夢と現実とその狭間 2
とは、言うものの・・・だ。
翌日、デスクに向かいながらあの名刺を見ていた。かけるなら早い方がいいのか少し置いた方がいいのか、このドキドキ感は久しぶりだ。渉さんの時は渉さんが声をかけてくれたから、その前ぐらいかな?そのとき付き合ってたのって誰だったかな、男?女?思い出せない。
「電話でアポとるだけだから、早い方がいいか・・・」
すぐ会えるとは限らないしね、あっちだって忙しいはずだ。しばらく携帯を眺め覚悟を決めて、半ばヤケクソでかけてみた。コール音が鳴って、留守番電話になって、何かちょっとホッとしたよ・・・
「SGRグループの相良樹です、先日はお世話になりました。その際におうかがいいたしましたご提案について、詳しくお話しさせていただけましたらと思います。つきましてはご都合のよろしい時に折り返しご連絡いただけましたら幸いです。よろしくお願いします。」
誰に聞かれても良いように目一杯ビジネス仕様にしてみた。このご時世、どこに耳や目があるかわからないからね。
さて、返事を待つ男の立場とは落ち着かないものだ、いつかかってくるかわからない電話をそわそわ待つ・・・この場合はそわそわと言うよりドキドキかな。あの若さで大学病院の外科部長、しかも女性でだ、僕は役職を男女で分ける気は更々ないけれど、きっと彼女に対する院内での風当たりは相当強いだろう。そんな中で一人能力のみで生きている女性・・・かっこよすぎてドラマみたい。
怖い人じゃなきゃいいけど、僕、怖い女の人って苦手なんだよね、話、できるかな・・・
「キャバ嬢・・・」
派手な女の人も、苦手なんだよね。僕はため息を何度もついてデスクに向かった。
「じゃ、坂上さん、この書類を総務部の池上部長によろしく。」
「はい、かしこまりました。」
プルルッ、プルルッ、
秘書の子に仕上がった書類を渡したその時、携帯が鳴る。秘書の子は失礼しますと部屋を出ていった、着信は、高杉さんだ。
来たか・・・
「はい、相良です。」
『高杉です、わざわざお電話いただきありがとうございました、お待たせいたしまして申し訳ありません、』
・・・普通だ。
「いえ、こちらこそ突然に・・・」
『ぜひ近日中にお会いして再度お話をさせて頂きたいと思いますが、ご予定はいかがですか?』
「予定はそちらに合わせますよ、そちらの方がお忙しいでしょうからね。」
『お気遣いありがとうございます、では早速ですが明後日の夜、ケンブリッジホテル最上階のバーでいかがでしょう。』
わーぉ、またすごいホテルを指名してきたね・・・さすがキャバ嬢、これはお代は僕持ちって事だよね。
「わかりました、」
『私は食事を済ませてうかがいますので必要ならば済ませていらして下さい、お会いできるのを楽しみにしております。』
会話だけ聞けば良識ある女性だった、知的な口調はさすが役職ある女性と言ったところかな。
「ケンブリッジかぁ・・・高いだろうなぁ。」
すぐに名前が出る辺りからして使い慣れてると見た、もし今回話がまとまって、次回渉さんも一緒にってなったら、ここじゃ大変だよ・・・経費で、落ちないかな。
すぐに渉さんに事をメールで伝えると渉さんはノリノリだった。渉さんは僕よりはるかに楽しそう・・・
「二日間、仕事が手につかないよ・・・」
ミスだけはしません様に・・・
「御曹司、こっちよ。」
その呼び声に、僕はすでに完敗した気がした。
茶色い明るい色のロングヘアーはあの日のように無造作に束ねられ、黒のフォーマルドレス、黙っていれば完璧だ。黙っていれば、ね。
「お待たせしました、相良樹です。」
「高杉愛です、改めまして。」
高杉さんはタバコをふかしてまさかのロックグラスを手にしている。こーりゃ強そうだ・・・
「今日はお仕事はよろしいんですか?」
「えぇ、今日は常勤だからね。あっ、気を使わないで話してくれる?今日は大事な業務提携の打ち合わせなんだから、対等にいきましょう?」
