戦いの合間に3
戦闘が終わり、夕日が地平線の彼方に消えゆく頃。
俺はアリオン家に与えられたスペースで夕食の支度をしていた。
食事の準備はここだけでなく、陣地では複数の煙が上がり、焚火が周囲を照らす。その明かりに照らされる歩哨や巡廻をする兵たちの存在が、これが単なる野営でないことを教えてくるかのようだった。
完全に気は抜けないが、そこは割り切って料理をする。
陣地に支給される食材はそこそこ質が良いとはいえ、それでも繊細な味付けなんて無理だ。だから単純な塩味が基本となる。
とはいえ、戦闘のあとの飯はこの塩気がちょうどいい。そう考えて大味ではあるが体に染みる飯ができたとは思う。
「それで、ヴィクター様とヴァルガもこっちで食事ですか」
森での遊撃戦は終わり、二人はエリック隊に再配属された。今日出た損害はエリック隊が一番大きかったからだ。
やはり敵にここが弱いとばれたのは厳しかった。
今はエリックとカイルにその二人を含めて食事をしている。
「俺は指揮所で食えたがな。こういう時は一緒の鍋の物を食うのが良いんだ。これから一緒に戦うんだからな」
「それはそうですが……貴族に格式は重要でしょう?」
「俺は正式には貴族じゃないぞ。爵位は親父と兄貴のもので、次男の俺は違う。だからこれでいいんだ」
「そういうものなんですね。なら、どうぞ。ヴィクター様が持ってきた食材よりは良いものを使っているので、そこそこの味ですよ。ほら、ヴァルガも」
「おう、いただくぜ」
自分の分もよそい、塩気の効いた麦粥を口に運ぶ。
うむ、まあこんなものか。
「前も思ったが、結構うめぇな。料理は得意なのか?」
「別に。味にこだわりはあるけど、そこまで上手いわけじゃないよ」
「そうか? でも十分だと思うぜ。ヴィクターもそう思うよな?」
「ああ。実はリーナの飯を食いたくてこっちに来たってのもある。男の飯の味を良く知っているからな。俺の好みだ」
二人は俺の料理を褒めるが、別に大したことはない。
でも、女の体になっても味覚が変わらないのは、正直ほっとする。
これも俺を構成する大事な要素だからだ。
「エリックは良い侍女を持ったな。戦場まで付いてくる侍女なんてそうはいないし、おかげでこうして美味い飯にありつける。実にありがたいことだ」
「まあな。アリオン家自慢の侍女だ」
ヴィクターに対して短くそう返すエリック。
流石にそこまで言われると、気恥ずかしくなる。
「なんだ、べた褒めじゃないか」
「リーナさんはエリック様のお気に入りですからね。僕も好ましく思っているし、ヴィクター様も心を許しているように見えますよ」
カイルまでそんなことを言い出す。勘弁してほしい。
「一緒に戦った仲だからな。それに同じグレン先生の門弟であるから、気に掛けるのは当然だ。リーナ。それで戦いの方はどうだった? 魔法の使い勝手が違うだろう」
「ええ、今日の戦いについてなんですが――」
ヴィクターは俺を魔導士クラスの使い手と評価したけど、それでも大した活躍はできなかった。エリザベス騎士団のアンナたちも同様だ。
やはりこの世界の魔法は強くない。確かに重要なんだけど、こういう戦場だと決定打にならないんだ。
「戦闘規模の魔法なんて所詮はそんなものさ。だが、それを理解できたのは収穫だろう。それで、エリックは打って出たと聞いたが、どうだった?」
「第一波は兵力差があまりなかったからな。打って出ることができた。戦ってみて分かったことだが、ルミナシア軍の兵の質は大したことはない」
そうなのか? 臆することなく突撃してきたから十分に鍛えられた正規兵だと思ったんだけど。
「陣の中にまで入られたと聞いたぞ。機動魔法まで駆使する兵がいるのにずいぶんと低く評価するんだな」
そんな俺の疑問を代弁するかのようにヴィクターが言った。
エリックはそれに対して自分の考えを話す。
「俺が言っているのは技量の話じゃない。闘争心の話だ。強く押せば俺たちの陣地は危なかった。なのに押し切ることなく奴らはすぐに引いた。これが武勇派貴族の騎士や兵ならこうはいかん。仮に武勇派でなくともヴェリウス軍の兵だったらもっと食らいついているはずだ」
「長く続いた内戦の影響だろうな。幸か不幸かヴァリエンタ帝国の騎士や兵は良く鍛えられている。それと比べれば平和だったルミナシアの兵には、俺たちのような闘争心はないのかもしれん」
ヴィクターが補足をするが、これには納得だ。
戦国時代の侍と、太平の世の江戸時代の侍みたいなものだ。平和が兵を弱くするというのは良く分かる。
それと比べれば、少し前まで内乱で殺しあっていたヴァリエンタ帝国の兵が実戦慣れしているのは当然だろう。
