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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
人修羅を継ぐ者
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始まりの夜

2023/4/18 一部表現を変更


 一際甲高い金属音が道場に響き渡り、師父が握っていた仕込刀【魔女殺し】が、わたしの小太刀に弾かれて床に転がった。

 

「うむ。完璧なまでの修羅之位(シュラノクライ)よ――それを自在に操る腕、もはや儂を超えておる。これで、儂が教えることは、何もないじゃろぅ。本日、此の瞬間より、外道之太刀『皆伝』の段位を授ける」


 今年で米寿を数えた師父が、頷きながら床を転がった仕込刀を拾い上げた。それを鞘に収めると、足元にゆっくりと置いた。

 仕込刀【魔女殺し】は、鞘に仕舞うと杖にしか見えなかった。


「これで、稽古も終わりじゃ――ほれ、闘気を解くがいい」


 師父は先ほどまでとは打って変わった柔和な笑みを浮かべて、その場にドカッと胡坐を掻いた。

 途端に、道場を支配していた殺伐とした空気が一気に弛緩する。張り詰めた緊張とキナ臭い殺意が消え去り、静謐とした道場のそれに変わる。


 都合一時間ほども切り結んだ死合が、いまようやく終わった。

 わたしはそれを今更に認識して、言われるがまま構えを解くと、道場の床に正座する。


「ふむふむ。さて、綾女(アヤメ)よ。そういえば、おぬし、今年で幾つになる?」

「十七、になります、(ゲン)師父」

「ほぅほぅ、十七、か。ふむふむ、時が経つのは、まっこと早いのぅ――無様に泣きじゃくって漏らしておったのが、つい此の間のことのように思い出せるがのぅ――そうか、そうか」


 白髪の好々爺然とした師父――蒼森(アオモリ)玄はそう頷きながら、ポンポンと自身の膝を叩いて、柔和な笑みをさらに蕩けさせて、懐かしむような顔をした。

 道場内の空気がいっそう緩んだ。

 それに釣られて、わたしも頬を緩ませて微笑する。

 ようやくこれで――わたしも、憧れの師父と、同じ段位に到達できた。


「さて、綾女よ。おぬしは見事、偉業を果たした。歴代でも、外道之太刀の皆伝を修めることに成功した者は少ない。ましてやその段位を、十七という若さでもって修めることが出来たのは、開祖とおぬしだけじゃ。その自覚を持ち、今後も精進することを誓うか?」

「――――ええ、無論、誓います」

「うむ、うむ。それでは、これを授ける」


 師父は皺くちゃの顔をだらしなく緩ませたまま、床に置いた仕込刀【魔女殺し】を差し出してくる。

 わたしは握っていた小太刀を傍らに置き、深く一礼してからそれを恭しく受け取る。わたしのその仕草は、まさに王様より騎士号を拝命する騎士の如き仕草だ。


 わたしの両手に、ズッシリと精神的な重みが掛かる。

 これが、長年望んでいた最強の剣士を冠する重みか――


「わたし、鳳仙(ホウセン)綾女、謹んで、最強の剣士、【人修羅(ヒトシュラ)】の号、拝命致しま――」

「――あぁ、勘違いするでないぞ、綾女よ。残念じゃがまだ、綾女に【人修羅】の業は与えられぬ。綾女は、まだその域に到達してはいない」

「――――はぁ?」


 わたしはバッと顔を上げて、仕込刀を受け取ったままの姿勢で、目を点にして全ての動きを止めた。


 師父はいま――何と言った?


「綾女よ――おぬしは、唯一生き残った弟子であり、且つ、儂の孫という贔屓目を抜きにしても、間違いなく天才じゃ。それは断言する。じゃがまだ、儂が背負っておる【人修羅】の業は、継がせられぬ」

「玄師父……それは、どういう、意味ですか? 何が、わたしに足りない、と言うのですか?」


 あまりにも衝撃的な言葉に、わたしは声を震わせながら問い返す。表情は硬くなり、頰がヒクついているのを自覚した。

 師父はそんなわたしの動揺している感情を見透かすように、緩んだ顔を引き締めて、神妙な顔で頷いた。


「ふむ。綾女は、納得出来ないやもしれぬが、足りないのはその実力と経験じゃ。特に、格上の強者とのギリギリの戦闘、命の取り合い、そんな戦闘経験が不足しておるのぅ」


 師父の言葉に、わたしは瞬間的に、受け取った仕込刀を抜刀していた。

 我ながら会心の居合い抜きである。常人ならば、白刃の煌めきさえ感じ取れず死ぬだろう。

 しかし、完全に緩みきっていたはずの師父は、その切っ先を白髪一本散らすだけのギリギリで見極めて、余裕さえ感じられる所作で避けた。


 脅しのつもりではあったが、ここまで見事に避けられると少しだけ傷付くな――と、わたしは心の中で溜息を漏らして、一度仕舞いこんだ殺意と闘気を、ふたたび全身から溢れさせる。

