イベントプロローグ
「…………」
第三区の【商館】の一室、幹部一人ずつに与えられた部屋でヤマトは計算式のかかれた書類とにらみ合いをしていた。ここ数日はこの部屋に籠りっきりで、『観光業』の方は休業してある。廊下はバタバタと慌ただしく駆け回る音で溢れており、時おり何やら叫ぶ声まで聞こえる。それらをすべて意識の外に追いやって、ヤマトは用紙をぺらりと捲った。
「…………」
無言で眉を潜めた彼は、机の上にあったそろばんをパチパチと弾く。電卓は数時間前に起こったとある騒動のせいでダメになって、残骸がビニール袋に入っていた。パチパチと数秒珠が弾かれて、そして。
「……ッチ、赤字やないか」
いつものおちゃらけた彼からは想像できないほど低い声が響いた。クセのある喋り方やその職業、態度から『軽い人間』と思われがちなヤマトだが、実際はそうでもない。特に《眠る心臓》の幹部としての彼の顔はひどく真面目で、そして冷酷だ。
「ほーんと嫌になるわ。ありえへん、なんでこんなに出店舗少ないねん」
ぐちぐちと文句を言いつつもそろばんを弾く手は止まらない。睨む視線の先にある書類には『《眠る心臓》主催 大規模マーケット企画書』と書かれてあった。
毎年、というほど頻繁ではないが不定期に行われるこの企画は、いくつもの店舗が《眠る心臓》のサポートを受けて三日間のマーケット期間に出店を行う、というものだ。一種のお祭り状態なので、売り上げは当然のように普段より延びる。乱闘騒ぎもあるが、少々は各々に対処してもらうことでなんとか運営できていた。売り上げの一部はサポートのお礼ということで《眠る心臓》が回収する。店舗数が多ければ多いほど《眠る心臓》の黒字が延びていくという仕組みなのだが……。
「賢者の石の騒ぎのせいであんま出店希望店舗があらへん……このままや赤字間違いなしやで……」
そう、出店希望が例年よりも少なすぎるのだ。つい先日まで起こっていた『賢者の石』に関する騒ぎに気をとられていたからから、はたまた別の理由からか。確実なことはわかりはしないが、このままでは儲けどころか損失が生まれるのは間違いなかった。
「困るで……例の石の解析のために資金集めようと思っとったんに、このままやったら……」
どうしたものか、とヤマトは頭をかく。しばらく思考を巡らせていたが、ありきたりな方法しか思い付かなかった。
「とりあえず、ボクから声かけやな。あとはチラシ配布にポスター広告……いつも通り、三区以外にも声かけて……交渉は申し訳あらへんけど、アリアさんに頼むしかないわ」
ある程度構想が固まったところで、ヤマトは白紙を一枚手に取りそこへ今しがた言ったことを纏めていく。
「さあて……あと一ヶ月、どこまで準備できるか勝負やで……」
マーケット開催は、すぐそこまで迫っていた。