第二夜(2)
わたしは駅から遠回りして、追手に見つからないよう注意しながら、自宅に辿り着いた。
家の鍵も何もかも持っていなかったが、万が一のことを考えて、いつも三階の屋根裏部屋の鍵は開けっ放しにしている。それが功を奏して、今回は自宅の扉を壊さず、素早く屋根を伝って侵入出来た。
時刻は十時十三分、この時間なら、急げば昼休みには学校に行けるだろう。
わたしは、とりあえず貧血を解消する為に、冷蔵庫に眠っていたステーキ肉を豪快に焼いた。
悠長に食事をしている時間はないので、とりあえず目に付いた食材に火を通すだけ通して、味付けなど二の次に腹に入れる。
そして、汗と血で汚れた身体をシャワーで洗い流して、心身ともにスッキリさせた。
「――予想通り、優華さんから大量のメッセージが来てますね」
わたしは髪を乾かしながら、自宅に置きっぱなしの予備スマホを確認した。
すると案の定、SNSアプリには、合計百五十を数えるメッセージが届いており、不在着信が六十八、メールも四十三ほど届いている。
流石にこれは、想像していたよりもずっと多い。内容は全てわたしを心配するメッセージだが、それにしてもこれはやりすぎだろう。
わたしは顔を顰めた。このペースは、普段の倍以上だ。だいたいにして、音信不通にも関わらず、めげずに継続して連絡し続けてきている。
直前ではつい先ほども、である。
恐らくこの頻度を見るに、毎時、休憩時間中に架けてきているのだろう。
「まあ、優華さんらしいですけれど……」
あんなことがあって、どんな説明を受けたか知らないが、真っ先にわたしの身を案じるところは、とても為我井優華らしい行動だ。
そんな友情に応えるのは当然で、だからこそわたしは為我井優華を護る為にも学校に行かねばならないし、会わなければならない。
まあ、とはいえ、それだけが登校したい理由ではないが――
「――ご心配おかけして申し訳ありません。お昼休みには登校します、と」
わたしは為我井優華に簡潔な返信をしてから、学校に向かう準備を始める。
時刻は十一時半を少し回った頃合いだ。この時間帯のバスの時刻表は把握していないが、充分余裕で昼休み前に登校出来るだろう。
「これならば、エントリーにも間に合いますね」
わたしはホッと安堵してから、しっかりと身支度を整えた。忘れ物がないか確認すると、戸締りをして自宅を出る。
余裕で間に合うとはいえ、学校に辿り着くまで安心は出来ないな、と気を引き締めて、急ぎ足にバス停に向かった。
(……さて、今年はどんな方がエントリーするのでしょうか? 果たして、わたしと優華さんの組み合わせで、ファイナリストの上位四組に入賞できるでしょうか?)
バス停の時刻表を見ると、五分ほどで次のバスが来ることが分かった。ちょうど良いタイミングだ、と自らの強運を誇りながら、登校する目的に思いを馳せた。
わたしが怪我を押しても学校に行きたい理由――龍ヶ崎十八を倒してまでも、登校を決意した最大の理由は、実のところ、為我井優華の安否を気遣ったことでも、彼女の友情に応えることでもなく、割と低俗な理由でもあった。
わたしは、毎年七夕にだけ行われる一大イベント『七夕祭』――その『織姫・彦星コンテスト』に参加して、上位入賞したいが為に学校に向かっているのである。
わたしの通う県立三幹高等学校では、毎年開催される学校を挙げた催事のうち、体育祭、文化祭に次いで、近隣の名物となっているイベントがある。
それが本日、七夕に開催される『七夕祭』だ。
生徒会と催事実行委員が中心になって行う馬鹿騒ぎであり、授業は午前中で終了して、午後から夜九時頃まで開催されるイベントだ。旬の芸人の漫才が披露されたり、世間を賑わす劇団による一日だけの演劇も開催されたりする。また、九鬼市の的屋組合から数多くの露天商が校庭に出展してくれて、さながら縁日の如き光景になる。
そんな中で、全校生徒が一番楽しみにしている七夕祭の目玉が、織姫・彦星コンテストである。
『織姫・彦星コンテスト』――それが、どんなものかありていに言えば、織姫役、彦星役の二人一組がステージでパフォーマンスして、どの組み合わせが一番、お似合いの組み合わせかを競うコンテストである。いわゆるカップルコンテストに近いだろう。
だが一般的なカップルコンテストと決定的に異なるのは、織姫役、彦星役の性別が不問であることだ。つまり、男装した彦星役、女装した織姫役でも問題はなく、実際、過半数の参加者が、男子同士、女子同士という同性の組み合わせで参加している。ちなみに、過去優勝した組み合わせの中で、統計上最も多いのは、女子二人の組み合わせである。
