痕跡(3)
うるさいと思っていた往路が恋しくなるほど、復路は嫌な静かさを保っていた。行きとは違う意味での舌打ちをこぼして、マサムネは隣を歩く女性を見る。笑顔を浮かべることが多い彼女だが、今は悲痛な表情をしていた。
「なんでテメェがそんな顔してんだよ」
何回目かわからない問いかけに、女性――シエラは動かしていた足をとめる。マサムネも同じように立ち止まって、彼女を見た。
「……私、知りませんでした。あんなことがあったなんて、知らなくて……ゼロさんも、私たちと同じなんだって思ってたんです」
「そりゃ当然だ。隠してたんだ、知ってる方がおかしい」
「それは、そうですけど」
「同情ならやめろよ」
変わらず暗い表情のシエラに向かって、マサムネは言った。ぴくりと彼女の肩が揺れて、その視線がマサムネへ向けられる。怯えていることに気づかなかったわけではないが、構わずマサムネは言葉を続けた。
「同情なんざいらねえんだ。あの時、俺たちがどれだけの苦しみを味わったかは、俺たちにしかわからねぇ。テメェらの苦しみが、テメェらにしかわかんねぇのと同じだ。それなのに、同情とか、するんじゃねぇぞ」
反吐が出る。そう言い切って、マサムネは再び歩き始めた。苛立ちと共に地面へ叩きつけられた足が、じゃりじゃりと大きな音を出す。道に響くのは一人分の足音だけだったが、しばらくしてマサムネのものより控えめな足音も響き出した。
「…………」
気まずいのか、言葉を選んでいるのか、それともいまだ同情しているのか。何による沈黙かはわからなかったが、静かな空気が重いことに変わりはない。痛いほどの沈黙、というのはまさにこういうことなのだろう。
今のマサムネは、何を言われてもイラついてしまうことがわかっていた。だがそれと同時に、この沈黙にも怒りのようなものを感じている。苛立ちは大きくなり、歩みは少しずつ早く、乱暴なものに変化していった。
沈黙は数分間続いた。お互い何も言わず、少し距離を空けて歩く。着いてきていた足音が止まっても、マサムネは立ち止らなかった。
直接シエラを斬るほどではなかったが、機嫌は最高に悪かった。彼女が立ち止ったままならば置いて行ってしまえばいいと思っていた。それでも、彼女が叫ぶように「わたしはっ!」と言えば、さすがに立ち止まる。
不機嫌なのを隠そうともせず、眉間にしわを寄せたまま振り返れば、シエラは何かをこらえるように両手を強く握りしめ下を向いていた。
「嫌、だったんです。何も知らなかったくせに、知ったようにタケナカさんに接して、私たちを頼れって、上から目線で。そんな私が嫌だったんです。確かに、同情しなかったとは言い切れません。身勝手に、話を聞いて資料を見ただけで、苦しみをわかった気になっていたかもしれない」
それでも、とシエラは続ける。
「私は、何より自分が嫌だった。同情した自分が、分かった気になっていた自分が、無神経な自分が、嫌だったんです。……ごめんなさい、マサムネさん。私は、きっとあなたに対して失礼な態度を取ってしまった。これから言うことも、きっとあなたに失礼なんです。私なんかが言うべきじゃないんです。けれども、言わせてください」
ここで初めてシエラは顔をあげた。その両目には、大きな雫が浮かんでいる。
「マサムネさん、私は、あなたたちの横で歩きたい。同じ場所に立てなくても、あなたたちの力になりたい。あなたを、あなたたちを思うことを、許してください」
涙を流しながら、それでもはっきりと告げられた言葉に、いつかの記憶がよみがえる。
――一人で抱え込むなよ。
――ひとりで、泣くなよ。
自分が彼女にそう言ったとき、抱えていた思いは、シエラのそれによく似ていた。同じ場所に立てるとは思えない。同じものを抱えられるとも思わない。それでも、あの人を助けたくて、あの人のことを思って行動したかった。
まったく。
「生意気なこと言いやがって」
そんな言葉とともに漏れた舌打ちは、けれども不機嫌からくるものではなかった。