エピローグ
望んでも、望まなくても、朝はやってくる。
◆◇◆◇◆
「やあ、そこの美しいレディ。よければオレと共に祈りを――」
「邪魔」
ぶおんと空気を切り裂いて、リターニアの大鎌が振られた。冷たい視線の先には一区の一般人だろう女性を抱えてにこりと笑うディシアがいる。
「やあ、リターニア。すまない、嫉妬させてしまったかな?」
「ふざけたこと、言わないでよ。歩くのに邪魔だっただけ」
「それは失礼した」
言いながら軽くお辞儀をし、ディシアは硬直していた一般人から手を離した。一言二言会話をすると女性は足早に立ち去り、路地にディシアとリターニアの二人が残る。
「見回りかい?」
その問いかけにリターニアは頷きを返した。
「任されたから」
鐘の塔でアリアとナンバーゼロ、そして《異端者》が死んだあの日から、一週間が経っていた。
ディシアとリターニアは、アインとゼロの会話の詳細を知らない。ただ、二人にしてほしいと頼まれて、数分後に出てきたアインはいつも通りだった。
(だからまぁ驚いたわけだが)
その日は結局、そのまま一区に戻ることになった。アリアの亡骸は三区に引き取られることになり、ゼロの亡骸は四区任せ。他二人の亡骸は燃やすことになり、とにかくその日は手を付けずに塔を離れた。
その翌日だ。アインが行方知れずとなったのは。
アインの姿は、ナンバーゼロの亡骸と共に消えた。唯一の手掛かりは神殿に落ちていた書置きのみ。たった一言「留守にする間は任せます」と書かれたそれを手がかりと言っていいのかはわからないが。
(【将軍】や【軍師】も何か知ってそうだったが)
二区は二区で、何やら騒ぎがあったらしい。四冠の一人である【沈黙者】が死んだというのはディシアの耳にも届いていた。
(まあ、あの義姉弟たちは手を出さない限り無害だろうな)
アインだけでなくゼロの亡骸まで消えたことから、ディシアはまずタケナカのもとへ向かった。彼女ならば何かを知っているかもしれない――そんな些細な望みをかけて。
◆◇◆◇◆
「知っていますよ」
ゼロの亡骸が消えたのを知っているか。そんなディシアの問いに対するタケナカの返答は、ずいぶんあっさりしていた。
「そのわりには、落ち着いているんだな」
「アインも居なくなったのでしょう。それなら、予想は付きますから」
「予想? 神子の居場所がわかるのか?」
食いついたディシアに対してタケナカは面倒くさそうな顔をして「わかりません」と言う。
「都市の外に行ったのだろうということはわかりますが、それ以上は。ただ死んではいないでしょうし、何の為かもわかります。どうしてそうなったのか、となると予測にしかなりませんが」
「なら、キミが知っていることだけでも教えてはくれないか」
【神子】の不在は間違いなく一区に混乱をきたす。どうにもできないというわけではないが、アインの居所がわかるならばそれに越したことはない。
そう考えての問いかけは「できません」とにべもなく断られた。
「どうしてだ」
「ゼロが、きっとそう望むから」
「ナンバーゼロが?」
「……これ以上は、話したくありません。お願いしますディシア。あの二人を、どうかそのままにしてあげて」
そんな風に涙をこらえた声で、懇願するように頼まれては――しかも女性だ――ディシアはきつく問い詰めることはできない。異教徒であれば容赦はしないのだが恐らくそれは、アインを思っての言葉でもある。
「――わかった。これ以上は聞かないでおくよ」
すみません、と小さな声でタケナカが言う。うつむいたままの彼女に「また色々聞きに来るかもしれない」とだけ告げて、ディシアは一区へと戻ることにした。
「…………何も言わないのは」
一人残ったタケナカは、見えなくなった背中に語り掛ける。
「わたしも、あの“きょうだい”にお返しがしたかったから」
◆◇◆◇◆
四冠のひとり【沈黙者】のレギアンシャールが死んだ。
二区の人間にとっては衝撃しかないそのニュースは瞬く間に広まった。もっとも、【首領】や【異端者】の死亡がすぐにそれ以上のインパクトを与えたのだが。
それでも二区は驚くほど何も変わらなかった。欠番の出た四冠は、それでも変わらず四冠と呼ばれているし、【将軍】もいつも通り適度に暴れて適度にギャンブルにいそしんでいる。
ただ主要人物が三人も死んだあの日の夜だけは、少し二区らしくない光景も見られた。
その跡地でひとり、【将軍】マサムネは座っていた。今日も今日とて絡んでくる輩を斬った後である。刀を左手に持ち、右手は頬杖をつく形であぐらをかいて休息を取っていた。
「マジで抵抗しなかったな、お前」
ぼそりと吐き出された言葉は、この場でマサムネの刀に貫かれて絶命したNo.6に向けたものだった。