そんな『織姫・彦星コンテスト』における参加資格、条件は三つだけである。
一つ、三幹高等学校に通う生徒(普通科・夜間制問わず)であり、二人一組であること。
二つ、地元新聞、地方雑誌、ホームページ等に個人情報が出ることを了承したうえで、各種の取材に応じること。
この『織姫・彦星コンテスト』は、県内にある複数の新聞、三幹市に本社のある地方雑誌が毎年取り上げる一大行事でもあり、決勝まで勝ち残ったファイナリスト、上位入賞者は強制で、インタビュー記事と顔写真が掲載されることになっている。なので、事前に参加条件として、個人情報の公開・取材了承を参加条件としている。
三つ、自らの参加意思を示すこと。これは実行委員の前で、参加する本人が一人ずつ、参加意思があると自署する必要がある。このイベントの参加条件が二人一組であることから、毎年、パートナーの意思を確認せず勝手にエントリーして、舞台に立つ前に揉めることが多いからである。
さて、そんな『織姫・彦星コンテスト』は、毎年この時期の風物詩にも数えられており、三幹高等学校を受験する生徒の何割かは、この名物イベントに参加する為であるほどだ。
ところで、そんな名物イベントにわたしが是が非でも参加したい理由だが――単純に、上位入賞者に与えられる特典が欲しいから、である。
わたしは正直、少しも目立ちたくはない。けれど、その特典を手に入れる為ならば、雑誌に出るほど目立つのも止む無しと決断していた。
ちなみに、わたしと同じような決断をする参加者は、割と多く居るのも知っている。それほど、このイベントにおける上位入賞者への特典が魅力的だった。
上位入賞者――ファイナリスト四組に選出された計八名には、四つの特典が与えられる。
一つ目が食堂利用における優遇権利。
食堂利用の際には、優先的に食券購入が可能となり、食事の配膳も優先される。また食堂には専用席が用意される。これは翌年の三月末まで有効な権利だ。
二つ目がアルバイトの許可。
基本的に三幹高等学校ではアルバイトは全面禁止となっており、やむを得ぬ事情がある場合にのみ、例外として短期アルバイトが許可される。だがこの特典では、理由の如何を問わず自由にアルバイト出来るようになる。ちなみに、許可なくアルバイトしていることが判明した場合、即強制的に、退学処分になってしまうのが三幹ルールである。
三つ目が、学校の許可する部活動以外の音楽活動、及び芸能活動の容認。
これはアルバイト禁止にも通じるものだが、三幹高等学校に通う生徒は、一部の例外を除いて、部活動以外では音楽活動が出来ない。また、一切の芸能活動も禁じられている。それを容認するという免罪符である。ちなみに、部活動以外の音楽活動とは、具体的にライブ活動やバンド活動などで、芸能活動には、モデル活動も含めたあらゆるメディアに顔を露出することが当てはまる。
四つ目が、必修単位である奉仕学習科目の単位修得。つまりは奉仕カリキュラムの免除である。
これこそが、わたしの目的とする特典だ。この特典があれば、長期休暇中に無意味な奉仕活動に参加しなくて済むのだ。昨年のような、あの退屈極まる苦痛の時間を回避できる。
この奉仕学習科目とは、三幹高等学校独自の学習科目の一つで、学校で定めた校外活動に従事する科目のことである。これが、奉仕カリキュラムと呼ばれる校外活動であり、長期休暇中にのみ行われる必修科目である。
さて、その奉仕カリキュラムだが、必修科目にも関わらず、単位修得を忘れた場合のフォローは一切存在しない。授業や補講等で、単位修得は出来ない仕組みである。なので、三幹高等学校に通う各生徒は、夏休み、冬休み、春休みの長期休暇中、自主的に奉仕カリキュラムに参加申請をして、合計二十日間、奉仕活動に従事する必要がある。当然ながら、必修であるこの単位が修得できない場合、一発で留年となってしまう。
つまり留年したくなければ、長期休暇中に都合二十日間、校外活動しなければならない。そんなのはもう御免である。
(……去年は目立つのが嫌で、優華さんの誘いを蹴ってしまいましたが……まさか、奉仕活動があれほど面倒だとは思いませんでした……それでなくとも今年は、護国鎮守府の件とか、とても愉しいことが起きそうな予感がします……何としても、奉仕活動免除を目指さなければ……)
そんな去年の失敗を思い返しながら待っていると、ちょうどでバスが到着した。わたしは誰も乗っていないそのバスに乗り込み、外の景色を見ながら学校に向かった。
(学校に着いたら……まずは、優華さんを口説いて、コンテストの参加をお願いしないと……とはいえ、いくら天然な優華さんでも、誘拐された直後に人前に出てくれるでしょうか?)
