それはまるで泡沫の如く
夢に見ていた景色がある。
『彼女』と街を歩き、なんでもないようなことを話して、『ぼくたち』みんなで食事をする。
そんな幸せを、夢見ていた。
◇◆◇◆◇
「そういえば、最近あの人のこと、見ないよな」
深夜、三区にある酒場でひとりの男が呟いたのが切っ掛けだった。近くで同じツマミを囲んでいたもう一人が、「あの人……って誰のことだよ」と聞き返す。
「ほら、四区のナンバーゼロとよくいた女。すげえ若いやつでさ、ゼロの恋人かとも疑ってたんだが」
「ああ、そういやいたな、そんなヤツ」
「いつからだったっけなあ……ずいぶん、見てない」
唸りつつ、男たちは記憶をたどろうとする。数年ずつ遡っていき、やがて彼らはひとつの『事象』にたどりついた。
「そうだ、ナンバーゼロの失踪だ」
話題を提供した方が、声をあげた。そんなつもりではなかったのだろうが、それなりに大きかった声は別席にいる近くの客まで届いた。「ゼロがどうしたんだ」と、四区在住の一人が男たちに近づく。
「いや、よくゼロと歩いていた女、最近見ねえからよ……。いつから見なくなったか考えてたんだが、ちょうどゼロの消えた頃と被ってるんだって気付いてな」
「……それって、もしかして『あの人』のことか?」
心当たりがあるのだろう。「俺も四区で見たことがある」と彼は言った。
「名前は知らねえんだが……茶髪の人だよな?」
「おう、そうだ」
「それなら、きっとあの人だ。二区の【将軍】や、四区のタケナカさんとも会話しているのを見たぞ」
「あ? じゃあ、今も四区にいたりするのか?」
「いや……俺も十年前から見てないな。ゼロに聞いてもはぐらかされるし」
同じ席を囲むように、彼は腰を落ち着けた。話を聞くつもりだった男たちは、当然それを拒まない。
「あの人、結構ゼロと親しかったみたいなんだよな。よく一緒に歩いてて……ただ、いっつもゼロに支えられて歩いてんだ」
「あ? 足でも悪かったのか?」
「足が悪いのはゼロだっての。どうも、体が弱いみてえだったな」
がやがやと言葉を交わす三人に、酒場で働く一人が近寄った。「ほれ、追加の酒だよ」テーブルの上に三つのジョッキを置いた彼は、三人との距離をさらに詰める。
「あんたらのさっきの話、オレも知ってるぞ。ゼロと商館に入っているのを見たことがある」
「は?」
にやっと笑うと、店員はわざとらしく「さて仕事仕事」と言い、テーブルを離れていった。残された男たちは突然の情報提供に驚きつつ、すぐにまた会話に戻る。
夜はまだ始まったばかりで。
嘘か真かもわからぬ噂話も、始まったばかりだった。