遊撃戦2
「おい! 大丈夫か! 俺はモラント子爵の次男、ヴィクターだ! お前たちはどこの家の者だ!」
ヴィクターの誰何に、まだ立っている味方の一人が答えた。
「アルディス家の騎士、アルフレッド・トレヴェインだ。こちらは従騎士のフィン。すまない。助かった」
「遊撃に出ていた者たちだな? やられたのはその二人か? 死んでいるようだが」
「ああ……いきなりやられた。森の中の戦いは俺たちも自信があったんだが、それでもこの様だ。高地人傭兵はやはり強い……まるで刃が立たなかった」
そう言って、アルフレッドはフィンと顔を見合わせ、次いで倒れた仲間へと目を向けた。
遠目ではわからなかったけど、倒れた兵士の首元は深く裂け、土に滲んだ血が赤い水たまりを作っていた。
鼻をつく鉄の匂いが、戦場の現実を突きつけてくる。
「それで、なんだ? そのお嬢ちゃんは? なぜそんな服装を?」
アルフレッドと名乗った騎士は困惑した顔で私を見つめる。
そうだよね。この森の中でこんなひらひらな服を着ているのは絶対におかしいよ。
「諸事情があってな。彼女は魔法を使えるが衣装に制約がある。精神的なものというやつだ」
「魔法? 敵が切り払っていたあの『水礫』の術者か? 俺たちの命の恩人だな。なら深くは聞かないさ。それでこれからどうする? 俺とフィンは報告のためにも一旦帰還する。敵に高地人傭兵がいるならもっと一つの部隊の兵を増やさないと駄目だ。四人では奴らに対抗できない」
「そうしろ。俺たちは腕のいい高地人を雇っているからまだ対抗はしやすいが、単なる軽歩兵にこの森は厳しい。捜索は俺たちが引き継ぐからモラント子爵へはそのように報告するように、アンタらの主君に伝えてくれ」
「……主君であるロドリック様は、生死不明だ。この戦場では有力な騎士たちで協議しながら戦っている」
ロドリックというと、エドワードさんと友人だったという男爵家の当主のはず。
そうか、生死不明か……。
「そうなのか? 悪い。俺たちはこの地に来たばかりで、会戦での様子を詳しくは知らなかったんだ」
「いや、謝らせるために言ったんじゃないから気にするな。他にも主君を喪った騎士があの丘陵には多くいる。戻ったら確認を取っておくほうがいい」
「そうか。助言感謝する」
「いや、助けてもらってこちらこそ感謝する。では俺たちは戻る。いくぞフィン」
「了解です! ……みなさん、ありがとう。助かりました」
そう言って彼らは去っていった。
遺体と遺品がこの場には残される。
最低限の物として剣だけは持っていったが、全てを回収する余裕はないようだった。
「辛い戦いになりそうだな。リーナ? こうして一戦交えてみてどうだった? 戦えるか?」
そうヴィクターに問われて、否定をしたい感情に一瞬とらわれるが。
「ここまで来た以上、やりますよ。私の援護は必要なんでしょ?」
虚勢を張って、そう答えた。ここは無理をしても踏ん張らないと、さらに戦況は厳しくなる。
「でも、敵に私の魔法を切り払われました。あれはいったい?」
「『風薙ぎ』だな。攻防どちらにも使える所作発動魔法だ。強力だが、使いこなすのは難しい。俺も実戦で使われるのを初めて見た」
それはとんでもない手練れが敵にいるということ。
もしそんな敵に接近されたら? ……恐怖が心の大半を支配していく。怖い。ただただ怖い。
さっきまで張ろうとしていた虚勢が、がらがらと崩れ落ちるような想像が頭の中に広がった。
「しかしそこまでの手練れがいるということは、なおさら魔法が重要になる。ヴァルガはどうだ? リーナの援護があった方が良いだろう?」
気が付けばヴァルガもこちらに近づいていた。
「断言できる。絶対に必要だ」
ヴァルガの口調はいつになく真剣だった。
「やつらは『灰色の猟犬』。単純な戦闘なら高地人傭兵としては弱い方だ。だが、森のような閉所での戦いや、夜戦、追撃戦において強さを発揮する傭兵団だ。ひとつだけの氏族から構成でなく、様々な氏族の落ちこぼれが集まってできた傭兵団でな。団員の能力差が激しいが、こういう狩りをするなら高地人でも随一だろう。弱い者を狩るのは、弱さを自覚しているからこそ、より巧みにできるということだ」
ヴァルガの顔から、いつもの余裕が消えていた。
その鋭い視線が、ヴィクターを真っ直ぐに見据える。
「覚悟だけはしておけ。俺でもお前たちを守れる自信が、今、なくなった。」
「そ、れは……」