忙しなく流れる外の景色を眺めながら、わたしはそんな自分勝手な心配をしていた。
普段の為我井優華であれば、わたしが参加したいと言えば、二つ返事で乗り気になってくれたに違いない。しかし、先日わたしに巻き込まれて誘拐されている。
無事に生還出来たとはいえ、そんな事件に巻き込まれた直後で、呑気にこんな馬鹿騒ぎに興じるほど、為我井優華は無神経ではないだろう。それをどうやって口説くか。
コンテストの参加締め切りは、今日の十三時四十五分――それまでに、生徒会長室に参加者二人一組で顔を出して参加意思表明の署名と、参加写真を撮影しなければならない。
どうやって口説き落とすべきか、とわたしは顔を顰めながら段取りを悩み、そうこうしているうちに、気付けばバスは終点に着いていた。
結局わたし一人の貸切だったバスを降りて、静まり返っている校舎内に足を踏み入れる。
時刻は十二時四十六分。昼休みは五十分からなので、そろそろ四限目が終わる頃合いだ。この時間帯ならば、廊下を歩いていても何ら不思議ではないだろう。
わたしは堂々と誰もいない廊下を歩きながら、教室に向かった。
すると、ちょうどタイミング良くわたしの教室の扉が開き、そこから四限目担当の古典教諭が出てくる。少し早いが、授業は終わったらしい。
バチと古典教諭と目が合い、わたしはスッと会釈をした。
「……あら? 鳳仙さん、今頃登校ですか? 残念ですね。あと数分早ければ、遅刻でも出席扱いにしたのに――流石にこれでは、今日は出席扱いにはできませんよ?」
「おはようございます、佐藤教諭。ええ、承知しております。遅刻してしまい、申し訳ありません。欠席扱いで大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「――まぁ、貴女の体調のことは、他の先生たちからも聞いてますから良いですよ。とはいえ、くれぐれも無理はしないように」
古典教諭はわたしの体調を心配しながら、そそくさと廊下を歩いて行った。わたしはそれを見送ってから、授業が終わって騒がしくなり始める教室の扉を開けた。
古典教諭が出て行った直後に、再び扉が開いた為、教室内は一瞬だけ静まり返った。
けれど、入ってきたのが遅刻してきたわたしであることに気付いて、全員が一様に安堵の表情になる。
「――あ! 綾女ちゃん!! 良かったぁ、心配したんだよぉ!!」
再び騒がしくなる教室内で、周りの空気を切り裂いて為我井優華が大声を張り上げた。ガタン、と椅子を跳ね上げて立ち上がり、パタパタとわたしに駆け寄ってきた。
そんな為我井優華に優しく微笑みを返して、ちょうどチャイムが鳴った。四限目終了のチャイムだ。
「おはようございます、優華さん。ご心配お掛けして、本当に申し訳ありませんでした」
「ううん、大丈夫。こうして、ちゃんと登校出来るってことは、元気な証拠だもん! でも、今回ばかりはアタシ、本当に心配したんだよっ!? まさか綾女ちゃんのストーカーさんが、あんなに怖いなんて――あ!? えと、んと……ストー、ブ! ストーブが壊れちゃうなんて……」
為我井優華はわたしの腕に腕を絡めながら、早口にそんなことを口走ってから、瞬間ハッとした。慌てて口元に両手を当てて、いきなり不自然な台詞を吐いている。どうやら誤魔化すつもりのようだが、意味不明過ぎて会話が成り立っていなかった。
しかも、結局その意味不明な台詞のせいで、いっそう『ストーカー』という単語が強調されて、周囲の注目を集める結果となる。
そんな周りからの好奇の視線に、違う違う、と手を振りながら、為我井優華は声のトーンを落とす。
「綾女ちゃん、綾女ちゃん……食堂、行こ? ここじゃ、詳しく話せないから……綾女ちゃんが、いろいろ大変な目に遭ったのは知ってるから……今回ばかりは、凄く心配で……」
「……とりあえず優華さん。鞄を置かせてもらっても宜しいでしょうか?」
「あ――うん、うん。そだね」
わたしはやんわりと言いながら、自席に鞄を置いて、携帯電話と長財布を取り出す。為我井優華はそんなわたしを見てから、パタパタと先に廊下に出た。
