二邂逅
その日。私はまた阿尾と遭遇した。
いや、阿尾と遭遇することなんて同じ学校に通っている限り当然というか……まぁ当たり前に属するものだと思う。なんたって前の席の男の子なわけだし。
だから厳密に言えば放課後。私は阿尾と遭遇した。
それでもまだなんだかおかしいと思われそうな気がするけど、きっとこの状況に限れば違和感は働かずスルーしてくれるだろう。
阿尾はまた人を殺していた。
「こんばんは」
声を掛ければまたすごい勢いで振り向かれた。
「……あ、荻野か。えー、また?」
「また、はこっちのセリフだよ。また、やってんの?」
「また、やってるよ。またまたやらせていただきましたァン!ってやつだね」
「なにそれ」
「知らないならいいんだよ」
知らないならいい、とか言いながら阿尾は残念そうな雰囲気を隠そうともしない。これは、訊いた方がいいのかな?
と、そんな会話をしていたらうっかり阿尾の向こう側にあったそれが目に入った。今回は前回の反省を生かし視界に欠片も入れないようポジションすら気を遣ったというのに。
しかし欠片か。欠片という言い方も私が言ったんだけどなかなか皮肉が聞いているな、と優越に浸ってみた。おや、皮肉という言葉もここではなかなか……。
いや、しょうもない優越など普段は浸ったりしない。誓ってない。じゃあなんで今そんなことを考えていると言われると、当然、視界に入ったそれから意識をそらす為だ。とは言ってもその意識をそらした先に引きずってしまっているあたり、成功とは言い難い。
今回のご遺体はけっこう散々なものだった。きっとこんな死に方なんて想像もしてなかっただろう。否、自分の死ぬ時の、ましてや死んだあとの遺体の様子を想像する人間がそもそもいないか。そんなことに常日頃思いを馳せているような人間はちょっと社会ではやっていけないとも思う。イロイロ危ない。排他されろ。
今回は一回目のように丁寧な解体は行っていなかった。
どうもこうも、ぐちゃぐちゃで原型を想像できない。でもそれは確かに人であったものだということはわかった。
まるで全身ミキサーでもしたかのように事細かに刻まれていた。どれだけ刻んだのか、みじん切りの要領でやったのかなんてわからないが肉なのか筋肉なのか内蔵なのか皮膚なのかも判別つかないくらい何かの塵の山と化している。それが全身に施してあった。元々の色が違った筈のそれらは一緒くたに交ぜられたおかげかすべてが同じ色だ。唯一丁寧に分けられているのは汚い白骨だった。焼いたわけでもなく取り外され、横にどけられた人骨は綺麗にそのままの配置で置かれていた。何よりも、その標本のような置かれ方よりもこびり付いて放置された肉片の方が何よりもリアルだった。
目に付いたのはこっちのほうだ。肉の塵の山の方はさっきから目に入ってきてはいたがただの塵の山にしか見えてなかった。しかしこの生々しい白骨を見たあとなら分かる。その塵の山に過ぎないそれが人型に積まれていると。
どこのスプラッタ映画だとツッコミを入れたい。
それでもスプラッタ映画に出てくるような殺人鬼という名の変態もここまでやるまい。スプラッタな映像は苦手なのでそんなに見たことはなく、ほんとにこんな殺し方をしていないのかはわからないが。
少なくともこの鼻を覆ったところで遮切れない匂いはスプラッタ映画にはないだろう。鉄の錆びたような臭いと、内臓から漏れた酸によってか、酸っぱいような溶けたような臭いも混ざっている。
再びあの夜の感覚が蘇ってくる。引っ繰り返る胃の感覚も感じる間もなく押し寄せるものに意識を持っていかれる。唇を噛み締めなんとか押し留める。
胃の中身の強襲に耐え、それが落ち着くまでの間の決して短くない時間。動かない私に飽きたのか、気付いたら阿尾はまた作業に戻っていた。まだまだ刻み足りないようだ。刻みすぎてもはや液体と変わらないのではとも思うが、刻んで刻んで、元の山に戻して、また刻む。という作業を未だ続けている。
なんとか体の危険信号を落ち着かせた私は、ふと疑問に思ったことを訊くべく口を動かした。
「ねぇ、訊いてみたいんだけど、いい?」
阿尾は作業の手を止めて私を振り返った。
「いいけど、真面目に聞いたほうがいい?」
「真面目に聞かなくてもいいけど、真面目に答えてはほしいかな」
「ふむ」
阿尾は立ち上がって姿勢を正し、どこぞのサラリーマンのように腰を低くして差し上げるように控えめに片手を差し出し私を促した。
「どうぞどうぞ」
「だから真面目に聞かなくてもいいって」
「でも真面目に聞かないと真面目に答えれないよ?」
それもそうか。
「ねぇ、阿尾はなんで人を殺すの?」
「……なんていうか、あっさり聞くね」
あっさり訊いたつもりもないのだけれど。
「ついでに言うと二回目でそれ聞くのもどうかと思う。一回目は余裕がなかったから?」
「今も特に余裕があるとは言い難いけどね」
「一回で慣れようよ」
「それが出来れば楽なんだけど、そうはなりたくはないとも思うよ」
「複雑だね」
「人間だからね」
私の人間だからね、というセリフを繰り返して阿尾は笑った。
私は笑わなかった。
