アンナとヴァルガと
宿舎に割り当てられた後は、エリック隊の隊員たちと積極的に交流を図った。
カステリスでは俺が作った飯を食べていた連中だ。名前までしっかり覚えているのは少数だが、顔は全員見知っている。
働く余裕があるから、「希望者には昼飯を作るぞ」と声をかけてみる。そうしたら予想以上の数の兵士たちが喜び勇んで名乗りを上げた。
それならと若干の集金をして、案内をしてくれた騎士が説明していた保管庫――支給品の他に日用品や食材まで取り扱う、実質的な酒保――で必要な食材を調達する。
ついでに部屋着や寝巻きなどの日用品や衣類もまとめて注文した。衣類についてはすぐに調達することはできないということで、明日の引き渡しになるという。代わりに引き換え用の割符を受け取った。
戦時の混乱した状況のなか、翌日には用意できるというのは、かなり破格の対応だろう。
エリックの名前が効いたな。貴族となれば特別だ。
調理は宿舎内の厨房で行った。
アリオン家に割り当てられた宿舎は当然のように設備が充実していて、貴族向けの宿舎ということがはっきりとわかる。
厨房の設備や備品も完璧で、何をするにも申し分ない。
隊の結束や士気のためなら、この程度の勝手な裁量も許されるはずだ。
食事の準備が整い、宿舎で囲まれた広間で兵士たちに炊き出しを振る舞っている最中、モラント家の騎士から通達があった。
エリック、セシリア、それにカイルは今夜領主館に宿泊するようだ。
予定を繰り上げて重要な会議を行う必要が出たらしい。さらに明日はそのままフェルデン近郊に駐屯する中央貴族との会談を行うと言う。
ガイウスを中心にヴェリウス軍を再編成するという話だが、言うほど簡単じゃないだろうな。
特に資金や物資についてはモラント家の持ち出しが相当に多いようで、仲間であろうとも複雑な交渉が行われるに違いない。
そんな報告を受けつつ炊き出しが終わる。
広場での片付けを終え、厨房で洗い物などをしていると。
「つ……疲れた。なんで私がこんな目に……」
アンナが疲労困憊の顔でテーブルにぐったりとうなだれている。
俺一人で準備や片付けをするのは厳しいのでアンナに手伝いを頼んだのだが、最初は「リーナと二人きりだね♪」などと楽しそうに作業していたものの、後半になると完全に疲れ果て、死んだような目で働いていた。
その疲れ切った背中を見て、さすがに労ってやらないとな、と苦笑いしつつアンナの元へと歩いていく。
「片付けが終わったよ。アンナのおかげで本当に助かった。感謝してる」
アンナに、労いの言葉をかける。
「……それだけじゃ足りない。何かご褒美がないと、私、拗ねちゃうよ?」
アンナが恨めしげな視線を向けてくる。
ここまで頑張ってくれたんだ。何か報いてやれるものがあるなら与えたいが……さて、アンナが欲しがるようなものとは?
