本編エピローグ─後編─
それは追憶。
それは回想。
いつかのどこかで、誰かと誰かが起こした、ちいさな出来事。
◆◇◆◇◆
暗闇のなかに、『彼』はいた。腕に抱かれているのは、産まれたばかりの赤ん坊だ。その子を見て、彼は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「強く生きなさい」
彼は、赤ん坊にそう言った。
「決して道を違えぬよう、強くありなさい。鋼鉄の意志を持って、生涯を生き抜きなさい」
彼は、諭すように言う。戒めを刻むように語りかける。
そして。
場面は、暗転する。
◆◇◆◇◆
「《■■■》という存在を知っていますか?」
薄暗い路地裏で、その人物が尋ねた。彼は呆然としてその人の前に立っている。二人の視線の先には、赤い血を流す女性が倒れていた。
「彼らは数年前より、こうして影を見せるようになりました。姿はまだ現していないようですが、彼女のように、望まぬままその配下におかれるものもあります」
「……私の、妻のようにですか?」
ええ、とその人物は頷いた。彼はようやく現状を飲み込んだようで、それでも受け入れられていないようだった。
「一度配下におかれたなら、もう二度とそこから逃れることはできません。ゆえにわたくしは、導きに従いこうして殺害を犯す」
「……そう、だったのですね。いえ、私は、あなたをとやかく言うつもりはありません。あなたに、命を救われたのですから」
彼はそう応える。瞳から滴がこぼれて、静かに頬を伝った。
「……神子、あなたにお礼を。そしてどうか、私をお許しください。私の息子をお許しください。あの子は何も知らない。私が一区の出身であり、ゼウスの徒であることを知らない。母があなたの手によって亡くなったと知れば、きっと、あの子は……」
「許しましょう。わたくしも、ゼウスも。あなたたちは被害者なのですから」
そう、神子──アインは言った。そして。
──場面は再び、暗転する。
◆◇◆◇◆
彼は、殺されていた。
すでに事切れて、物言わぬ肉塊へとなっていた。
それを見下して、男は笑う。
「馬鹿だよ、アンタ。大人しくしときゃ、死ななかったのにさ。オレたちのこと調べて、たどり着いちゃってさ。いやぁ、本当に馬鹿だ」
何がおかしいのか、男はゲラゲラと笑い続ける。No.4の刻印が刻まれたその手には、血に濡れた小振りのナイフが握られていた。
「もう聞こえねえだろうけど……ま、一応教えてやるよ。そうさ、あんたの妻を操ったのはオレの仲間だ。んでもって、オレたち《■■■》の総意でもある。おめでとさん。アンタはちゃんと答えにたどり着けてたのさ!」
やはり男は笑い続ける。笑い声が路地に響く。そして。
──意識が、浮上する。
◆◇◆◇◆
薬品の臭いに、まず気づいた。続いて、少しボロい天井。ひび割れていただろうコンクリートは、補修の痕が目立っていた。
「ん? ああ、目が覚めたかい」
ふと、そんな声が耳に届く。彼──アルバートはそちらに顔を向けた。
「大丈夫。君は生きている。ちょっと傷がひどいから、すぐに回復っていうわけにはいかないけどね」
そこにいたのは、四区トップのナンバーゼロだった。そういえば、と思い出す。アルバートが意識を失う前にも、彼はいた。
意識を失う前、というフレーズで、記憶がゆっくりと戻る。復讐軍。断罪者。七番目と名乗った幼い少女──
「……っ!」
「あ、だめだって! ちゃんとおとなしく横になってないと! 異能使ったこともあって、疲れてるんだし!」
起き上がろうとしたアルバートを、ゼロはあわてて止めた。肩を少し押されただけで、そのままベッドへ倒れこんでしまう。起き上がることをあきらめて、アルバートはゼロに尋ねた。
「……ここは」
「タケナカの家の一室だよ。医者に頼んで、色々道具を運んで貰ったんだ」
タケナカというのは、確か、ゼロの右腕のような存在だったはずだ。思い出して、次に気になったことをきく。
「異能って……」
「あれ、もしかして気づいてない? 君、異能、目覚めてるけど」
は、と声を上げなかったのは、なんとなく思うところがあったからだった。それでもすぐに、それを認めることはできず、黙ってしまう。
「夢、見たんだろう? あれが君の異能だ。過去を知りたい。せめて真実を知りたい。そういった思いから生まれた異能。まあ、条件はちょっときついみたいだけど。生死の狭間でしか、発動しないからね」
ぺらぺらと、自分ですら把握できていない異能を語られるのは、不思議な気分だった。だがそれ以上に不思議なのは、ストンと自分の異能という異常性を受け入れられたことだった。口で説明されて、ようやくといえばようやく、アルバートはそれを認めることができた。
「君がどんな過去を見たかは、さすがに僕も把握できない。だけど、予想はできるよ。君の願いは父親の死の真相で、アインの言葉の意味だ。だったら、きっとアイツにたどり着いた……で合ってるかな」
ゼロのいう『アイツ』が、父親を殺した人物だとはすぐに気づけた。確認と、自分の頭を整理するため、アルバートはぽつりぽつりと呟き始める。
「母さんは、父さんを殺そうとして、逆に殺された」
「うん」
「父さんは、神子に助けられて──おれも、神子に助けられた」
「そうだね」
「父さんは、母さんを操ったやつらを追って、No.4に殺された」
「……うん」
「じゃあ、おれが、見たのは」
「……四番目の仲間の異能だ。《私の小さな絵本》と、もうひとつの異能を組み合わせた、洗脳と捏造。それが、君の見た『つもりだった』記憶の正体」
「……おれは、まちがってた?」
ナンバーゼロは、何も言わなかった。ただ無言で、肯定を示した。
「……アルバート。僕はこの部屋から出るけど、何かあったら物音を立てるんだ。隣の部屋に、タケナカと僕が待機してる。それから、これからのことをよく考えて。僕たちは君を受け入れるけど──君が嫌なら、好きにすればいいよ」
ゼロはそう言って、部屋を出た。ぱたん、と扉が閉まる。
「……っ」
一人になった部屋で、アルバートは静かに涙を流した。
「ごめん、なさい……!」
こどものように、彼は泣いた。
◆◇◆◇◆
その、数日後。
「償いをしようと思います。そのうえで、父さんと母さんの死を作ったやつらを、追いたいんです」
アルバートは、様子を見に来たゼロへそう告げた。
「おれ、弱いから。迷惑になるかもしれないけど……それでもよければ、ここに、四区に置いてください」
頭を下げたアルバートに対し、ゼロは穏やかに笑って。
「──まったく、遅いじゃないか。三日前に歓迎会の準備は終わっちゃったよ?」
そう、言った。