ヴァルガのその声に、私の心が強く締め付けられる。
戦うための覚悟が、戦意が、どんどんと削がれていくのが分かった。
「ヴァルガ。それなら戦力を増強するしかないと思うが、お前はどう考える?」
ヴィクターの発言はもっともだと思う。
さきほどアルフレッドと名乗った騎士も部隊の定数を増やすと言っていたから、良い案だとは思うけど。
「そこが難しい。あまりに多くの人数を揃えると『灰色の猟犬』には逃げられて戦いにならない。それに下手に頭数を揃えても統率が難しくなってその隙を狙われるだけだ。やつらの狩りは別に全員を殺す必要はない。隙のある奴を狙って攻撃するだけでもいいんだからな」
「そう言われると、安易に人を増やすのも考えものか。俺たちには最低限の信頼関係がある。ヴァルガとリーナは殺し合った仲とはいえ、俺たちは皆、グレン先生の弟子だからな。それなりの繋がりがある。そこに全くの他人を加えるとなると……」
自分の安全だけを考えるなら人を増やすべきだけど、それで被害が出ても意味はないか。
「ならどうするんですか? 正直言って私は怖いですよ。私の魔法が必要とはいえ、隙を狙われたら何もできずにお陀仏なんですから」
「そこは一つ考えがある。俺たちも『灰色の猟犬』の戦法を真似ればいい」
「どういうことだ? 詳しく聞かせてくれ」
私だけでなくヴィクターもヴァルガの言っていることが理解できないようだ。
真似るってどういうことだろう?
「俺たちも強い敵は避けるってことだ。『灰色の猟犬』とはなるべく戦わない。ヴィクター。最初の話じゃあ、敵の斥候や軽歩兵を撃退するのが仕事だったわけだろ? なら狙うのはそいつらだけでいい。まだ遭遇していないだけで、この森にいるはずだからな」
「どうせ上手く戦えないのなら、そこは割り切るということか……意外と悪くない案かもしれない。敵の後方浸透を阻止できれば作戦としては俺たちの勝ちだ。そして『灰色の猟犬』が狩りを主な仕事としているなら、後方への攻撃を積極的に行うことはしないとわけだな」
発想の転換だ。敵が強いのなら戦わなければいい。
それで作戦目標である敵の浸透の阻止ができれば問題ないというわけだ。
『灰色の猟犬』を避けるという意味でも、少人数の利点も生きてくる。
「確定とは言えないけどな。ただ傭兵が後方を襲うってのも神経を使うんだぜ? 依頼をこなしたと思ったら、やりすぎて占領地のうま味が減って、依頼主からお叱りを受けて報酬を減らされるとかな。たんなる小競り合いなら問題はないんだが、今回は本気の戦争なんだろ? 占領地の問題が絡んでくると途端にめんどくさくなるんだよ」
「それって、政治的な問題ってことか……傭兵もそういうことに気を使うんだね」
私の疑問にヴァルガが肩をすくめる。
「ゼイガイトから金を貰っている場合はもっとめんどくさいぞ。とは言っても、だからこそ大金をせしめることができるんだがな。それでどうするヴィクター。この案でやってみるか?」
「ああ。それで行こう。傭兵視点での話も興味深いが、それはまた後で聞けばいい。それに提案するからには策もあるんだろう?」
「あるぜ。俺たちの一族に伝わる魔法『朧』を使う。俺の姿を見ていろ」
その言葉を聞いた瞬間。ヴァルガの何かが変わった。
なんというか、存在感が薄くなった? そんな気がする。
「そのまま目で俺を追ってみろ」
ヴァルガがその場で体を揺らすように動き始めた。
当然それくらいで見失う訳じゃないけど、その動きにいきなり緩急が付き始め、不思議なことに焦点が合わなくなり始める。
そして突然大きく動いたと思ったら彼の姿を見失ってしまった。
「む……消えた? わけじゃないな。途中までは目で追えていた」
「そうですね。視界の隅にいった瞬間、認識できなくなったというか、そんな感じです」
「正解だ やるな、嬢ちゃん」
「ひゃん! ちょ、ちょっと! なにするの!?」
いきなり首筋から手を入れられ背中を撫でられる。
そんなセクハラをしたヴァルガは「いい手触りだ」なんて言いながら手を服から引っこ抜いた。
「これが『朧』の効果だ。結構使える魔法だろう? 伯父貴はこれを使っていたから。というか意識しなくても『朧』を発動しっぱなしなんだよな。だからあんな影が薄かったわけだ」
「グレン先生が突然現れたように感じるのはそれが理由か……」
ヴィクターが驚いている。これには私も驚きだ。
だってさ。アクティブでなくパッシブでこれを使っているってことでしょ?