「金はないし、渡せるのはこの身体くらいしかないかな」
「その言葉が聞きたかった! 約束、ちゃんと覚えてくれてたんだね!」
さっきまでの疲労感はどこへやら。
アンナは勢いよく身体を起こすと、満面の……いや、満面を超えて明らかに下心が透けて見える笑みを浮かべて俺をじっと見つめる。
「そりゃ覚えてるさ。性的な欲求や好奇心は当然あるけど、それ以上に大切なことがある。あの時の約束は、お互いが死を覚悟した上での約束だった……それを忘れるなんてありえない」
戦友との約束。
それは、何よりも神聖で、絶対に軽んじてはいけないと思っている。
たとえそれが性行為をねだるようなことでもだ。
「うーん……そこまで真剣な顔をされると、ちょっと困っちゃうんだけどな」
「そうは言うけど、アンナは根が真面目だろう? ふざけているのも本心なのは分かるけど、その奥には表に出さない真面目なアンナがいるんじゃないのか?」
「まあ、確かに? そういうところ、あるかもね」
「俺たちは短い付き合いでしかないが、濃密な時間を過ごしたよな」
戦いの中であっても、アンナとは自然体で接してきた。
だが、こうして自分の心を見つめてみれば、口に出していなかった言葉がいくつもあることに気づく。
「好きだよアンナ。アンナと出会えて良かったと、心から思ってる」
ならそれをちゃんと声に出そう。それがアンナに対しての、最大限の礼儀のはずだ。
「はは……今の言葉って、男の心で言ってる? めちゃくちゃ恥ずかしいこと言うじゃん……」
「男の心? ……そうかもしれない。でも言葉に出せる想いなら、できるだけ伝えたいと思ってるんだ。人間、いつ死ぬか分からないからな。こんな俺は嫌か?」
「……好き。大好き。ああもう、ガチで惚れたよ。きっとリーナが男だったとしても、こんなこと言われたら惚れちゃうよ! だから……責任とって?」
男でも惚れる、か……。
悪くない。男として自信がつく。
責任と言われても、立場的に難しいこともあるけど……。
「分かった。そういうことなら、お前をもらうぞ、アンナ」
「えっ!? は、はい……!」
椅子に座るアンナの顎に手を伸ばし、ゆっくりと持ち上げる。
そのままキスをしようとして――ふと、大事なことを思い出した。
「すまん、アンナ。先約があった。それを先に済ませないと駄目だ」
「はっ? え、ちょっと待って! 先約って何さ! ここまで盛り上げておいて止めるの!? ひどくない!」
完全にムードが崩れ去り、俺たちはいつもの調子に戻ってしまった。
苦笑しながら、アンナの顎から手をそっと離し、その理由を話す。
「ヴァルガを知ってるだろう? あの傭兵だ」
「ミリーの手当てをしてくれた人だよね。……え、まさかそんな約束したの?」
「約束というより、契約みたいなものだな。体を捧げるから、これからも味方でいてくださいってな。あいつはあの戦いの後でも平然と動いていた化け物だけど、重騎兵に突っ込んでいった瞬間は死を覚悟したはずだ」
朧気に覚えているヴィクターとヴァルガの会話。
二人とも、あの瞬間は明らかに死を意識した重い空気が漂っていた。
「あいつは契約を果たした。次は俺の番だ」
「……そういうことなら仕方ないけどさ。リーナって意外と重い女だよね。不快とかじゃないよ。理由を考えればむしろ尊敬しちゃうくらい。でもさ、契約とはいえ男女の仲になるわけで、あの傭兵さんとは結構仲がいいんでしょ? なのに少しも恋してる感じがしないよね」
恋……か。
言われてみれば、俺がこの世界に来てから恋愛感情を抱くことはなかった。
体を許しても構わないと思った相手はいたが、それらは全て責務や信頼、約束、あるいは契約に基づくものだ。
アンナとの関係は、その中では比較的恋に近いけど、それでも約束を果たすというのが一番の理由だ。
……いや待て。セシリアに対しては恋に似たような感情だったはずだ。
だとしても責務や庇護欲、そして俺という人間を知ってほしいという欲求を取り除けば……単なる性欲が一番近いだろうな。
自分でも情けなくなるが、それが今の自分の現実だ。
こんな体になっても心はおっさんのままだから、若者のような純粋な恋なんてできないんだろう。
「ヴァルガのことは信頼してる。あいつに身体を許すことに抵抗はないさ。でも……確かに恋とは違う」
「えぇー? せっかく女の子に生まれて恋を知らないなんて勿体ない! 私のリーナに対する想いを少しは分けてあげたいくらいだよ!」
「できるなら分けて貰いたいけど、そんなことは無理だからな。まあいい。とにかく俺はヴァルガのところに行ってくる」
「ヴァルガさんの居場所、分かってるの?」
「一際小さい宿舎に入っていったよ。孤高の傭兵にはぴったりだ。アンナはエリザベス騎士団の宿舎に戻ってくれ」
そう伝えると、アンナは一瞬ふくれっ面をしたが、すぐに何かを思いついたように表情を明るくした。
「私も一緒に行く! ミリーのこともあるし、直接お礼を言いたいって思ってたんだよね。リーナからちゃんと紹介してよ」
「それは構わないけど、その場で俺とヴァルガがヤる流れになったら、アンナは出て行くことになるぞ。それでもいいのか?」
「別にそれでもいいよ! リーナが言ったことじゃん。言葉に出せる気持ちならちゃんと出したほうが良いって。感謝の気持ちは、ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらないでしょ!」
言っていることは分かるが、どうもアンナの表情に妙な含みがある気がするんだよな……。
まあ、悪意は感じないし、別にいいか……。
「分かったよ。じゃあ一緒に行くか。ついてきてくれ」
「りょーかーい! ちゃんと挨拶しなきゃね!」
勢いよく立ち上がったアンナを伴い、俺たちはヴァルガのいる宿舎へと向かった。
さて、どうなるかな?
