遊撃戦3
ヴァルガが斥候として前方を進む。『朧』の効果で彼の存在感はほとんど消えており、森の気配と完全に溶け合っていた。彼がハンドサインで合図を送る。
本来はもっと複雑らしいけど、この作戦ができる程度の簡単なものだけを教えてもらった。まるで特殊部隊みたいだ。
『敵発見』
そのハンドサインを見て私たちはその場で足を止め、木々の影に身を潜める。
ヴァルガが木に隠れながら指す先には、先ほど遭遇した『灰色の猟犬』とは異なる装備の敵。
ルミナシアの後光を模したような紋章が描きこまれた革鎧を着た軽歩兵たちが確認できた。
警戒をしながら歩く五人の兵士たち。だけどその歩みは森の中での戦いに慣れているようには見えなかった。
『作戦通りに行動する』
ヴィクターもハンドサインで指示をする。
さあ、ここからが本番だ!
私は意識を集中させ、先制の一撃を放つ。水の弾丸が敵の隊列の中央を歩く敵の胴体に突き刺さる。
一瞬の混乱が広がる。その隙を逃さず、ヴィクターが剣を抜いて疾走し、敵の陣形に鋭く切り込んだ。
「敵襲だ!」
すぐに立て直そうとしている。でも、そうはさせない! 再度魔法を放って注意を引く。
相手も戦いのプロだ。奇襲の効果が薄れた『水礫』を『風打ち』で防御された! だけど私の魔法の威力を完全に殺せずに胸にダメージを与えることができた。
さらに魔法を放つが、残りの四発は全て回避される。いくら強力な魔法でも、当たらなければ意味がない。
だけどそれは私が一人で戦っている場合だ!
私とヴィクターに気を取られた敵を、ヴァルガは背後から襲い、致命の一撃を浴びせていく。
さらなる奇襲に敵は為す術もなく崩れ、あっという間に全滅した。
「こんな簡単に……」
思わず感嘆の声が出る。『風打ち』を使える兵だっているんだから、弱兵のはずはない。
それなのに、この圧倒的な戦果だ。まるで強さを発揮させずに倒すことができた。
「これが環境と戦い方ってやつだ。俺が『朧』を使っているのもあるが、奇襲に対して脆すぎる。平地の戦いの感覚で戦っていたんだろうな」
「……凄まじいな。だがこれでこの作戦が有効であることが分かった。引き続きこの戦法を採用する」
ヴィクターが正式にこの作戦を採用し、その後も私たちは同じことを繰り返した。
完全にこの戦法がハマり確実に敵の数を減らしていく。
そして三組目の軽歩兵を全滅させた直後、異変が訪れた。
「まずいな。調子に乗り過ぎたようだ」
「おいヴァルガ……どういうことだ?」
沈黙の中で行われるはずの作戦の最中、先行しているヴァルガが足を止め剣を構えながら突然言葉を発する。
それに対してヴィクターが問うと、ヴァルガは厳しい表情で答えた。
「囲まれてる……『灰色の猟犬』の連中。味方の軽歩兵を囮に使いやがった。味方の救援より俺たちの包囲を優先したようだな」
「それは、絶体絶命……ってこと?」
「敵の気配はそう多くない。なんとか戦いにはなるだろう。だが、厳しいことに変わりはない」
私が危惧するよりかはマシみたいだけど、それでもピンチには変わりないみたいだ。
「来る! なんとか切り抜けるぞ!」
ヴィクターが剣を構え声を発すると同時に、敵が木陰から襲い掛かってくる!
灰色の装束! やはり『灰色の猟犬』か!
一瞬見えた限りでは三人がヴァルガに向かい、私とヴィクターに二人が突っ込んできた。
ヴァルガと分断された! こちらはヴィクターと背中合わせの状態で、敵に挟まれている。これは確実に不利だ!
意識を集中し、『水礫』を放つ! それは目の前に迫る敵に全く当たることなく、簡単に躱される。
やりづらい! 撃つ動作を完全に見切られてる。構えたら大きく動いて的を絞らせないようにしているんだ!
「俺が助けに行くまでなんとか耐えろ!」
そんな声がヴァルガから聞こえる。
三人に囲まれているのに、それを撃退してこちらの加勢に来る?
