本編プロローグ
This is fairy-tale.
Это сказка.
Dies ist ein Märchen.
C'est un conte de fées.
◆◇◆◇◆
──What is this?
◆◇◆◇◆
「おはよーございました! 朝ですよっ! 約束の時間ですよー!」
ドンドンとやかましく音をたて叩かれる扉。その騒音で【沈黙者】と呼ばれる男、レギアンシャールは目を覚ました。のっそりと体を起こしてみれば、外はすでに明るい。日の昇り具合から見て10時過ぎといったところだろうか。寝過ぎたな、と思いながら体を伸ばし、外の騒音を気にすることなくゆっくりと服を着替える。
「あれ、もしかして寝てる……? や、約束はどうするんですか……!? え、まずいまずい。アタシ、これで情報得られないとほぼ詰みなんじゃあ……」
あわあわと今度は別の意味で騒がしくなった外に少しだけ意識をやりつつ、それでもレギアの行動はゆっくりだった。着替え終わってもベッドに腰掛け、ぼーっとしだす。もしこの様子を外にいる『彼女』が見ていれば、驚きと怒りが混ざった声をあげていたことだろう。たっぷり五分間、何もせずにいたレギアは、「で、出直しますね……悲しいなあ……」という声に応えてようやく扉を開けた。
「……うるせぇなあ」
「うるさいとは何を……ってあれ、レギアさん!? 起きて要らしたのですか!?」
「ぎゃはは、そう騒ぐなって。殺すぞ」
いつもの倍以上テンションの低いレギアだが、口から出てくる言葉はいつも通り物騒だった。「ひっ」と体を縮こまらせた女性──ケムダーを冷めた目で見下ろして、レギアは再び家の中へと戻っていく。数秒後、二本の刀を手にしたレギアはケムダーの前へと立ち、今度はいつも通りのハイテンションで「ぎゃはは」と笑った。
「そんじゃあ行きますかぁっ! 地獄の果てだろうがなんだろうが、ついていってやろうじゃねえの!」
◆◇◆◇◆
ケムダーとレギアの出会いは一ヶ月前──すなわちケムダーが本格的な情報収集を開始してすぐのことだった。
それが偶然なのか、それとも仕組まれたものだったのかはケムダーにもレギアにもわからない。だがあまりにもタイミング良く、まるで示しあわせたように二人は出会った。
ケムダーにとって戦いとは戦略であり、それゆえに突発的な戦いには滅法弱い。二区という土地で暮らすにはマイナスにしかならないその性格を抱えながらも、ケムダーは『逃走』によって生き延び続けていた。
一ヶ月。短いようで長いその期間。さすがに逃走だけで生き延びられるほど二区は甘くない。それでもケムダーが生き残れた理由。それが【沈黙者】レギアンシャールという存在だ。彼女の逃走中、たまたまぶつかったというだけの偶然。彼女だけでは逃げ切れないというタイミングで、レギアンシャールはケムダーに出会い、彼女へと協力した。
「なんで助けてくれたんですか」
そう問いかけたケムダーに、レギアは「弱いから」とだけ答えて、彼女への協力を申し出た。
理由は聞かない。
何をしているかも聞かない。
誰なのかも聞かない。
レギアにとってケムダーは「弱い」ものであり、「興味深い」ものであったがゆえに、ただ協力した。
そんな、気まぐれだった。
◆◇◆◇◆
「気が狂ったかってネイヴの野郎には言われちまったんだけどよぉ、それって酷いんじゃね!? 俺はいつだって通常運転だってぇのによぉ!」
がつん、と強く拳を握って机に降り下ろす。がしゃんと食器やカップが揺れて音をたてた。出会った頃はいちいち怯えていたケムダーも、さすがにこれくらいは流せるようになっている。──それでも、少し肩がゆれてしまうのは仕方がないということで。
「あの、レギアさん。そろそろ本題に入りたいなー……とか思ってたりしましてですね」
様子を見つつ、今なら大丈夫だろうというタイミングでケムダーはそう切り出した。「本題ぃ?」と怪訝な顔をしていたレギアは、しかしすぐに「ああ」といってポケットからくしゃくしゃの紙切れを取り出す。
「ほらよ、これだろ、オマエの言ってたリスト」
「え、あ、うそ……ほんとのホントに調べてきたんですか? ……はっ、いえ、違うんですよ!? 疑ってた訳じゃなくてですね!?」
「ぎゃはは、まあ確かにちょいと面倒な仕事だったがな、でもよ、俺様を誰だと思てるんだ? このレギアンシャールさまにできねえわけないじゃないですかああああああっ!」