頼んでいたウィスキーが手元に届き、僕たちはグラスを鳴らした。
「さて、興味をもってもらってありがたいわ、あなた、本当に同姓対象なのね。」
「あっ、もしかして、はめられました?」
「当たり前じゃない、見た目でわかるわけないでしょ、釣りよ。」
なるほど、まんまと自滅したわけか。
「ちなみに僕は両方ですよ?今は同姓ですけど。」
「全世界の人口すべてが恋愛対象とはまたうらやましいわね。」
すごい表現だけど、まぁ、そうなるよね。
高杉さんはグラスを持って氷を揺らしながら、ちらりと横目で僕を見た。
「さて、どうして君は釣れたのかしら?」
なんとなく、僕の方が年下っぽいからそういう扱いになるかね・・・苦笑してしまう。
まったく、かっこいい女性だなぁ。
「まぁ、タイミングが良かったと言いますか、運命とでも言いましょうか。」
ほんと、神様がいるんだったら僕のつぶやきを全部聞いていたとしか思えないタイミングだった。
「あら、良かった。早速契約成立じゃない。飼い主さんはそれでいいって?」
「飼い主・・・」
僕、飼われてたんだ・・・
「あら、あなた猫ちゃんでしょ、違うの?」
どーしよ、この人・・・すっごいぶっ飛んでる、女医さんってこうなの?僕は、笑うしかない。
「高杉さんはどうして、こんな契約をしたいんですか?そうまでして相手に困るようには見えないし、結婚したい理由があるとは思わないんですが、」
確かに、性格に何はありそうだけど、それが好きだと言う男はたぶん多い。僕が知る限りの世界でだけどね。そんなに相手探しに困る様な女性ではないはずだ。
高杉さんは、笑う。
「まぁ、私もあなたと同じみたいなもんよ、」
「同姓って事ですか?」
「いや、対象は男よ。」
「じゃあ、なぜ?」
「まぁ、したくてもできないってことよ。その人を守るためにもあなたとの契約が必要なのよ。」
なるほど、バックグラウンドが複雑そうだ。
「訳ありってことですね、」
「お互い様ね。」
高杉さんはタバコを揉み消す。
「契約内容は戸籍上の関係だけ、感情も肉体関係もいらないわ、言うなればルームシェアよ。公的な場所では互いにパートナーを演じ、それ以外は異性の友人・・・ってあなたの場合はややこしいわね。」
「えぇ、まぁ。」
「お互い干渉も必要ないし、仕事とお互いのパートナーを最優先すればいい、どう?」
「本当に、やるんですか?」
「君次第よ、御曹司?」
高杉さんがどうしてそこまで本気なのかはわからないけれど、僕は、この話に乗ろうと決めた。この人ならきっと、最強のパートナーになる、そんな気がした。
「僕は、願ってもないことです。」
「あら良かった、本当に契約成立じゃない。」
「そうなりますね。」
これで渉さんとの時間が作りやすくなる、そう考えていた僕に、高杉さんは不意に声をかけてくる。
「でもいいの?」
「なにがですか?」
「そんなに簡単に人生捨てちゃって。」
人生を捨てる、か。
この家に生まれ落ちた段階でもう半分以上捨てちゃっている僕にとって、自分の人生って物自体がよくわからない。僕の人生は父親と会社の物の様なものだから。
僕に残された唯一の人生は、渉さんとのものだ。
「別に捨ててはないですよ、むしろこの契約を飲んだ方がメリットが高いと思ったからここに来たんです。僕の場合は周囲が結婚しろとうるさくて、だからあんなしょーもないパーティーに出席させられるんです、僕からしたらあれは胡散臭い合コンでしかなんですよ。僕の周囲には外見学歴家柄など申し分ないような女性たちがまとめられ、誰でもいいから結婚してくれと言わんばかり。家系のためだけに繁殖を望まれ、かといって今のパートナーとの関係は社会的にも認められない。だんだん面倒くさくなっちゃったんです。いっそ彼女役を雇おうかって本気で思っていたから。もちろんすべてパートナーと話し合ってますよ。」