すべてが終わったあの日、No.6は宣言通り襲い掛かる者たちだけを再洗脳し、抵抗することなくマサムネの斬撃で死んでいった。異能が発動しているため眠ったまま、何も言わずに絶命した。
その命を惜しんでやるほどマサムネはできた人間ではない。ただ彼の言葉に思わなかったことがないというのも嘘になってしまうから、結局その日の夜にこの場で火葬を行った。
「友人の頼みか」
マサムネが「オウル」という名前で彼を呼んだことは一度もない。その名前は知っていたが、マサムネとタケナカにとって彼は「No.0」だったし、彼自身もそう呼んでほしいと言っていた。
子供たちが敬愛していたアリシアにすら、彼はオウルとは呼ばせていなかった。
「アインとお前だけだったな」
どうして二人が友人だったのかなんていうのは知らない。子どもたちはそれぞれ別の場所から『調達』されてきていた。ゼロとアイン、No.6は同郷だったから、きっとこの都市に連れてこられる前からの知り合いなのだろう。
「お前の名前を、俺は結局知らないままだ」
すでに灰になった彼の身体は、風に吹かれて散ってしまっている。それでもこの場で語り掛けてしまうのはどうしてだろうか。
「らしくねえな」
自嘲気味に笑って、マサムネは寝転ぶ。
「まァ、そのうちアインに聞いてみるか」
今のあいつなら話してくれるだろう。そう思いながら、マサムネは瞼を閉じた。
◆◇◆◇◆
「だぁかぁらぁ! 何度も言わせんな! 予算は下りない! はい次ィ!」
「今日もやっとるなぁ」
商館に響いた声に遠い目をして、ヤマトは全く減らない書類の山をさばいていた。
アリアの死亡。それは当然《眠る心臓》と三区に大きな衝撃をもたらし、しかしその体制が崩れることはなかった。
その理由が、先ほどから「却下だっつてんだろ! 一度出した予算を今更変えるな!」と叫んでいるシャーロである。
最もアリアに近く、最もアリアと共に過ごした彼。常識と優しさを捨てられなかった彼が受けたショックがどれほどのものだったのか。ヤマトですら信じたくなかったその事実を、それでもシャーロは受け止めてみせた。
とはいえ一日目は使い物にならない状態だった。ヤマトをはじめとした幹部群にアリアの死を伝えると、部屋に籠ってしまってうんともすんとも言わないのだ。
まあ、仕方がないといえるか。そんな風に思っていたのに、次の日には「俺が《眠る心臓》をまとめる」と言い放ち、あの手この手で根を回しはじめる。同時進行でアリア死亡の宣言を正式に出し葬儀の手配も初めてしまうのだから、とんでもない奴だと思わずにはいられない。
「大事な家族が愛した三区を、俺が守らないでどうする」
そう言い放って、だから俺に従えと言われてしまえば。
「ついていくしかないわなあ」
笑みをこぼしてヤマトは言う。シャーロはきっとこの先も三区を守り続けるのだろう。それなら自分は最後までついて行こうと、あの言葉で決めたのだ。
「まぁ、ただ」
この書類の量はどうにかしてほしいなぁ、なんて思うくらいは許されるだろう。
◆◇◆◇◆
そうして時は過ぎていく。
大きく変わったようで、何も変わらずに。
それでも前に進んで。
命は、続いていく。
◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆
「おい、嬢ちゃん、観光かい? ウチのチーズはどうだ?」
ざわざわと騒がしい露店街の中、店を構える店主はそう声をかけた。
金髪の多いこの国では珍しい黒髪だった。東の方の出身だろうか。ふわりと風が吹いて彼女の髪を揺らす。
「ちーず」
どこかぼうっとした様子で女性は店主の言葉を繰り返した。少し考えて、ポケットから貨幣を取り出す。
「ほい、確かに」
店主はそれを受け取って、代わりにプレートに乗せたチーズを差し出した。受け取った女性はやはりぼうっとした様子でそれを見ている。
「あー、嬢ちゃん、観光なら……」
「観光じゃない」
それだけははっきりした言葉だった。店主を見る瞳も、先ほどまでとは変わり芯があるように見えた。
「観光じゃない? それならどういった用で?」
「忘れたものを探しにきたの」
彼女は言う。
「忘れないために、忘れ物を探しにきたの」
そうかい、と店主は曖昧な言葉を返した。ずいぶん詩的な表現だ。その真意は当然読み取れない。
「ありがとう、店主さん。おいしくいただくわ」
「あ、あぁ。そうしてくれ、嬢ちゃん」
「嬢ちゃんじゃないわ」
ふふ、と彼女は笑った。
「私はね、ケムダーっていうの。彼が呼んでくれたその名前を忘れないためにも、どうかケムダーって呼んでちょうだい」
◆◇◆◇◆
そう、都市の外でも。命は続いていく。
【死者】
No.4
No.6
No.7
レギアンシャール
アリア
ナンバーゼロ
【行方不明】
No.7
アイン