領都フェルデン
宿場町を出発してから翌朝。
ようやくモラント子爵領の領都、フェルデンの近くまでたどり着いた。
カステリスの重々しい城壁と違い、フェルデンにはそういった威圧感はない。遠目からでも、街と周囲の畑や街道が境目なく溶け合い、ひと続きの景色を形づくっているのが分かる。
広大な畑に朝露がきらめき、すれ違う農夫たちの軽い声が風に流れていく。
城塞都市の息苦しいまでの閉塞感とは無縁の、開けた空気を感じることができた。
「少し乱雑な感じはありますが良い街ですね。できるなら平時に観光で来たかったです」
馬上から見下ろすセシリアの横顔は穏やかだった。
「フェルデンでも寄子の会合が開かれることがあって、私も何度か来たことがあるわ。カステリスよりも中央から運ばれてくる商品も多く並んでいるから、買い物をするには良い街よ」
今だに馬に乗れない俺はセシリアとの相乗りでここまできた。俺とセシリアはセットで行動するのが良いだろうというメージ戦略だ。
森での戦いで俺とセシリアは二人でワンセットというイメージがあるらしい。
当事者であるから分からないけど、外から見た光景として、俺たち二人には神秘的な雰囲気があるのだとか。
「ヴィクターから聞いたが、奴は剣の道を歩むと決めているから家を継ぐ気はないらしい。だから三男であるローワン殿が現在のモラント家の当主となる。しかし実質的にモラント家を仕切っているのはフランチェスカ嬢のようだ」
隣を走るエリックの声が、朝のひんやりした空気の中でよく響く。
フランとはレイウォル丘陵へ向かう前にカステリスで別れて以来それっきりだ。
モラント領に戻るとは聞いていた。そうなれば戻るのは当然実家だろう。
「フラン……チェスカ様が仕切るだなんて認められるんですか? ヴィクター様が家を継がないなら序列としては正しいとは思いますが、それでも普通は重臣が差配するものだと思っていました」
「通常の貴族家ならそうだが、フランチェスカ嬢はあの言動とは裏腹に万能の才を持つ実務家だ。俺たちが会った時は剣の修行に励んでいたようだが、その前はギルバード殿の補佐として実家で働いていたと聞く」
なんと! フランってできる女だったのか……。
というか逆だな。できる女だからこそモラント子爵もフランを自由にさせていたんだ。
でないと貴族の慣例を逸脱するようなことをしでかす娘に、好き勝手を許すなんてしないだろう。
「それなら俺たちの受け入れ態勢も万全と考えても良さそうですね。……あ、ちょうど言ってるそばからカイルさんが戻ってきましたよ」
カイルが馬に乗ってこちらへ向かってくる。
その隣には、モラント家の紋章を胸につけた騎士が一人、同じく馬上で胸を張っている
モラント家の騎士が視線を動かし、エリック隊を一瞥したのが分かった。そして大きな声で宣言する。
「モラント家次女、フランチェスカ様の命により申し伝える! カステリスの陥落は慙愧に堪えぬ思いなれど、難儀な撤退戦の成功は悲運の中にありながらも真に喜ばしきものなり! ヴェリウス辺境伯家嫡男ガイウス様および旗下寄子の皆さま方を当家は歓迎する! フランチェスカ様より皆さまの先導を任されているこの私、ブレナムの後について来られたし!」
馬の頭をくいと返して、ゆっくりと進み始めるブレナム。その後ろ姿にカイルが大きく手を振り、ついてこいと目配せしてくる。
すっかり場の空気が引き締まった。エリックが背筋を伸ばし、低い声で号令を掛ける。
「良し。皆! 行くぞ!」
エリックを先頭に、セシリアが二番手として馬を進める。
セシリアに掴まりながらも、馬上にあって風を感じながらフェルデンの街並みを見つめる。
撤退はこれで終わり、これから新しい何かが始まる……違う、始まらなければならないんだ。
朝の光の中、赤や白の屋根、木組みの家々が市街地の奥まで規則正しく、けれどどこかのんびりと連なっている。