僕は、僕の唯一の人生の為に、この話を進めようとしているんだから。
「ふーん、御曹司は大変ね。子供が必要なら産んであげるから持って行ってもいいわよ?」
いやいやいや・・・さすがにそれは。
僕は、ちょっと引いた顔をしたのかもしれない。僕の顔を見て、高杉さんが笑う。
「あら、やるのが嫌なら人工受精でもしたらいいじゃない?出したものを入れるだけなんだから。」
ははっ、女医さんって、エグいね・・・
グラスの中の氷が音を立てて落ちる、氷まで驚いてずり落ちたみたいだ。
「さて、話がある程度まとまったってことは、飼い主も呼んで顔合わせしないといけないわね、猫ちゃんもらい受けるからにはちゃんとご挨拶しなきゃ。式も必要ないし、入籍はその後ね。」
猫ちゃん・・・
「でも、高杉さんの方はそれでいいんですか?僕と契約なんかして高杉さんにメリットがあるとは、やはり思えない。」
僕のこの言葉に高杉さんは苦笑いをした。
「・・・いいわ、私の彼氏も紹介する、会ったら、なんで私がこんなこと言ってるか理解できるわよ。」
「会えるんですか?」
「えぇ、会いに行けばね。」
来ることはできないと言うことか、やっぱり訳ありってことだね。
僕たちは大きな商談の成立と、お酒の力も手伝ってしばらくいろんな話で盛り上がった。
「ところで、高杉さんは明日お休みですか?」
「明日?夜勤よ。」
「はぁ!?」
それは大丈夫!?
「あっ、大丈夫よ、いつもの事だから。さすがに二日酔いで手術しないから安心して。」
なんか、良かったよ。
「さすがにもう帰りましょう、僕も仕事ですから。」
「あらそう?じゃ次の打ち合わせはいつにしましょうか?」
「お任せしますよ、間違いなく高杉さんの方が忙しいでしょうから。」
「じゃ、追ってメールするわ、それからそっちで決めて。」
「かしこまりました。」
先に来たタクシーに高杉さんを乗せ、僕も帰る、明日にでも渉さんと電話しよう・・・今日は、疲れました。
「やっぱキャバ嬢も訳ありか、」
渉さんが実に面白いと言わん気な口調だ。
「俺来週以降ならしばらく自由に動けるから時間と場所は任すよ、」
みんな僕に丸投げですね、かしこまりました。
「しかし、猫ちゃんと飼い主かよ、さすがキャバ嬢!」
なんか、だいぶ恥ずかしいんですけど・・・
まぁ、この場合、惚れてしまったのは僕だから、仕方ないよね。
その日の顔合わせは昼だった。
それが安全だ、夜だったら渉さんが相当飲んでしまうから。愛さんも相当飲みそうだし。僕達は全員休みを合わせオフィス街の一角にあるコーヒーショップで待ち合わせた。目の前は公園でオープンテラスのようなカフェ、ビジネスマンが多いみたいだけど・・・こんな所であんな大胆な話をしてもいいんだろうか。
「キャバ嬢は先に来てるって?」
「待ち合わせとだけ言ってたから・・・どうだろう?」
先に来ていていただけるとありがたいなぁ、男二人で昼間っからカフェって、どうだろう?別に問題ないんだろうけれど、なんか、向かい合ってコーヒー飲んでるって、デートっぽくって恥ずかしい。それでなくたって頻繁に会えるわけじゃないのに、こんな昼間っから・・・僕が絶えられないよ。
自分で思うのもなんだけど、僕ってもっと腰の軽い恋愛をする人間だと思っていたよ。まさかこんなにハマるとはね、自分らしくなくって笑えてくる。
「おっ、あの派手な女は!」
先にいらしていただいて助かりました・・・
高杉さんは僕達に気が付いて立ち上がる、そして渉さんを見て一言。
「やだ、猫ちゃんの飼い主ってあんただったの!?」
「そうそう、久しぶりだなお嬢!」
「狭い世の中ねぇ・・・」
呆れたと言わん気に高杉さんは座る、僕達もその向かいに座ってコーヒーを頼んだ。
「まさかあなたも両方だったなんてね、」
「勘違いすんなよ?こいつは人生初の例外だ。」
「あら、それもまたすごい。やるわねぇ猫ちゃん。」
僕の呼称は猫ちゃんで決定な感じですか。
