エリックとの邂逅2
「リーナ、今日はお兄様の模擬戦を手伝いなさい」
セシリアがそう言ったのは、朝の仕事を終えた頃だった。家庭教師から与えられた課題に取り組むため、今日は一日中部屋で過ごすらしい。
「昨晩談話室でエリック様とお話されていたようですが。その件ですか? 俺には先に部屋に戻っても構わないとおっしゃってましたが、それならあの時に言ってくだされば対応しましたよ?」
昨日の側付きとしての仕事が終わり部屋に帰る際の話だ。
セシリアにその旨を告げようとしたら二人に会ったのだ。その時俺は帰っても構わないと言われたから部屋にも戻ったけど。そういう事なら俺も同席したのにな。
「本来なら今日はリーナにいて貰いたかったのよ。少し集中して取り組みたいことがあったからね。その手伝い。だから一晩考えたんだけど。でもお兄様の熱意に負けて……ね。だから朝の仕事だけはしてもらって、それからリーナを貸すってなったのよ」
「はぁ、熱意ですか?」
「あなた、お兄様と色々とお話ししたそうね。模擬戦の事とか、あと領地の見回りの話だとか。それに付いてこれたってのがお兄様にとって好印象だったみたい。あと雑用ならしっかりこなせるだろうとも言っていたわ。結構、力あるのね」
模擬戦もそうだけど領地の話も興味深い話だった。配下の騎士家とか信頼する騎士の話とか。まだ本館や別宅くらいしか行った事ないから新鮮な感じ。
歴史上の人物に直接当時のことを聞いているような気分になれて面白かったな。
「話は確かに弾みましたね。あと力はそれなりですよ。腕力はあんまりありません」
「そうなの?私も持ったことあるけど、あの木剣やらなにやらつめた箱って結構重いはずだけどね。あと妙に模擬戦に興味を示してたみたいじゃない? 色々話して一番食いつきが良かったってお兄様は言っていたわ。だからそれをあなたに見せたいんじゃないかしら?」
まあ確かに? みたいに決まってるよそれは。
この世界は当たり前だけど娯楽ないから……そりゃあそんな真剣勝負があるなら見たいに決まってる。
「そういう事でお願いね。お兄様はもう広場にいるわ」
「分かりました。では行ってきます」
セシリアに軽く頭を下げ、広間へと向かった。
模擬戦が行われる庭は広く、厳しい表情の男たちが円を描いて待機していた。その中心にはエリックが立っている。なにやら今日の模擬戦の訓示をしているようだ。
するとエリックと目があった。軽く頷いているのでこちらに来いということだろう。エリックも円陣から出て俺の方に歩いてくる。
「リーナ! 訓練用武具の整理の仕事だ。荷運びもある。指示はカイルに聞け。おい! カイルちょっと来い!」
エリックの言葉でこっちに来たのは赤髪の柔和な顔立ちの男だ。エリックと同じくらいの歳か? 当然ながらまだ若い。しかし体は引き締まりその鍛え方を伺わせる。
「俺直属の従騎士カイルだ。俺の側近みたいなものだな。そしてこの侍女はリーナ。セシリアの側付きだが中々に使える。雑用として使ってくれ。それにだ。怪我をするほどにやられても、リーナに介護してもらえるんだ。悪い話じゃないよな、皆の衆!」
「おおー」
「そうだそうだ! むさくるしい男に介護されるのはいやだぁ!」
「さっすが若様! 話が分かる!」
「いっしょー付いていきまっせ! エリック様ー!」
うるせー! わいわいがやがやと!