『三幹生の皆さん、お待たせいたしました。本日、十四時より七夕祭を開催いたします。つきましては、七夕祭のプログラムを視聴覚室にて配布していますので、各学年のクラス委員は、自分たちのクラス分を取りに来るようお願いします。併せて、十四時が織姫・彦星コンテストの参加締め切りとなりますので、参加希望者は二人一組で、生徒会長室に来るようお願いします。時間厳守なので、締め切り後の受付は行いませんのであしからず――ちなみに、現時点では既に三十組の参加があります。今年も激戦ですね!』
全校に響き渡る流暢な校内放送が流れて、廊下はいっそうガヤガヤと騒々しくなった。一年ぶりのこの空気、この校内放送を耳にして、わたしは少しだけ心が浮足立ちそうになる。
「綾女ちゃん、綾女ちゃん。この三日間、本当に大丈夫だった? アタシ、心配で心配で……清ネェに相談したら、深刻な顔で『調べとくわ』って言ったけど、何も教えてくれなくて――」
「――清香さんに、相談したのですか?」
「え? あ、うん。そりゃ、そうだよぉ! 流石に今回は、ストーカー事件だもん!!」
為我井優華が小さめの声でプリプリ憤慨しながら言った。わたしは渋面を浮かべながら、少し厄介なことになるやも知れない、と言葉を呑んだ。
いま話題に上がった清香――為我井清香は、為我井家の長女、為我井優華の姉で、県警所属の現役バリバリの刑事である。
配属されている部署は捜査第一課、いわゆる強行犯と呼ばれる凶悪犯罪担当で、県警内では良い意味でも悪い意味でも名前を轟かせる若きエースらしい。犯罪を取り締まる為ならば、合法違法を問わない辣腕を振るうようで、署内では取り扱い注意の意味で、『爆弾娘』と恐れられていると聞いた。
そんな為我井清香に相談したとなると、下手すれば『護国鎮守府』まで辿り着いてしまうかも知れない――繋がりでわたしの正体を知られないか心配である。
「ところで、優華さん。優華さんも、だいぶ危険な目に遭ったと聞きましたが、大丈夫でしたか?」
「…………うん。凄く怖かったし、泣いちゃったけど……気付いたら、保護されてて……」
とりあえず食堂の空いている席に座り、無料の麦茶を置いた。
為我井優華はすぐさまその麦茶を飲み干して、ギュッと目を閉じると肩を震わせた。あの時の恐怖を思い出したのだろう。三日前の出来事とはいえ、いまだ記憶は鮮明のようだ。
「……あの日は……バスに、乗ろうとした時にね……いきなり、ふわっと意識がなくなって……次に目覚めたら、目隠しされてて……なんか、気持ち悪い声で『不運だねぇ優華ちゃん。キミは綾女ちゃんをおびき寄せる餌に決まりました。でも大丈夫、安心してよ。俺様の狙いは綾女ちゃんだけだから』……って言ってて……」
「優華さん、もう充分です。巻き込んでしまって、申し訳ありません」
「……あ、ううん、ごめんね。アタシは、大丈夫だよぉ。だって結局、ブラと制服が一つ駄目になっただけで、怪我もなかったし……結局、綾女ちゃんも無事だったって聞いてたから……」
「ええ、ええ。優華さんが無事でよかったです。それに、わたしも無事でしたし――ちなみに、保護された、とは、どなたに保護されたのでしょうか?」
「――あ、と…………え、と? あれ? 誰、だっけ……? あれれ……? アタシ、気付いたら、家で寝て、た……?」
わたしの質問に答えようとした為我井優華だったが、突然、その表情にクエスチョンマークを浮かべながら、あれれれ、と首を捻り始めた。その仕草は、まさに覚えていた事柄をド忘れしたかのようで、思い出せないことが理解出来ないとばかりに難しい顔をしている。
「あれれれ……アタシ……誰に、綾女ちゃんが、無事って……聞いた、のぉ……?」
泣きそうな顔でそう呟く為我井優華を見て、わたしは、なるほど、と納得する。
まるで記憶操作でもされたかのような不自然な物忘れ。これは恐らく、護国鎮守府の中に記憶を弄れる異能持ちでも居るのだろう。わたしも注意しなければ――
