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夢と現実とその狭間 6

とりあえず愛さんの家に帰って、二人でぐったりとソファーにもたれて、黙った。疲れた、半端ない。久しぶりに父さんに立てついた気がした。さて、これからが大変だ・・・両家顔合わせをして、式の日取りを決めて、SGRグループでのお披露目会をして、これをこなして僕たちは晴れて偽装結婚完了となる。まだまだ長そうだなぁ・・・

「猫ちゃんも頑張ったわね・・・ちょっと見直したわよ。」

ぐったりしている愛さんがぐったりしたままつぶやいた。

「愛さんも、お疲れ様です・・・」

僕も家に着いた瞬間脱力してます、こんな時に渉さんが飛び込んで来たら悪酔いだよ・・・幸か不幸か、渉さんは今海外で帰ってくるのは明後日、それまでには回復しておこう。

式場はほぼ決まっている、南山高原ホテルのガーデンチャペル、ここはうちの会社のグループホテルだから融通は利くし、何よりすごくきれいな場所だ。高台で一面緑の草原でハイジの世界と言ったらわかりやすいのだろうか。きっと本来ならうちの親は海外で挙式だとか何とかいうんだろうけれどそんな事はしたくないしそんな時間もない。どうせ形式だけなんだしそんな無駄遣いするぐらいなら愛さんの部屋を片付ける方が先だよ。このままじゃ僕住めないし・・・新婚旅行も行く必要ない、そんなことする時間があるなら渉さんと居たいから。

「ねぇ猫ちゃん、顔合わせ、どーする・・・?」

「そうだねぇ・・・僕的には会社の会議室とかでもいい・・・」

「私も、医務室でいい・・・」

僕たちはピクリとも動かず口だけで会話をする。ダメだこりゃ、今日は何にも思いつかない。

「今日はこの会話はやめときません?本当に会議室か医務室になっちゃいそうだから・・・」

「そうね・・・」

「もうちょっとしたら、ご飯食べに行きませんか?なんかあっさりしたものでも・・・」

和食とかで癒されたい。

「そうね、猫ちゃんのおごりね、フレンチ・・・」

「・・・かしこまりました。」

へびーじゃねーですか・・・?


渉さんが海外から帰ってきて、もちろん僕たちは時間を合わせて集まった。その日の愛さんは夜勤明けで・・・僕たちが家に着いたときはもろに寝起き状態だった。上下スエットでソファーに座って缶チューハイって、どこかのおっさんじゃあるまいし、もうちょっとちゃんとしません・・・?

「猫ちゃん、冷蔵庫のチューハイ取って・・・」

「寝起き一発目に酒かよ。」

「いーの、中一日開けてまた夜勤だから私のこれからは長いのよ。」

様は、朝まで飲むということだ・・・

「結婚したら完全にすれ違い夫婦だな。」

「あら、それを望んでの結婚みたいなもんじゃない、形だけなんだから。」

まぁ、そうですね。この勢いじゃ週に数度お会いできるかどうかみたいな生活になりそうだ・・・

僕は基本暦通りの生活で就業時間もかなり厳しく決まっている、ノー残業デーなんてのもあるこのご時世、社会的影響力のある企業は働いてくださっている職員様を守るのに大変だ。しかし、世の中そんなに恵まれた会社ばかりじゃないのが現状。愛さんのような医療関係者は元より、渉さんのような出版業界なんてのも不規則な業種の一つ、人が減ればその分を補って過重労働を行い、かといって誰でもいいから雇うってわけにもいかない。愛さんの勤務形態なんか聞いたら労働基準法ってどんな法律だっけって聞き返したくなるよ。でも愛さんはそれでも自分は恵まれている方だと言う。大きな病院なだけあって人間は腐ってる程いるからと言う。この、腐ってるの意味を深追いすると話が長くなるから聞かないけどね・・・

渉さんが愛さんの相手をしてくれている間に僕は冷蔵庫を片付けてつまみを用意した。

「愛さん、今日何か食べました?」

「食べてない、起きたのさっきだから。猫ちゃんなんか作って。」

はいはい。ダイニング相良はただいま開店です。

「顔合わせの場所、決まったのかよ?」

「猫ちゃんとこの会議室かうちの医務室。」

   ぶっ!

