父と子
ヴィクターたちが訓練場でグレン先生と話している間、俺やヴィクター隊の皆は大広間の隅で待機している。
激しい戦闘の後で疲労もある。その休憩と思えばこの時間にも意味はあり、実際に軽食や飲み物が支給されていた。
「こんな時だからこそ、胃袋に食い物を詰めておけよ」
ヴィクター隊で副長のような立場にいるアルフレッドの提言のもと、俺たちは食事を取っている。
城壁の食堂で食べていたものよりも、明らかにランクの高い食材で作られていて、味も良い。
とはいえ、こんな時にゆっくり味わって食べる余裕などあるはずもなく、パンや肉にかぶりつくようにして口へ運ぶ、実に行儀の悪い食事だった。
そんな中で大広間に大きな声が響く。
「親父! 話とはなんだ!?」
その声の主を、俺は知っている。一度近くで見たことのある人物だ。
ガイウス・ベインズ・ベルモンド。
ベルモンド子爵家の当主にして、ヴェリウス辺境伯の嫡男だ。
彼は騎兵の指揮官で、市街戦では出番はない。だからルミナシアの渡河作戦を阻止するための戦いに赴いていたはずだ。
「来たかガイウス。渡河を阻止する必要はもうなくなった。このカステリスは今日明日にも落ちるだろう」
「市街地に敵が入っているんだろう? あの大軍を退けるなんて土台無理な話だとは分かる」
「その通りだ。そこで私はこの城に残り敵に損害を強いるつもりだ。旗頭である私がいれば、ルミナシア軍と言えども無視はできんからな」
「策はあるのか? 戦うと言っても無策では無駄死になる」
「ルミナシアの立場になって考えろ。カステリスをヴァリエンタ帝国侵攻の中枢とするのなら、この城は無傷で欲するはずだ。そこを突く。ゆえに城に火をかけることもせず、破壊も行わない。そして私と私に付き従う家臣たちで城の奥で籠城だ。これをもって守りとし、グレンを攻めとして使いルミナシア兵に出血を強いる」
「グレン殿の力ならそれも可能か……親父を囮として使うにはそれが最善かもしれないな。だがヴァリエンタ帝国への援軍の要請はどうする? 当主である親父が死んだら派遣を渋るかもしれないぞ?」
「お前が騎兵を率いている間に、カサンドラをアルヴィナ家に帰した。今この瞬間にもアルヴィナ家を経由して強く帝室に働きかけているだろう。私がいなくとも援軍は来る」
「母上を送ったのか……そんな話は聞いていないが」
「万が一ということもある。そのために極秘裏に送り出した」
「……エリシャ機関か。南門が落ちたのは奴らの仕業。それを警戒すれば俺にさえ話さなかったという理由も分かる」
そこまで話してガイウスは黙り込む。
その表情は苦虫を嚙み潰したような、険しい顔をしている。
だが、すぐさま表情を真剣なものに変え、覚悟を決めたような声で話し出す。
「親父が死んだら、俺がヴェリウス辺境伯家を継ぎ、軍を率いろ。つまりはそういうことだな?」
「そうだ。私とて易々と死ぬつもりはない。グレンもこの戦いに参加するしな。しかし生存することを前提に未来を考えることは、それこそ無責任というもの。お前もベルモンドでの統治で実績は積んだ。不安はあるだろうが、頃合いだろう」
「……分かった。そこまでの覚悟をしているなら、首を横には振れないな」
重く苦しい会話であったけど、それでも実際には少し話しただけ。
たったそれだけの会話で、父親の死を受け入れ、戦いを続けるという覚悟をガイウスは示した。
「親父には色々と文句を言いたいこともある。だが、その時間を取れないのが残念だ」
「私としても言いたいことは山ほどある。どれだけ子供たちの我儘を許してきたのか、直接の愚痴をお前に聞かせてやりたいくらいだ」
お互いに憎まれ口を利いているような会話だけど、二人の顔には笑顔が浮かんでいる。
最後となるかもしれないからこそ、その表情なのだろう。
「それでこれからどうするんだ? この場で話していい内容なのか?」
表情を引き締めなおしたガイウスが、大広間の一角に待機する私たちヴィクター隊を見ている。
確かによほど重要なことを話すなら、私たちは邪魔だろう。ただの兵士が必要以上のことを知る必要はないのだから。