ぎゃはははははと大声で笑いだしたレギアに、「ひぃ」と悲鳴をあげてケムダーは距離をとった。まだこのテンションの変化にはなれない。というか、なれる日がくる気がしない。怯えつつも渡された紙を覗き、中を確認する。ずらりとならんだ文字は人名のようだった。「……あれ?」 ざっと目を通したケムダーが小さく声をあげる。それに気づいたレギアが、「どうした?」と尋ねた。
「あ、いえ。対したことではないんですけど……前回『要注意』って言っていた人の名前、消えてませんか?」
「あ? あー、あいつか。死んだから消しといた」
「……え?」
死んだ、という単語にケムダーが反応する。この都市において死亡者はそう珍しくない。それでもケムダーが驚いたのは、事前にレギアから伝えられていた情報があったからだ。
「で、でもあの人っ、よっぽどのことがない限り死なないほど強いって言ってませんでしたか!? トップ連中はわかんないけどって……」
「ああ。だけど、死んだ。死因はこれだ」
レギアは指を銃の形に構える。それを頭へ持っていき「ここを一発」と言った。
「それと心臓にも一発。的確に『殺しきって』いる。ムダねえんだ。アイツもまあ、そりゃ死ぬだろ」
「そ、それでもトップ連中以外は……って、まさか」
「おうさ。あんだけの腕を持つったら、一区のアイツしかいねえだろ。もったいねえよなあ、アレ。腕はいいんだからこっちに所属してくれりゃあいいのによ。アイツ──ディシアの腕は将軍も認めてるんだからな」
くちびるを尖らせて机に突っ伏すレギアは、嫉妬とも羨望ともつかない表情でそう言った。後半はほとんど呟きに近い。レギアにとっては死んだ人間よりも殺した人間の方が重要なようだった。
だが、ケムダーはそうではない。慌ててほかのメモを取り出して、レギアからもらった紙と見比べる。ぶつぶつとなにかを呟いたかと思えば、「すみません!」と叫んで立ち上がった。
「レギアさん、アタシ、やらなきゃいけないこと思い出したので! あ、前に言ってた廃墟、ありがたく使わせていただきます! それじゃあ!」
バタバタと慌ただしく立ち去るケムダーの背に、レギアは「おー」とやる気のない声をかける。数分後、レギアは「……さて、と」と立ち上がった。
「まあ乗り掛かった船とも言いますしぃ? 仕方ねえからこのレギアンシャールさまが一肌ぬいでやろうじゃねえの! ぎゃは、ぎゃははははは!」
なにが彼の琴線を刺激したのかはわからない。ただ、確かに上機嫌になったレギアは、そのまま店を立ち去る。──きちんと、二人分のお代はテーブルに置いて。
◆◇◆◇◆
「…………」I don't know.
◆◇◆◇◆
答えなどないのだと、ディシアは知っている。
誰が正しく何が正義で誰が間違っていて何が悪なのか──その答えは存在しないのだと、ディシアはすでに知っていた。
世の中における行為はおおきく二つにわけられる。ひとつは自分勝手な行為。もうひとつは自分本意な行為。なにも違わないのだと人は言うが、ディシアにとっては大きく異なる二つの行為だった。
そして。
そして、今からディシアが、一区が行うのは『自分勝手な行為』である。他者のためでありながら自分のために行われ、他者を救うためでありながら他者を殺す。そんな行為だ。
「──渡したリストは確認したか」
集まった人々に彼は問う。返事は期待しない。それが返ってくるよりも前に、次の言葉を紡いでしまう。
「これは我らがゼウスの意思である。これは我らが御子の命である。多くの犠牲なくしては平和は保たれない。──だが忘れるな。無関係を決して殺すな。庇うのであればそれは関係者であり、守るのであればそれは敵である。だが、傍観者は関係なく、動かないものは敵ではない」
常であれば服の下にしまっているロザリオを取り出して、ディシアは音を紡ぐ。
「──【神は祈れど救わず。然れど祈らば怒り給う】奇跡を期待するな。希望を信じるな。けれども神の導きと加護を信じよ。オレたちの戦いをゼウスはご覧になっている」
謳うように、命令を下すがごとく、ディシアは言った。端から見れば狂っていると思われるのだろうと自覚しつつも、ディシアは繰り返す。
「【神は祈れど救わず。然れど祈らば怒り給う】……さあ、オレたちの戦いを始めよう」
今からの行為は『悪』であると認識して。それでもディシアは言い渡した。
「これより、聖なる虐殺を開始する」
──それは、後に【狂気の涙】と語られるようになる事件のはじまりの合図。
第一区の教徒たちによる、大虐殺開始の合図だった。
◆◇◆◇◆
I can't know.
◆◇◆◇◆