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ディスコードルミナス  作者: RCAS
嵐の前の平穏
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アドラレクス

 エリシャ機関の頂点に君臨する九人の達人級能力者。その一人に名を連ねるのがアドラレクスである。

 赤みを帯びた黒髪を編み込み、後ろで束ねた端正な髪型。厚手のローブ越しでも、彼女の豊満な肢体は否応なく目を引いている。

 怒号、悲鳴、断末魔が渦巻く戦場。血と鉄の匂いが漂うこの地には彼女はあまりに不釣り合いな存在だった。

 そんな戦場を彼女はつまらなそうに観察している。


(私の力を使えば簡単に落ちるのに。そんなにノヴァリス辺境伯の機嫌を損ねるのが怖いのかしら? まあ、それも仕方ないか)


 彼女は戦場に向けていた視線を自陣に戻す。そこには馬上にて戦場を悠然と見渡す男がいた。傍には参謀や騎士、従卒を連れていることから、その男がルミナシア軍の将軍であることが分かる。

 ルカ・モンフォール将軍。

 経験豊かで貫禄もあり、軍事にも政治にも通じた名将。しかし、この戦局では、その知略が皮肉にも足枷となっていた。

 その原因はノヴァリス辺境伯にある。彼の領地を南北に貫く街道は、戦力の移動や物資の補給などを迅速に行うために必要不可欠なルミナシア軍の大動脈だった。

 ゆえに、ノヴァリス辺境伯に嫌われるエリシャ機関の助力を堂々と借りることは、モンフォール将軍にとって慎重にならざるを得ない決断だった。

 

 政治的な問題を無視することはできない。それをアドラレクスは十分に承知している。

 しかしそれを戦争にまで持ち込むことには疑念が湧く。もっとも、戦争だからこそ政治がさらに意味を持つことも理解はしているつもりではあったが。

 だからこそモンフォール将軍の対比として彼女が思い出すのは、その政治をあまりにも簡単で単純な理屈で無視をした一人の将軍だった。


 それはファルクラムを落としたセオドリック・バルモン将軍だ。

 あの将軍はノヴァリス辺境伯とエリシャ機関の関係をまるで気にすることなく、躊躇せずにエリシャ機関の力を使って城門をこじ開けた。「親の七光りで今の地位にいるようなものだから、皆の指示に従います」そんなことをおくびもなく漏らすような男であった。

 ファルクラム攻略戦に同行していた時は、まるで頼りなく思えた純朴な青年将軍であったが、この戦争にはそれこそが最適だったのだ。


 そのことを思い出し、なんという違いだろうとアドラレクスは嘆息する。

 たとえ有能と評価されようと、実績を積み上げなければ意味はない。

 それはこの戦の始まりとなる切っ掛け。スヴェルノヴァがセシリア・アリオンの確保に失敗したことからも明らかだ。

 彼はエゼルシオンに並ぶ使い手であると将来を嘱望されていた。その実力は九人の達人級の能力者の一人でもある。

 しかし今や左遷され、そこでも任務を失敗したとなって意味がない。有能であるということは、仕事を完遂してこそ初めて意味をもつのだから。


「ん? 何か変ね」

 

 軍の指揮所でもあるこの場においては、戦場の動きを全て把握することはできなくても、感じ取れる違和感というものがある。

 

「確かに動きが変ですね。確認しますか?」

 