 師父の言葉如何によっては、ここから第二ラウンドを始めるのも(ヤブサ)かではない。

 実力が足りないと言うのならば、先ほど以上の実力を見せ付ければ満足だろう。


「……綾女よ。ここが分水嶺じゃ。おぬしは二つの道を選ぶことが出来る。一つは、正道。このまま儂が教えた剣技を引き継いで、この道場主となり、いずれ跡取りを成して、連綿と続く乙心一統(オツシンイットウ)流を絶えさせないよう生きる道じゃ」


 師父はわたしの闘気を真正面から受けて立って、しかし穏やかな口調で言う。同時に、緩やかな動作で仕込刀の刀身を指で掴むと、グッと力を込めた。

 外道之太刀ではなく、乙心一統流受身の型――刃流しの構えである。


 わたしは馬鹿にされたようなその態度に、よりいっそう怒りの炎を燃やす。だが思考は冷静に、感情に飲まれないよう、静かに深呼吸した。

 そして、すぐに次の動作に移れるよう、静かに重心を後ろに倒して、乙心一統流刺突の型、その予備動作を行った。

 そんなわたしの所作に苦笑しながら、師父は話を続ける。


「綾女ほどの器量ならば、良き伴侶も得られるじゃろぅ。それに、それだけの多才があれば、どんな困難も乗り越えられるはずじゃ。人として、儂はこの正道に生きることをお勧めするぞ?」

「玄師父、わたしの気持ちを分かっていて、そんな意地の悪いことを仰っておられるのでしょうか? わたしが、何を望んでいるのか、分かっていて仰っておられますか?」

「――――ふむ」


 わたしの言葉に対して、師父は力強く頷いた。

 瞬間――わたしは仕込刀を寝かせると同時に、スッと後ろに引く。その一挙動で師父の指からは逃れられたが、その拍子に切っ先を弾かれた。

 だがしかし、このやり取りは想定内だ。

 わたしは弾かれた勢いそのまま仕込刀を逆手に持ち替えて、師父の首を目掛けて、本気で殺すつもりで、首を刈り取る斬撃を振るう。


 ところが、師父はいつのまに拾ったのか、床に寝かせていたわたしの小太刀を持ち、素早くそれで防御をしていた。


 キ――ン、と。激しい金属音と、一瞬の火花が道場に舞う。


「綾女よ――やはり、もう一つの道を選ぶか?」


 ギャリギャリ、と鍔迫り合いしつつ、お互いに涼しい顔で向かい合う。わたしは強く頷いた。


「引き返すことは出来ぬぞ? 儂の歩んだこの外道は、冥府魔道じゃ。人外が巣食う修羅道であり、人道を踏み外した悪鬼羅刹が棲まう道じゃ。あらゆる全てを犠牲にして、手に入るのは、たった一つ――」

「――わたしは、『最強』以外に、何も欲しくはありません」


 キン、と一際高く金属音を奏でて、わたしは師父と大きく距離を取った。


「ふむ――じゃろぅなぁ。まさに口伝の開祖と同じ気概じゃ。しかし、そこまで開祖に似ずともよかろうにのぅ」


 ふぅ、と疲れたように吐息を漏らしてから、師父は小太刀を目の高さに掲げた。


「玄師父、申し訳ありませんが、わたしは開祖のことなぞ知りません。わたしが目指したのは、歴代最高、最強と謳われた鬼神――玄師父、貴方です」

「ほぅ? ふっふ――なるほどのぅ。まったく、嬉しいやら哀しいやら……なんともいえぬ気分じゃ。もうちっと若ければ、滾ったやも知れぬがのぅ」


 わたしは真っ直ぐに師父の瞳を見詰める。わたしの言葉に嘘偽りはない。


 今も昔も変わらず、わたしが本当に欲しいのは、たった一つの下らない称号だ。


「――であれば、綾女よ。外道を往く覚悟あらば、儂からおぬしに試練を与えよう。その試練を見事果たしたとき、儂の持つ業は全て継がせよう」

「それは是非に――」


 わたしの即答に、師父はとても愉しそうに破顔した。


「試練は、二つある。その順序は問わぬ。一つは、この娘を殺すこと。手段は問わぬ。またもう一つは、本気の『巫道サラ』と闘うこと。勝敗は問わぬ――どうじゃ? これら二つの試練を果たすことが出来れば、儂と対等――儂の業を引き継ぐに足る実力と経験を得たことになろう」