できる! ヴァルガの実力ならできるんだ! なら私たちは耐えるだけでいい!
「ずいぶん自信満々だな、ヴァルガ。いくらお前でもこの状況を切り抜けられるのか?」
突如響いたその声に、戦いが止まり、場が膠着する。
新手!? 視線は目の前の敵から離せない。だからその声に耳を澄ます。
「ヴァルツか……『灰色の猟犬』に所属しているとは思わなかったぞ」
知り合いなの? だけどこの戦いが膠着したのは敵がヴァルガと話しをするためだろう。
なら今は警戒だけはして、事の成り行きがどうなるか、待つしかない。
「ふんっ! しらじらしい。まあ良い。交渉をしないか? 俺たちとしてもお前と戦いたくはない。手勢を喪うのは避けたいからな。素直に投降するならそれなりの配慮はしてやる」
「ほう? それはお優しいことだな。そうなると俺たちはルミナシアの捕虜か?」
「そこにいる男と女はそうだ。お前はどうするかな? そうだな、ゼイガイトで働くってのはどうだ? 大公国に付くか、それともヴォルファングに付くかは選ばせてやる。俺たちとしても紹介料で美味しい思いができるし、お互い悪くない話だとは思うがな」
この話の流れは……明らかに良くはない。
ヴァルガが私たちを見捨てたらそこで終わりだ。
「そうかもな。それで、その美味しい話を俺が飲むと思うか?」
「……交渉は決裂か。なら死ね」
ヴァルガが戦闘を再開したようだ。剣戟の音が聞こえてくる。
そして私とヴィクターは動けないまま、敵とのにらみ合いが続く。
だが、敵はじりじりと距離を詰めてくる。一瞬でも隙を作ったらそこでやられる。
「リーナ。ヴァルガはあれを切り抜けて俺たちを助けに来ると言ったが、状況が変わった。敵も勝算があるからヴァルガを狙っている。だから俺たちでなんとかしないとまずい。お前はこの二人を相手にできるか? ほんの少しの間だけで良い」
「ヴィクター様がどうするか分かりませんが、やるしかないですね……いいですよ、やりましょう!」
「分かった! 『跳ぶ』から踏ん張れよ!」
『跳ぶ』という言葉を聞いて、一瞬で閃くように分かった。
前傾姿勢を取りながら衝撃に備える。すると体全体に重さが加わり前のめりになるが、なんとか足を踏み出して耐えた。
あの時と同じだ。『瞬躍』で水平に跳んだんだ! これで戦力の均衡が崩れる! あとはわたしがこの戦いを凌ぐだけだ!
ヴィクターの行動に目の前の敵は驚いている。その驚きが隙になる!
私はヴィクターに蹴られた反動のままに敵に突進するように向かう!
そして残った五発の弾丸を全て撃ち放った。
この動きに対して敵は大きく後退しながら魔法を避ける。予想通り! この敵はあの『風薙ぎ』で魔法を切り払った奴よりも数段弱い! だから大きな動きじゃないと躱せないんだ!
さらに前進してすぐにリロードをする。
この敵にしたら意味を見いだせない無意味な動作に、一瞬の警戒をするが、すぐに私に向かって前進してきた。
その動きに対してすぐさま『水礫』放つ。だがこれも避けられるが、今度は大きく動くのではなく私に対しての横に逸れつつ屈みながら前進してきた。
再度魔法を放つが、完全にタイミングを読まれて回避される。これもさっきと違って最低限の動きで避けられた。
コッキングのタイミングと隙がばれた!? おそらくそうだ! だからこんな大胆に動くことができる。
次の魔法をはずせば私は確実に死ぬ! その距離はあと数歩! 一秒にも満たない瞬間に勝負は決まる!
構えを変える。右手に左手を添えるのではなく、ハンマーの上に左手を置くイメージ。
頭に思い浮かぶは西部劇に登場するガンマンだ。その動きをイメージして魔法を放つ!
一発目は当然のごとく回避されて、それを見て敵の剣が私に迫る。
だけどまだ私は終わっていない! 指がリボルバーのハンマーを素早く弾くように動く、ファニングショットをイメージする。
このイメージならコッキングの隙も無く二発目が発射できる!
「ぐっ……!」
その一発は灰色の装束を貫き致命的なダメージを与えたように見えた。
ならこの敵はもういい! ヴィクターはどうなった?
