夢と現実とその狭間 3
高杉さんの車が滑り込んだのは聖帝大で、僕達はその附属病院の駐車場に車を止めた。ここは高杉さんの病院だけれど、高杉さんの相手って、同僚?
「キャバ嬢、社内恋愛って奴か?」
「さぁ・・・」
なんとなく、そんなイメージはないんだけどなぁ。
僕の中での高杉さんのイメージは公私を完全に分けた完璧主義だ、社内恋愛なんてプライベートを持ち込む様な事はしそうにない。でもそれはたった数回顔を合わせただけの僕の勝手な印象で、実はそんな事もうまくこなすのかもしれない。
訳ありな社内恋愛ってなんだろう・・・不倫?教授とかそう言う偉い人との関係?それとも若い看護師と?どれもしっくりこないけど。
「お嬢、こん中に下部がいるのかよ?」
「えぇ、いるわよ、付いて来て。」
そう言って高杉さんは正面から病院内へと入って行くが、まさに異質な姿だ。こんなに派手な格好をした女性を誰が医師だと思うだろう、短いスカートにピンヒール、明るい長い髪、時折甘い香水の香りもする。脇目もふらずツカツカと歩いて行く高杉さんの後ろを僕達は黙って歩いた。病院の中ってだけでなぜかすごく緊張して、僕達は顔こそ見合わせるも言葉を発することはしなかった。いきなり教授室とか?それとも院長室?若いナースとの秘密の部屋?妄想ばかり先走って良くない感じだ。
で、従業員用のエレベーターに乗って通されたそこには、男の人が寝かされてた。
部屋は何となく薄暗くて、その男の人にはたくさんのコードや管、モニターが繋がれていて、人工呼吸器が付いていた。男の人には意識がない様で生きてる気配もなく、こういうのを植物状態とでもいうんだろう、そんな感じだった。面食らった僕達は部屋の入り口でただ立っているぐらいしかできず、目の前の光景がいまいち理解できずにいた。
人工呼吸器の音と心電図の音だけが聞こえた・・・
「日高亮
りょう
さん、私の婚約者よ。」
えっと、この場合ってどういうリアクションを取るのが正解なんですかね?日高さんは、生きていらしゃるんでしょうか・・・?
「お嬢、理由
わけ
を聞いていいか?」
渉さんがすぐに反応してくれた、こういう時大人だなって思う。
「えぇ、もちろん。」
そう言うと高杉さんは日高さんの横に歩いて行って屈んで日高さんの顔の側に身を寄せた。
「日高さん、まだ起きてる?話していた婚約者とその彼氏を連れて来たのよ。」
高杉さんの声に反応したのはいくつもの線が書かれているモニターの、その線の中でも2本ぐらいがわずかに波打つだけ。表情も動かずもちろん体も動かず聞こえている音は相変わらず人工呼吸器の音と心電図の音だけだった。
猫ちゃんは経験不足ね、まぁ御曹司だものこんなもの見たことないでしょう。それに比べて飼い主の方はさすが度胸があるわ。
日高さんの脳波は私の声に微かに反応している、今日はまだ起きてるみたいね。
「彼のこの症例を学会で使いたい。そのためには元婚約者という肩書を捨てたい、個人的感情が入っている事を疑われては信憑性を疑われるわ。かと言ってこの男を忘れる事も捨てる事も出来ない。だから偽装結婚がしたい、どう?納得した?」
猫ちゃんは何となく納得したのかしらね、ポカンとしてはいるけど。いまいち納得いかないって顔をしているのは飼い主の方だ、まぁ、彼も一応ジャーナリズムを齧っている人間だから、これじゃ納得いかないか。
「それだけじゃちょっと薄っぺらくねーか?」
やれやれ・・・やっぱりね。
自分の恋愛を話すのって、妙な恥ずかしさがあって顔を見て話せないもの。私は二人に背を向けてモニターを見ながら話すことにした。
