祠と祈りの間
うららちゃんは俺の少し前を飛んでいる。たまに羽を動かしているが、浮いたまま空中を滑っている。やっぱり、鳥とはなにかが違うんだな、とぼんやり思う。
「レオリールを助けてから、敷地のすぐ近くを不審者がけっこうな数、見かけるようになったの。
今はアタシがいるから入って来られないけど、夜は向こうに行っちゃう分、ちょっとどうなるかわかんないからね。本館と宰想館以外は出歩かないほうがいいと思うよ」
知らなかった。俺たちが普段使ってるあの建物には宰想館という名前があったのか。
……けど、当然か。
俺は歩きながら、後ろをちらりと振り返る。本館の他に建物はひとつふたつの数じゃない。
聞けば、うららちゃんが知っている限り、一番多いときには厩舎だけで十六棟あったという。大きい建物の中で区分けするよりも、ぽこぽこ建物を建てしまう時代があったそうだ。
「敷地内全部の建物の名前を覚えてるの?」
「覚えられるわけないじゃん。いくつかの建物は入口にちっちゃく名前が書いてあるから、使うとこだけ覚えることにしてる」
「……だよな」
城の敷地、本館から離れていくほど、足元は雑草どころか雑木林のようになってしまっている。ここまで来ると、遠くには完全に崩れてしまっている建物も見えた。
厩舎十六棟の意味がなんとなくわかりかけてきたころ、うららちゃんがはずんだ声をあげた。
「あ、このへんだよ」
何の変哲もない、ちょっと開けた場所にそれはあった。
石畳の隙間から雑草が生えているような場所にひとつ、
雑草のなかに石畳の残骸が残っているような中にあったのがひとつ、
完全に草原化してしまっている中にひとつ、
俺の指の太さほどの木立の中にひとつ。
それらは最初、ただの金属の塊に見えた。
「この四つの祠、あとお城の地下にある祈りの間を毎朝巡って、祈りを捧げてほしいの」
完全に敷地の端にあるわけではないものの、四つの祠、とやらの距離は相当離れている。こことあと一か所あるのなら、確かに午前中のほとんどがつぶれるだろう。
「祈るって言われても、やり方がわからないんだけど」
「やり方なんてないもん。……んー、じゃあ、大事な大事な部下の安全でも祈ったら?」
言い方!
金属の塊……祠と言われたそれは、石のようにも見えなくもない。
これは何かの残骸だ。はっきり言って小さい。小さな、崩れかけた、黒っぽいつやつやした何かで、大きさは三十センチくらいだろうか。
触れるとなんだか冷たいような、温かいような不思議な感触だった。
俺はそれに向かって、イスメールとパルヴィーンに無事に会えますように、と祈っておく。
直せと言われても、あとこれをどうしたら直せるのかわからない。試しにかけらを持ち上げようとしたら、とても重たい。俺だけではどうしようもなさそうだった。
「はい、次いくよ」
「え、直すんじゃ」
「ちゃんと祈ってたら、勝手に直ってくからいいの」
そうやって祠をめぐる。三番目の祠ではちょっと……いや、かなり雑草が邪魔だった。草を刈ったほうが良さそうだ。自分の剣もナイフも部屋に置いてきたことを後悔した。
そして、四番目。細い木が茂っていて、どう頑張っても手が届きそうにない。
「祈りを捧げるときに、こういうのの刈り込みもしといてね」
「そうだな、その必要性を感じる」
部屋に戻って……いや、何か専用の道具があるんだったかな?庭師はどんな道具を使っていただろうか?
そんなことを俺が考えている間に、どこから取り出したのか。
鮮やかな珊瑚色に白色の蔦が絡まった、見事な拵えの鞘に納められた短剣が地面に置いてあった。
うららちゃんが鼻面でそれをトン、とする。
「これ、貸したげる。とりあえず、その木を払っちゃってよ」
「……ありがとう」
剣を抜かなくてもわかる。これは非常に良い剣だ。
ありがたく借りようとして、手を伸ばす。………でも、俺はその剣に触れることができなかった。
「あれ?」
「……うそ」
カピバラと目を合わせてから、俺はもう一回手を伸ばす。
「あれ?え?なんでだ?」
どうしても、触れない。いや、指は触れられているのに、なぜか持てない。空気の壁があって邪魔されている気分だ。
「……もしかして、コストが足りない?」
ぼそっとうららちゃんが不思議な言葉を呟いた。
「こすと?」
「だから、ベオリールちゃんを使ってたの……?」
呆然としたみたいな感じで、うららちゃんがじっと俺を見上げてきてた。
なんだか、もぞもぞする。ベオリールは確かに初心者向けの剣だけど、そんなに悪い品物じゃないと言い返したい。
「うっそ……まさか、ここからだなんて」
風が吹いて、さやさやと木の葉が揺れる。
動物そのものの動きで、うららちゃんがぶるるっと体をふるわせた。
「ここは後回しにしよう!先に、祈りの間に行くよっ!!」
いきなり、ふわっと羽を動かしたうららちゃんが飛んで行ってしまったから、俺はあわててついていくしかない。
どんどんとうららちゃんは飛んで行って城の本館、そんなところに?と言いたくなる物陰の通路にひょいっと入っていった。俺は小走りで追いかける。
通り抜けた通路の入口は階段と置物の陰になっていた。でもそれだけで、鍵どころか扉さえ無い。設計者に隠すつもりがあったのかなかったのか。よくわからない。
「祈りの間では最低でも朝と夜、あと手が空いてたらいつでも祈っておいて」
アテル王国と呼ばれてい時代のものだろう。
王様たちの肖像画がずらりとかけられた長い廊下はゆったりしたくだり坂で、たまに曲がり角がある。ずいぶん深い。
「ここは初めて入った」
「封印してたからね」
面白いのは、並んだ肖像画のどれにもどこかにカピバラが描かれていることだ。
そういえば、昔は王都だったクロウェルドでは、カピバラが聖なる動物扱いなんだったっけか。こうして見ると、アテル王国があった時代の名残なんだろうな……なんて思っているうち、ずらりと並んだ絵の雰囲気がいつの間にか変わっていたことに気がついた。
絵のタッチが違う、というか。途中から何かが変わったけど、うららちゃんの移動が早いせいでじっくり鑑賞していられない。
よくわからないまま、坂道の終点に着く。やはりここにも扉はない。
だだっ広くて白い部屋だった。
泉がある。
白っぽい石でできた、作り物の花の植え込みが中央にある。
植え込みの中心が泉の水の出元で、泉の周囲は純白の砂だ。
砂の部分は異様に広い。
そして、隅に三段ばかりの何かの台。
天井は高く、飾り彫りは森を表しているようだ。天井のあちこちに照明が埋め込まれていて、星空のようにきらめいている。
部屋を照らす光源は部屋の中央、こんこんと湧いている水のほうだ。ほんとうは水底が光っているのかもしれないけど、俺には水が光っているのだと思えた。
水は壁の四方にある水路からどこかへ流れ出している。
「この部屋が一番霊力を吸い上げるから、一番効率がいいと思うんだよね」
虚ろな部屋特有の声の響きがした。