すぐに振り返り、後ろを見ると、そこには剣を振りかぶる敵がいた。
私を狙ってきた! もう、リボルバーを撃つ余裕はない!
この剣が体に到達した時、この命が終わり、私は死ぬということ。
それを理解した瞬間。エリックが使った致命の一撃を防いだ魔法が、強烈に頭の中に思い浮かぶ。
「なっ!」
敵が驚く。
そうだ。間違いなく驚くはず。だって私は『風打ち』使ったんだから。
練習だけはしていた魔法。その魔法がこの土壇場になって発動してくれた!
『風打ち』により弾かれた剣と崩れた態勢。それにより稼いだ時間を使い、リボルバーを敵に向かって撃つ。
だけどこれは『風薙ぎ』で迎撃された! これならファニングショットを放つべきだったけど、そんなのは後の祭りだ。
残されたのはあと一発のみ。これを防がれたら今度こそ私は終わる。
この命綱の一発をこの敵に放つか? いいや駄目だ! 防がれたらそれで終わり!
そこで私は賭けに出た。目の前の敵ではなく、私の窮地に気づいたヴィクターの援護に使う!
魔法を放つ。最後の一発、その『水礫』は、ヴィクターと対峙する敵に突き刺さった。戦闘が不能になる深刻なダメージを与えたはず!
ヴィクターはよろめいた敵を踏み台にして、跳ぶ。
それと同時に、目の前の敵は剣を私に向かって振り下ろした。
反射的に目を閉じる。だけど、その刃は私に届くことはなかった。
ゆっくりと目を開けると、敵の胸からまるで生えているかのように剣が貫いていた。
私は賭けに勝った。ヴィクターの援護に頼るという賭けは成功した。
「駄目だ! 撤退! 逃げるぞ」
ヴァルツという男の声だ。
敵はすでに三人を失っている。不利を悟ったのか、ヴァルガへの攻撃を止めて撤退する。私たちは、なんとかこの場を凌ぎきった。
それを見て私はその場にへたり込んだ。
はは……駄目だ、腰から力が抜けた。
「すまん。助けるのが遅れた」
ヴィクターが私に謝罪をするが、それでもあの戦い方がベストだった。だから私たちは生き残れたんだ。
「なんとか凌げましたね。でも……」
心の中に相反する二つの感情があった。
それは助かり、命を繋いだという安堵。もう一つは命を失いかけたという恐怖。
そこから導き出される答えは。
「……敵は、強い」
今回は運が良かった。練習をしていたとはいえ都合よく『風打ち』が発動したおかげで助かった。
その『風打ち』をエリックのように自由自在に使えたなら、最後の一撃も余裕をもって防ぐことができたはずだ。
私は……弱い。
確かにこの世界に来た時と比べれば格段に強くなったという実感はある。けれど、自信をもってこの戦場を戦い抜く自信は全くない。
「……ヴィクター、お前の機転で助かったぜ」
ヴァルガが合流してきた。その目は『灰色の猟犬』が逃げて行った方向を見つめている。
「ヴァルツとかいう奴は知り合いなのか?」
ヴィクターの問い。
それは私も気になる。親しそう……というわけじゃないけど、馴れ馴れしい感じがしたからだ。
「ん? ああ。俺の従兄だ」
「ふーん……は? い、従兄って、ほんとに?」
なんか、すごく自然に殺し合いに発展していたんだけど、高地人てそういうものなの?
「一族の中では魔法の苦手な落ちこぼれさ。とは言っても剣や槍の腕は俺に匹敵する腕前だ。俺と奴では、普通に戦うなら百戦やって百戦俺が勝つ。だが、奴には戦士としての誇りなんてないからな。まともに戦っちゃあくれない。『灰色の猟犬』にいるのも自然なことだろう」
「これは親父にも報告しておかないと。まさかそんな奴が敵にいるとはな……」
ヴィクターが難しい顔でそう言った。
この戦いは簡単じゃない。そんなことは分かり切っていたけど、ヴァルガの話を聞いて、なおさらそう思った。
もっと強くならないと駄目だ。じゃないとこれからの戦いで生き残ることなんてできない。
今の私の心を占めているのは助かったという安堵よりも、もっと強くなりたい……その欲求がほとんどだった。