「問題はない。お前に与えられる任務は単純だ。河川港に向かい、このカステリスから脱出してモラント領へ退却せよ。この場では話せないことはこの手紙に全て書き記してある」
ヴェリウス辺境伯が懐から手紙を出して、それをガイウスに渡した。
「モラント領に到着した時に封を開けよ。それが成されぬ場合は焼き捨てろ。良いな」
「ああ、分かった」
そこまで話して会話が止まった。
いや、違う。ヴェリウス辺境伯は何かを話そうとしているけど、それが口から出ないという感じだ。
そうして少しだけ時間をかけてから、ヴェリウス辺境伯が話し出した。
「……エリザベスとは最後まで碌に話せず、ここまで来てしまった。それが残念でならないが、仕方あるまい」
「あいつは親父に似て頑固だ。今は河川港に待機しているが、親父に城を追い出されたと怒っていたよ」
「いくらヴェリウス家の娘とはいえ、私の戦いに付き合わせるわけにはいかないからな。それに戦術魔法の使い手を無駄に失うことは避けねばならない」
「違うだろ、親父。そんなことを言いたくてこんな話しをしているわけじゃないだろ?」
「……ああ、そうだな。ならばお前からエリザベスに伝えてくれ。私は今でも悪いとは思ってはいないが、それだけの覚悟があるなら、エリザベスの生き方を認める……そう言っていたとな」
「その言葉は、親父から伝えないと意味のない類の言葉だ。だが、分かった。伝えておくよ。あいつは頑固だが、だからこそ親父に認められたがっていた。レイウォル丘陵に出撃したのだって、それが理由だ」
「ふふっ……エリザベスの働きによって、少なくない数の友軍が帰還することができた。それにルミナシアに痛撃を与えることもな。それを認めないなど、できはしないさ」
「……素直になれない性格は、やはり親父に似たのだろう。その言葉はエリザベスを送り出す時に言うべきだった」
「言うな、ガイウス……後悔を重ねてはこれからの戦いに差し障りがでる。私は覚悟を決めねばならないのだからな」
「……もう何も言わない。意味がないからな。だが、最後に一つだけ。ご武運を、父上」
「お前もな、ガイウス。武運長久を祈る」
最後にそう言って締めくくると、大広間を出るためにガイウスはヴェリウス辺境伯に背を向ける。
離れていく親子の間には、確かな信頼があるように見えた。
ガイウスの姿は決別をしたこの瞬間にあって、悲壮感などなく、その歩みには強い意志が籠っているかのようだった。
ヴェリウス辺境伯もその後ろ姿を、微かな笑顔とともに見送っている。
「……諸君、見苦しいものを見せた。だが、これでガイウスへの引継ぎも終わったと私は認識する。これからの戦いは生存を期せぬ厳しいものになるだろうが、それでも私と共に戦い、支えてくれ」
「はっ!」
大広間にいるのはヴェリウス辺境伯家の譜代の家臣たちなのだろう。
彼らの顔にあるのは絶望や悲壮感ではなく覚悟だった。
それだけが彼らの表情に浮かんでいた。
そんな空気の中でヴィクターたちが帰ってきた。
彼らも話が終わったようで、三人の顔からはどこか清々しさがあった。
グレン先生はそのままヴェリウス辺境伯の元へ、そしてヴィクターとヴァルガは俺たちの元へやってくる。
「何か雰囲気が変わったようだが、何があった?」
「ガイウス様が来られて、ヴェリウス辺境伯閣下と……最後の話をされていました」
ヴィクターの質問にアルフレッドが答える。
大広間の一角で食事を取っていた手はすでに止まっている。
あの光景を見せられて、食事を取り続けるのなんて不可能だった。
「……そうか。ガイウス様は河川港に向かわれたのだな?」
「その様です。モラント領への撤退を行うということでした」
「それしかないだろう。では俺たちも行こう。ヴェリウス閣下もすでにここでの戦いのことへ頭を切り替えたようだからな」
ヴィクターが視線をヴェリウス辺境伯に向けると、そこでは副官やグレン先生などとつぶさに話し合う姿が見える。
もう、俺たちのことは眼中にないようだった。
それを確認して、俺たちはヴィクターを先頭にして大広間をあとにする。
おそらくは、もうこの場に来ることはないのだと悟りながら。