 護衛についたエリシャ機関員の問いに、アドラレクスは少しだけ考えて言葉を返す。


「私たちの力が必要なら呼ばれるでしょう。今は待機でいいわ」

「了解しました」


 だが、案の定と言うべきか、戦場の様子に異変が生じた。

 それは敵の右翼陣地。自軍からみた左翼においてそれは起こった。なんと軽歩兵の大半を集めたはずの攻勢が止まっているのだ。

 モンフォール将軍の様子を見ると、参謀と何やら話し合い、前線から伝令が続々と駆け込んでいる。

 耳を澄ませば、伝令が告げる言葉が聞こえてきた。


「凄腕の魔導士がいます」

「軽歩兵の指揮官が、次々と狙い撃ちにされているようです」


 漏れ出る会話を聞くだけで恐るべき使い手がいることが分かるが、そのような存在は珍しくもいないわけではない。

 実戦経験は未知数だが、エリザベス騎士団という女だけの騎士団。その集団がこの戦場で魔法を使っていることを確認している。

 魔法を中心とした武力を持つということだから、その中でも魔導士級の投射魔法の使い手が複数人で守備に当たっているのなら考えられることである。

 だが……どうやらその予想は外れたようだった。


「モンフォール将軍! どうやら敵の有力な魔導士が存在するのは右翼陣地だけのようです! 中央の陣地を守る者は魔導士級とは言えず、せいぜいが準魔導士と言ったところ。右翼陣地のような長射程の投射魔法を使うそぶりは見せず、左翼陣地においては魔法使い級の魔法戦力しか確認できません」

「援軍が来たという情報などなかったはずだが……だが、それなら対処は可能だ。軽歩兵を右翼に集中し、弓兵も全てそちらに移動させろ。戦術魔法で敵陣を撃ち砕き、そこに突破口を開く」

「はっ! ですがいまだ姿を見せずにいる重騎兵はいかがしますか? 軽歩兵の損害を許容すればそのまま攻撃に移れますが……」


 参謀が自分に対して、ちらちらと目を向けていることをアドラレクスは自覚した。

 ようやく出番が訪れるか? そのように考えながら将軍たちのやりとりを彼女は見守る。

 

「……致し方あるまい。アドラレクス殿! よろしいか!」


 数度の会話の後に、アドラレクスに声がかかった。

 どうやらやっと本腰をいれて作戦に挑むようだ。

 些かの呆れがアドラレクスにはあったが、自分の仕事をこなすために将軍の元へ歩いてゆく。


「我らの力をお望みですね。ではどのように力を使いましょう? お考えになっているのが重騎兵の釣り出しなら、問題なく行えますわ」

「頼む。戦力の移動は必要かね?」

「はい。軽歩兵をできうる限り重騎兵の出撃地点があると思わしき場所に近づけてください。その後に力を使い様子を見ます。よほど恐怖に駆られ士気が低くなければ問題なく釣り出せるはずですわ」

