『現』それは重く逃れられないもの
その日は朝から雨だった。
目を覚ました私はいつものように、寝ぼけまなこで姿見の前に立ち挨拶をする。
「おはよー」
すっかり当たり前になってしまった、私の朝のルーティーン。
しかしこの日は、いくら待っても返事が返って来なかった。
「…ノゾミー?」
何だよこいつ、返事くらいしろよ。
雨の日の自転車通学は大変だ。
学校に着いた頃には、もう既に私はお疲れ気味だった。
おまけに何が不満なのか、結局ノゾミからの返事は一度もないし。いつものように自分の席へ向かう私は、ちょっとイライラしていた。
「あ、ユメミさん、おはようございます^^」
だからだろうか。
「あら?」
その変化に気付かなかったのは。
「ちょっとちょっと、どしたのユメミ?」
A子に名前を呼ばれて振り返ると、教室中から怪訝な目で見られていた。
そこでようやく私は、自分が挨拶をしていない事に気が付いた。
「あ! いや、ごめん! ちょっとボーッとしてた!」
いつもならノゾミが先に返事をしていたから、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
私は慌てて誤魔化すと、皆に挨拶をして回った。
「珍しいじゃん。ユメミがボーッとしてるなんてw」
「いやぁ、あはは…」
返す言葉も思い付かなかったけれど、A子はそれ以上深く突っ込んで来ない。明るくて軽い彼女の性格が、今は正直ありがたかった。
先生が来るまでには、まだ時間がある。私は適当な理由をつけて、いつもの人気のない廊下の端までやって来ると、ポケットから手鏡を取り出した。
そして、朝から一度も返事をしないノゾミに向かって抗議した。
「ちょっとノゾミ! 何を不貞腐れてるのか知らないけど、挨拶はちゃんとしてよ!」
しかしノゾミからの返事はなく、鏡に映るのは不機嫌そうな私の顔だった。
こいつめ、徹底抗戦の構えか。
どういうつもりか知らないけれど、そっちがその気ならこっちにも考えがある。別にノゾミの力を借りずとも、人付き合いくらい出来ると分からせてやろう。
そして…。
「い、いえ~い!」
「どしたのユメミw」
慣れないノゾミの真似をした結果は散々であり、大恥をかいた私はすぐに白旗を上げて、ノゾミの機嫌を取る事にした。
「え~と…、クラスの皆と仲良くなれたのは、一応感謝してるよ」
時には宥めたり。
「今度、スイーツを食べる時、代わって上げてもいいんだけどな〜」
時にはすかしたり。
けれどノゾミからの返事は一度もなく、放課後になる頃にはさすがの私も理解していた。
ノゾミは消えてしまったのだ、という事を。
その後はもう、何をしたのか覚えていない。
何とか家まで帰って来た私は、何をする気にもなれずベッドに突っ伏していた。
「………」
確かにあれは、おかしな出来事だった。
流れ星で願いが叶うなんてありえない。もう一人の人格なんて漫画みたいだ。
でも、どこかで特別だと思っていたし、ずっと続くものだと思っていた。
それが何だよ、一ヶ月って。打ち切り漫画だって、もう少し続くだろう!
ノゾミとの最後の会話だって、『がんばってね、ユメミ』なんて普通の…。普通の…。
……いや何だよ、まるで別れの挨拶みたいじゃないか。
ノゾミは知っていたのだろうか。こうなる事を。
「何だよ。そんなの何か、泣ける…」
ずっとそうしていたい気分だったが、そこで一階からお風呂に入りなさいという母さんの声がして、ついでに私のお腹が鳴った。
そんな場合じゃないと思いはしても、現実問題として腹は減る。
自らの欲求を煩わしく思いながら、私はお風呂に入って夕食も済ませた。
でもそんな事をしている内に、私は段々と日常に沈むのが怖くなった。そのままノゾミの事を忘れてしまいそうで。だってあれは、たった一ヶ月の間の出来事なのだから。
部屋へ戻るといつの間にか雨は止んでいて、窓の外には綺麗な星空が広がっていた。
そう言えば始まりは、流れ星に願った事だった。
だったらもう一回願えば、何かが変わるのだろうか?
そう思ったら居ても立っても居られなくなり、私は窓を開け放ってベランダへ椅子を引っ張り出し、万全の体勢で流れ星を待った。
「………」
そして三十分ほど経ったところで後悔し始めた。
こんな事をしたって、流れ星なんてそうそう見られるものじゃない。我ながら馬鹿じゃないのか。それに見つけたとして、今度は何を願うのか。
私は同じ事を繰り返したい訳じゃない。“あのノゾミ”と、もう一度話がしないだけなのだ。
とは言え、私とノゾミの接点なんて流れ星くらいしかない。
それにもしかしたら次の瞬間には流れ星が現れるかもしれないし、もしかしたら願えばノゾミに会えるかもしれない。
そう思うと止めるに止めれず、私はモヤモヤとした気分のまま流れ星を探し続ける。
そしてそのまま…、熟睡してしまったのである。
翌日は熱を出して、学校を休む事になった。
ベランダで熟睡しているところを母さんに見つかり、しこたま怒られてからベッドに押し込まれた。
昨日から全く気の晴れないままなので、有り難いと思う反面、寝てばかりいると余計な考えが頭をよぎる。
もしかしてノゾミが消えるような、何かがあったのだろうか、とか。私が気付かなかっただけで。
だってここには、あまりにもノゾミの痕跡が無さすぎる。そもそも彼女の姿や声ですら、私からの借り物だったのだから。
そんな事を考えていたからだろうか。
ぼんやりとしたまどろみの中で、私はノゾミの夢を見た。
あるいはそれは私の中に残っていた、彼女の思いの欠片かもしれないし、単なる私の妄想だったのかもしれない。
その中でノゾミは、私を羨ましがっていた。より正確に言えば、自分の人生を生きる事を。彼女は不思議な存在などではなく、私と変わらないメンタルの持ち主だったという、そんな夢。
とまあそんな感じで、これは私の願いが叶ったという話である。
明るくて人気者の私になりたいというのは、言ってしまえば友達が欲しいという意味なのだから。
あんな夢を見たからか、私はノゾミの真似をするのが苦ではなくなった。お陰でクラスの皆とはその後も友人関係を続け、特にA子とB美とは高校を卒業してからも頻繁に顔を合わせる、親友と言ってもいい間柄になった。けれど…。
それでも私は…今でも時々、彼女の夢を見る。




