない。


「キミ、いったい何者――っ!? くっ、この、バカ野郎っ!!」


 わたしは駆け寄ろうとした黒服の目の前で、先ほど気絶させた足元の黒服の首を踏み付けた。

 ボキリ――と、鈍い音が鳴り、痙攣していた黒服の身体がビクリと大きく震えてから、パタリと動かなくなった。

 わたしの革靴に、首の骨が折れた感触が伝わってきた。


「馬鹿でもなければ、()()でもありません。何者か――わたしは、貴方たちにとっては、死神でしょうね」


 わたしは立ち止まった黒服に、不敵な笑みを浮かべて、手招きで挑発した。

 その挑発に、黒服の冷静な表情が一瞬のうちで怒りに紅潮する。黒服は我を見失うほどキレていた。


 わたしは足を止めたままの黒服に、あえて一歩近寄った。その動きを合図にしたかのように、黒服は怒りの形相のまま、姿勢を低く突進してきた。

 ラグビーのタックルを思わせる低姿勢の突撃だ。わたしの胴体を掴んで押し倒して、組み敷くつもりなのだろう。


「判断は悪くないですけれど、甘いですよ」

「――――ぉぉおおおっ!!」


 わたしの呆れ声の呟きを掻き消して、黒服の裂帛の気合が夜の山の中に響き渡った。その気合の声と共に、凄まじい勢いの突撃が迫る。

 けれど、わたしにとっては、その動きはあまりにも緩やかだった。

 わたしはその突撃に合わせて、黒服の顔面に膝蹴りを繰り出す。ところが黒服は、わたしの攻撃を侮っているのか、この膝蹴りを避けもせず、顔面で受け止めようとした。

 その判断は理解できる。

 避けずに、受けた方が、確実にわたしを捕まえられるからだろう――けれどそれは、わたしの蹴りが軽いものと決め付けたうえでの動きだ。

 あまりにもわたしを舐め過ぎである。


「ぉ――ぅっ!?」


 黒服の想定は、わたしの攻撃を顔で受け止めて、その膝ごと両足を刈り取り、押し倒してマウントポジションを確保するつもりだった。

 タフネスに相当の自信があるに違いない。わたしの攻撃なぞ、ダメージを受けない自信があったのだろう。だがその想定通りに事は運ばない。


 メキョ、と不思議な音が鳴り、突撃してきた黒服の顔面に、文字通り膝がめり込む。漫画的な表現ではない。事実として、鼻骨を潰した膝が、顔面の人中付近に突き刺さった。

 骨の砕ける感触が膝に伝わり、生暖かい血が噴出して、結局、黒服はわたしに組み付けず、後方に凄まじい勢いで吹っ飛んだ。

 吹っ飛んだ黒服は地面をゴロゴロと転がり、やがてうつ伏せに倒れこんで、ピクリとも動かなくなる。地面には、血がどんどんと流れ出している。


 こうして、わたしを心配して車から出てきた二人の黒服は、計画通りにあっけなく、わたしに敗北して地面に転がった。

 わたしが相手だから仕方ないとはいえ、それでも大の大人、しかもボディガード役の人間が、何の抵抗もできずに終わるとは、あんまりにも拍子抜けすぎる。


「――と、感傷に浸っても、仕方ありません。さぁ、標的を仕留めましょうか」


 わたしは残念な気持ちを切り替えて、視線をベンツの中に向けた。

 瞬間、バチ、と車内の五十嵐葵と目が合った。五十嵐葵の双眸は、恐怖に濁っている。


 さて――計画では、標的である五十嵐葵が乗るベンツごと、この大橋の下に投げ捨てる予定だ。投げ捨てさえすれば、谷底で車は潰れて、乗っている人間はみな死ぬはずだ。

 だがしかし、万が一にも、生き残ってしまった場合は、厄介な問題になるだろう。だからそんな万が一が起きないよう、標的が確実に死ぬように、黒服たち同様、五十嵐葵もあらかじめ痛めつけておく予定である。


