アインとゼロ
例えばそれは、不確定な未来像で。
例えばそれは、抽象的なメッセージで。
例えばそれは、不鮮明なビジョンで。
◇◆◇◆◇
アインとゼロの関係を、ここで語るには情報が少なすぎる。お互い身の上を、過去を、そして自身の内側を多くは語らない人間だ。否、自称ではあれ神の声を聞く神子と、異能を持つものであるのだから、ヒトと称するのは違うだろう。それはさておき、とにかくこの二人については不鮮明な部分が大きいのだ。
だからここでは、神子アインが従者の一人、我々と同じく情報を持っていない男の視点より、二人の会話を追うことにしよう。それにより見えてくるものがあるか、それとも逆に見えにくくなってしまうのかは定かではないが、『知る』ことは大切である。
◇◆◇◆◇
その男は神子アインと絶対神ゼウスを盲信する信者の一人であった。彼の役目は神子に食事や飲み物を運ぶことであり、その日も第三区より仕入れた香りのよい紅茶を持っていこうとしていた。だが。
「へえ、だから何も言ってこないんだね」
扉をノックしようとした手は、寸前のところで停止した。何やら親しげな様子で話す男の声。聞き覚えのないその声は、今、敬愛すべき我らが神子の部屋の中から聞こえはしなかったか。
「わたくしに関わるなと、ゼウスは仰られました。それも、正式な神託ではなく、何やら慌てた様子で」
「正式な神託、ね」
「その時はよく理解できていませんでしたが……今なら、ゼウスが突然の信託を下した理由がよくわかります」
「……アインは相変わらずだね」
「? わたくしは何も変わっていませんよ。当たり前ではないですか」
「ああ、いやそういう意味じゃなくて……まあいいんだけど」
やはり、間違いない。見知らぬ、聞き覚えのない男の声は、麗しき神子と会話をしていた。神子も何やら親しげな様子である。来客などなかったはずだが、なぜ。
「……ゼロ、折角ですし今一度尋ねさせてください。あなたはゼウスを知っているのでしょう?」
「あのねえ、何度も言うけど僕はゼウスを『知ってる』んじゃなくて『わかってる』だけだからね。アインをゼウスに会わせてあげるのは無理だし、ここにゼウスを連れてくることも不可能だからね」
男は今度こそ硬直した。男はゼロ、というらしい。この都市でそのような呼び方をされるのは第四区トップだけだ。いや、そんなことは今関係ない。男は、ゼロは何と言った?
ゼウスを、理解しているだって?
「ですが、ゼウスは確かに告げてくださいました。あなたがゼウスを知っているのだと」
「知ってはいない。理解はしているけどね。アインも、そのうちわかる」
「……それは、一体」
「あー、ダメダメ。ここから先は自分で考えないと。……僕はもう行くよ。じゃあねアイン」
「あ、ゼロ、待ってください!」
神子の叫ぶ声で、固まっていた男の思考は再び動き出した。それでもまだ、理解できているとは言い難い。
ゼウスの言葉。ナンバーゼロと神子の関係。ゼウスに対する理解。
どれもこれも、男が理解するには情報が少なすぎた。わからない。わからない。神子は、ナンバーゼロは、ゼウスは。
……わからない。それでも男は。
「失礼します、神子様。お茶をお持ちしました」
ただ神子に、そして神子の信ずるゼウスに、忠誠を捧げるのみである。