レイウォル丘陵撤退戦1
「エリック! 無事か? 戻ってこないから心配したぞ! カイルも無事で何よりだ」
「こんなところで死んでたまるか。俺はアリオン領を取り戻さないといけないんだからな」
「ご心配をおかけしました、ヴィクター様。なんとか切り抜けました」
感動の再開というには殺伐とし過ぎているが、皆が生きて帰ってこれてよかった。
でもそれは主要な指揮官や騎士というだけ。他の兵は……。
「思ったより兵の数が少ないですね……やられてしまいましたか?」
「ああ……引き際を間違えた。俺が判断を誤ったから、あいつらは……」
口に出したことを少し後悔する……これ以上何と言ったらいいか分からない。自分の判断ミスで人が死ぬ重みなんて分かるはずがないからだ。
これが平時なら慰めるような言葉も出るだろうけど、そんな余裕はない。
実際に、俺の隣にいるヴァルガが、ピリピリした目でエリックとヴィクターを見ていた。
これが実戦経験の差か……ヴァルガが見かねて口を開いた。
「そういう感傷は後にしてくれ。突出してきた連中は始末したが、すぐに新手がくる。この後はどういう計画になっているんだ?」
ヴァルガの催促するような質問にヴィクターが答えた。
「守備陣地はこの第二で終わりだ。指揮所は放棄され、今の本陣はレイウォル丘陵の入り口にある。そこから伝令が来た」
指揮所が放棄されたとなると、最低でも丘陵の半分の地点までは敵が入り込んでいるようだ。
中央陣地を攻略されているなら、この第二線陣地さえも価値を失ってしまった。
ここもまた、少しの足止めに使う程度だろう。
「親父の指揮する長槍兵が丘陵のくぼ地の街道を封鎖するように展開している。その両側の丘に陣を敷き、防御を固めろとの命令が出ている」
「なら次はそこか? ここまで撤退してきた兵はたどり着けるのか?」
再度のヴァルガの問いにはエリックが答えた。
「体力のある兵ならいけるだろうが、負傷者や疲労、士気を喪ったものはここに置いていくしかない……」
やはり、かなりつらい状況だ。逃げることはできても、そのたびに兵を失っていく。
だが、弱音を吐いている暇はない。
「エリック様、それでも行かねばなりません。あなたがこの部隊を率いる指揮官なのですから」
「ああ、分かっている。動ける者を連れて、急いで丘へ向かう!」
カイルの叱咤にエリックは気を取りもどした。
これならまだ大丈夫そうだ。
「左翼陣地は完全に抜かれて大穴が空いた。そこから敵の軽歩兵が後方へ浸透している。その対処のために生き残った残った重騎兵が攻撃を加えたが、丘陵の中の戦闘だからな。衝撃力は発揮できずに敵軽歩兵の損害は大したことはないし、その攻撃で重騎兵はほぼ使い切った。だがその攻撃によって左翼の友軍が丘へ向かう時間を稼げている。むっ、今度は俺の仕事の番が来たようだ。エリック、お前は行け」
ヴィクターが目を細める。ルミナシアの軽歩兵が、こちらに迫っていた。
さきほどの追撃をかけてきた奴らとは違う部隊か? もしくは中央からの援軍かもしれない。
「頼んだ。先に丘で待つ! ……リーナ、本来なら俺に付いてくるのが筋だが、今は言わん。ヴィクターを頼む」
「君は女の子なんだ。敵兵の手に落ちれば何をされるか分かったものじゃない。無茶はせずに、できることだけをやればいい」
エリックとカイルはそれだけ言って、動ける兵たちを率いて丘へと向かって行った。
女の子……ね。確かにカイルの言う通り、捕まったらひどいことになるだろう。
だが、今はそんなことを気にしていられない。俺たちはエリックが陣を敷くまで時間稼ぎをしないといけないからだ。
「総員! モラント家の次男だろうと、途中でいきなり現れた俺に命令をされるのは気に食わんだろうが、それでも聞いてくれ! ここで敵を押し留め、一人でも多くカステリスに返さないとヴェリウス辺境伯領は終わりだ! そうなったら諸君らの実家もどうなるか分からん。それを阻止するためにも今こそが日頃の訓練の成果を見せる時だ!」
「応!」