このノリは体育会系のアレだろ! 理系だった俺にはついていけないよ! あぁ、模擬戦に興味を示したことに早くも後悔が湧いてきた。
「というわけだリーナ。野郎どもの介護を頑張れよ」
「熱意ってこういうことですか? ……はぁ、確かに必要ですね」
「お前なら分かってくれると信じていたぞ。では後はカイルの指示に従え。ではな」
そう言いながら颯爽と円陣の中に戻るエリック。どうやら俺は賞品扱いらしい。
ただし価値ある賞品ではなく残念賞扱いだろうな。この男どもはああは言っているが、負けることを嬉しがるような気骨のない男は一人もいなさそうだった。
「というわけだな。エリック様は良いお方だが少々強引な所がある。それはそれでいい所でもあるのだが今回はどうかな、リーナさん?」
そう言ってこちらを見るカイルに俺は目を合わせる。
「仕事であるならやらねばなりません。みなさんの期待に応えられるかは分かりかねますが」
「その態度を見る限り大丈夫そうだな。少なくとも僕はそう判断するぞ? ではこっちだ。まずは武具の整理だ。そして整備も行うがやり方は知らないな? ならば今回はいい。まずは僕の雑用として働いてもらう」
というわけで武具をあっちやこっち必要なところへ手配する。ただカイルの指示を受けているから楽なもんだ。
それに俺が女だから手加減してくれてるんだろうな。
そうして仕事に熱中していると突然エリックが声を張り上げた。
「全員準備はいいか? これから模擬戦を始める!」
エリックの力強い声が響き渡り、従騎士や騎士見習いたちは一斉に構えを取る。そして手に持った木剣を大声をあげながら天に突きあげた。
すごい! 場の空気に圧倒されている自覚がある。目の前の光景に釘付けになっていた。まだ模擬戦が始まってもいないのにだ。
おっとあぶない。仕事だ仕事! まだ武具の整理は残っている。この仕事は誰がどの武器が得意かの種別があるから、それを揃えろということみたいだった。たしかに必要な仕事だ。
そしてついに模擬戦が始まった。
男たちは呼ばれたものが円陣の中に入り中央で対峙する。そしてエリックの掛け声で試合が始まるのだ。
木剣を握り、掛け声を上げながら互いに斬りかかる。木剣の種類は様々で、それぞれが自分の得意な型を追求しているようだった。
砂埃が舞い、剣がぶつかる音が響くたびに、視線がそちらに向かう。単純な剣戟に見える物もある。複雑な動きをしているような物もある。だが、その動きには隙がなく、流れるような美しさがあった。少なくとも俺の目にはそう見えた。
「これが……模擬戦。想像以上だ」
そんな呟きが思わず出る。
男たちの戦いを見ていると頭の中には動画で見た西洋剣術や古武術の映像が浮かぶ。けれど、それらは知識としてのものでしかなく、目の前の迫力には到底及ばない。実際に会場に行って格闘技を見るってのはこういうことなのか!
今、一つの試合が終わった。勝った男が負けた男に手を差し伸べている。その手を負けた男が掴み立ち上がるも表情に嫌なものは見えない。
くやしさは勿論あるのだろう。しかし「次は負けねえからな。一発かましてやるからよ」「おうおう吹くじゃねーか。楽しみにまってるぜ」「へっ、ぬかせ!」そんな喧嘩じみたやり取りだがそこには親しみがこもっていた。
そっか。これが男ってやつなんだな。
すとん、と腑に落ちる。そんな表現がぴったりだった。歴史には戦友たちと死ぬまで一緒に戦うという話がある。つまりそれはこれなのか。
大げさかもしれない。実際にはそこまでの絆は無いのかもしれない。でもこの男たちのやりとりが俺の目から離れることはなかった。
ついに俺は仕事を放棄してこの光景を見続けた。
「次は俺が相手をする!」
エリックが従騎士たちの輪に入ると、空気が一変した。その場の緊張感に俺は無意識のうちに息を呑んでいた。エリックは剣を構え、一人の男と向き合う。次の瞬間、剣が風を切る音がした。
一閃。
それはまさに一瞬の出来事だった。相手の剣が地面に落ち、エリックの木剣が首筋で止まる。
「まいった……!」
見えた……と思う。速かったから見間違いかもしれないけど多分そうだ。
カウンターで相手の剣を落とした。そして流れるままに剣を相手の首に押し当てたんだ。
エリックの動きには技があった。そこには理があった。そしてそれは美しいとさえ言えた。
「リーナ、何をそんなに夢中で見ている?」
不意に声をかけられ、ハッとする。気づけばエリックがこちらに歩み寄っていた。
「あ……すみません。つい見入ってしまって」
「そうか……興味があるなら、試してみるか?」
エリックはそう言うと、模擬戦用の木剣を手に取り、俺の目の前に差し出した。
「えっ、いいんですか? 俺は仕事で来てるのに」
「そう棒立ちになって、仕事をしていると言えるのか? いや、責めてはいないさ。興味があるのだろう?」
エリックの言葉に一瞬身が竦んだが責めてはいないという。そして目の前にある木剣。
俺の手は自然に剣の柄に伸びていた。そして手にした瞬間、意外なほどしっくりと馴染む感触に驚いた。
「握り方がぎこちないな。こう持て」
エリックが手を添え、剣を正しい握りに直してくれる。その手は力強く、それでいて温かい。
「それで、まずは……」
エリックが動作を見せる。俺はそれを真似るだけ。余分なアレンジはしない。ただ真似をする。
上段に構えた剣を腕でなく胸筋を使って落とすイメージ。風を切る音が聞こえる。重さのある木剣を振るうのは初めてだったが、意外にもスムーズに振ることができた。
周囲のざわめきは耳に届かない。ただ、この動作が楽しい。剣を振るだけのこの動作が。
「……悪くない。初めてにしては筋がいいな」
エリックが微笑んだ。その顔は、いままで見たどの顔よりも楽しそうだった。