「しかしそんなものは些細なことだ。第二波の攻撃はさすがに陣地から出られなかった。やはり数が違う。それに俺たちは敗残兵を無理やり集めて作った部隊だ。連携という点では敵のほうが上。明日は厳しい戦いになる」
エリックは難しい顔をしながら、低い声でそう言った。
やはり戦いは厳しいか……。
こうして戦いの話をしていて思い出した。疑問に思っていたことがあったんだ。それも聞いておこう。
「それと弓兵についてなんですけど、ルミナシアが使ってこなかった理由がわかりません。味方は矢を放っていましたよね? 敵は散兵であったり、直撃しても反射発動魔法に遮られたりとあまり効果はなかったですが、牽制や足止めとしてはそこそこ意味があると思いました。だからルミナシアだって使ってもいいと思うんですけど」
「ルミナシアも会戦やファルクラム攻略で矢を消費している。それに奴らは遠征軍だからな。無尽蔵に矢を使えるほどに補給が万全でもないのかもしれん」
俺の疑問にエリックが答え、それをヴィクターが補足するように言った。
「そもそもの話、陣地に籠る俺たちに矢を打ち込むのは効果が薄いぞ。いざとなれば防御魔法もあるしな。そして味方の弓兵は敵よりも高所に配置されている。うかつに前に出て矢を放てば、より射程のある高所からの攻撃に晒される。どうだ? そんな状況でリーナは弓兵を積極的に使うか?」
「……使いません。使うならもっと、効果が出る場面で使いたいですね」
「そうだろう。使うのなら陣地戦に決定的な何が起こった瞬間じゃないか? それまでは温存しているのかもな」
魔法の存在がここでも兵科の意味を変えてきた。弓兵という存在が投射魔法や防御魔法により相対的に弱体化しているんだ。
駄目だな。俺の持つ軍事の知識もこの世界に合わせないと意味を持たない……それどころか害になる可能性もある。
ここはちゃんと体系的に学ばないと駄目だ。
とはいえ今から兵学を学ぶなんて無理だし、大事なのはこの戦いを切り抜けること。
それに明日は厳しくなるという話じゃないか。そのために必要なものがある。今はそっちのほうが重要だ。
「そこで相談なんですが、これを見てください」
「魔想具か。リーナが使うのか?」
アンナに調達してもらった魔想具を荷物から取り出し皆に見せる。
言葉を返したのはエリックだが、顔を見れば皆がこの武器のことを理解しているのが分かる。
「はい。俺は軽歩兵として魔法を習得しましたけど、魔法を使う時は純粋な魔法使いに近いですからね。魔想具を使うことにしました。使いやすいように調整したので、試射をしてみたいんです」
自分好みのライフル形状に加工したこれの試し撃ちはまだしていない。
完成したと同時に飯の準備をする時間になったからだ。そしてエリック達がいる今なら、これを試すのに都合がいい。
「なら使ってみれば良い……と、そう簡単ではないか。今日は剣を抜いたな? いつものリーナに戻っている」
しみじみと言うエリック。
女から男へ意識を戻したのを見るのはエリックは初めてか。それならこういう反応にもなるか。
「はい、なので心を女にしたいので、手伝ってもらいたいんです。戦闘の高ぶりで、そんな気分になれなくって」
「そうなのか? それで、どうすればいい?」
「はい。体を触ってもらえませんか? 女を愛でるように。経験上それが一番効きます」
俺としては素直に言っただけなのだが、エリックは黙り込み、いきなりヴィクターをじろりと見た。
「……ヴィクター、お前。リーナに触れたか?」
「おいおい! そんな目で見るな! 稽古している時に体を触っただけだ。剣の修行をしていれば良くあることだろ」
稽古の時だけじゃなくて、戦いの最中で触れた時もあったけどな。
しかもあっちは、女の子の大事な部分を下着越しからとはいえ触られている。
……言えない、これは喋っては駄目だ。
「どうだがな……だが、リーナが気にしていないようだから許してやる。しかし、女を愛でるように触れる……か。俺には良くはわからん」
「それなら、またヴィクター様にしてもらいますか?」
「それは駄目だ。お前はアリオン家の使用人だ。緊急時ならともかく、他家の人間に触れさせるのは許さん」
「いや、そんなこと言われても……ならカイルさんなら? それならいいでしょう?」
「そこで僕に振るのか? できなくは、ないけどな……」
そう言ってちらちらとエリックを見るカイル。
臣下としてはそりゃあ気にするよな。俺はエリックのお気に入りなんだから。
「おいおい! まだるっこしいな! なら俺が触ってやろうか? 殺し合ったとはいえ、今はもう仲間として一緒に戦った仲だ! 俺でも行けるんじゃねえか? どうだリーナ?」
「ヴァルガ? ああ、別にいいよ。魔法のことも教えてもらったし、今は頼りにしているしな」
いきなりの自己推薦にびっくりだ。