「猫ちゃん、私、あんたの飼い主と仕事した事あるわ、聞いてるでしょ?」
「はい・・・」
当然のように会話が進んで行くんだけれど、少し早いテンポで、ちょっと面喰ってしまう。
「で、いいの?猫ちゃんもらって。」
やっぱり僕、もらわれるんだ・・・
「やんねぇよ?お嬢とは業務提携だ、レンタルだよレンタル。こいつは俺のもんだ。」
渉さんはそう言って僕の頭に手を置いて自分の方にぐっと寄せる、どうしよう・・・すっごい恥ずかしい。
「あら、ごちそうさま。」
高杉さんはまるっきり興味ないと言うあっさりとした口調。
「こいつは俺のもんだ、誰にもやんねぇ。だがこいつの人生はこいつのもんだ、そこは俺が口出しする事じゃねぇ。こいつは生まれながらに一般人じゃない、生きていく上で世間体ってもんがある、そんな枷で苦労してるのは俺だってよく知ってるっつーわけ。そんなでっかい枷を外せるのなら、それが例えどんな手段であっても俺はこいつを信じる。」
どうしよう・・・すっごい嬉しいんですけど。
「そもそも、相手がお嬢なんだ!なんも心配しちゃねーよ!」
「複雑、」
高杉さんは終始呆れている。
渉さんはいつも通り豪快に笑っていて、僕は惚れ直していて、形だけでも高杉さんと結婚することに躊躇いすら感じてしまう。
「お嬢、あんたも訳ありって聞いたぜ?下部
しもべ
はここに来るのか?」
渉さん、下部はさすがに・・・
「残念な事に、ここには来ないわ。でも会わせてあげる。」
高杉さんは煙草に火をつけた、そしてそれを見た渉さんも煙草に火をつける。僕はそれこそ、借りてきた猫のようにその場に座っていて、僕の事のはずなのにその横で繰り広げられるマシンガンのような会話を聞き逃さない様に必死で聞いていた。わかったのは高杉さんと渉さんが同じ歳であること、それがきっかけでこんなにフラットな関係になった事、取材以外でばったり会った事が一度だけあること。
「じゃ、そろそろあんたの言う下部に会いに行ってみる?私の方も種明かししないと業務提携は成立しないんじゃない?ねっ、猫ちゃん。」
渉さんと同じ歳だから、僕より5つ年上ではあるんだけど、この扱いはこの先ずっとなのかな・・・
「じゃ、行きますか!」
渉さんのこの一言で、僕達は立ち上がった。車は2台、高杉さんの真っ赤な車の後ろを僕の青い車が追いかける形になる。高杉さんの車、さすが派手だよね。で、こっちの助手席には渉さんがいて、さっきの会話の手前、少々ドキドキしています。
「渉さん、さっきのは反則です。」
「ん?何が?」
それを僕の口から言うのは、また照れるんだけど、高杉さんに再び顔を合わせる前に処理しないといけない気持ちだから、言いますけど。
「あんなにかっこいい事を堂々と言われたら僕はどうしたらいいかわからなくなるじゃないですか、二人きりだったら危ない所でしたよ・・・」
「んじゃこのまますっぽかしてお前ん家行くか!」
「止めてよ、本当にそうしちゃいそうなんだから・・・」
そんなことしたら全部台無しじゃないか、まぁ、この際それでもいい気がするんだけど・・・
「じゃ、今はキスぐらいで我慢しとけ。」
信号で止まるなり、渉さんは僕の唇に自分の唇を重ねてきた・・・
信号で止まるなり何やってんのかしらあの男二人は・・・バックミラー越しに見る男同士のキスなんて、なんの風情もないけれど。そもそも男同士のキスなんて救急救命の模型と以外見たことないわよ。
そー言えば何であの模型って外人の男なのかしらね。日本人女だと問題あるのかしら?
本当に同性愛者なんているのね、始めて見たわ。しかも猫ちゃんの方はバイでおっさんの方はノーマル。男も女も、ノンケの男さえも虜にする猫ちゃんの魅力って何なのかしらね、興味があるわ。まぁ、飼育しながらゆっくり観察させてもらおうかな。
・・・日高さん、まだ起きてるかしら。
猫ちゃん達連れて行ったらどんな反応するのかな、腹抱えて笑ってくれるかしらね。