戦いの後に
……生きている。それが、目覚めた瞬間の最初の感想だった。
ぼんやりと天井を見上げる。体の奥に重たい鉛のような疲労が沈んでいる。
夜は、行軍の末にどうにかモラント領の宿場町へ辿り着いた。
割り当てられた宿の扉をくぐったときの安堵感があった。
部屋に入り服を脱ぎ捨て、すぐさまベッドへ、そして泥のように眠ってしまったことしか覚えていない。
体は疲れ切っていて、心はさらに疲弊していた。それは単なる戦闘の疲れだけじゃない。
……あまりにも身近な人間の死に触れ過ぎたからだ。
脳裏に浮かぶのは、仲良くしていたエリック隊の兵士たちや、一緒に戦ったエリザベス騎士団のヘレナやリアのこと。
守れなかった……そう考えるのは、思い上がりすぎだろうか?
自分のことを守るので精いっぱいで、結局はセシリアの力がなければ、今こうして目覚めることすら叶わなかったのだ。
そして、最後に自分の命を犠牲にしてまでも使命を託して逝った騎士たち……アルフレッドさん達の顔が浮かぶ。
「止めよう。俺は守る側じゃなくて、守られる側だったんだ。それなのに守るだなんて……おこがましいにもほどがある」
苦い空気を吐き出して、気を取り直して支度にかかる。
着替えるのは、もう何度も袖を通したメイド服。
袖を通すたび、布の擦り切れた感触が指先に伝わる。
度重なる戦闘で、あちこちがすっかりくたびれ、薄汚れてしまっている。
あれだけ激しい戦闘を、こんな仕事着でこなしていたなんて。ふと思うと、どこかおかしな気分だ。
でも、それも俺がこの世界に馴染んできた証拠なのかもしれない。
フィクションじゃ戦闘メイドなんて珍しくもないけど、この世界でそんな奴はいない。
剣と魔法の世界と言えど、現実は俺のいた世界と同じなのだ。だからこそ覚えるこの違和感は、むしろ正しい感覚なんだろう。
「洗濯……程度じゃもう無理だな。新しい服を調達しなきゃいけないけど、それもまた今度か」
ここは一時滞在の宿場町。
目指すのはモラント領の領都フェルデン。まずは、そこで撤退中のヴェリウス勢の軍備を再編成する必要がある。
一緒の部屋で眠っているセシリアを起こそうと、そっと顔を覗き込む。
乱れた髪が頬にかかり、静かな寝息が聞こえてくる。掛け布団から漏れる微かな温もりが、朝の冷たい空気の中にほのかに漂っていた。
あまりに深く眠っているので、声をかけるのが申し訳なくなってしまう。
だけど、今はそんな悠長なことを言っていられない。
「セシリア様、朝ですよ」
「ん、うん? リーナ? えっと、ここは?」
セシリアの肩をそっと揺すれば、その熟睡とは裏腹に、ぱちりと目を開けた。
しかし記憶の混乱があるのか、この宿のことを覚えていないらしい。
寝起きのせいか、まだぼんやりとした瞳で俺を見つめてくる。
「ここはアリオン家とファルディン家の騎士たちに割り当てられた宿です。撤退して着いた宿場町ですよ」
エリック隊の隊長は当然エリックで、その補佐をするための副官はカイルだ。
よって副隊長となる人物も当然いる。
それがファルディン家の騎士であるウィンダミアだ。カステリスでは何度か話すこともあり、その人となりは知っている。
実直で誠実な人で、信頼できる。だからこそエリック隊の副隊長なんだろう。
この宿はエリック隊の中枢ということで、ウィンダミアらファルディン家の騎士たちは緊急時のために寝ずの番をしていた。
「……そうね。思い出したわ」
そう言って体を起こすセシリア。
寝ぼけ眼のまま、無造作に髪をかき上げる。
身に着けているのは肌着程度で、シーツの白さが肌の柔らかさを引き立てている気がした。
疲労感を感じながら起きる様子には、どこか無防備な色気が漂っている。
男の性欲が健在であることに、思わず自分自身へ苦笑いしそうになる。だが、頭の中からその想像を追い払い、傍らのテーブルの上にセシリアの服を置いておく。
「エリック様とカイルさんを起こしてきます。今はセシリア様の側付きではなく、アリオン家の侍女として行動するのでそこはご容赦ください」
「分かったわ。あなたは遠慮せずにアリオン家の侍女として行動しなさい」
