辺境伯領
街道に出たあとセシリアが目を覚ました。少し混乱していたようだが、エリックが一喝し、場を収めた後は行軍のスピードが少し上がる。
そして夜の野営の時に木の棒をなんとか調達して布と組み合わせ即席の担架を作った。これでカイルを運び易くなり、翌日からはさらに歩く速度は上がった。俺とセシリアで担架の後ろを持ち、エリックが前を持っての移動であったが、その揺れはカイルには厳しかっただろう。しかしカイルは泣き言一つ言わずに堪えていた。
夜が明けて三日目の朝、ようやく城塞都市ファルクラムが目の前に現れた。
朝日が高い石壁に反射し、眩しく輝いている。その光景に俺たちはようやく安堵を覚え、自然と笑みがこぼれた。
高い石壁には無数の矢狭間が設けられ、見張り台からは兵士たちが絶え間なく巡回していた。
堅牢な城壁と、固く閉ざされた門。その前に立つ兵士たちは緊張感を滲ませ、鋭い視線で訪問者を確認していた。
一人の兵士が、鋭い声をあげる。
「名を名乗れ! そして、この地に何の用だ!」
カイルを乗せた担架を地に置いたあと、エリックが前に進み出る。
アリオン家の嫡男としての強い責任感が、彼の背筋を押しているのだろう。その顔には疲労が滲んでいるが、声は毅然としていた。
「アリオン男爵家の嫡男、エリックだ! ルミナシア聖王国の侵攻に関する重要な報告がある。辺境伯閣下への伝言を我が父、アリオン男爵より預かっている。門をお開け願いたい!」
城兵たちは一瞬顔を見合わせた。
「証拠はあるか?」
エリックは少し間を置いて、懐から印章を取り出した。
「これがアリオン男爵家の印章だ! 確認されたし!」
兵の中でもひと際偉そうな者がそれを確認すると、城兵たちは一斉に姿勢を正した。
「失礼しました!お通りください。まずは傷の手当が急務と存じます。至急手配いたします」
カイルを辺境伯の兵士に任せて。歩ける俺たちは門を抜ける。案内は先ほどの偉そうな兵士が行うようだ。
そこには整然とした街並みと石畳の道が広がっていた。もし何の不安もなくここに訪れていたのなら中世の観光の気分にでもなるだろうが、市民たちの顔にはどこか影が差していた。
兵士たちが忙しなく行き交っているし、市民たちが怯えた目で兵士の動きを見守っている。多くの人々が道端で会話を交わしているが、その声には不安が含まれている。
「あきらかに戦時の雰囲気だな……分かり切っていたことだが、これではただの小競り合いでない可能性が高い」
エリックが呟いた。
「この都市は辺境伯領にとって堅牢な壁の一つだ。それゆえにここの防備が抜かれれば辺境伯領都への進撃を敵に許す事になる」
エリックのその言葉に、一層の緊張感が漂った。
案内役の城兵が話し始める。
「ヴェリウス辺境伯閣下は現在、軽騎兵を主体とした機動軍を率いて最前線に出陣されています。それによって敵の進軍を遅滞させている状況です」
「精鋭と名高い重騎兵は動いていないのか?」
「はい。敵の数が思いのほか多く、今攻撃を仕掛けたとしても大した戦果を得られぬという判断であると聞いております」
「わざわざ尋ねた身でいうのも難だが、そんなことを街中の往来で喋ってもいいのか?」
「これは市民にも開示されている情報です。ヴェリウス辺境伯閣下としては虚実の入り混じった情報で敵を混乱させたいのでしょう。閣下の騎兵戦の達人という戦巧者として評判を最大限利用するお積もりであると私は愚考します。幾たびの不利も押しのけて名を上げたからこそできることだと言えましょう」
エリックが感心と同意を混ぜたような表情で呟いた。ヴェリウス辺境伯の有能さと言うものをエリックは知っているんだな。
「着きました。こちらでお休みを。兵をお付け致しますので、何かご用命がございましたらいつでもお申し付けください。体調が優れない場合は医務室へご案内いたします」
案内された建物は、街の中央にそびえる迎賓館のようだった。 城門の重厚さとは対照的に、石造りの建物は白い壁に囲まれており、戦場の雰囲気を一時忘れさせるような優雅さが漂っている。
だが、普段なら賓客を迎えるためのこの場所も、戦時の影響なのか庭園には手入れが行き届いていないようだった。石畳の道から建物へと続く階段にも泥がこびりついている。
とはいえ普段なら賓客をもてなすための施設だ。これをこんなボロボロの俺たちが使うなんて……エリックが男爵家嫡男とはいえ、戦時ともなれば、こういう所も使わねばならないということだろう。
案内された部屋に到着すると、ようやく腰を下ろすことができた。
「ひとまず、ここで体を休めよう」
エリックが椅子に深く腰掛ける。まさに疲労困憊といった感じだ。それに比べれば俺は元気なものだな。
「カイルさんはどうなるんですか?」
「俺の見立てでは、治療が終わればすぐに合流できるだろう。しかし、無理は禁物だな。今後の予定だが、ここで辺境伯閣下と面会するか、領都カステリスへ向かうか……あるいは、伝令を最前線の閣下に出すか。現時点では判断がつかない。とにかく、まずは体を休めるのが先決だ。それにしても……随分元気だな、リーナ。俺はもう、くたくただ。セシリアも、だろう?」
「お兄様の言う通りよ。流石にもう限界ね。それにしてもリーナってすごい体力だわ……鍛えあげた騎士も顔負けね」
多分この体の特典っぽいから褒められても嬉しくはないんだけどな。まあそれはそれだ。
「ではその騎士顔負けの体力でもって、みんなのお世話を致しますよ。俺はアリオン家の侍女ですから」
「それは少し残念ね、もう私だけの侍女じゃないんだもの」
「それは落ち着いたらということで。それでいいですね? エリック様?」
「お前がそう望むなら、それでいい。俺としても助かるよ。それにだ。お前の明るさには心底助けられてるしな。そう、心底、な……」
「エリック様……」
エリックの言葉は彼自身だけでなく、セシリアの顔も曇りだした。
アリオン男爵領やアリオン家。エドワード様に騎士や兵士と使用人の皆、考えることは山ほどあるからだ。
その重圧にエリックが圧し潰されないように支えるのが俺の役目だ。無論セシリアの力にもなりたい。
「とにかく、頑張りましょう。俺たちには明日がある。未来があるんですから」
その言葉は、セシリアとエリックだけでなく、何より俺自身に向けたものだった。
俺たちが歩む道が、いつか笑顔で振り返ることのできるものになるように。月並みの言葉だが、今はこれが相応しい。
そうだ。未来をより良きものにするために、人は皆頑張っているのだから……。