「ヴァルガ! いるか?」
ヴァルガに割り当てられた宿舎の前に着き、軽くドアをノックする。
中に人の気配がある。足音がこちらに近づいてくるのが分かる。
ほどなくして、扉が静かに開いた。
「……リーナか。何か用か?」
「ここじゃ話しづらい内容だ。中に入れてもらいたい」
「かまわんが……後ろの女は?」
ヴァルガの鋭い視線が俺の背後にいるアンナへと注がれる。
「ミリー……魔法使いの少女を治療しただろう? 彼女の仲間だ。お礼がしたいってことで連れてきた」
「アンナです! ミリーは重傷を負いましたが、ヴァルガさんのおかげで一命を取りとめました。そのお礼を直接申し上げたくて、参りました」
アンナの口調はいつになく真剣だった。
普段は軽口ばかりだが、こういう時は礼儀正しく振る舞えることからも根が真面目だと分かる。
「……仕事だ。感謝は不要だが、その気持ちは受け取ろう。リーナは中へ」
「ああ。それでアンナは……」
「私も一緒に行く! いいでしょ!」
アンナは間髪入れずに割り込んできた。
ヴァルガの視線がやや鋭くなり、不思議そうにアンナを見つめる。アンナも負けじとヴァルガの目を見つめている。
「……いいだろう。入れ」
少し間を置いた後、ヴァルガが短く許可を出す。
アンナを入れる筋合いはないはずだが……先ほどの見つめ合いで何かを感じたのか?
……考えても分かりはしないか。気にせずヴァルガの後を追う。
ヴァルガの宿舎の内部はリビングと、その奥に寝室があるシンプルな構造の家屋だった。
一人用にしては十分すぎるほどの家具が備えられている。調度品の質も高い。
小さいながらも居心地はかなり良さそうだ。
「なかなか良い部屋だろう。俺はヴィクターにとって兄弟子のような存在だからな。それに、最後まで戦い抜いたことで、ヴィクターが推薦状を出したらしい」
こちらが疑問を口にする前に、ヴァルガはあっさりと理由を明かした。
以前にも言っていた感というやつか? もはや読心の域だな。
「最後まで……それは俺との約束も関係しているのか?」
戦いの話が出たおかげで、自然と話題を切り出すことができた。
結局のところ、俺が知りたいのはその部分なのだ。
「あの場で逃げ出すようでは傭兵としての信用は地に落ちる。それに叔父貴の弟子であるヴィクターを見捨てる気にもなれなかった」
ヴァルガはそれだけ言うと、静かに俺の顔を見つめた。
そして少し間を置いてから、ゆっくりと口を開く。
「だが……お前との約束も、当然頭にあったさ。守りたいと思い、それを実行したまでだ」
真剣な表情でそう告げられ、胸の奥が熱くなる。
ああ、そうか。ヴァルガもあの時こんな気持ちだったのか。
俺の素直な告白に対して、恥ずかしいことを言う奴とか言っていたけど、こうして自分が言われる立場になると確かに来るものがあるな。
「ありがとう、ヴァルガ。なら、その約束を果たす時が来た。好きな時に呼べよ。……今日でも構わないぞ。エリック様たちは明日まで館に泊まり込みらしくてな。宿舎には俺しかいないから都合がいい」
「ほう、そうなのか? なら今夜にでもするか……しかし、だとすると、そこの女は一体何のためについてきたんだ?」
あっ、アンナのことを完全に忘れていた。
慌ててアンナを振り返ると、彼女は俺とヴァルガを交互に見比べながら、何か納得したように頷いていた。
「なんだか随分深い関係っぽいね。……じゃあ仕方ない。ヴァルガさん! リーナの初めては譲ってあげるよ!」
「ああ? なんだそりゃ。おいリーナ、どういうことだ?」
こうなったら、恥じらいは不要だ。
開き直り、アンナとの約束をヴァルガに包み隠さず説明した。
俺が話す間、アンナは腕組みをして、うんうんと頷いている。なんでそんな得意げなんだ?