道幅は広く、石畳を行き交う商人や農夫、元気な子どもたちの声が混ざり合い、街じゅうに活気を広げている。その顔には戦時特有の陰りは見当たらない。
市場では色とりどりの果物や穀物が山積みにされ、焼きたてのパンや肉を焼く匂いが風に乗って流れてくる。
……やっぱり、カステリスとは全然違う。包囲されていたあの重苦しい都市とは、まるで別世界だ。
モラント子爵領は交易の中継地として栄えている領地らしい。
そうなれば商業を制限することは難しいだろう。だから戦時における制限は最小限で、それがこの賑やかな雰囲気ということだな。
街の中央を通る、ひときわ広い石畳の通りを進むと、その先に館と呼ぶにふさわしい大きな建物が見えてきた。
「あれがフェルデンの領主館。モラント家の中枢だな。久々に来たが、やはり大きな変わりはないようだ」
高い塀に囲まれているわけでもなく、堂々とした門構えと、よく手入れされた庭が迎えてくれる。
威圧感はない。でも、確かな格式と余裕を感じさせるたたずまいだ。
エリックが言うように、大きな改築があった気配はない。
と言うよりも、すでにこの館は完成されている。これ以上何かを追加する必要性はぱっと見では感じられない。
だが疑問点もある。
「綺麗な屋敷だと思いますが、城ではないんですね。壁は低いし、堀もない」
「モラント領は内戦時、ヴェリウス家だけでなく周囲の領地にも物資を供給する交易拠点だった。北方のマルシュライン伯爵家にとっても有益な後方拠点だったから、戦火に巻き込まれず発展できた数少ない領地だ」
ヴァリエンタ帝国内乱……貴族家同士の小競り合い、宗教紛争、派閥争い。
積もり積もったうっぷんが爆発したような戦いが多かったと聞く。
そんな中でも、利害が一致すれば安全地帯が生まれる。
その好例がこのモラント領であるというわけだ。
「男爵位を持つお兄様は当然領主館よね? 私もそちらに行くのかしら?」
「そうなる。爵位持ちとその親類は領主館で今後の話し合いだ。ほかはモラント家の用意した宿舎で待機。軍の再編成のため、後で郊外の兵営も借り受ける予定だ」
「それなら従者である俺はどうなりますか? カイルさんはもう先に屋敷に入って行ったみたいですが」
「代表者につく従者は一人で十分。あそこを見ろ。カイルだけじゃないく、ラヴェル卿やクラリッサ殿もいるだろう? 先触れとしてまずは挨拶。その後で俺たちの入場だ」
ラヴェル卿はヴェリウス辺境伯家軽騎兵隊の指揮官だけど、指揮するべき軽騎兵は壊滅している。だからガイウスの副官を今は勤めているということか。
そしてエリザベスはヴェリウス家の親類で、クラリッサが彼女の従者となる。
アリオン家からはエリック、セシリアが。そしてカイルが従者枠というわけだ。
「それなら俺は必要ないですね。となると宿舎に向かえば良いですか?」
「ああ。カイルたちが戻ってくれば、その時にモラント家から兵たちを先導する騎士が派遣されるだろう。その騎士について行けばいい」
エリックにそう言われ、しばし待つ。
しばらくして、先触れとして向かったカイルが馬に乗って戻ってきた。彼の後ろには、モラント家の紋章をつけた騎士たち数名がこちら歩いてくる。
蹄鉄の音が石畳に小気味よく響き、周囲の空気が引き締まるのを感じる。
「エリック様! セシリア様! 受け入れ準備が整いました! 乗馬のままで敷地内に入ってください!」
「分かった! 今行く!」
カイルの呼びかけに、エリックがはっきりと応じる。
そして騎士が堂々とした声でエリック隊の兵たちに呼びかける。
「兵たちはこちらだ! 宿舎に案内するのでついてきてくれ!」
その言葉に従い、エリック隊の面々がぞろぞろと動き出す。
あまり統制が取れた動きじゃないが、それは仕方ない。
エリック隊はまだまだ寄せ集めの域を出ない。それを修正するためにも軍の再編が必要だ。