ふっ、と照明を切ったみたいに阿尾が真顔になる。
「愛する方法は知ってるけど愛されるのは知らない。思えばあの時から僕は知ってた。愛されることはないんだって――愛を実感することはないんだって。愛されることを知らない僕が愛することが出来るわけもない。僕は母さんからも父さんからも愛されてない。偽物の愛を費やされてきた僕は偽物の愛し方しか知らない」
舞台上の役者のように阿尾は両手を大きく広げ、掲げる。
「この間、太宰治の人間失格を読んだんだ」
その手を下げ、阿尾は項垂れる。
「愛されていたのかも知れない。繋がっていたのかも知れない。じゃあこの孤独は、この矜持は、求めた虚構は、虚構ではなく。僕自身が虚構にしたがった虚構だ。僕が望んだものはすぐそばにあったんだ。目の前に。
でも、僕は虚構しか見つめてこなかった。僕を愛さなかったのは僕だ。僕を壊したのも僕だ。僕はこれまでの僕を変えることは出来ないし、これからも僕は僕でしか有り得ない。僕は自ら幸せを手放していたんだ」
言っていることが支離滅裂だ。それに阿尾は気付いているだろうか。
「けっきょく、愛されていなかったの?愛されてたの?……あと、その話は私の質問と繋がってるの?」
「そんなのはわからないよ。僕にはわからない。他人の考えていることなんてわかるわけないじゃないか……なんていう意味じゃなくて、……思わない?なんでみんな不安定で不確かな感情なんてものをなんの疑いもなく宣言できるんだろうって。自分が今どんな感情を抱いているかなんてわかるわけ?そりゃ大体のどこらへんの感情なのか、ていうのはわかるだろうけど、でも、それが何を引き金にして発生したものなのか、自分はそのきっかけに対してどうしたいと考えているのか、その範囲はどのくらいのもので、どのくらいの振り幅を持っているのか。理解してるわけ?それを固定しないで放置して、大丈夫なの?
目に見えないものは確かに大切だと思う。形を持っていないってことはどんなものより壊れにくくて、だから大切って、尊いっていうのかもしれないけど、だからこそ同時にどんだけでも変化し得てしまうんじゃないの?そんな曖昧な愛はどれだけの価値があるの?」
阿尾は心底不思議そうに首を傾げる。
私もつられて首を傾げる。
「つまり……どういうこと?」
あれだけ語っていたからこんなふうに訊いたら怒るかと思ったけど、予想を裏切り阿尾は笑いながら答えてくれた。
「例え本人に訊いて、奇跡的に本心を答えてくれたとしても、僕はその根拠のない本心を信じることができないってハナシ」
笑って答えられてもちょっと困る結論だった。
「で、質問に繋がってるの?だったけ?」
私の科白の前半部分しか拾えてもらえてないかと思いきや、ちゃんと拾っていたようだ。
「人を殺す理由か……、それって必要なの?人を殺すのに理由なんて必要かな」
「必要でしょ」
「人を好きになるのに理由なんてないってよく女子が話してるけど」
「それと一緒にしちゃ駄目でしょ」
「それもそうか……な?」
明らかに納得していない。
「たぶん、もしかしたら、僕は間違っているのかもしれない」
「たぶん、もしかしたら?」
「たぶん、もしかしたら」
頷き、噛み締めるように彼は言った。もしかしたら、彼の中でいまだ消化不良なのかも。
私の言った「たぶん、もしかしたら?」という言葉はたぶん、もしかしたらではないよ。という意味だったのだけれど、彼にしてみればそんなことはないのかもしれない。私は私の常識に則ってその発言をしたわけだけれど、所詮常識なんてものは生きてきた中で培ってきた偏見でしかない、と誰かも言っていた。だから、きっと彼も間違っていないのだろう。それを認めてはいけないのだろうけど。
「なんにせよ、たぶん、もしかしたら程度にしか僕は人と溶け合えないってことなんじゃない?」
人ごとのようにいう。しかしこれは阿尾の決定で行われた行為なのだ。理由がなくては私も困る。流石に二回もこの行為を見掛けると、理由なんてないのかも、なんて思ってしまうけど何事にも理由が必要だ。世の中の全ては次のための布石で、その結果も次のための布石なのだ。それを違えることはあってはならないんじゃないだろうか。少なくとも、私の常識の中では。
「そういえば、萩野。吐き気はおさまった?」
言われて、そこまでの吐き気はもう感じていないことに気がついた。恐らく考え事をしていて、そっちに気が紛れたのだろう。その程度で紛れてしまっていいのかなとも思うけど、私にとっては嬉しい傾向だった。
たとえどんな理由があろと嘔吐は決して心地よいものではない。
「じゃあ今のうちに帰ったほうがいいね。長居もいいとは言えない状況だし、帰ろっか」
「え、あ……うん」
そう言って阿尾は帰って私の家とは逆方向に帰っていってしまった。
私もこれ以上こんな吐き気を催す匂いを放つ場所になんか居たくなかったし、だいぶマシになったとはいえ隙あらばまた吐き気は押し寄せてきそうな雰囲気だったから、帰路に着いた。その途中、あの場所からなら阿尾は私と同じ帰路に着いていてもおかしくないことに気が付いた。
「あのやろう。逃げやがったな」




