幕間2 屋敷の皆を想う
するべき話し合いは済んだ。あとはもう寝るだけだ。
カステリスのこの宿は貴族が宿泊するだけあって中々良い宿なのだろう。ベッドもふかふかで気持ちいい。
アリオン家の襲撃から今まで気を張り続けてきた。この宿に来た事でようやく一段落ついたという感じだ。
だから余裕ができたけど、それによって様々な思考が巡ってしまう。
マリアや侍女長、クラリスさんたちは無事だろうか。
俺たちはこうして無事でいる。ではアリオン家では? それを思い立ってしまったら素直に寝入るなんてできなかった。
ベッドから出てリビングに向かう。エリックはまだそこにいた。椅子に深く腰掛け、顎に手を当てながら何か考え事をしているようだった。
セシリアは先に休み、今は俺とエリックの二人きり。この話しをするにはちょうどいい機会だ。
エリックの対面に座る。そして俺はエリックに話しかけた。
「エリック様はアリオン領がどうなっているか検討は付きますか? 皆はどうしているのか、それが気になってしまって寝付くことができないんです」
エリックは俺に視線を向け、一度虚空に目線をそらす。そして、しばし考えてから口を開いた。
「アリオン領を襲撃したのは高地人傭兵団の中でも特に勇名をはせる『銀狼』だ。前に話したかもしれないが、それほどひどいことにはならないはずだ」
エリックがぽつりと言った。
大きな問題がないかのような口ぶりだが、その声には明らかに不安が混ざっている。
「高地人傭兵は名を売るのも仕事の一つだ。名高い傭兵団ほど自分たちの評判を気にするのは間違いない。それでも、だからといって完全に安心はできない。それに懸念もある。父上だ」
「エドワード様がどうかしたんですか?」
「リーナも聞いていたはずだ。ヴァルガとか言う傭兵が言うには父上が獅子奮迅の活躍をしたらしい。『銀狼』は手練れを何人も失った。父上がそのような奮戦をしたのは、アリオン家の男として誇らしい限りだが……それが原因で傭兵団が報復を始める可能性も考えないといけない」
エリックのその言葉に俺は血の気が引く感覚を覚えた。
エドワードさんの活躍が裏目に出るとでも言うのか! ……なんて事だ。
「奴らはしょせん傭兵だ。略奪や暴行、気まぐれの殺人……それくらいはしてもおかしくない。貴族同士の戦でも珍しくないくらいなんだからな。なら猶更といった所か……」
俺は暗澹たる気持ちに飲み込まれかけた。
セシリアが寝てからこの話をしたのは正しい判断だった。こんな話を耳にすれば、落ちついたはずの心が、また不安で揺れ動くようになるだろう。
「リーナ。お前は男なんだろう? だから気休めは言わないし、俺の考えをそのまま話した。そうしても問題ないと思ったからだ」
エリックの俺を見る目には信頼があるように見えた。この程度のことで心が折れることはないだろうという信頼だ。
ああ、そうだ。エリックが言ったのは単なる可能性だ。そうなるかもしれないという可能性にすぎない。
ならば問題ない。結局、俺たちにできることは変わらないのだから。
「はい、エリック様。無意味な思考で心を消耗させるなんて馬鹿のやることです。だからなるべく気にしないことにします。ただ、覚悟だけはしておきます」
「ああ、それで良い。俺は覚悟を済ませた。リーナもそうしろ」
そう言ったエリックだがその表情に少し陰りが見える。いくら覚悟をしているとはいえ、心配なのは変わらないよな。
それにここまでエリックは皆を引っ張ってきた。自身の責務を果たすために走り続けてきたんだ。きっとその疲れだってあるはずなのに、俺たちが弱気にならないように気丈に振舞っているんだ。
ならその心労を取り除くのもアリオン家のメイドたる俺の仕事……というところまで考えた時、ふとあることを思い立つ。
「俺がセシリア様と一緒に寝たと言ったこと覚えていますよね?」
「なんだ突然? あれだけのことがあればセシリアも弱気にもなる。その面倒を見たんだろう? 俺もセシリアと同意見だ。心が男でも体が女なら問題にはしないさ」
「あ、いえ。そうではなく。エリック様もどうですか? 俺でよければ……一肌脱ぐ覚悟はありますよ? それで少しでもエリック様の心労を取り除けるのなら……かまいません!」
やっぱ男の心を癒すには女が一番! まあこれは所説あるけど、女の体が効くのは確かなはずだ。
色々と葛藤もあるけど、やはりエリックの負担を少しでも取り除きたい。
それにこれは恩返しでもある。エドワードさんに返せなかった恩の代わりをエリックに渡せばいいんだ。それがアリオン家のためになるならそうするべきだ。
それに俺の貞操なんて安いもんだ。体を許してもメス堕ちしなければ問題ないからな。
というか俺はTS趣味があるから、当然行為そのものに興味だって勿論ある。ならいいんじゃないか? 名案だろ!
そんな俺の内心はいざしらず、俺の言葉を受けたエリックは……顔を真っ赤にして怒り出した。
「ふざけるな! 俺が女で心を癒すような、そんな軟弱な男だと思っていたのか!」
突然の怒声に、俺は驚いて姿勢を正した。
「申し訳ありませんでした! 少しでもエリック様の心労が減らせるならと思い、余計なことを言いました!」
「お前は男なんだろう? なら男に体を許すなんて本意ではないはずだ。その心意気だけで十分と言っておく。今日はもう休むぞ。話はこれで終わりだ」
そう言ってエリックは大股で寝室に向かっていった。
叱られるのは久しぶりだ。しかも、あまり怒らないエリックに。
少し調子に乗りすぎたな……。
でもエリックの心意気は見事だ。これぞまさに漢というもの。いやぁ感服し申した。
と言う事でこれにてお休み! あとはぐっすり眠りましょうね! という訳で寝室へゴー! ベッドに入り、すやぁ……。
その夜、エリックはベッドの中で目を閉じながらも眠れない時間を過ごしていた。
(リーナめ……)
彼女が本気なのか冗談を言ったのか、いまいちエリックには判断しかねた。故にあそこまで怒鳴りつけたのだ。どんな返答をしたらいいか分からないための誤魔化しだったのだ。
貴族としての責務と剣術。それがエリックにとってなにより大事なものだった。性欲は勿論あるがそれを尽く昇華し、それもまた修行と割り切っていた。
そのエリックがリーナに対してだけは冷静でいられない。どうしてもその先を考えてしまう。
それ故にあの提案を断ったのは正しい判断だとエリックは信じている。だが、どこかもったいないことをしたような気もするのだ。
「俺は、何を考えているんだ……」
もんもんとした思いを振り払おうと、エリックは目を閉じ直したが、結局、その夜は眠れぬまま過ぎていった。