「あ、ところで、五十嵐さん。一つだけ質問をしてもよろしいでしょうか?」


 わたしは、車の中で恐怖に怯えている五十嵐葵に、人差し指を立てながら大きな声で問い掛ける。

 窓ガラス越しではあるが、わたしの声は彼女に届いた。すると彼女は、いっそう怯えた表情になり、あわあわと車内の鍵を閉めて回っていた。

 割と冷静な判断が出来るようだ。確かに、防弾仕様の車内にいれば、おいそれと手は出せないだろう。

 ――相手がわたしでなければ、だが。


「フゥ――――無刀、斬鉄」


 わたしはベンツの運転席側に立つと、深く深く息を吐いてから、右腕をグッと引き絞った。そして一瞬の溜めの直後、渾身の手刀を窓ガラスに叩き込む。

 バキン、と鈍い音が鳴り、窓ガラス全体にヒビが走った。


「流石に、防弾ガラスは硬いですね。一撃では、無理ですか」


 わたしはヒビの入った窓ガラスに溜息を漏らしてから、無傷の右拳をギュッと握り締めると、今一度同じ動作で手刀を繰り出した。

 一度目とまったく同じ軌道、まったく同じ箇所を切り裂いて、ようやく窓ガラスには一筋の大きな亀裂が入った。

 フッと笑みを浮かべて、わたしはその亀裂に掌を押し当てた。


「――ハッ!!」


 わたしは大きく息を吸ってから、勢いよく息を吐くと同時に、窓ガラスに練り上げた気功を叩き付けた。あまり得意ではないが、発勁と呼ばれる武術の技だ。


「――――ヒッ!?」


 ガシャン、とあっけなく、窓ガラスは内側に弾けた。破片が飛び散ることなく、運転席側の窓ガラスは綺麗になくなった。

 わたしは鍵を開けて、バタンと運転席側のドアを開ける。


 修羅之位(シュラノクライ)で肉体の限界を超えた状態であれば、防弾ガラス程度は、わたしにとっては瓦と同じようなものだ。

 そもそもわたしの攻撃力ならば、素手でもこのベンツをスクラップにできるだろう。


 さて、わたしが運転席のドアを開けた瞬間に、獲物である五十嵐葵は、慌てて運転席とは反対側の後部座席から外に飛び出した。

 呆気に取られることもなく、常に最善を考えているようだ。なかなかに冷静である。


「あ、貴女、なにっ!? 私を、どうするつもり――」

「――五十嵐さん、質問してよろしいでしょうか?」


 五十嵐葵は、車体を挟んでわたしと距離をとり、チロチロと周囲を一瞥して逃げ道を模索しながら身構える。そんな彼女に、わたしは喰い気味に質問をした。

 焦った表情に苛立ちを浮かべて、五十嵐葵は押し黙った。

 わたしはゆっくりと近寄りながら、逃がさない空気を放ちつつ、口を開いた。


「五十嵐さんは、どうして命を狙われているのでしょうか? 狙っているわたしが言うのもおかしな話かも知れませんけれど――何か心当たりでもありませんか?」


 わたしはニッコリと微笑んで、行く手を阻むように道路の真ん中で手を広げた。

 一方で五十嵐葵は、何を馬鹿な、と言わんばかりに怪訝な表情をわたしに向けてきた。


「あ、貴女、何を言ってるの!? 意味が分からない――狂ってる! 命を狙われる心当たりなんて、私にあるはずないでしょ?!」


 過剰なまでに否定する五十嵐葵を見て、わたしは、まあ当然の反応か、と納得しながら頷いた。

 数日とはいえ、わたしの調べた限りでも、命が狙われる心当たりは見当たらなかった。だからこうして、本人に訊いているのだが――


「――まぁ、さして興味もないので、心当たりがないと言うのならば、それでいいです。どうせ如何なる理由でも、殺すことに変わりありませんので――抵抗しますか?」


 困惑、混乱、恐慌状態の五十嵐葵に、わたしは首を傾げてみせた。自慢の長い黒髪が、サラリと夜風に揺れた。


「抵抗、って――どうして、私を殺すの!? 私が何したの!? 貴女いったい、何者なの!?」

「五十嵐さんの質問にお答えする義務などありませんけれど、冥土の土産にお答えいたしましょう。まず、五十嵐さんを殺す理由ですけれど――それが、わたしに課せられた試練だから、です」


 わたしは質問に応えながら、全身に気合を込めた。激しく脈打っていた血流が、いっそう凄まじい勢いで身体を巡り始める。

 一般人の五十嵐葵に対しては過剰かもしれないけれど、肉体のギアをもう一段階上に引き上げた。標的に対して油断などしないし、万が一にも逃がさない。


「次に、五十嵐さんが何をしたのか――それは分かりません。殺される原因が、何をしたからなのか。それはわたしも少し気になるところです」


 わたしの答えに、五十嵐葵はどんどんと険しい顔になっていく。まるで狂人を相手にでもしているかのような表情だ。まったく心外である。


「最後に、わたしが何者か――わたしは【人修羅】の業と、号を継ぐ者です」


 煙に巻くつもりはないが、わたしは具体性に欠ける答えを告げた。

 するとわたしの言葉に、五十嵐葵は突然、ピタリと時が止まったように硬直した。さっきまでの怪訝な表情とは打って変わって、パチパチ、と目を瞬かせている。

 何かに気付いて、思い当たったような反応だ。狙われる心当たりがあったのだろう。

 そんな五十嵐葵の様子を眺めながら、わたしは集中力をいっそう高める。そして、いつでも飛び掛れるよう臨戦態勢になりつつ、とぼけた調子で問い掛けた。


「あら? 五十嵐さん、何か心当たりでもありましたか?」

「――貴女が、まさか()()()()()? 裏社会で伝説に語られている最悪の暗殺者?」

「あ、人修羅をご存知なのですか? それは嬉しい限りですけれど、生憎、わたしはまだ、人修羅を引き継いではおりません」


 五十嵐葵はわたしをマジマジと見詰めながら、なにやら酷く衝撃を受けた様子で、一歩たじろいだ。

 ああ、そういえば、五十嵐葵の実家は政治家だったか。政治家ならば、裏社会の事情に精通していても然るべきだろう――暗殺者としての【人修羅】を知っているのも納得である。


