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描いた道

作者: 東雲 豊


  ネツァルア帝国は、数ある国の中で一番血の気が多い国と言われている。 何故なら、全ての国民が軍に属しているからだ。

 幼子も若人も老人も関係なく、国に籍を置いた瞬間から分け隔てなく階級が割り当てられる。 そして成長と共に力量や得手不得手を考慮した隊へと振り分けられ、最終的に自らの就きたい隊へと移りゆく。 


 他国から見れば異様な事だろう。


 しかし、それを嫌がる者など此の国には一人も居なかった。 皆、この現状に慣れてしまっているのだ。

 比較の出来るものがあれば変わるかもしれないが、残念な事に比べるべきものが無いので、羨みようが無い。


 ――だからこそ、私は目の前の男に興味を持った。





 季節は春だ。

 とはいえ、暖かな日差しも温暖な気候にも程遠い。

 ネツァルア帝国に四季は存在せず、一年の殆どが雪に覆われてしまっている。 木々も、河も、大地も、全が白に浸食されている。 唯一、分厚い鉄板で誂えられた都市の城壁だけが鈍く色づいていた。

 根雪も深く、作物の実りも乏し。 大地が顔を出すのは夏の僅かな間だけだった。 その夏の間に大量加工をした缶詰が製造されるので飢える事は無いが、メニューは一年を通してほぼ変わり映えしない。

 一応、食堂は有る。 しかし、原料が輸入品ばかりのせいか、如何せん値が張るので利用者は多くなかった。

 その上娯楽は殆ど無い。 小さな劇場ならば一つだけあるが、上映されている映画は古いものばかりで、いつも閑古鳥が鳴いている。 


 属している自分でも劣悪だと思える環境故か、他国からの観光客は皆無だった。 当然だ、この様な天然の牢獄のような場所に、誰が好き好んでくるというのか。

 もしそんな輩がいたとしたら是非ともお目にかかりたい。 そして何故この国に来たのか問うてみたい。 そう考えながら、帝国唯一の公園へと足を運んでいた。 とはいえ公園に用がある訳ではない。 予定していた軍議の時刻が少し遅れる事となったので、暇つぶしとして散歩の目的地にしているだけだ。


 帝国内は暇を潰せる場所が限られている。 身体を暖めるための酒場ならいくつもあるのだが、私は酒が好きではない。 一度自室へ戻って仕事をしても良かったのだが、今日に限って急ぎの仕事は無い。 それに、自室までは距離があるので往復するとなると少々時間もかかる。

 故に、近場である公園を目的としたのだが、やってきて早々後悔をした。 ”公園”とは言われているが、ここには遊具は勿論の事、ベンチや休息するスペースは無い。 あるのは簡素な仕切りと、開けたスペース、そして申し訳程度に小さな池があるだけだ。 尤も、その池は凍ってしまっているので中を覗くことすら出来ない。


「…………はぁ」 行く手を阻むように根付いている雪を軽く蹴り飛ばした。


 ――さて、どうしたものか。

 厚手の防寒具を着ているので寒くは無いが、ここにはめぼしいものが何も無い。 しかし帰ったところでやる事がある訳でも無い。 辺りには人影は無く、空いている店も無い。

 ……何も、無い。

 当然だ、まだ朝日も昇っていない時刻なのだから。

 時計を見ると、既に、当初予定をしていた軍議の開始時刻を十五分過ぎていた。 召集の放送は未だ掛からない。


 一体何をして時間を潰せばいいのやら―― 「お姉さん。何しているんですか」 ――声を掛けられた。


 振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。 はち切れんばかりのバックパックを背負い、両腕には大きな手荷物を抱えている。 コートはこの辺りでは珍しい黒色で、少々薄手のものだった。 首元には赤いマフラーが巻かれ、頭には揃いの毛糸の帽子。 隙間から飛び出す黒い髪は少し凍っていた。


「誰だ」 見覚えの無い人物だった。 少なくとも私の所属している隊員では無い。


「絵描きです」 男は私の方を見て、へらっと笑った。

 自分の眉が吊りあがる。

 ネツァルアでは尋ねられたら最初に所属を名乗るのが礼儀だ。 この国に居るのであれば知らない者は居ない。 脅しついでに、脇に差しておいた刀の柄に触れると、男は慌てて言葉を付け加える。


「ちょっと待って! 待った! 絵描きは本当だから!! マールトからやってきたの!!」


「マールト?」 近隣国の名が出る。 確かあそこは、何年か前に独立を果たした若い王国だ。 ネツァルアとは様々な物資のやり取りをしている友好国でもある。


「本当、ほら見て。 これ通行証」

 男は抱えていた荷物を脇へと放り投げ、ポケットから掌サイズのカードを取り出し、私に突きつけた。 そこには男の名前と、所属国家、そしてネツァルアへの滞在許可を意味する国璽(こくじ)が捺されている。


「ね、ね? ほら怪しくないでしょう?」 男の態度に嘘偽りは見られない。 それに、この国璽が何よりも彼の身分を示していた。


「……客人か」 刀の鯉口を鳴らすと、男は安堵の表情を浮かべて通行証をポケットにしまった。

「そうですそうです。 僕はローラン・ルノー。 マールト王国から旅行者として来たんだ」


 ――旅行者。 それはまた珍しい。


「私の名はヘルガ・ネツァルア・カーネルだ」

「へぇ、国と同じ名前なんだ」

「姓を持たぬ故、こう名乗っている」 属している国の名と、役職である大佐(カーネル)から名づけた。


 元より、ネツァルアの国民は性を持たないが、他国との親交や交渉の際に名乗る姓が無いというのは相手の国にとって無礼にあたる事もあるらしく、最近では一定の役職に就く者は、国から許可を得て私のように分かりやすい姓を名乗る事になっている。