渉さんがビールを噴き出して愛さんが叫びながらタオルを投げつけている。僕はそんな光景を見ながらキッチンでパスタを茹でていて、シュールだね。

「嘘に決まってるでしょ、本当にそうしてやってもいいけど、ねぇ猫ちゃん。」

「僕もそれでいいんだけどね。やっぱりちゃんと探さないとかなと。」

「あたりまえだろ・・・」

僕たちの希望としては愛さんの両親に極力威圧感のない感じにしたい。ランチやディナーだとどうしてもうちの両親がお店を指定してくるだろうし、そうなると高杉のご両親はとんでもなく大変だ。それこそ実技試験か圧迫面接だよ。と、なるとお茶の時間がいいんだけど、そんな時間に両家顔合わせで結納みたいなことできる場所ってどこだろう・・・ある程度プライバシーが守られる作りで、威圧感がなくて、騒がしくもなくって、うちの両親が文句言わないような店・・・この最後のフレーズが一番問題だ。

「うちの両親が出されたものに文句言いだしちゃったら場が悪くなるから、それは避けたいんだけど・・・」

言うのはたぶん、父さんなんだけどね。

愛さんの前にパスタを置いて僕はビールをもって渉さんの横に座った。

「式場は決まってるのに顔合わせの場所が決まってないなんて・・・やっぱり医務室にしちゃおうか。」

渉さんがうーんと首をかしげてる。

「んじゃさぁ、店貸切っちゃうか?」

愛さんと僕は思わず顔見合わせた。

「いやぁさぁ、俺の担当ではないんだけど、今追ってる企画があって、元某有名ホテルのパテシエが小さいカフェを出すってのをさ、特集で追ってるんだよ。元超一流を極めた人間のセカンドライフ的な企画で、その店のオープンが近々だった気がすんだよな・・・」

「でも、オープン早々に貸切るなんて迷惑じゃないの?」

「だから、オープン前に貸してもらえないかなって思ってさぁ、プレオープンみたいな感じで。腕はいいはずだから樹んちも問題なさそうじゃね?」

それ、名案です、渉さん。

「でもどうなの?そんなのって迷惑じゃないの・・・?」

愛さんはパスタを食べながら、ねぇと僕に同意を求めている。

「まぁ、聞くだけ聞いてみようや!」

「猫ちゃんの飼い主は役に立つわねぇ、任せたわ。」

愛さん、完全に丸投げです。その後僕たちは僕の実家の話題で散々盛り上がり、愛さんと渉さんの飲むペースは一向に収まらず、僕は明らかな二日酔いで翌日出社することになった。


後日、渉さんに連れられて愛さんと二人でお店にご挨拶に行った。渉さんを通じて先だって話を通してもらっていたから本当に顔合わせと下見程度だった。

お店はアンティーク調で明るくって素敵だった。聞けばオーナーがちょこちょこ自分で作っていたのだと言う。そういう趣味を持っているっていいよね、歳を素敵に重ねる大人の人にはあこがれます。

オーナーの増田さんは本当に人当たりがいい人で話の進みは早かった。

形式はお茶と小さなケーキぐらいを用意してもらうアフタヌーンティー形式をとってもらうことにした、コーヒーと紅茶を選べるようにしてもらって、僕と愛さんは頭を下げた。

「SGRグループは以前のホテルでも何度か使用していただいたことがあります。」

増田さんはそうやってにこにこと言ってくれる。

さすがは大企業に一流ホテル、絵にかいたようなできた話だ。

こじんまりした店内は明るすぎずとってもいい感じ、ここを本当に使わせてもらえるならば願ったりだ。

増田さんに改めてことを説明するととても快く引き受けてくれた。

「当日までに窓には目隠し用のレースカーテンを付けますから外からは見えないと思います、お時間もそちらに合わせますので言って下さい。」

非常にありがたい。

僕たちは増田さんの店を後にしてそのまま近くのコーヒーショップに入った。

「ねぇ、私今すごい面倒くさい事に気が付いちゃったんだけど・・・」

愛さんがコーヒーを受け取ってから声をかけて来た。窓側のカウンターに僕と渉さんは先に腰かけていて、僕たちは愛さんの方を見た。愛さんはやれやれと言わん気に僕の横に座る。

「あそこのさぁ、コーヒー出してくれてる女の子、見てよ。」

僕と渉さんは一度顔を見合わせて店員の女性を見た。

何だろう、タイプ・・・ではないけど、愛さんの知り合い?

