月夜の会合
月が綺麗な日だった。深夜。人々が寝静まるとされる時間帯。マサムネの所有するビルも、喧騒とは程遠いくらい静まっている。普段ならば彼は酒場にいて賭け事に興じているのだろう。しかし、今日は些か事情が違った。マサムネのビルには人の気配が確かにあった。
突如、ビルの前に二人の人物が現れる。二人は少しだけ言葉を交わして、やがて片方が姿を忽然と消す。残された一人は迷いなくビルへと立ち入った。
その人物は一つの部屋の前で立ち止まる。三回、二回、二回、とリズムを取ってノックしてから、なるべく静かにドアを開いた。
「遅くなりました。ごめんなさい、なかなか、周りの目が厳しくて」
そう言って部屋に入ってきたのは、一区のトップ【神子】アインだった。苦笑とも取れる笑みを浮かべたアイン。その視線の先には三人の人物がいる。
「……」
「……」
「や、アイン。君もなかなか難儀だね。あ、アインの席はそこね。アリアさんの向かいだ」
無言で視線をやったのは【将軍】マサムネ。目を閉じたまま見向きもしなかったのが【首領】アリア。いつも通りの笑顔で声をかけたのが【異端者】ナンバーゼロ。彼らは四角いローテーブルを囲むように設置された一人掛けのソファへ腰を下ろしていた。
そのうちの空いていた一つ……アリアの向かいとなる場所へ、アインは腰を下ろす。「それじゃあ」とゼロが変わらない笑顔で言った。
「はじめようか。トップによる話し合いってやつをさ」
現在部屋にいるのは各区のトップとされる四人だけだった。一言で称すなら『異様』である。それぞれに少なからず繋がりはあれど、全員がひとつの場所に集まるなどあり得ない。──少なくとも、都市の住民のほとんどはそう思っている。
「……先日の一件、アレに尋ねたが誰に吹き込まれたかは吐こうとしない。吐けない、の間違いかもしれんが、私にはそこまで判断できん」
まず口を開いたのはアリアだった。彼女の瞳は以前閉じられたままだが、口調は鋭い。彼女は続けて言葉を紡ぐ。
「──だが、アレの解析を続けることでほぼ確信に至った。百パーセントとは言えないが……かなりの確率で、十五年前と同じだ」
その言葉を受けての反応は三者三様だった。アインは特に変化は見られなかったが、マサムネは舌打ちをして頭をかいた。ゼロに至っては笑顔を消して顔を大きく歪めている。
「クソったれ、やっぱりかよ。予想していたとはいえ、改めてアンタから言われると気分が悪くなる。……勘違いするなよ、対象はアンタじゃねえ」
苛つきを隠そうともせずにマサムネはそう言った。アリアは「わかっている」とだけ返す。
「……賢者の石、なんて馬鹿みたいだよね。本当に馬鹿だ。加えて万能の書? ふざけてるとしか思えない」
「わたくしもゼロに同意です。ゼウスの言葉からしても、そしてわたくしの個人的見解としても、アレはあってはならないものです。それに……」
「それに? あなたはなんと言うんだ、神子」
「……いえ、ただ、気分が悪くなると、そう思いまして」
アリアの言葉に、アインはただそう返した。誤魔化したようであるが、実はそうではない。残りの三人はすぐにそれに気づく。故に、再びそれを尋ね直すなどということはしなかった。
いつになく不機嫌そうなゼロが「それで」と言う。「これからのことなんだけど、どうする?」
「わたくしはゼウスの言葉に従うのみ。……ご安心を、ゼロ。ゼウスはあなた方四区に被害を及ぼすことを良しとしない。わたくしは決して四区への対応を変えるつもりはございません」
「俺、つーか《災いの死神》も特にできることはねえな。十五年前はまだ、こっちに来たばかりだったから、ツテもそこまでねえし。……一応、ネイヴとレギアには考察を聞いてみるぜ」
「私は解析を進めよう。特効薬の製作も25%までではあるが進んでいる。……これは私の責任だ。きちんと責務は果たすさ」
「オッケー。僕はとりあえず警戒を強めるよ。『アイツら』が仕掛けようとしてくるならきっと四区からだろうしね。……慈悲なんて二度と掛けてやるか」
低く呟かれたゼロの言葉に、マサムネは少しだけ眉を潜めた。だが、すぐに元の表情へ戻る。しばらく静寂が続いたが、アインが立ち上がったことでそれも破られた。
「……では、本日はこれで。わたくしはそろそろ帰らないと不味いですから」
「……それもそうだね。じゃあ、僕もアインに着いていくよ。タケナカに二度手間させるわけにはいかないからさ」
続けてゼロも立ち上がり軽く手を振って部屋を出ていく。丁寧にお辞儀をしてアインも退室した。残された二人はどちらも動かない。
……そうして、五分は経っただろうか。「なあ」とマサムネが口を開いた。
「ゼロは、アンタらに怒っちゃいねえ。それは俺やタケも一緒だ。……アンタは《眠る心臓》のトップであって、『アレ』の研究者じゃねえんだよ」
「わかっているさ。だけど、私の一族の責任ではある。……私は、君にも、彼にも、彼女にも、そしてあの子にも、この命を持っても償いきれない罪を背負ってるんだ。君たちがどう感じていようとも、それに変わりはない」
「……」
目を伏せて、アリアはそう言った。呟きのような、そんな小さな声だった。だが、マサムネはそれをはっきりと拾う。何と返そうか少しだけ考えて、彼は「俺は」と言う。
「直前でゼロに助けられた。タケも、アイツもだ。唯一害を被ってるのは俺らのなかじゃゼロだけ。その本人が、アンタを赦しているんだからそれでいいだろ」
「…………」
「つーかよ、俺はむしろ感謝してるぜ。アンタとアンタの父親の助けがなけりゃどうしようもなかったんだからな。それに、そういうことがあったから、この都市が『今』みたいに変わったんだろ」
「…………」
アリアは何も言わない。マサムネも、それ以上は言わなかった。
しばらくして、アリアが立ち上がる。
「……すまない」
俯いたままだった彼女の表情を伺うことは、マサムネにはできなかった。アリアはそのまま部屋から出ていく。一人残されたマサムネは、背もたれに体重を預けて一人ごちた。
「……本当に罪を背負ってるのは、きっと俺なんだろうな。唯一の、本当の意味での無被害なんだからよ」
夜はまだ、明けそうにない。