俺とヴァルガが前線に出ている間に、ヴィクターはヴィクターでちゃんと兵を統率していたようだ。
やはり次男で後継者じゃなくても貴族だ。人の上に立つということを知っている。
「リーナ! 次は魔導士で行けるか? 弓兵と一緒に後背にある一番高い丘から敵を狙ってほしい!」
「精神力は多少戻ったと思います。ですが心の方が……」
「今は乳繰り合っている余裕はない! なんとかしろ! 剣士のお前はこの防衛陣地には不要だ!」
「分かりました! なんとかします!」
「良し! これを持っていけ! お前の魔想具とは違うが、ないよりはマシだ。水筒もある。『水礫』で迎撃しろ! 良いな! ヴァルガは俺と最前線だ! ついてこい!」
「分かった。それが俺の仕事だからな。援護期待しているぜ、リーナ!」
ヴィクターから魔想具と鉄製水筒を受け取った。どこから調達したのかは分からないが、今はそんなことを考えている余裕はない。
ヴィクターとヴァルガは最前線へと駆け出し、敵が最も密集する地点へ向かった。
俺も命令通り丘へと急ぐ。そこでは弓兵が矢を敵に放っている。しかし矢筒に残る本数は皆、少ない。
俺が丘にたどり着く頃には、弓兵の矢はすでに尽きていた。彼らは弓を捨て短剣を抜いて、陣地へ駆け込んでいく。
「頼んだぞ! 魔導士のお嬢ちゃん!」
「は、はい!」
すれ違いざまに声をかけられ、俺は返事を返しながら丘を駆けた。
狙撃地点にたどり着く。眼下ではすでに戦端が開かれ、ヴィクターとヴァルガが剣とハルバードを振るっていた。
その乱戦の中へ加わろうと、弓兵たちが突撃していくのが見える。
弓兵ですら前線に立たねばならないほど、余裕がない。絶対にヘマはできない!
「頼むぞ、リーナ。なんとか女の心になってくれよ……思い出せ。女だと意識をした時の、全てを」
目を瞑り思い出す。俺が、私が自分を女だと意識した時のことを。
それは……エリックが颯爽と馬に跨ったところだ。あの時は純粋にカッコいいと思って、その後に王子様みたいだなって思ったんだ。メス堕ちがどうだとか、そんな心配をしたんだ。
次はヴィクターに体を触られた時かな? 色々なところを触られたけど、一番意識したのはやっぱり女の子の大事な部分を触られた時だ。
あとはこの丘陵の陣地で心を女にした時もそうだ。男たちに挟まれて寝た時も少なからず意識した。
思い出せ。女としての……リーナとして意識を……魔法を自由に使えていた感覚を思い出せ……。
僅かだけど……来た。でもまだ足りない。あと少し!
なら、これでどうだ? 手を股間に這わせる。そして、あえて男だった時の感覚を思い出す。
……ない、当然だが、無くなっている。男なら当然あるはずのモノが今の私にはない。
それを強烈に意識した瞬間に……来た! 完全じゃないけど、これならいける!
魔想具を構え、頭の中でライフルと重ね合わせる。
まだ精神力は万全じゃない。ならどんなイメージがいい? 弾を無駄撃ちしないような、そんな銃のイメージ。
……あった。猟銃として使われる単発式のライフル。動作はマニアックだが、構造は思い出せる!
フォーリングブロック式のハンティングライフル。今回はこれで行く。
レバーを押し、チャンバーを開放。一発を装填してレバーを戻して閉鎖する。
そして狙いを定め……陣地に迫る敵の中でも、最も勢いを作っている兵士、そこに照準をあわせ……心の引き金を引く!
ヒット……レバーを押して排莢。すぐに次弾を装填。
ライフルのイメージは上々。だけど女の心になり切れていないから威力は弱く殺せない。でもそれで十分だ。援護ができればそれでいい。
次の敵はあいつだ。陣地を今にも突破しそうな奴……ヒット。
無駄な弾は撃っては駄目だ。だから慎重に丁寧に、一発一発の弾丸を送り込むように……ヒット! これで突破はされないか?
くっ……『瞬躍』か! 突破された! 奴が一直線に迫る。私を助けてくれる人は……いない。
あと数秒の距離、戦闘スタイルを変える猶予はない! こいつは一発で仕留めないと駄目だ。そうでなければ私は死ぬ!