「顔じゃないわよ?手よ、手を見て。」

手・・・?

僕と渉さんは言われるままにその女性の手を見て、渉さんは妙に納得した顔をしていた。

「わかった?」

「俺はわかった。」

えっ、何・・・?

「猫ちゃんさぁ、当事者なんだから気付いてよ・・・」

えっ、どういう事だろう?僕は改めてじっと女性の手を見た。

「そーだなぁ、忘れてたな。こいつんちがやかましく言ってくるよなぁ・・・」

「でしょぉ?」

ちょっとまって、何の話を二人はしているの!?

僕には全く分からなくって、店員の女性の手はごく普通の手で、何かおかしいってことはない。

「左手の、薬指よ・・・・」

呆れ果てた愛さんに言われて、気が付きました。それと同時に面倒くささがすごい勢いで襲ってくる、確かに・・・うちの両親が突っ込んでくるところだね。

「指輪・・・ですか。」

三人ででっかい溜息をついてしまった。

「ねぇ、針金とかで作れない?」

これは全員の本心だ・・・そんなものまで用意しないといけないのか・・・。

「樹、お前んちが問題だぞ?」

中途半端じゃ絶対に言われる、婚約指輪だけじゃない、結婚指輪も必要だ・・・どーしよ。

「ねぇ、私本当に要らないんだけど、こういうのってレンタルできないわけ?」

「結婚指輪のレンタルって、そんな商売あってたまるかよ。」

世の中の夫婦はこの指輪が存在することで夫婦の証とするんだ、レンタルなんて何の意味もないよね・・・男性側がそんなこと言ったら間違いなく婚約は破談だ。でも、僕たちには全く関係ないただの飾り物、そんなもんに何十万もかけるの!?勘弁してよ・・・

「ねぇ、あんたたち二人で買っさ、なんかの時だけおっちゃんの貸してよ。」

「お嬢、指の太さ考えてみろ、無理だろ!?」

僕のなら何とかなるかもしれないけど、渉さんと愛さんじゃ論外だよ・・・完全に男と女の手だもん。

「だって私仕事中は一切つけないんだし、勿体ないって。」

それでも、世間体があるのが相良の家なわけで・・・こりゃ大幅な出費になりそうな予感。

「あぁ!もう!めんどくさいわね!!」

叫ぶなり愛さんが立ち上がった。

これは、危険な兆候だ。渉さんが若干体を外側に反らした。

「私、買い物行ってくるから、あんたら夫婦の好みの物でいいから二人で適当に買ってきて。」

えぇぇぇぇ!?本気ぃ!?

「私、7号だから。じゃね。」

そう捨て置いて愛さんはコーヒーをもって店を出て行ってしまった。

残されたのは男二人・・・

男二人で、結婚指輪とか、買いに行っていいの・・・?

茫然とする僕達、しばらく動けずにそのままぽかんと外を見てしまった。そして僕は、なんとなく渉さんを見た。

渉さんも口開いちゃってるよ、やっぱり愛さんは無敵だね・・・

「・・・仕方ねぇ、行くか?」

行きましょうか・・・

僕たちはコーヒーを飲み終えて店を出た。

白昼堂々人混みを二人で歩くのはいつぶりだろうか、しかもこんなおしゃれな街で。女の子同士や男女ってのは多いけど男二人って目立たないかな・・・?

気にしすぎだよね・・・?

「樹、店はお前しか選べないんだから、連れて行ってくれよ?」

ティファニー?ブルガリ?その辺が王道かなぁ・・・カルティエやグッチ・・・日本のブランドとか?