そう背中を押すように言われて、俺も遠慮せずに行動に移る。
部屋を出ると、廊下の空気がひんやりと肌に触れた。
エリックとカイルが寝ている部屋へと向かう。
ノックをするが、返事は……ない。
あれだけの戦いをして、さらに指揮までしていたのだ。その疲労は並大抵のものじゃないだろう。
本当は、できることならもう少し寝かせておいてやりたい。けれど、それを許すほど今の状況は甘くない。
そっと扉を開けて部屋に入る。
ベッドに沈み込むように眠る二人の寝姿がそこにあった。
息づかいだけが静かな室内に満ちていて、まさに泥のように眠るという表現がぴったりだった。
枕元にはまだ昨日の汗の名残がほのかに残っている気がする。
でも、エリックはエリック隊の指揮官としての仕事があるし、カイルはその副官だ。
今はやるべきことが山積みなのだ。
「エリック様、朝です。起きてください」
声をかけながら、エリックの体を何度か強めに揺する。
ようやくまぶたが開き、俺の顔をじっと見つめてくる。
「むっ、リーナ……そうか、朝……か」
セシリアと違って寝ぼけた様子がないのは、やはり戦場慣れしているからなのだろう。
そんなところにも、彼の頼もしさを感じてしまう。
気がつけば、俺もエリックという人間に依存し始めているのかもしれない。
そう……彼に何度も命を救われ、その強さに何度も助けられてきたからだ。
戦場では、誰かと繋がっていなければ、心はすぐに疲弊してしまう。それを痛いほど知っている。
「カイルさんを起こすのと、朝の支度は自分でお願いします。俺は朝飯の支度をしなければなりません」
普通に宿に泊まるだけなら、わざわざこんなことをする必要はない。
だけど今は軍がこの宿を接収している状態だ。
民間人といえど、エリック隊の中枢に不用意に近づけるわけにはいかない。それが今の現実だった。
「そうだったな。なら支度を頼む。夜通し警備に当たっていたウィンダミア殿たちの労いも頼む」
「お任せください」
返事をして、部屋を出る。
廊下を進むと、居間にはエリック隊の副隊長を任命されているウィンダミアがいた。
「ウィンダミア殿。エリック様が目を覚ましました。あとは、こちらでエリック隊の指揮を引き継ぎますので休んでください」
「むっ、そうか……もう朝……か」
ウィンダミアは三十路を越えたあたりの、経験豊かな騎士だ。ファルディン家では次席騎士の地位にあったという。
そんな彼がエリック隊にいるのも、当主であるエドモンド・ファルディンがファルクラム近郊の会戦で行方不明になったからだ。
もっとも、その戦いですら、今ではもう遠い過去に思える。ここに来るまで、ひたすら激しい戦いの連続で、時間の感覚も曖昧になっていた。
「はい、アリオン家の面々は十分に休めたので、次はウィンダミア殿たちが休む番です」
「そうだな……今は休むことも任務のうちだ。私はエリック様に引継ぎの挨拶をするから、皆は先に休んでいろ」
そう言ってウィンダミアはエリックのいる部屋へと向かい、騎士たちは与えられた寝室に消えていく。
予定では今日の昼には出発になる。そこまでしっかり休めればいいのだが、皆、まだ気が張っているようだった。
あの様子では、昼までぐっすり眠れるかどうか怪しい。でも、少しでも体を休めてもらわなければならない。
休むことすら仕事となる。それも戦争の辛いところだろう。
「さてと、飯の支度をするか」
厨房に入り、手早く朝食の支度を始める。
豪勢な料理ではなく、さらりと胃に流し込める粥がいい。
材料は充分にあった。カステリスと違って、ここは封鎖されていないから当然かもしれない。
ささっと調理を済ませ、磨き込まれた長テーブルに器を並べる準備をする。
朝食は麦のミルク粥。
シンプルだが、調味料を控えめに加えて、味としては及第点だろう。
「リーナ、引継ぎは終わった」
ふと声がして振り返ると、エリックとカイルが食堂に入ってきた。
その身支度は……正直、あまり褒められたものじゃない。髪はぼさぼさで、寝癖もそのままだ。
もしこれがフォーマルな場なら問題だけど、今はそんなことを気にする者はいない。