とはいえ、ヴァルガでもいけそうだというのも確か。
それに遊んでるみたいだし、女の扱いも上手いだろう。
「お前も駄目だ! 組織に属さない傭兵とはいえアリオン家の嫡男としては許しがたい! もういい! 俺がやる! お前たちはどうすればいいか指示だけ出せばいい!」
エリックが怒鳴りだし、自分でやると宣言。
話が戻ってきたけど、まあいいか。
「ならエリック様にお願いしますよ。ついでに服も変えます。かなり汚れましたからね。何が良いかな……」
食べ終わった器を置いて、行李を漁る。
フランは色々なコスプレともいうべき衣装を俺に渡したわけだけど、次はこれにするか。
「酒場の給仕服ですね。胸の大きさを考えれば微妙な気もしますけど、これを着るのは恥ずかしいから、ちょうど良いかもしれません。今は日も暮れて人の目もあるわけじゃないから……まずは脱ぎますね」
「お、おい、リーナ」
戸惑うエリックを無視してひらひらの沢山ついた服を脱ぐ。結構汚れた。洗濯が大変だなこれは。
しかしそれは後で考えればいいこと。前と同じように下着姿なったわけだが……一回やって慣れたか。戦いの高ぶりもあってこれだけじゃ女になれそうにない。
というわけでエリックのもとに向かう。
エリックがびくつくが、それを無視。そのまま胡坐をかくエリックの胸に背を預け、体を納めるように座った。
エリックの体格と小柄な俺の体格が合わさり、ちょうどいいフィット感がある。
「ではお好きにどうぞ。俺は……いえ、私は感じることに集中します」
そう言って目を閉じ、エリックを待つ。
「あ、ああ……何か不備があったら言えよ? ではいくぞ」
そんな私をエリックは包み込むように抱きしめる。
体を撫でまわされているわけじゃない……でも、これはこれでかなり効く。
女を愛でることに慣れていないとエリックは言っていたけど、これはなかなか良いじゃないか。
これなら思ったよりも早く女の心になれそうだ。
「ん、あ……ふ……うん、そうそう、そんな感じでお願いします……」
「……」
抱きしめるだけでなく、体を撫でまわすように触れだした。
黙って触り続けるのは集中しているからだろうか? この手の震えは緊張しているから? 私も女の肌を初めて触った時は、こんな感じだったのかもしれない。
言葉を発さないのは他の皆も同じで、聞こえるのは布が擦れるような音と、焚き木の弾ける音だけになった。完全な無音ではないが、逆にそれが静寂を感じさせ、心を落ち着かせる。
そして肌を撫でるように滑るエリックの指先の感覚……だんだんと心が変わっていくのが分かる。
あとはお尻に当たる硬い感触があった。男なら、そりゃあこうもなるだろう。
気恥ずかしさを感じる……でも、それがかえって今の自分が女であることを強く意識させた。
「……来ました。今、女になった気がします。ではもういいですよエリック様。……エリック様?」
「……あ、ああ! すまない! 思ったよりも感触が良くて、つい……もういいぞ」
エリックだって男だからね。そりゃあ興奮もするよ。
でも今はそれはいいや、取り出した給仕服に着替えて調整した魔想具を持つ。
明日、明るくなったらもう一度確認をする必要があるけど、威力だけならこの場でも確認できる。
『水礫』に使える水はその釜の中にあるし、さっそく試してみよう。
「前に使った板があるからそこに撃ちます。見ていてください」
イメージはボルトアクションライフルだ。リボルバーと同じように架空の銃を思い起こす。
ボルトを上げ、後方に引いてチャンバーを解放。
今日の所は一発でいい。腰に弾薬入れのポーチがあると想像して、そこから一発の弾薬を用意する。
それをチャンバーに入れ、ボルト前進させて装填、そしてロック。
これで準備は完了だ。狙いを定めて、心の引き金を引く。
すると想像どおり水の弾丸が板に突き刺さった。さて、威力は?
「俺が確認する。待ってろ……凄いな、板を貫通している。これは俺の失敗だな。最初から魔想具を用意するべきだったかもしれん」
照明魔法を使って確認をするヴィクターは、神妙な表情で板に開いた穴を見ていた。
「なら良かった。あと想像の通りなら、射程も命中精度も上がるはずです。明日はこれで頑張ってみます」
魔想具……ただライフル状に加工しただけの木の杖だけど、随分と頼もしく感じる。
「頼む。今日行われた二回の攻撃で右翼陣地の強度が敵に見抜かれたはず。おそらく明日の攻撃はこちらに集中するだろう。本気の陣地戦が始まる……俺たちだけじゃない。兵を、皆を守ってくれ、リーナ」
そう言って、エリックは真剣な表情で私を見つめた。
「お任せください。やってみせます!」
戦いの合間にあるこの穏やかな時間。
これがあと何回訪れるのか……それは、まだ誰にも分からない。