だめだ、全然思いつかない・・・

愛さんはいい人だ、なかなか好きではあるけれど愛しているわけじゃない。渉さんとの指輪だったらもう少し気は楽だと思うし乗り気だったと思う。いっそ愛さんにブランド指定してもらえばよかったよ。

そんな迷いをグチグチ抱えながら歩いていたら、渉さんが声をかけて来た。

「お前の両親の指輪のブランドは?」

「えっ?」

渉さんのこの言葉に僕は足を止めて顔をあげる。

「お前んとこの両親と、ブランド、合わせた方が心象いいんじゃねぇの?」

わぉ!さすがだね!僕は思いっきりその作戦に乗ることにした。

確かに、両親と同じだったら悪い印象は持たれにくいしケチも付きにくい。愛さん側からしても都合がいいはずだ。

「じゃ、ティファニーに行きますか。」

僕たちは車に戻って銀座のティファニー本店を目指した。


「お嬢!お疲れー!!」

「おじゃましまーす。」

おじゃましまーすって、後々は僕もここに住むんだけどね。僕たちは愛さんの家で合流した。

「今日の手土産は何?」

愛さんがベランダで煙草を吸いながらすでにお酒を飲んでいる、僕は冷蔵庫を開けて渉さん用にビールを出して渉さんの定番手土産のピザを出す。

「お嬢、ゲストルームは片付いたのかよ?」

「ん?本数冊出した。」

こりゃまだまだ終わらないや・・・僕が時間見つけて片付けてもいいかなぁ。

「で、例の面倒くさい話、どうなった?」

そうそう、今日はそれをお持ちしたんですよ。

何でか渉さんはすっごいニヤニヤしていて、楽しそうだ。

僕はピンクゴールドの小さな紙袋を愛さんに渡した。愛さんはそれを、それこそ酒でも受け取るように僕の手から取り上げてごそごそと仲を漁る。

「ティファニー!?案外定番じゃん。」

「渉さんの案でうちの両親と同じブランドにしたんですよ、その方が印象いいんじゃないかって。」

「名案。さすが飼い主、伊達に長生きしてないわね。」

「お嬢、俺とお前は同じ年だからな?」

ごくシンプルなリング、流線型で何の飾りもない。愛さんの方はピンクシルバーで僕のはホワイトシルバー、結果的に形式だけだしシンプルでいいよねって話になった。まぁ、それでも結構な値段はしましたけど・・・。

「何?わざわざ名前入れて来たの?」

その言葉に僕たちはちょっとニヤニヤ。

リングの内側に刻まれているアルファベット、愛さんはそれに気づいて、そこまでやったの?と問いかけてくる。そう、そこまでやりました。

「お嬢、気が付かねーか?」

「はぁ?何よ?」

この前のコーヒーショップの仕返しじゃないけど、企みありげな僕たちに愛さんは首をかしげてリングの内側を再び見た。

「僕のやつも見たらわかりますよ。」

愛さんは僕の方のリングも取って内側をのぞく。

「A・RとI・W・・・?うわっ!!!」

愛さんはまさにゲッて顔してリングから少し顔を放した。それを見て僕たちは笑う。

「これ、不審がられなかったの・・・?」

「特段不審がられなかったですよ?ねぇ、」

僕は渉さんを見て、渉さんも特にと言わん気な顔をしている。こう言うのは、さも当然の様に何のためらいもなくやった方が良いもんだね、まったく不審がられなかった。まぁ、裏ではどうかは知らないけどね。

「愛さんの方には愛さんと日高さん、僕の方には僕と渉さん。4人が共犯の証ですね。」

「趣味、悪いわ。」

そう言って愛さんは、ちょっと嬉しそうだった。

これは僕からの愛さんと渉さんと、日高さんに対するちょっとしたサプライズだ。リングの内側までは他人が見ることはない、だったらいっそ、本当の事を記しておこう。僕たち四人はこの先ずっと共に大きな秘密を共有して生きて行くんだ、これはその証拠。これで少しは、罪悪感なくつけられるかな・・・

「猫ちゃん、婚約指輪は?」

「えぇ!?やっぱりそっちも必要ですか!?」

「後々売ろうかと。」

「黒いな、お嬢・・・」

これで少しは形も整った。

あとは・・・

「愛さん、僕の部屋、僕が片づけておきましょうか・・・?」

あの部屋何とかしないと本当に何年も先になっちゃう。

「あっ、いいの!?やったー!」

そう言って愛さんは殊の外あっさりと合鍵をくれたんだけど・・・2つ?