本城から出て、河川港への道を走る。駆け足程度だから、俺の脚でも問題なく付いていくことができた。
俺とヴァルガはヴィクターの隣に付く。俺の魔法を使うための判断はヴィクターがするし、ヴァルガはエリック隊でなくヴィクター直属の傭兵だ。すぐに命令を下せるようにと、ここが定位置になっている。
丘の上にあるこの場からは、城下の様子がよく見える。敵は現在カステリスの南半分を制圧しているようだ。本城へ向かう坂で激しい攻防戦が繰り広げられるのが視界に入る。
兵の数があまりに違う。あれでは坂上という有利があっても、突破されるのは時間の問題だろう。
市街地に目を向ければ、一部で火の手が上がり、兵士たちの絶叫が木霊していた。
地獄と言うには生温い。しかし、目を反らしたくなるほど、おぞましい光景だ。
それを見ながらも、俺たちは走る。
逃げるのは心苦しい。しかし、今は生き延びることが俺たちに下された命令だった。
腰に下げた短剣の重みがずっしりと感じられる。ずいぶんと出世したとは思う。認められたことは素直に嬉しい。
だが、人の生き死にに直接触れ過ぎたせいか、心が繊細になっているのが分かる。
戦いの中で出世することに、もはや喜びを見出せない程度には。
そんな気を紛らわせるように、俺は隣を走るヴィクターの腰に下げられた新しい剣へと目を向けた。
「ヴィクター様。その剣はグレン先生からですか?」
「ああ。免許皆伝の証として授かった物だ。俺はまだそこまでの腕に至ってはいないが、このまま続ければ確実に至れるということらしい。斬ることに重点を置いた剣だとグレン先生は言っていた」
「結構すごいことなんぜ、これを授かるってのはな。使い方が難しい剣だし、少なくとも俺には無理だった」
ヴァルガそう言うのだから実際すごいんだろう。
柄はともかく、その鍔と鞘はまるで日本刀をイメージさせるものだった。
反りのある斬るための剣、か……気にはなるが、それは後回しだな。
「しかし、なんだ……女のような雰囲気が無くなったような気がする。何かあったのか?」
ヴィクターがそんなことを聞いてくるが、言われてみればそうだ。いつの間にか自分のことを私ではなく、俺という意識が強くなっていた。
おそらく、短剣を下賜されてからだ。どうやら無意識に靖彦としての心が強くなったらしい。
多分だけど……責任感。それを自覚したからだろう。
自分の命の問題を越えて、集団のために命を懸ける。それはどう考えても女性的な思考ではない。
それが男の持つ本能的な衝動からくる意識であるとするなら、心を女のままにしておくことは難しいのかもしれない。
「レイウォル丘陵での功績を評価されて、短剣を下賜されました。そこで意識が変わったみたいです」
腰に下げた短剣をちらりとヴィクターたちが見た。
「意識しないと女の心を維持できないというのも問題だな」
「お前の力を頼りにしないとこの局面はきついぜ。大丈夫なのか?」
ヴィクターとヴァルガの懸念はもっともだ。俺の役割は軽歩兵よりも魔法使いであることのほうが意味が強い。
自分の中の感覚はどうだ? 指鉄砲のリボルバーは……無理だ。間違いなく使えない。
でも専用の魔想具を使うなら、問題なく使える。それは分かる。
それに威力も女の心には劣るが、それでも十分に威力を発揮できる確信が、今の俺にはあった。
「リボルバーは無理ですが、この専用魔想具を使えばいけそうです。何度も使ったので、慣れたのでしょう」
「女の心で戦い続けるのも難しいだろう。そう考えればいい傾向かもしれない。簡単にモラント領まで撤退できる保証はない。男の心でないと、耐えられない局面が出てくるかもしれないからな」
できればそんな局面が訪れることは勘弁願いたいものだが、祈っても意味はないだろう。
そうして走っていると、イヴリン・グリムヴァルと戦った坂の途上にある広間を通り過ぎる。
それほど時間は経っていないはずなのに、ずいぶんと前の起きた出来事のように感じる。それほどレイウォル丘陵での戦いの経験が色濃く印象に残っているからだろう。
ひどく濃密な時間が過ぎている。そしてそれは、モラント領への撤退が終わるまで続くことが確定していた。