「あ、なんかその、ごめん……」 唐突に謝られた。

「何がだ?」 「その、姓が無いっていうのは……」 ローランは眉を下げ、口ごもる。


 ……どうやら、何か勘違いをされたようだ。


「…………ネツァルアでは姓がないのが普通で、最初から姓を持つのは王のみだ。 私は外交の為に国より姓を頂いている」

「あ、そうなんだ。 なんかちょっと暗い話かと思って身構えちゃった」

 ローランは明るく笑い飛ばす、先程の申し訳なさそうな顔が嘘のようだ。



「ところで貴殿は此処に何用か」 そろそろ東の空に暁光が差し始めるとはいえ、辺り一面薄暗いままだ。 他国からの客人が夜明け前に公園へ来る用事など無いだろう。

「居住区に用があるのならば私が案内しよう」 そう告げれば、ローランは傍らに投げた荷物を拾い上げ、鞄の口を開いた。

「あ、いや僕が用があるのはこの公園だから」 言いながら、ローランは手馴れた様子で鞄の中身を取り出し、雪の上に広げていく。

 使い古された木のイーゼルに、変色したパレット、所々が欠けたペンティングナイフに歪んだパレットナイフ。 筆は大小様々なものが一緒くたに括られ、小さくなった油絵の具は小箱の中に乱雑と詰まれている。 仕上げにキャンバスをイーゼルの上に乗せると、彼は満足げに笑った。


 ――私には、その笑みを理解する事が出来なかった。 此処に絵のモデルになりそうなものなど何一つ無い。 有るのはうんざりする程見飽きた雪景色、ただそれだけだ。


「うん、いい感じだ」 「何がだ」 「雰囲気かな」 ざっくばらんな応えだ。

「理解し兼ねる。 ここには何も無い」

「そう? 僕にはとても良い場所に見えるよ」


 ――此処が? もう一度じっくりと辺りを見回した。 しかし、景色が急に変化する訳も無く、相変わらずの雪景色が広がっている。

 先程と変わったところと言えば、彼の広げた絵画の道具が増えたくらいだ。


「…………むぅ」 やはり、理解出来なかった。


 ローランは私からの返答が無い事を特に気にせず、絵の具の入った箱から鈍い藍色を取り出し、パレットへと出した。 そして一番幅のある筆を取り出し、キャンバス全体に藍色を広げていく。


「……はじめて見た」 思わず呟く。

「初めて?」 彼は手を休める事無く筆を動かし続けている。 器用なものだ。

「ネツァルアで筆を取る人は殆ど居ない」

「ああ、此処は絵の具の原料が手に入りづらいからね」

 下書きに用いる木炭ですら貴重だ。



 藍色に塗りつぶされたキャンバスに、大胆にも明るい色が乗せられていく。 この景色とは似ても似つかぬ赤色や黄色の絵の具が、深淵のように深い藍色をより強調していた。




「…………」

「…………」


 それからは、私もローランも無言だった。

 彼は一心に筆を取り、キャンバスに命を吹き込む。 そして私は、彼の創りこむ小さな世界に心奪われていた。

 絵を描く理論は分からない。 しかし、彼が筆を乗せる度にキャンバスは少しずつ命を吹き込まれていく。 そのように思えた。







「よし」


 彼が筆を置いたのは、東の空が明るくなり始めた頃だった。

 キャンバスには鮮やかな色がいくつも乗せられている。 雪景色とは似ても似つかない色彩に、思わず 「普通、雪は白ではないのか」 そう尋ねてしまった。 しかし、すぐに後悔がやってくる。 絵描き相手に、不学な私が意見を述べるはなんとも烏滸がましい事ではないか。


 すると彼は少し驚いた顔をしてから 「僕がこうして塗りたいと思ったから塗ってるだけだよ」 と笑った。

「……そうか」 彼は自由なのだな。 ルールに縛られること無く、自らの望んだままに動いている。 それだけの話だ。


 「羨ましいな」 ――自由に生きられるのが。


 比べ私はどうだ。 この監獄のような場所でただ生き続けている。 趣味も無ければ目標もない。

 そう考えると、荷物一つで外の世界へ出られるローランが心底羨ましく、同時に妬ましく思えた。


「それなら、ヘルガさんもやってみたらいい」 ローランはそう続ける。

 随分と簡単に言ってくれる。 私にはこの監獄のような城壁都市での生活が全てだ。 他の生き方を知らない。

 そして、肝心の「――やり方がわからない」 何を望めばいいのかも全く以って検討が付かなかった。

「やり方なんてそのうち覚えるもの、最初は何も考えずに思うがまま動いたらいい」


 ――思うがままに。


「さあ、ほらどうぞ」 彼は完成したキャンバスを取替え、一本の筆を私に押し付けた。

 毛先は様々な色が混ざり、くすみ、随分と草臥れてしまっていた。 ――なんだか、今の自分と似ている、そう思えた。 すると、出会ったばかりのこの筆に不思議と愛着が沸き始める。


「…………」

 何を望もうか、何を描こうか。 ああ、でもとりあえず――。

 雪原のようにまっさらなキャンバス。 私はそこに、遠方へと続く道を描いた。


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