「そういう趣味の女がいるとは聞いていたが、その手の女だとはな……だが、いい仲間を持ったな」
「ああ、大切な仲間だ。もちろんヴァルガもだよ」
「ふん、そうか……では、また夜に」
穏やかな気持ちになり、このまま良い雰囲気で終わるかと思ったのだが。
「ちょっと待った! 初めては譲るとは言ったけどさ、初めてを失うリーナを見る権利は私にあると思わない?」
「……はっ?」
「おいおい、何を言い出すんだ?」
突然のアンナの突拍子もない主張に、俺もヴァルガも思わず固まってしまう。
その隙をつくようにアンナは勢いよく言葉を続ける。
「だから! どうせリーナを抱くなら今夜一気に済ませちゃえばいいでしょ! 私にはそんな場所ないし、この部屋を使えるなら都合が良いじゃん!」
「おい! 俺とヴァルガがヤっているところを見たいって言うのか!?」
「見たいに決まってるでしょ! だって絶対、私の知らないリーナが見られるはず。見逃したら損だよ!」
「いやいや、流石にそれは……ヴァルガも嫌だろ? ……ヴァルガ?」
ヴァルガのを見れば、その顔には既に笑みが浮かんでいた。
そして、声を上げて高らかに笑い始めた。
「あっはっはっは! そう来るか! 妙な女だとは思っていたが、まさかこれほどとはな!」
「失礼ですね! 多少の自覚はありますけど、好きな女の子が処女を失う瞬間ですよ! それを見逃すなんて絶対に嫌です!」
うっ……処女を失うとか直球で言われると、急に恥ずかしくなってくるじゃないか。
自分自身で色々と遊んでいるから、物理的な意味で処女かどうかは微妙だが、定義上は処女だろう。
確かに人生で一回しか訪れないイベントではあるけど、見世物にされるだなんてそれは流石に……。
「くくく……まあいいさ。だが裸同士の付き合いだ。一人だけ服を着たままなんて許さねぇぞ。その覚悟はできてるんだろうな?」
「別に私を抱くわけじゃないでしょ? なら問題なし! というか私もリーナとヤるわけだしね。何よりリーナの処女喪失をこの目に焼き付ける方がずっと大切だよ!」
アンナとヴァルガはすっかり盛り上がり始めている。
俺は完全に置いてけぼりだ。
何なんだ、この状況……わけが分からないよ!
「アンナ……お前がそこまでの変態だとは知らなかった。まさかこんなことを言い出すなんて……」
「リーナが言ったんでしょ? 言葉に出せる気持ちは言葉に出すってさ。私もそれに従ってるだけだよ!」
こいつ! 俺の純粋な気持ちを……。
確かに性的な告白で使った部分もあるけど、ここまで堂々と開き直るとは!
「リーナ、お前の負けだ。恋する女は思った以上に手強かったようだな。今後の参考にしておけ」
ヴァルガが実に楽しそうに忠告してきた。
参考って……これの何を参考にするって言うんだ!
「ふふふ、今夜は三人で楽しもうね! 生きてるって、ホント素晴らしいな!」
上機嫌で笑うアンナと、再び笑い出すヴァルガ。
ついさっきまで漂っていた穏やかな雰囲気は完全に消え去り、部屋は妙に愉快な空気で満たされていた。
……ああもう、こうなったらヤケだ!
男は度胸! 女も度胸だ!
こうなったらヤってやろうじゃないか!




