癒しと罪悪感と
その日、癒し屋「カズマ」の戸が、ゆっくりと重たげに開いた。
「いらっしゃいませ~」
元気に声をかけたロナが、すぐにぴたりと口を閉じる。
入ってきた男は、くたびれたマントを羽織り、肩からは使い込まれた剣の鞘が垂れていた。だが、その剣は――折れていた。
「……薬を、もらえるか」
低くしわがれた声。まるで自分の存在を誰にも知らせたくないかのように。
和真が静かに立ち上がり、微笑む。
「もちろん。お身体の具合、悪いですか?」
「……いや、身体はどうでもいい。頭がうるさいんだ。……戦えなくなった俺に、生きる意味なんて、あるのかとな……」
男の瞳は深い闇を宿していた。生きていることを責めるような、自分を呪うような光。
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奥のスペースに案内された男は、名を「ガレオ」と名乗った。元冒険者で、三十を超えたあたりらしい。
かつて、幾多の魔獣と戦い、仲間を守ってきた。だが、ある戦いで仲間を一人、守れなかった。
「剣が折れて、足をやられた。そいつは俺をかばって死んだ。俺は、それ以来……剣を握れなくなった」
彼は「心の病」を抱えていた。
「誰も責めていない」と言われても、己の中の声が止まらない。「お前は無力だった」と、繰り返す。
和真は、そっと机の上に、小さな茶器を置いた。
「これ、静心茶って言います。心のざわめきを和らげる薬草を、いくつかブレンドしてるんです。味はちょっと渋いけど……」
「……ありがたいが、癒されたところで、俺には……」
ガレオの声に、和真は言葉をかぶせた。
「癒されることって、終わりじゃないんです。むしろ、そこからが、始まりかもしれませんよ」
「始まり……?」
「戦えなくなったら終わりって、よく思ってました。僕も昔、会社で無理して、全部壊れて……。でも転生して、今は誰かを癒せる自分を選んだんです」
ガレオの眉がわずかに動いた。
「人は、今までの自分と違う生き方をしてもいいんです。戦えなきゃ、守れないってわけじゃない。言葉も、手も、歌だって、誰かを支えることができる」
ふと、奥からロナの竪琴の音が流れてきた。静かで、優しい音色。
ガレオは静心茶を一口啜り――目を細めた。
「……この茶、悪くないな」
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それから数日、ガレオは毎日ふらりと店を訪れた。
静かに茶を飲み、竪琴の音に耳を傾け、子どもたちの笑い声に目を細める。
ある日、ヨルが話しかけた。
「ねえ、剣、直さないの?」
唐突な問いに、ガレオは少し驚いた顔をした。
「……怖いんだ。また誰かを……失うのが」
「でも、僕、和真さんに拾われて、毎日が変わった。怖いものがあっても、誰かといるって……安心する」
ガレオは黙っていたが、その目に、確かな何かが宿っていた。
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週末、ミーナが提案した。
「この村の子たちに、剣の素振りを教えてあげられませんか? ガレオさんの経験があれば、きっと喜ぶと思います」
「……教える?」
「はい。守るための剣って、知ってる人が伝えるのが一番ですから」
ガレオは少しだけ、笑った。
その夜、焚き火のそばで和真と話す。
「……あんたの言う通りだった。癒されたからこそ、次が始まる。戦うだけじゃない生き方……悪くない」
「うん。ガレオさんが、剣を教える人として生きていくのも、素敵ですよ」
「礼を言う……和真。癒しってのは、こういうことだったんだな」
焚き火の音に混じって、風がそっと吹き抜ける。
その背中には、もう「罪」だけではなく、「希望」も背負っているように見えた。
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ガレオは今、村の子どもたちに木剣の握り方を教えている。
穏やかな笑顔で、時折怒鳴って、時折笑って。
癒し屋カズマは、また一人の心を、次の一歩へと導いた。
そして――
次なる試練は、村の外から静かに近づいていた。