ノアの影(2)
「悪いな、遅れた」
最後に部屋に入ったのは、この場所の持ち主であるマサムネだった。いつかひっそりとトップたちによる話し合いが行われた場所。今集まるのは《災いの死神》の『四冠』たち。
「あら、構いませんのよ。私たちが少し早く集まっただけですもの」
「同意。将軍が気にすることではない」
「お二人の言うとおりですよ、マサムネさん」
「それで将軍、俺らを集めた理由は? やっぱりアルバートとかいう奴のこと?」
俺らも暴れんの? とレギアがマサムネに尋ねた。その瞳は純粋なこどものように輝いている。
「あー、暴れるかどうかは別だが、それ関連なことに間違いはねえな」
「あら以外。あなたのことですから、なるようになれと、特に対策を練らないと思っていましたのに」
「まあ、そのつもりだったんだが──」
ミリニアの問いかけに答えようとしたマサムネが、唐突にその言葉を止める。同時にウェンが立ち上がって構え、ミリニアは毒を塗布したかんざしを取りだし、ネイヴがナイフを握り、レギアが刀を抜いた。
その少し前、わずか瞬き一つ分しか違わない瞬間に、部屋に現れたのは【軍師】と呼ばれることもあるタケナカだった。四冠の面々はもちろん彼女とマサムネの関係を知っている。だが、武器を収めることはない。四人とも警戒したままだ。
それに反応を示すことはなく、部屋に現れた体勢のまま、彼女は小さく呟くような声でとある単語を発した。
「私の小さな絵本」
「あ?」
五人ともが表情を険しくした。タケナカが発した単語の意味を理解することができず、さらに空気がピリピリとしたものになる。
「マサムネ、私たちは、役者だった」
一単語ずつ区切るようにして、タケナカが言葉を紡いだ。
それを受けたマサムネは、驚いたような目を見開いて、すぐに怒りの表情を浮かべた。
「ああクソがっ! そういうことかよ、ふざけんな!」
ドン、と彼は思いっきりビルの壁を叩く。四冠たちはマサムネの突然の行動に驚き、彼へと視線をやった。だが、それを気にするマサムネではない。今にも人を殺しそうな雰囲気を纏ったまま、タケナカに尋ねる。
「おい、タケ、いつからだ」
「ゼロの予測では、パトラシア・J・アルゼフが動いたとき、と」
「……っ、そこからか! ああ、畜生が、くそったれ。……おい、レギア! てめえ、あいつ──アルバートの行動は読めるか!?」
「え、俺!?」
怒鳴るようにして唐突に呼び掛けられ、レギアは動揺したように声をあげる。だが、すぐに真面目な表情となってマサムネに言葉を返した。
「さすがに今すぐは無理だ、将軍。だけど、足跡はいくらでもある。……それを辿れば、なんとか」
「じゃあ、お前に任せる。そいつに伝えろ。『好きにするといいが神子だけには手を出すな。死ぬぞ』ってな」
「……? 了解」
「それから、お前たち、今回の件は何があっても不干渉を貫け。いいか、絶対に関わるな。もし関わるなら、俺がお前らを殺す」
その発言には、確かに怒りが籠められていた。面白いことが起きる、と言っていたときのマサムネの様子とは正反対である。それに驚きつつも、全員が頷いた。
「……おい、タケ。話がある。残ってくれ」
「言われずとも」
「お前らは帰れ。もういい。しばらく、一句に近づかなければそれでいい」
マサムネは全てを語らず、ただ一方的に四人に告げた。もしこれがマサムネ、そして四冠以外の者たちならば不平不満の声が上がっていたことだろう。
だが、彼らの間でそれはない。信頼し、陶酔しているが故の結果。四人はただ小さくうなずいて、退室していく。
「……タケ」
そうして二人だけになった部屋で、マサムネは小さくタケナカの名前を呼んだ。
「……タケ。……姉さん、おれは」
それは、普段の彼からは想像できないような弱々しい声だった。
「……マサムネ。何度でも私は繰り返しましょう。あなたは、悪くない」
「でも、おれは、姉さんとも、ゼロとも、あいつとも違って」
「大丈夫です。あなたが思い悩むことはなにもない。あなたはただ、巻き込まれてしまっただけなんです。ゼロも言っていたでしょう。あなたには罪なんてないんです」
タケナカは、ただ優しく返す。それは、いつもであれば見られない、けれども確かに存在する二人の義姉弟としての絆だった。
……やがて、小さく嗚咽が漏れる。それを聞き届けるのは、ただ一人。青い髪を持つ女だけだった。