 師父は言いながら、一枚の写真をわたしの前に放り投げた。

 わたしはその写真を、床に縫い付けるように仕込刀で突き刺してから、写っている人間をマジマジと覗き込む。

 そこに写っているのは、わたしと同い歳ほどに思える茶髪の少女だった。

 隠し撮りだろうか。特徴的な五つ葉の校章が刺繍されたセーラー服姿で、可憐に笑う美少女のブロマイド写真である。


「――この制服は、五葉女子、でしょうか?」

「そうじゃ。よく知っておるのぅ……その私立五葉女学院に通っておるJKじゃよ」


 茶髪の少女が纏っている制服を見て、わたしは怪訝な顔で首を傾げる。

 五葉女子――正式名称は、私立五葉(ゴヨウ)女学院。

 九鬼市の隣、五葉市にある県内屈指の偏差値を誇るハイレベルなお嬢様学校であり、品行方正な生徒しかいないミッション系スクールだ。そんな高校に通うこのアイドルみたいな美少女を、どうして殺す必要があるのか。

 師父の意図がまったく見えず、わたしは若干混乱した。


「殺せ、とは――そのまま、の意味でしょうか?」


 わたしは、何を馬鹿な、と目で訴えた。

 そんな程度の簡単な仕事のどこが、わたしの試練になるというのか。


「意味を問うても、儂は答えぬ。既に儂は、この娘を殺すことが試練と告げた。手段を問わず、とも伝えた。言葉の解釈は、綾女の好きにするといい」


 しかしわたしの問いに、師父は真剣な顔で突き放した言い方をする。

 わたしは憮然とした表情で、今一度写真を眺めた。


 写真の少女は、胸元まで伸びた茶髪にシャギーが入っている。シュッと引き締まった小顔に、端麗な顔立ち、強い意思が感じられるパッチリとした瞳をしていた。

 一度見たら印象に残るだろう美しい少女だった。だが、その顔に見覚えはない。

 テレビの有名人とかではなさそうだ。

 写真から感じ取れる印象、雰囲気はただの美少女に思えるが、隠れた実力者なのだろうか――


「綾女よ。じゃが、少しだけ情報をやろう。その娘の名は、五十嵐(アオイ)、高校二年生じゃ」

「五十嵐? それは、九鬼市の市長と同じ苗字ですね」

「うむ。一人娘だそうじゃよ?」


 師父の答えに、わたしは多少納得できた。

 なるほど、市長の娘を暗殺するのか――であれば、それなりの難易度になるだろう。


「――かしこまりました。では理想は、事故死に見せかけることでしょうか?」


 殺すことには躊躇はない。別段、人殺しに対して罪の意識も感じない。

 考えなければならないのは、その方法だけだろう。

 効率的に、秘密裏に、速やかに殺す――それが肝要だ。


「そうと決まれば――わたしは、これでもう帰ります。ちなみに、玄師父。この【魔女殺し】は、わたしが頂戴しても宜しいのでしょうか?」

「ああ、持って行くがよいぞ。それは、外道之太刀『皆伝』の証でしかない。『最強』の剣士を意味する【人修羅】の業は、武器に依らぬ」


 さも楽しそうに笑う師父に、わたしはスッと会釈して、そのまま早足に道場を出ようとした。

 すると、不意にわたしの背中に師父が言葉を投げる。


「おお、そうじゃそうじゃ。綾女よ、もう一つだけ情報をやろう。試練の二つ目、『巫道サラ』のことじゃが……あの女も恐らく、いまは五葉女学院におるはずじゃよ?」

「そうですか――――それでは、両者とも見事に殺して、すぐに試練をこなしてみせます」

「自惚れは、己を滅ぼすぞ? 外道之太刀の教示通り、常に決死の覚悟で励めよ?」

「無論、言われずとも――次にお伺いする際には、良き結果報告が出来ると思いますよ」


 師父の挑発的な売り言葉に、買い言葉を返して、わたしはそのまま道場を後にした。


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