前哨戦プロローグ
二区を支配する戦闘集団《災いの死神》にも、一応事務所のような場所はある。それがマサムネの住むビルなのだが、来客は滅多に来ない。ビル自体がマサムネの私物と化しているのも一つの理由だが、喧嘩早い二区住人の気質も大きな要因となっているだろう。なんせ、話すより戦う方が早いと考え、肉体言語(殴りあい)を好む集団だ。マトモな事務所を構える意味がない。
それでも、マサムネや【四冠】の人間に相談、交渉を望む住人もいる。そういった場合に利用されるのがマサムネの住む【廃墟ビル】だった。
「マサムネさん」
その少年もまた、そういった事務所的側面を利用するためビルを訪れた。タイミングがよかったのか、ビルのエントランスロビーにマサムネはいた。隣には【機械人】という名で知られるウェン・ウォンが立っている。
「あ? なんだ 、お前。ここの住人か?」
「将軍、彼は《災いの死神》に属している。貴方の配下にあたる人物だ」
見覚えのない少年にマサムネが二区の人間かと訊ねる。と、すぐにウェンが回答をした。
「名前はアルバート。体術を用いる」
淀みなく続けられた自身の名前に、少年はさすがと声に出さず思った。少年、アルバートがウェンと言葉を交わしたのは一度きりだが、そのとき名乗ったことを覚えていたらしい。
「へえ、アルバートな。それで、何のようだ? 手合わせならいくらでもしてやるぞ」
指の骨を鳴らして笑うマサムネに向けて、アルバートは首を横へ振って答えた。驚いたのだろうマサムネが「あ?」と声をあげる。わざわざマサムネの元を訪れる《災いの死神》メンバーは手合わせを望むことがほとんどなのだ。
「今回は、貴方に相談があって」
「……小難しい話ならウェンに言えよ」
「いえ、内容はすごく簡単です」
アルバートはそこで表情を変えた。先程までは苦笑いを浮かべた好青年、という印象の顔立ちだったが、今は違う。何か決意を固めたような、そんな印象を与える表情をしていた。
そして、彼はマサムネに告げる。
「人を、貸していただきたいんです」
「……は?」
何かとんでもないことを言い出すのではと予想していたマサムネは、アルバートの言葉に素で驚いて見せた。
「おい待て。なんでそれを俺に言う。わかってるとは思うが、《災いの死神》は組織面じゃあどの区よりも弱い。そういったことは向いてねえんだよ。人がいるっていうなら、そこらの傭兵を雇えばいい。派遣組合だって……」
「それじゃあだめなんです」
アルバートはきっぱりと言った。マサムネの眉間にシワが寄る。ウェンは何を考えているのかわからない瞳で少年を見続けていた。
「貸してほしいのは傭兵じゃない。金で裏切る彼らはいらない。欲しいのは、《災いの死神》のメンバーなんです」
「理由はなんだ。くだらねえワケならぶん殴るぞ」
違和感を覚えたらしいマサムネがアルバートに聞く。それに対して、少年はすぐに答えてみせた。
「為すべきことを成すために、ですかね。《災いの死神》という名前がほしいからとか、確かな実力がほしいからとか、仲間意識を持ちたいからなんていう理由じゃない。ただ、やるべきことをやるために」
へえ、とマサムネは思った。アルバートの答えは答えとして成り立っているとは言いがたい。それでも、その瞳は真剣だった。ふざけているわけでも、マサムネを嘗めているわけでもない。
「ウェン」
マサムネがウェンに呼び掛ける。それだけで全て伝わったのだろう。彼女はひとつ頷いてアルバートを見た。
「進言。こういった内容はレギアンシャールに相談するべきだ。アレは煩いが統率面では我々で一番優れている」
「!! ありがとうございます!」
「予測。アレは今、三区との境界付近にある酒場で賭け事に興じている」
平淡な声色で告げられた内容に、アルバートはもう一度「ありがとうございます!」と叫んでビルを飛び出た。それを見てにやつくマサムネに、ウェンが首をかしげる。
「質疑。なにが楽しい」
「何がって、そりゃあ俺にもわかんねえな。でもよ、まあ、なんだ」
ニヤリと笑うその顔は、かつてナンバーゼロの帰還を知った時に似ていて。
「ウェン、四冠を集めやがれ。面白いことが起きるぞ」
どこかで歯車が動き出す音がした。
◇◆◇◆◇
うまくいった。少年はそう思った。【将軍】が頷くかどうかは正直賭けな部分もあった。それでも交渉は成功したのだ。マサムネがどうしてアルバートの『人を借りたい』という願いを手助けしてくれたのかはわからなかったが、それでも同意を得られたというだけで少年は嬉しかった。
「父さん、待っててくれよ。おれ、頑張るから」
今は亡き父に向かって、アルバートはそう呟く。
「おれ、ちゃんと父さんの仇討ちをしてみせるよ。父さんと二区を、《災いの死神》を馬鹿にしたアイツら……第一区の連中たちに、ちゃんと、おれらはすごいんだって教えてやるんだ」
その瞳は、嫌になるほど純粋で、真っ直ぐで。
復讐の色に、濁っていた。