「飼い主にもあげとく。」

なんて肝が据わった女性だろうね、僕たちはどうやら異性としては全く見られていないようで、信用されているんだろうけど、男としたら複雑だよね。

「言っとくけど!ここでいちゃついてたら破談よ!破談!」

「お嬢が夜勤の時だけにしとくよ。」

酔っ払い二人の言葉のやり取りはこのまま延々と続いて、僕たち男二人は日付が変わった後に愛さんの家を出た。

運転席と助手席の間には僕たちの指輪・・・渉さんはそれを手に取り闇の中にかざした。

銀色のリングはそれこそなんの可愛げもないただの輪っかだけれど、なぜか一際輝いて見える。

「樹?」

信号待ち中、渉さんが僕を呼ぶ。

顔を向けた僕を見て、渉さんが僕の左手を取って、薬指に指輪をはめた。

「これでお前は、俺のもんだよな?」

前後左右真っ暗で車は一台もない。僕そのまま停止線の前で車を止めて、渉さんに口づけをした。

息が上がるくらいの口づけ、もっと若くって健全だったらこのまま車内でってなったろうけど、さすがにいい大人で不健全だから、僕たちはそのまま僕の家に向かって、健全に抱き合った。


いよいよ来ました、両家顔合わせの日

人生最悪の日にならなければいいんだけど・・・

時間は午後三時、僕の両親は現地集合で、僕と愛さんで愛さんのご両親を迎えに行った。ご両親はスーツ姿で緊張しているのかと思いきやお母さんは楽しそうだった。そんなお母さんと愛さんのやり取りを見ていてちょっと安心した。お父さんの方も緊張すると言いながらもにこやかだった、良いご両親だ、きっと愛さんが結婚することが本当にうれしいんだと思う。これが嘘の結婚だって知ったときどうなるんだろう・・・お母さんの方はそれでも笑ってくれそうだけど。

「お母さん!お願いだから黙っていてよ!?しゃべらないで!」

「あらなんでよ!?樹君のご両親ってどんな方なのか楽しみじゃない!」

「変なこと言わないでよ!?わかった!?」

「大丈夫よ~、今後の為にも仲良くしないとね!」

「仲良くしないでいいわよ!!!」

愛さんの叫び声が車中に響いて笑ってしまう、渉さんがこの場にいたらどれだけ楽しいか。

近くの駐車場に車を止めて歩いて店に向かった。増田さんが迎えてくれて、店内に入ると、この前よりもより落ち着いた感じになっていた。以前はまだなかったケーキのショーケースも入っていて、ここにいろんなケーキが並んだら美しくなるんだろうなと思った。

「あらー!素敵なお店!!」

愛さんのお母さんは大喜びで、すぐに増田さんを捕まえて話しかけようとする。そこを愛さんが捕まえて無理矢理席に突っ込んだ。本当に社交的を絵にかいたようなお母さんだ。

うちの両親はまだ来ていない。

愛さんのご両親の方が先に着いておいた方がきっと気が楽だよね、と言うことで少し早めに来ておいたからね。お父さんは少し緊張した面持ちで、お母さんは楽しそう。

増田さんがコーヒーか紅茶かを聞きに来てくれて、全員コーヒーと言うことになった。僕の両親もコーヒーだから問題ない。少し座って話をして、すると予定時間より少し早くうちの両親も来た。

「これは随分お早く着いていらしたんですね。」

父さんが愛さんのご両親を見るなり声をかけ、僕たちは全員立ち上がった。

「初めまして、高杉と申します。この度はよろしくお願いします。」

愛さんのお父さんが丁寧にあいさつをしてくれた。

「初めまして、相良功です。」

そう言って父さんは愛さんのお父さんにいきなり名刺を差し出した。

感覚のズレ方にびっくりした。

ここは両家顔合わせの場所、仕事中でもなければ営業の場でも何でもない。ましてや愛さんのお父さんがもうご退職されているのは知っているはず。こんなの、嫌味以外の何でもないじゃないか・・・!

「父さん!今日は両家の顔合わせのためにお越しいただいたんです!ビジネスじゃないんだからいきなり名刺をお渡しするなど失礼ですよ!?」

僕の静止の声に愛さんのお父さんはにこやかに名刺を受け取った。

「これはご丁寧に、高杉俊一と申します。こちらは妻の百合子です。私の方はもう退職をしておりましてお返しいたします名刺を持ってはおりませんがどうぞよろしくお願いします。」