レバー押して、弾を込めて装填、狙いを付ける。心の引き金を引こうとした、その瞬間。
敵の剣が私に迫る!
迫りくる剣を見て思い出した。遊撃戦の時の戦いを。
あの時に使えた魔法を、今の私なら使えるという確信をもって発動した。
「なっ!」
できた! 『風打ち』! 剣を弾かれ、敵は驚愕の目で私を見ている。
それはそうだろう。精神発動魔法の一本槍で威力を極めるのが魔導士だ。通常、こんな魔法は習得しない。
だからこれは奇襲。それが成功した!
そして攻撃が止まればこちらの番だ! できうる限り最速をイメージした弾丸を叩き込む。
私の放った『水礫』は風を纏った敵兵の腹部を貫き、完全な致命傷を与えた。もう立つことはできないだろう。
「『風打ち』で防御したみたいけど、私の『水礫』の方が上だった。ぎりぎりのところでなんとか勝った……」
腹部に大穴が開き、多量の血を流して倒れた敵兵を見る。
私のイメージは音速を超えた弾丸だ。『風打ち』を発動できたことで、心がさらにリーナへと寄ったからこの威力が出たのだろう。
苦痛に蠢く敵を見るが。構っている時間はない。陣地に迫る敵を迎撃しなくては。
魔想具を構える。そして精神力が持つまで、私は撃ち続けた。
敵の圧が最も強い地点を探し、一発一発を正確に撃ち込んでいく。
精神力がなくなり、もう撃てないと気力が尽きかける寸前に、ついに敵は引いていった。
「ずいぶん早い引き際だ。なんでだろう?」
考えながら丘を下りる。ヴィクターを探すと、向こうも私に気づいた。
「助かった。援護がなければここで終わっていたかもしれない。危なかった」
「敵はずいぶんと早く引いていったように見えましたけど、なぜでしょう?」
ヴィクターは私の肩を叩いて言った。
「もともと俺たちの右翼陣地に敵が来なくなったのはリーナの魔法のおかげだ。相手の立場に立てば分かる。せっかくの勝ち戦で無駄に死ぬ意味はないってな。お前が狙ったのは、ほとんど騎士みたいだ。騎士の損害を嫌うなら兵を引いても不思議じゃない」
「そこまで確認してはいなかったんですけどね。でも、役に立てたなら良かったです」
「役に立てたどころじゃない。これは勲章ものだ。もっとも、生きて帰ることができ、なおかつヴェリウス辺境伯領を守り切れればの話だがな」
なかなかに条件が厳しそうな勲章だ。
でも今は、それだけの働きができたことを良しとしよう。
「しかし、順調に防御ができているのは俺たちだけかもしれない。左翼は重騎兵が突っ込んだとはいえ敵の浸透が激しいからな。急いで合流地点に向かう」
ヴィクターが兵を集めるために声を上げた。
兵たちは明らかにその数を減らしている。負傷して動けない者もいるが、彼らは置いて行かれる。救護している余裕はないからだ。
それでも士気は高い。最後まで諦めず戦う意志を、その目に見た。
なぜそんなに戦う気になれるのか? それが私には分からなかった。
「リーナ。なんでそんな目ができるんだって顔してるな」
「ヴァルガ……」
気づけばヴァルガが隣にいた。
やはりヴァルガは強い。多少の汚れはあっても傷一つない。完全に敵の攻撃を躱し切っていたようだ。
でもこの口ぶり、私の疑問の答えを知っているのだろうか?
「お前がいるからだろう。女のお前が戦っているから、弱音は見せられない……」
兵士たちは私を見ているようには見えない。ヴィクターに従っているだけに見える。
でももし逆の立場だったら? 女を戦わせて、自分は怖気づくことができるか?
……その時にならないと分からないし、女になってしまった私にその機会が訪れることはないだろう。
けど。それは確かに男として勇気を出さねばならないような気がした。
「攻撃があってもあと一回が限度だ。もうじき夕暮れになるからな。敵も同士討ちの危険のある夜襲までは考えないだろう。そこまで粘れば闇に紛れて逃げ出せる。森で戦った『灰色の猟犬』が夜襲を仕掛けてくるかもしれんが、それを考えても仕方ない。その時は俺が気張って守ってやるさ」
辛い戦いはまだ続く。
それでもまだ希望はある。
今はヴァルガの言葉を……信じるしかない。