「――優華さん。無理しないでください。申し訳ありません、こんな質問をしてしまって……」
わたしは、もう大丈夫です、と言いながら、為我井優華の肩を抱き締める。為我井優華はわたしの抱擁に安堵の顔を浮かべて、うん、と小さく頷いて押し黙る。
しばしそのまま為我井優華を抱きしめて、それからわたしは席から立ち上がった。
「優華さん。怖い話はもうこれで止めにしましょう。お互い無事で、事件は解決していますから――さて、それでは、食事どうしますか?」
それほど混雑していない食堂のカウンターを指差して、わたしは優しく微笑んだ。為我井優華はわたしの笑顔を見てから、コロッと表情を一転させて、そうだなぁ、と楽しそうな笑顔を浮かべた。
「安心したらお腹減っちゃったけど、この後は七夕祭だからなぁ――校庭の露店巡りの為に、控えめな軽食にしておこうかなぁ?」
「どうしましょうか? わたしは、この後『織姫・彦星コンテスト』に参加しようと思っているので、軽くベーコンエッグマフィン程度にしておきますけれど?」
わたしは参加の締め切り時刻が迫っている中、どう切り出すべきか思い付かず、行き当たりばったりに口に出してみた。これで食いついて来てくれれば御の字――と、希望的観測をした瞬間、光の速さで為我井優華が反応した。
「え、ええ、えええええ!? ど、どういうことぉ!? だ、誰と出る気なのぉ、綾女ちゃん!!」
驚愕の声が食堂に響き渡る。わたしは為我井優華の発狂にも思える剣幕に、思わずたじろいだ。
「誰と、って――」
「まさか……ここ数日、体調不良で休んでたのって――実は、そういうこと!?」
それは優華さんにお願いしたい、と続けようとしたが、最後まで言わせず、為我井優華が喰い付いてくる。為我井優華は、だからストーカーが、とブツブツ呟きながら、目をキラキラさせていた。
わたしは白けた顔をしながら、為我井優華の壮大な勘違いを理解する。
どうやら彼女は、わたしが休んでいる間に、この学校の誰かと親しくなり、それが原因で質の悪いストーカーに狙われたというストーリーを考えたようだ。
甚だ心外で、とんでもない勘違いである。急いで是正しなければならない。
「…………優華さん。わたしの話を聞いてください。わたしは、優華さんと一緒に『織姫・彦星コンテスト』に参加したいと思っております」
「ふぇ!? ア、アタシ!? え!? ど、どうして!? 仲良くなった運命の男子は!?」
「運命の、男子……? そんな方はいませんし、そもそも優華さんの想像は勘違いですよ?」
「う、嘘だぁ!! じゃあ、逆にどうして、去年はあんなに嫌がってたのに、今年は参加するのぉ?」
「――それは単純に、奉仕活動が嫌だから、です。昨年で嫌と言うほど理解しました。わたしのような病弱な人間に、二十日間もの奉仕活動は苦痛でしかありません」
わたしはそんなやり取りをしながら、とりあえず食堂で食券を購入して、目的のベーコンエッグマフィンと引き換える。為我井優華も話しながら、結局、カレーライス大盛を注文していた。
「……んん~、そっかぁ……ロマンスは、始まってない、のかぁ……」
為我井優華は至極残念そうにそう呟き、チラッと食堂の時計に目を向ける。時刻は十三時十五分、タイムリミットが近付いている。
「ねぇ、優華さん。わたしと一緒に、コンテストに参加頂けないでしょうか?」
「…………うぅぅ――」
「……優華さん? どうかしましたか?」
わたしはベーコンエッグマフィンをパクつきながら、どうしてか二つ返事せず唸る為我井優華に首を傾げる。
まさか断られるのか、という思いに恐怖を感じた。
果たしてその危惧は、現実になる。
「――ごめんなさい、綾女ちゃん。アタシ、ちょうど昨日、エントリーしちゃったの! 隣のクラスの脇くんから誘われて……綾女ちゃんは今年も出ないだろう、って思ってて……」
「……そう、ですか……それは残念です」
顔を真っ赤にして謝罪する為我井優華に、わたしはそれ以上なにも言えず押し黙る。