「・・・彼はずっと国境なき医師団で活動をしていた医師よ、私も何度か参加したことがあって、そこで知り合ったの。私は大学での最新医療を選び、彼は貧しい人々の為に生きる道を選んだ。彼の事は尊敬していたし、憧れだったし、人間として最も信用していたわ。いつか私が求め続けた最新医療が彼の志を救うんだって必死だった、そんな時って距離なんて関係ないものなのよね。でも彼は、紛争地で銃弾を頭に受けてこんな姿になった。何年前の話だったかいまいち覚えてないけどね。」
もう何年前だったかしらね・・・伝えられた時のショックがでっかすぎて全部忘れちゃったわ。
「現地の病院に担ぎ込まれてきたときは心肺停止、銃弾の摘出が行われたものの意識は回復することはなく心臓だけがおもちゃの様に動いている、世に言う脳死状態よ。本来なら臓器提供の意思確認をして親族との話し合いでどうするか決める。延命ってのは莫大な費用がかかるからね。ある程度落ち着いて、状況が理解できたら臓器提供の意思を示すのがセオリー。でも彼の身体は私が親族からもらい受けているからこうやって今も生かされている・・・」
「もらったって、日高さんのご両親はそんなに簡単に息子さんの体をくれたんですか!?」
「まさか、時間はかかったわよ。でも、彼を貰い受ける代わりに最新医療を無償で施す、その条件で納得してもらった。ご両親がここに来たのは数度あったかどうかよ、元々彼は日本にもいなかったし親からしても諦めがつきやすかったんじゃないかしらね。今は完全に私一人が彼を管理しているの。」
実際の所ご両親は案外あっさりと彼を手放してくれた、いないも同然だった息子が亡骸同然で帰って来たところで感情の起伏はさほど起こらなかったんでしょうね、まぁ、わからなくはないけれど。一緒に暮らしていたってそんな関係の患者たちは五万といるんだから私からしたら珍しくはない。最初の数回来たのだって義務的な物でしょ。
「彼は正確には脳死じゃないの、たまにね、脳波が反応するの、彼は今とても永い眠りについているのよ・・・私は彼がいつか起きると信じてあらゆる治療している。はっきり言えば個人的感情よ。でも、公にはそんな事は一切口には出来ない、私は貴重な検体を受け取り倫理上問題ないぎりぎりの所で脳死からの蘇生の研究をしている事になっている。もちろんこれも紛れのない事実だわ。彼のおかげで多くの事がわかっているんだもの、だからこそ彼に対する個人的な感情を全て払拭したことを示さなければ学会には出せない。彼と私の時間がすべて無駄になる。さぁこれで納得してくれた?私は猫ちゃんとどうしても結婚したいのよ。」
猫ちゃんと結婚できなきゃ彼と二人で積み上げてきた物は陽の目を見ない、彼が提供してくれたこの体を無駄には出来ない。彼の意志は私が継がなければならない。猫ちゃんとの偽装結婚は最初で最後のチャンスよ、これを逃したら、彼はもたないかもしれない・・・
「もし、日高さんが目を覚ましたら、その時はどうするんですか?」
さぁて、どうするかな。
「その時の気分次第じゃない?あなた達だって法が変わって結婚できるようになったその時はどうするのよ。」
「業務提携は解除だ。」
相変わらずお熱い事。
「さて、私は種明かしをした。どうする?本当にやりますか?」
「樹、どうする?」
即答しなきゃいけない事が辛かった。答えは決まっていた、しかし、それを口にしていいのか、そもそも偽装結婚など本当に許されるのだろうか、多くの人を騙し続ける事が許されるのだろうか、渉さん以外を選んでいいのだろうか・・・そんな僕の背中を押してくれたのはもちろん渉さんだった。
「お前はお前のメリットだけを考えろ、やっぱり違うと思うなら離婚して俺のところに来りゃいいんだからな!」
渉さんと、会えなくなるわけじゃないんだ!
「契約は成立と言う事で、よろしいですか?」
僕は高杉さんに右手を出した。
「よろしく。」
そう言って高杉さんも右手を出して、僕達は契約成立の握手をした。
僕たち四人の物語が、今この時始まった。