愛さんのお父さんの方がよっぽど立派だ、気を悪くされていなきゃいいけど・・・

僕たちはそれぞれ向かい合って座り、恐怖の顔合わせが始まった。

愛さんのお父さんの方がお歳も上だし人生の先輩だ。当然僕の父は敬わなければならないはずなのに、最初の名刺で父は完全に自分を優位に置いた。

この映像はまさにビジネスであり取引相手との交渉風景に近い、案の定うちの父が品定めのような発言を行い始めた。お父さんの学歴や仕事の事、愛さんのお兄さんの事・・・そんな質問の数々を愛さんのお父さんはにこやかに答えてくれた。母親同士は何だかうまくいきそうで、強烈にフレンドリーな愛さんのお母さんがうちの母に話しかけてくれる、うちの母親はどちらかと言うとのんびりなお嬢様だから愛さんのお母さんのようなタイプが引っ張ってくれた方が良いのかもしれない。

「しかし娘がSGRグループのご子息である樹さんの所に嫁ぐなんて夢にも思っていませんでした。うちの愛の方が年も上ですし、ご迷惑をおかけしなければよいのですが。」

「その辺りは本人同士が決めた事ですから、私達は一切何かを言うつもりはありませんよ。」

嘘をつけ・・・って思ったのは僕だけじゃなくって愛さんもだったらしく、僕らは目を合わせ苦笑した。

「この店はなかなかいいじゃないか、どっちが選んだんだい?」

出されたコーヒーとおしゃれなケーキに気をよくしたのか父さんがお店を見渡し始めた、また品定めしてるよ、嫌な感じ。やれやれだ。

「ここは僕の友人が紹介してくれました、オーナーはホテルのパテシエをご退職されて、この店もご自身でお作りになったそうです。」

「おうちの近くにあったら毎日ケーキ買いに行っちゃうわ!」

愛さんのお母さんはとっても楽しそうだ、この重めな空気が全く気にならないと言う感じで、それにつられてなのか母さんも相槌を打ってにこにこと話している。こんな時はやっぱり女性の方が強いよね、かくいう愛さんはと言うと・・・すっごい令嬢みたいな笑顔で、こっちもさすがだと思うよ。

「樹、オーナーを呼んできなさい。」

うわっ・・・嫌な感じだ。

僕は仕方なく増田さんに事情を説明して出てきてもらうように頼んで、増田さんは嫌な顔せずに快く出てきてくれた。

「この度はおめでとうございます。」

増田さんはそう言って僕たち家族に頭を下げてくれた。

父さんは当然の様に立ち上がり名刺を渡す・・・まったく、僕はこうならないようにしなきゃだよ。

「ホテル勤務時代は何度か利用していただいたことがございます、その節はありがとうございました。お口に合いましたでしょうか。」

「素晴らしい腕だと思います、さすがだ。あなたのような人がこんな小さな店ではもったいない、ぜひうちのグループでチェーン展開でもしませんか?」

今日が何の日だったか、何の集まりだったか僕は危うく忘れかけた・・・この人は典型的な仕事人間で、傲慢な社長だ。後日再びやってきて話をするならともかくまさかの両家顔合わせの席でこんな話をするなんて、自分の社会的地位を見せびらかしている様なもんだ。優先すべきは愛さんのご両親であり愛さんのはずだ、なのにこの男はそんな本日のメインゲストに背を向けてビジネスの話をしている。しかもまさかのこの店に対してダメ出しのような事を言っている。あまりの事に僕は、もしかしたらこの人には悪気はないのかもしれないと思い始めた、でももし悪気がないんだとしたら本当の世間知らずだ。

ストレスで胃に穴が開きそうだよ・・・僕が再びたしなめようとしたら、増田さんが頭を下げた。

「せっかくのお誘いですがお断りいたします。」

増田さんは人のよさそうな笑顔で続けた。

「この店は私の趣味みたいなものですから、のんびりとやりたいんです。セカンドライフってやつですね。歳をとるとマイペースが一番に思えてきましてね。」

増田さんにそう言われて、父はそうですかと一言だけ返して席に着いた。

「どうぞごゆっくりお過ごしください。」

そう言って増田さんは再び中に入っていった。

もう、僕が耐えられない・・・

僕は正直、早くこの会を終えたいと思った。

顔を合わせればその意味は終了する会なんだ、細かい事を打ち合わせる必要はない。

これ以上愛さんのご両親にうちの印象が悪く伝わるのは避けたい・・・ここは僕が締めなければ。


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