しかしこれで、参加の道は断たれてしまった。締め切りまで残り時間が少ない状況で、わたしの人間関係の中では、上位入賞出来るような知り合いは居ない。
諦めたくはないが、諦めるしかないのか――
「――え? あ、え? そんな、まさか……鳳仙、さん?」
「わ、わ、わ、水天宮さんだ……」
せっかく学校まで無理を押してやってきたのに――と、絶望的な気持ちで顔を伏せた時、背後から驚きの声が聞こえた。それに反応するように、為我井優華が嬉しそうな悲鳴をあげていた。
振り返ってみれば、そこには、以前図書室で逢った不思議ちゃん、水天宮円がサラダだけ載せた食器トレーを持って立っていた。
水天宮円はオバケでも見たかのような驚きの視線をわたしに向けており、どうしてか自然な流れで隣に座ってきた。
「あ、初めまして、水天宮さん。アタシ、隣のクラスの為我井優華って言います。で、ご存知かも知れませんが、こっちのどこに出しても恥ずかしくない美女が、鳳仙――」
「ええ、存じていますよ、鳳仙、綾女さんですよね。学年トップの方ですし、ついこの間、図書室でもご挨拶させて頂きましたし……ところが後々聞いたら、病気がちで、今は療養中と伺ったので……もう大丈夫なんですか?」
水天宮円は、まるでわたしの旧知の友人のような空気感で、少しの不自然さもなく問いかけてくる。見た目の冷然な無表情に反して、凄まじいコミュニケーション力を持っていることが窺える。
わたしは、若干人見知りな顔をしながら、ええ、と小さく頷いた。
「良かった……ご挨拶した日から、ずっとお休みだって聞いていて……鳳仙さんに、知らず知らず何か失礼をしていたかも……って、心配していたので……」
「はわぁ~。水天宮さん、噂以上に聖母だよぉ……」
「…………」
わたしを見詰める切れ長の蒼眼が少しだけ潤んでいる。その横顔を見ながら、為我井優華がどうしてか感動していた。
だがわたしは、その同情にも憐憫にも思える水天宮円の視線の中に、どこか違和感を覚えた。純粋にわたしを心配している気がしないのだ。
とはいえ、赤の他人でまだ二度しか顔を会わせていない人間のことを心底心配出来るなら、それはそれで異常者だろう。
わたしは視線を切って、食事を手早く食べ終えると、口元を拭ってから席を立った。最後の足掻きにもなるか分からないが、生徒会長室でパートナーを捜している誰かに期待するしかない。
毎年、いざ参加誓約書を書く段階になって、やはり心の準備が出来ずに断る生徒がいるのだ。
「優華さん、水天宮さん。わたしはこれで失礼しますね。無駄かも知れませんけれど、生徒会長室に行ってどなたか探して――」
「――ちょっと待ったぁ、綾女ちゃん!! そうだよ、そうだよ! アタシ、今、すっごく良いこと思い付いちゃった!! きっとこれなら、綾女ちゃん優勝できるかも知れないよ!?」
「…………は? どういうことでしょうか?」
わたしが二人に会釈した瞬間、何か閃いたとばかりに、為我井優華が大声を上げた。わたしはキョトンとしてから、胡散臭い顔で為我井優華を見やる。
為我井優華はカレーと米粒を頬にくっ付けたまま満面の笑みを浮かべて、グッと親指を立てながら水天宮円に視線を向けた。
「才色兼備の病弱薄幸美少女『三幹の大和撫子』こと綾女ちゃん――そんな綾女ちゃんの人気を脅かすほどの美貌を持った美少女が、ここに居るよぉ! 転校してきて僅か数日で、『氷の微笑を持つ聖母』の異名を轟かせる美少女の水天宮さん。二人なら絶対、コンテストを勝ち抜けると思うなぁ!!」
「――はい? え、と? わたし、ですか? コンテスト、って?」
「…………嗚呼、なるほど」
何のことか分からずに首を傾げる水天宮円をチラと見て、わたしは為我井優華の提案を理解する。同時に、それが今時点での最良の選択であることにも納得した。
そして何より、為我井優華の言う通り、確かに水天宮円が協力してくれれば、優勝も夢ではないかも知れない。
わたしはそんなことを考えながら、何も知らない水天宮円に交渉を始めた。
はてさてその後、水天宮円に『織姫・彦星コンテスト』の参加を了承してもらったのだった。




