痕跡(1)
《異端者》と名乗る集団にとって、コンコルディアという都市はその存在自体が憎いものだった。そのため、というわけではないが、都市に住む人々のこともまた、《異端者》にとっては憎たらしい存在でしかない。
「でも、ただ殺すっていうのはもったいないし、非効率じゃない。だから利用してやろうって思ったの」
とある路地裏。虐殺の現場『だった』その場所で、No.8と名乗った女性がディシアに微笑みかける。
「私たち《異端者》は、この都市にある四つの巨大組織のどれにも所属しない。地下で静かに行きを潜めていた、第五の勢力とでも思えばいい──と言ったところで、この辺りは、既に神子とやらから聞いているのよね」
「ああ。聞いているさ。都市に牙をむく存在。わずか数人で構成されている小さな集団。その全員が異能者であり、あのナンバーゼロと敵対している」
「ふふ、ええ、そうね。でも一つだけ訂正させてもらうわ。私たちは別にナンバーゼロと敵対するつもりなんてない」
「……どういうことだ」
訝しげにディシアが眉を潜める。彼が教えてもらった情報では、《異端者》と名乗る集団とナンバーゼロは敵対しているということだったはずだ。だが、No.8が嘘を吐いているようにも見えない。
まさか。いや。しかし。様々な仮説を思い浮かべるディシアが滑稽に見えたのかもしれない。おかしそうに笑いつつ、No.8は「だって」と言う。
「彼はむしろこちら側の存在。あの人はそれを否定するだろうけれど、本質は私たちと同じ。敵対する理由なんてないわ。……私たちには、だけれど」
「……お前たちには、か」
「ええ。私たちには。……できれば彼をこちらに引き入れたいのだけれど、正直敵対する可能性の方が大きい。あの人は私たちとの敵対を選ぶでしょうから。そういう意味では、アナタが言うように敵対関係というのも正解なのかもしれないわね」
ディシアの持つリボルバーの銃口は、相変わらず彼女へ向けられている。指も引き金に掛かったままだ。それでも笑みを消すことなく、彼女は言葉を続ける。
「さて、話を戻しましょう。私たち《異端者》はこの都市の存在自体が気にくわない。そこで全員で話し合ってみたの。結果、《異端者》はコンコルディアという都市そのものを破壊してしまうことにした。それがもっとも手っ取り早いから」
「都市の破壊、ね」
「大袈裟な、とでも思っているかしら。でも、破壊なんて簡単よ。今都市を管理している人たちがいなくなってしまえば、この都市はバラバラになる。勝手に個人が個人を潰して、のしあがるためにお互いを利用して……」
その言葉をディシアは否定できなかった。現在だって、完全に四つの組織で統治できているわけではない。内部でいくつも分裂することはよくあること。二区にいたってはマサムネというカリスマがいなければどうにもならない。
「でも、そもそも私たちとコンコルディアの住人とでは戦力が違うでしょう。《異端者》はたった数人。対して、都市の住人は数えきれないほど。全員が私たちと敵対するとは限らないとはいえ、それでも数という厄介なハンデが付きまとうのは確実だった」
「──だから、お前たちは異能を使って、都市の人間を自分たち側へ引き込んだのか」
「その通りよ。幸いなことに、私たちの異能を組み合わせれば、小さな違和感程度で多くの人間を洗脳し、操ることができる。これを利用しない手はないって思ったの。こうすれば、死んでもいい駒が大量に手に入るんだから」
「異能による情報操作と洗脳、か。まったく悪趣味だ」
「お褒めにあずかり光栄です……なんてね」
からかうような態度と口調に、ディシアの指へ力が込められそうになる。だが、ディシアは撃てない。それが神子の──ゼウスの指示であるがゆえに、彼は威圧だけにとどめる。
「この数ヶ月、私は手頃な住人を見つけては記憶を捏造し、その上で仲間に洗脳するよう指示した。これに気づいたアナタたちが動くことになった後は、それを逆に利用して、『善人のフリ』をして彼らを保護──もとい、隔離した。あとは私たちの拠点へ彼らを移動させるだけ。協力者は多かったから、助かったわ」
「【沈黙者】に近づいたのも、それが理由か」
「え?」
ここではじめて、彼女は意表を突かれたような声をあげた。パチパチと数回瞬きをして、「ああ」と言う。
「レギアンシャールは本当に偶然。嬉しい誤算っていうのかしら。彼がいったい『ケムダー』のどこを気に入ったのかはわからないけれど……ふふ、でも残念。彼があの男の部下でなければ、引き抜いていたかもしれないわ」
あの男とはマサムネのことだろうか。なにか確執でもあるのかもしれないとディシアは思う。それについて言及しようとしたその瞬間、突然No.8は「……何よ、もう」と顔を歪めた。
「邪魔が入るなんて……本当にあり得ない。これだからアイツは嫌いなの。まあいいわ。お喋りはこれで終わりにしましょう」
「なっ、おい! 待て!」
「……さようなら、【背徳狩】さん。神子によろしくと伝えておいて頂戴」
ディシアに背を向けた彼女は、そのまま走り去る。その背を追おうとして、しかしすぐに彼は立ち止まった。
「……深追いすることなかれ」
ここに来る前に与えれた言葉を思い出す。同時に冷静になる頭。どうやらかなり血が昇っていたらしいと自覚して、彼は思わず笑ってしまった。
「これでは、どうしようもないな」
リボルバーを腰のホルダーに戻して、ディシアは足元を見る。彼女と遭遇する直前に殺した、四人家族の遺体。ロザリオを握って、自身が殺めた存在へ祈りを捧げる。
矛盾した行為。けれども。
「《異端者》の洗脳は、殺すしか解除方法がない、か」
ディシアは祈る。せめて来世で、彼等がありふれた幸福を手に入れられるようにと、ただ静かに祈った。