テーブルに粥の入った皿を並べる。セシリアの分は彼女を連れてきてからで良いだろう。
「エリック様とカイルさんは先に食べててください。俺はセシリア様を呼んできます」
女の身支度は、どうしても時間がかかる。
こんな緊急時に何を言っているんだと思うけど、昨夜の寝る前の話し合いで、できるだけ身綺麗にすることがセシリアに求められた。
それは、聖女の力を使って敵を撃退したときのイメージを維持するためだ。
あの時俺はセシリアの側にいたから正直その感覚がいまいち分からなかった。けれど、セシリアを見ていた者たちの目には、どこか神秘的で神々しい何かが見えたらしい。
その神秘性は統制や士気にさえ影響するかもしれない。
だから、セシリアにはだらしない格好だけはするなと、エリックが念を押していた。
セシリアがいる部屋に向かうと、彼女はもう着替えを済ませていた。
「リーナ、手伝ってちょうだい。寝ぐせが直らないの」
「分かりました。櫛を貸してください」
櫛を受け取り、慎重に梳き始める。
セシリアの髪は末端になるほど細かくウェーブがかかっているから、丁寧に手入れをしないとすぐ見すぼらしくなってしまう。
イメージ戦略と言われても、なかなか面倒なものだ。とはいえ、ここで愚痴を言っても仕方がない。
「こんな感じですね。治療の時の血が服に滲んでいる箇所があるのが気になりますが、これは諦めるしかないかな」
「みっともない見た目でなければいいんでしょ? なら大丈夫じゃないかしら」
「それもそうですね。食事はできています。行きましょう」
二人で食堂に向かう。
そこには、すでに粥を平らげているエリックとカイルの姿があった。
そこそこ量はあったはずだけど、昨日は食事もとらずにそのまま休んだのだから、腹が減っていて当然か。
「食事は先に済ませたぞ。お前たちも早く食え、話がある」
「美味しかったよリーナさん。エリック様も満足そうだった」
そう言われると、料理人冥利に尽きるというものだ。
とは言え大したものは作っていない。
でも、こんな疲労が残る朝には、凝った料理よりもシンプルなもののほうが美味いこともある。
だからこれで十分かもしれない。
「それなら良かった。俺は料理しながらつまみ食いをしたので大丈夫です。なのでセシリア様の分を持ってきますね」
「お願いするわ。それでお兄様の言う話とは何でしょうか?」
厨房に向かい、粥を皿に盛り付ける。
その作業をしながら、エリックたちの言葉に静かに耳を澄ませた。
「セシリアの使った力についてだ。そのことはヴェリウス辺境伯閣下からの手紙に書いてあった」
「リーナは『聖女の力』と言っていたけど、それについてのことですね?」
「そうだ。リーナの予想は的中していた。その力はまさに、『聖女の力』だ」
粥を盛り付けた皿を持って食堂に入ると、空気がピンと張り詰めていた。
皆の視線がセシリアに集まるなか、俺の心はやっぱりなと、どこか落ち着いていた。
予想が現実になっただけ。驚きよりも妙な納得が先に立つ。
「セシリア様、どうぞ。尋常な力ではないという確信はありましたが、本当に『聖女の力』だったとは……世の中、なにが起こるかわかりませんね」
「そうだな。だが、これで全てがはっきりした。ルミナシアがセシリアを狙った理由は、まさにそれだったということだ」
セシリアの表情が見る間に強張る。
特別な力を持ってしまったが故に命を狙われるのだ。その現実が、今まさに目の前にある。
実際に誘拐事件に巻き込まれた俺としても、セシリアが感じる恐怖や不安も、痛いほど分かる気がした。
「まあまあ、まずは食事を済ませてください。そのあとにじっくりと話をしましょう」
「急かしているわけじゃないから、ゆっくり食べてください、セシリア様」
「……分かったわ」
俺とカイルに促されて、セシリアはおそるおそるといった様で食事に手をつける。
その姿は、なんとも居心地が悪そうに見えたが、無理もない。
エリックは懐から手紙を取り出し、じっと目を通している。あれがヴェリウス辺境伯からの手紙なのだろう。
あの中には、一体どんなことが書かれているのだろうか?