「分かった。参謀! 戦力の再配置だ! そして重騎兵封鎖のための長槍兵の展開をすぐさま行えるように準備させろ!」


 ようやく舞台が整ったとアドラレクスは微笑んだ。

 彼女は自信の栄達にそれほど興味はなかったが、ルミナシア聖王国のために働けることに拘りがあったのだ。

 貧しかった彼女の家。苦しい貧困から彼女たちを救ったのはとある商人だった。

 彼がいたから、『恩寵の力』の使い方を学ぶためのエリシャ族の名門私塾に入ることができた。そこで才能を伸ばすことができたからこそ、今の地位にアドラレクスがいる。

 だからこそ現在は裕福ともいえるほどの資金を稼ぐことができている。病床に伏せる父と、まだ子供である妹と弟。家族のために彼女はエリシャ機関で力を振るっているのだ。


 たとえその商人が自分の力を利用し、己が野心を満たすための援助であったと気づいた今でも、彼に対する感謝の心に変わりはなかった。

 清い心を持っていようと、それだけなら何の意味もない。どれだけ心が汚かろうと、何かを成したことにこそ意味があるのだ。


「では、始めます。このアドラレクスの力、存分にご観あれ」


 敵の攻撃を受けるぎりぎりの場所まで接近し、その場においてアドラレクスは力を使う。

 それは全て、家族と家族を救った商人。そして、その商人を生んだルミナシア聖王国のために。


「さあ、あなた方の勇気を私に見せて。そしてその勇気で……自滅していきなさい」




 エヴァン・モラントはいかにレイウォル丘陵でルミナシアの攻勢を留めるか。それだけを考えていた。

 この守備陣地は必ず落ちる。確信ではなく、もはや確定された未来として彼は戦場を見つめていた。

 そして今日開始された攻撃。この攻撃によりレイウォル丘陵は陥落する。

 それが分かっているからこそ、ルミナシア軍に損害を強いることが、この場の守備を任された自分の仕事だと思っていた。


 そのために重要なのは重騎兵である。

 これは嫡男であるギルバードとともに何度も議論をしたことであった。この負け戦をどれほど価値あるものにできるか。それは敵の軽歩兵をできるだけ多く狩ることだ。

 ヴァリエンタ帝国と違い魔法の使用に消極的な面のあるルミナシア聖王国では、軽歩兵は決して使い捨てにできない戦力なのだ。

 そのための作戦として陣地が突破されるぎりぎりのところまで重騎兵を温存。自軍の軽歩兵との乱戦にいたる最終局面で突撃を敢行させる予定であった。

 たとえここで敵の長槍兵に陣を布かれ高価な重騎兵を全て喪失することがあっても、軽歩兵に甚大な被害を与えることこそが重要であるという認識であった。

 だが……その計画は完全に頓挫した。


「ギルバード! 何故今出る! いったいどうしたというのだ!」


 かつての戦役の遺構をもとに造り上げた監視塔から、エヴァンはありえない光景を目にしている。

 温存するはずの重騎兵が、想定する攻撃地点よりかなり離れた場所にいる軽歩兵へ突撃しているのだ。

 戦場を俯瞰するように見るエヴァンの目には敵陣の動きが良く分かった。

 長槍兵による重騎兵の封鎖を企図している! 攻撃をすぐさま停止させ、本陣へ戻れ!

 大声でそれを伝えたい衝動に駆られるエヴァンであったが、当然その声が伝わる距離ではない。

 そして、たとえ距離が近くとも襲歩に入り、敵に突撃しようとする重騎兵に、その声が届くはずはなかった。


「……突撃の効果はあった。軽歩兵の部隊の一部を蹂躙した。しかし……それだけだ」


 おそらく囮に使われたであろう敵の軽歩兵部隊は壊滅的な被害を受けているだろう。

 しかしそれはエヴァンが意図していた敵軍への損害を考えると軽微なものであった。

 そしてすぐに重騎兵の行き足はとまり、立ち往生する者たちが出てくる。待ち構えていた長槍兵の壁に遮られ陣地への帰還が上手くいっていない。

 それどころか。


「エヴァン様! 敵の戦術魔法が我らの重騎兵に! あぁ!」


 モラント子爵家の参謀として側にいる家臣たちの悲鳴が上がる。

 戦場に取り残された重騎兵が戦術魔法の餌食になり屍をさらしている。

 足を止めさえしなければいかに戦術魔法であっても重騎兵に大きな損害を与えることはできない。

 しかし足を止めたならば? その答えはエヴァンが目にする惨状であった。

 いくらかの重騎兵は自陣へと帰還してきたようだが、その場所は露呈し、長槍兵に陣を布かれ封鎖されようとしている。

 それと同時に、後方に控えていたであろう予備戦力の軽歩兵が左翼陣地に恐るべき速度で迫っていた。

 さらにそれを認識するのと同時に、さらなる戦術魔法が左翼陣地に炸裂する。


「この戦、我らの負けだ。いや、大敗だな……お前たち! すぐさま撤退戦のための行動に移れ! でないと我らは一兵残らずルミナシアに狩られるぞ!」


 エヴァン・モラントは指示を飛ばす。

 もう取り繕ってはいられない。今、彼がなすべきこと。それはたった一つだけ。

 敗残兵の、さらなる敗残兵となってしまう我が軍を、どれだけの数をもってカステリスへ返せるか。

 ただ、それだけなのだから。

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