 わたしは、人修羅に恐れている様子の五十嵐葵を見て、満足げな笑みを浮かべた。同時に、意気揚々と一歩前に踏み出す。


 ――五十嵐葵との距離は、目測でおよそ20メートル弱。

 本気の修羅之位を発動している今のわたしならば、零コンマ数秒で詰められる距離だ。


「……そ、っか……人修羅が、私を狙う、か。とうとう……そこまで……」


 五十嵐葵は一瞬だけ諦観の表情を浮かべて、次の瞬間、驚くほど俊敏な動きで、わたしに背を向けるが否や全速力で坂を駆け上り始める。

 迷いのない全身全霊の逃走だ。

 なるほどなるほど――三十六計逃げるに如かず、か。まったく素晴しい判断だ。


「けれど、惜しい――相手がわたしでなければ、きっと逃げ果せたでしょうね」


 陸上選手のような美しいフォームで見る見るうちに遠ざかる五十嵐葵の背中に、わたしはそんな言葉を投げる。

 その俊足は、50メートルを七秒切るほどだろう。運動神経抜群という噂は少しの誇張もないようだ。

 わたしはグッと姿勢を低く構えて右足に力を篭めると、限界を超えた脚力を持って五十嵐葵に飛び掛る。その光景は、傍から見れば爆発したとしか思えないほどの勢いだった。

 外道之太刀、歩法【飛天(ヒテン)】――天を飛ぶが如き、俊足の移動術である。短い距離であれば、瞬間的に時速100キロを軽く越える速度が出せる。


「――なっ、化物っ!?」

「失礼ですね――――それでは、さようなら」


 わたしはたったの三歩で、脱兎の如く逃げ出した五十嵐葵の背中を追い越すと、驚愕に目を見開いた彼女にボディブローをお見舞いした。

 それは、防弾ガラスを破壊するほどの手刀と同レベルの攻撃である。ヘビー級ボクサーの鍛え上げられた腹筋だったしても、一撃で内臓が破裂するほどの威力だろう。

 そんなボディブローをまともに喰らって、五十嵐葵は驚愕の表情で宙を舞った。


「がぁ――――っ、ぁ……」


 ドタン、ゴロゴロゴロ――と。

 吹っ飛んだ五十嵐葵は、受身も取れずに地面に激突して転がる。

 また、転がりながら、壊れた蛇口のように口から血反吐を撒き散らす。

 目は見開いたまま、身体はビクビクと痙攣しており、見るからに致命傷だった。


 手応えもあった――少なくとも、肋骨が折れて内蔵に突き刺さっているはずだ。


「――これで、終わり。もう動ける人間はいませんね?」


 わたしの問いに、反応する人間は誰もいなかった。先に倒した黒服二人も、動かない五十嵐葵も、その生死は定かではないが、少なくとも意識はないようだ。

 わたしはこの結果に満足げな笑みを浮かべて、フッと脱力すると臨戦態勢を解いた。


「さあ、後始末しましょうか」


 誰に言うともなく呟いて、わたしはギアの上がった身体を深呼吸で落ち着かせた。

 もう戦闘は発生しないだろう。後は粛々と計画通りに事を運ぶだけ――簡単な仕事だ。


 わたしは黒服二人と五十嵐葵をベンツに積んで、アクセルに細工を施す。また橋の欄干にも細工を施しておいて、坂の少し上からベンツを発進させた。

 坂を下る勢いとアクセルベタ踏みで加速していくベンツは、橋の欄干に突撃してそれを突き破る。自然とそのまま橋から落下して、谷底に激突――爆発こそしないまでも、凄まじい轟音が響いた。

 ベンツが落下した谷底は、ゴツゴツした岩場と流れの速い川があり、やがて滝になっている。ちなみにその滝の滝壺は非常に深く、車の一台や二台は、沈んだら引き揚げることは不可能だ。

 つまり滝壺に沈めれば、もはや証拠は浮き上がらない。


「まぁ、仮に引き揚げ成功したとしても、わたしが疑われる要素はないでしょうけれど」


 清々しいまでの達成感と、適度な疲労感に包まれて、わたしは愉しげに独りごちた。

 これで、一つ目の試練は完了した。

 師父から与えられた試練は、残り一つ。それも既に攻略の目処は立っている。


「……ただ少しだけ残念だったのは、五十嵐さんが何の変哲もない一般人だったことですね。よもや何の苦労もなくミッションクリアできるとは思っていませんでした」


 わたしは壊れた欄干から真っ暗な谷底を覗き込みながら、期待外れでした、と残念な気持ちを吐露した。そして大きく欠伸をすると、急ぎ足で山を下る。


 サッサと家に帰って、晩御飯を食べなければ――夜更かしは、身体と美容に良くない。


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