本編エピローグ
パトラシアは七つの赤い石を前に険しい顔をしていた。この石をどう扱うかに困っているわけではない。それは当初より決まっている。問題は、その数だった。
七つ。それを少ないと捉えるか多いと捉えるかは人それぞれだろう。
パトラシアは七つを十分な数だと考えていた。いや、十分すぎるのだ。当初予想していたより二つも多い。自身の性格や関係性を鑑みても、ここまで集まるとは思っていなかった。
「嬉しい誤算、という奴だな」
ポツリとパトラシアは呟き、火にかけていたフラスコを手に取る。中では無色透明の液体が湯気をたてていた。
パトラシアはそのフラスコをしばらく見ていた。何かを決意したのか、ひとつ大きく息を吸うとその中身を七つの石へかけて。
彼はそのうち二つを手に取り、思いっきり噛み砕いた。
◆◇◆◇◆
「……といえど……する。……がある…………も……いただろう。………………に……なやつだ」
何か、やけに不満げな、苛立ったような声がした。聞き覚えのある女の声だと、男は思った。低迷していた意識が浮上していく感覚がする。それにあわせて、声もはっきり聞こえだした。
「天才と馬鹿は紙一重とかいうが、全くその通りじゃないか。なにが天才学者だ。毒素のあるものを取り込もうとする奴がいるか! そんなの自殺志願者だけだろう! ああくそっ、貴重な研究成果を組織のやつでもないくそったれに使うことになるなんざ……! 目覚めたら死ぬ寸前までコキ使ってやるから覚悟しとけよ。死と生の狭間で生きるぐらいの地獄環境で働いてもらうぞ……!」
なんだか、やけに不穏な言葉が混じっていた気がする。だからといって、もう一度意識を暗闇に突き落とすことはできず、はっきりしない思考のまま、男──パトラシア・J・アルゼフは瞳を開けた。
「ああ、起きたか。天才学者」
枕元から声がかかる。ゆっくりそちらへ頭を向けると、白衣の女性が座っていた。
「……アリア」
「気分はどうだ? 最悪か? それは結構。ああ、動くなよ。相槌くらいならいいが、なるべく喋りもするな。薬は打ったが試作品だから効力も薄い。下手に動いて毒が回って死なれたら、私がなんのために薬を売ったのかわからなくなる」
苛立たしげに、アリアは言う。パトラは何かを言おうとしたが、前身が気だるくそれさえもできないことに気づいた。
「いいか。お前が研究していた賢者の石とやらはな、強い毒素を内包する鉱石だ。不老不死云々は毒素に含まれる幻覚作用および思考力低下から生まれた夜迷い事だな。つまり、お前がどこからか掘り出しやがった『食えば不老不死』は毒素に当てられて麻薬同様幻覚を見たやつの誤った記述だったわけだ。
厄介なのは少量摂取だと中毒性を引き起こすところらしい。大量摂取すればすぐ死に至るが、少量だと中毒性。はん! やっかいなことだ。
その点、お前は運がいい。石を噛み砕いたとき、ちょうど《眠る心臓》の一員が訪ねてきたんだからな。
しかもだ。私自身の研究も進みようやくこれらの石の毒素に対する治療薬その1ができたところだった。
ここまで言えばわかるだろう。ああそうだ。私は貴重な試薬品をお前ごときのために全部使い果たしたのさ! ああくそっ、これでまた作り直しだ。貴重な素材もあったと言うのに……!」
……つまり、自分は彼女に助けられたのかとパトラは考える。思考力低下という効果は本当のようで、アリアの言葉をしっかり理解するまでタイムラグがあった。そんなパトラを知ってか知らずか、アリアはさらに畳み掛ける。
「まあいい。これでお前は私に恩ができたというわけだ。命の恩人だな。この恩は一生掛けて払っても足りないだろう。──だから、お前はこれから《眠る心臓》に入って私たちのために研究をしろ。いいか、これは依頼でも交渉でもない。決定事項だ。それがいやならモルモットになれ」
そんなアリアの言葉にパトラは少しだけ考えて。
「研究を続けられるなら、なんでもいい」
ただ、それだけを返した。
◆◇◆◇◆
時は少し遡り、パトラシアが倒れる前。第一区の神殿でアインはゼウスの声を聞いていた。
目をつむり、祈りを捧げるようにロザリオを握る。その姿はアインの容姿もあってやけに神秘的だった。
数分そうしていただろうか。アインはゆっくりと瞳を開けて、ポツリと呟く。
「ええ……わかりました。確かに、それはひどく悲しいことです。それでなくても、ゼウスが望むのであればわたくしは……」
憂いを帯びたような表情で、アインは何かを呟く。しかしすぐに頭を振ると、自室へと戻っていった。
数日後、第一区で砕けた赤い欠片を握ったまま死亡している人間が数人見つかる。彼らは最近、ゼウスを冒涜したとして目をつけられていた人間だった。