「では彼らについていけばいいですね? 会議が終わってからの再会となりますか?」
「宿場町と違い、家ごとに宿舎は与えられるはずだ。リーナは宿舎で待機していてくれ。余裕があるならエリック隊の者との交流も許可する」
「分かりました。では馬を降りますね。ここまでありがとうございました、セシリア様」
「良いのよ。宿舎で待っていてね」
セシリアが柔らかく微笑み、エリックも黙って頷いた。
馬から降りると、ふわりと朝の空気が衣服の隙間を抜けていく。
俺が下りたことを確認し、エリックとセシリアが馬を進ませる。
背筋を伸ばして屋敷に向かう二人からは責任を背負う貴族の覚悟が見て取れた。
それはエリックだけでなくセシリアも同様だ。ついに守られるだけでなく戦う立場へと役割が変わったんだ……そうなるのも当然かもしれない。
「リーナ! あっちだって! 早く行こう!」
なんとも言えない感傷を覚えていた時に、背後から元気な声が聞こえてきた。
アンナだ。本来ならエリザベス騎士団の隊列に戻ってもいいはずの彼女が、今はエリック隊と行動を共にしていた。
宿場町からフェルデンへ向かうの道中で聞いた話だと、戦場で一緒に戦ったことを理由にエリザベスから許可をもらったらしい。
森の中の戦闘では実質エリック隊だったからな。それもありということだろう。
「分かったよ。あっちだな」
朝の陽射しが優しく街並みを照らしている。
遠くからは鐘の音が微かに響き、一区切りついた安堵感が胸に広がった。
アンナと並んで雑談をしながら歩く。
石畳を踏みしめる音、周囲のざわめき、人々の会話が耳に入ってくる。
短い期間だったけどあまりに濃い戦争体験によって、こんな当たり前ですら懐かしさを感じる。
宿舎は領主館からそれほど離れてはいなかった。
案内をした騎士が、寄子や家単位で名前を呼び、宿舎の割り振りをしている。
「俺はアリオン家としてまとめられているけど、アンナはどういう振り分けになるんだ?」
「殿としてエリック隊に配属された子たちがいるじゃない? 嫌な言い方だけど、エリザベス様との間に溝ができちゃってるんだよね。私みたいに気にしない子もいるけどさ。だからエリック隊のエリザベス騎士団員ってな感じでまとめられているはずだよ」
エリザベスは無理に団員を引き留めるより、彼女たちといったんは距離をとることにしたのか。
たしかに、下手に固執するよりよっぽど後腐れがない。
周囲を見渡しながら、名前を呼ばれた人たちの様子を観察する。
そこにはヴァルガの姿もあった。あいつはモラント家の傭兵だが、俺たちと同じ扱いになったようだ。
ヴァルガがどこに向かうか視線で追う。名簿を持った騎士から説明を受けて、小さな鍵を受け取った。
そして宿舎の中では一際小さい家の扉を開けて入っていく後ろ姿が見えた。
小さいとは言っても一人で過ごすなら十分だろう。
……まあ、あいつらしいな。エリック隊ではヴィクター班とは馴染みがあったが、その班もあの撤退戦でほぼ壊滅。
生き残った仲間も重症が多く動けないとくれば、傭兵であるあいつに一人用の宿舎が与えられるのも当然か。
そんなことをぼんやり考えていると、「アリオン家のリーナはいるか!」と、はっきり名前が呼ばれた。
名簿にきちんと俺の名前も書かれていたらしい。
「じゃあまた後で」
「うん。後で会おうね!」
アンナに手を振り、少しだけ別れを惜しみながら、騎士の元へ。
そして鍵を受け取り指定された宿舎へと向かう。
エリック隊の連中とはすっかり顔なじみになっていて、すれ違うたびに自然と挨拶を交わす。
みんな、あれだけ辛い戦いをくぐり抜けてきたのに、不思議とその顔に暗さはない。
ここまでたどり着いたという希望があるのは分かるけど……それだけじゃない気がした。
この笑顔は、いったい何に支えられているんだろうか?