「ええ……反則でしょそれ」
「まあな。本気の伯父貴は反則なんてもんじゃないぞ。気が付いたら死んでるどころか、気が付く前に死ぬ、だ。それでとんでもない戦果を何度も上げていたんだからな」
うーむ、流石グレン先生。達人なんてレベルじゃない強さだ。
その話に感心と恐れが入り混じる私とヴィクターだけど、そんなことは気にせずにヴァルガは『朧』を使った作戦の説明を始めた。
「作戦はこうだ。俺が『朧』を使いながら先行して敵を見つける。そして合図を送るから嬢ちゃんが魔法で先制攻撃をかけて、機先を制する。そしたらヴィクターは切り込みだ。こうなると敵の意識はほぼヴィクターと嬢ちゃんに向くだろ? そこを俺が側面から襲い一気に決める。これでどうよ?」
かなり良さそうなプランだ。ヴィクターはどう判断するかな?
「良い作戦に思える。まずは一回やってみよう。それでどれだけの戦果を上げられるか確認だ。しかしそんなことを俺たちに教えても良かったのか? 秘密の魔法か何かじゃないのか?」
「別に秘密じゃないさ。軽々しく吹聴はしないけどな。それに知られても対処なんて簡単にはできん」
「聞きたいことがあるんだけど。それを私たちと戦った時には使ってないよね。なんで使わなかったの?」
「あの時はハルバードを使ってたろ? 武器の気配までは消せないから長物とは相性が悪いんだよ。それに結構高度な魔法で意識を集中しないと使えないし、体の動きを『朧』に合わせないと上手くはいかない。戦いの最中に『朧』だけを効果的に使うのは、俺如きじゃあ無理だな」
ヴァルガくらい強いのに如きって……高地人の世界ってどうなってるのさ……。
「……そうなんだ。でも最初からそれで奇襲をかければ速攻で終わったと思うけど?」
「俺よりかは弱いとはいえ、嬢ちゃんの主様とあの従者は結構な実力者だ。そんな奴らと戦える機会をみすみす逃すものかよ。こすっからい戦いばっかやってると、どんどん弱くなっていくからな。よほどのことがない限り『朧』を使った奇襲はしない」
言いたいことは分からなくもない。
ゲームで考えると分かりやすいかな。
経験値の入らない即死技だけでストーリーを進めても、後で困るのは自分ってことだ。
「リーナ、そろそろいいか? ここには雑談をするために来たわけじゃない」
「あ! その。すみません……」
「分かったならいい。それに恐怖も消えてきたか?」
ヴィクターは微笑みながら問いかけてきた。
……確かにそうだ。この話を聞いているうちに怖さは薄れているし、程よく緊張も解けた。だからヴィクターはいままで黙って話しを聞いていたのかな?
一緒に戦った時も薄々感じていたけど、ヴィクターのリーダー適性はかなりあるように思える。これは貴族の出身ってだけじゃなく、生まれ持った素質なのかもしれない。
そう思えばさらに恐怖もなくなってくる。実戦経験豊富な傭兵と頼れるリーダーのもとで戦うんだ。
それにこの作戦はかなり良さそうに思える。だから大丈夫。 怖くなんかない!
「良し、心構えはできたようだ。なら作戦どおりにヴァルガは先行しろ。その後に俺たちが続く」
「おう。任せとけ」
「はい。焦らず頑張ります」
私たちは森の中を歩きだした。
有力な敵を避けながら、弱い敵を探して狩っていくこの作戦。まるで鬼に追われながらさらに鬼役をする、二重の鬼ごっこみたいだ。
それの難易度がどれだけのものかは分からないけど、心の準備は……できている!