強敵
三日三晩の山林の行軍。それがついに終わりを告げた。
安全を重視して街道に出ることはなかった。道なき道を行くのがこんなにしんどいとは……。
さらに言うなら野宿は堪えるし飯は不味い。全身が悲鳴を上げてる。俺の体が特別製じゃなければ、とっくに倒れていただろう。
そしてそれが我慢できてもそれ以外に問題があった。
プライベートがないのはまだ我慢できるとしても、敵の襲撃を警戒しながらだから、クソするのも仲間の近くでないといかん。それがきつい。日本人としては敏感にならざるえないところで、これはセシリアよりも俺の方が精神的に疲弊していたと思う。
だがそれももう終わりだ。鬱蒼とした森の空気が一変する。出口だ。ついに森から出て平原に到達した。
「この先が、ヴェリウス辺境伯領の境界だ」
エリックの低い声が静寂を破る。
この言葉にようやく胸をなでおろした。長い逃亡の果てに、ついに森を抜けることができた。これで。
「残念だが。まだ終わっていないぞ」
突如、森の奥から、落ち着いた男の声が響いた。
俺は咄嗟に剣を抜き、エリックもカイルも臨戦態勢を整え俺とセシリアをかばうように前に出る。
ゆっくりと、黒い装束をまとった男が木々の間から現れた。
「誰だ!」
エリックの誰何を無視して男はゆったりとした歩きで俺たちの前に現れた。少しは武術を学んだから分かる。隙がない……なんだこいつは?
その顔は無表情だ。特に何の気負いもないというふうに、武器を持ちながら近づいてくる。
あれはハルバードか? 斧と槍の両方の特性を持つ武器。この世界じゃどうかしらないけど、使いこなすには熟練した技能が必要のはずだ。
「わざわざ名乗る必要性を感じないが……まあいい。特別に答えてやる。ヴァルガだ」
ヴァルガと名乗った男が森から出て太陽の元へ姿を現す。
達人のような印象があったが歳はまだ若い。エリックより少し上くらいか? 鋭い目と紫の瞳が俺たちを射るような眼差しで見つめている。
厚手の服装ながら、その上からでも分かるような鍛え上げた体躯が分かる。
「お前たちには手を焼かされた。チンケな地方領主の勢力かと思いきや中々できる奴が多かった。俺たちも少なくない損害が出て『銀狼』のオヤジがぼやいてたぞ。金払いの良い仕事だが、損害には見合っていないとな」
「最初から最後までお前たちの優勢だと思っていたのだがな」
エリックの敵意をともなった言葉にヴァルガは肩をすくめた。
「まあな。お前が知っているところまでは良かったさ。しかし問題はあの男爵様だ。恐ろしく強い。こちらの手練れを何人も失った。単なる手伝いで参加した戦だったが、俺にまで出番が回ってくるところだったぞ」
エドワードさんはそんなに強かったのか! でも……こいつの口ぶりからは。
「最後はあの黒いローブの男がなんとかしたとは聞いている。それで俺たちの仕事は終わり……とはならなかった。その残った仕事が俺の目の前にあるというわけだ。あのオヤジに押し付けられたよ。給金分の仕事はしろ。そういうことだ」
「俺たちを仕留めるというのが、お前らの最後の仕事というわけか」
ヴァルガがさらに俺たちに近づく。手にだらりとハルバード持っているだけのように見えて、臨戦態勢は整っているように見える。
「狐の連中をやったらしいな? あいつらがお前たちの情報を持ってきた。最初は自分たちで始末をつけるつもりだったらしいが、あの男爵様の話を聞いてビビっちまったらしい。親があそこまで強いなら子であるお前は侮れぬ、とな。居場所は教えてやるからお前たちでやれとのことだ。……少し喋りすぎたか。まあいい、あの男爵様に敬意を表してここまでお喋りに付き合ってやった。だがそれも終わりだ」
ヴァルガは静かにハルバードを構えた。
「さあ、始めようか」
戦闘が開始され、金属同士を叩き合う音が鳴り響き、森の静寂を切り裂くように、武器と武器が奏でる不協和音が木霊する。
「くっ、できる!」
エリックとカイルの二人掛かりでヴァルガに応戦するが、それでも劣勢であるのは明らかだった。巧みなハルバード捌きによって二人の連携が意味をなさない。全てが有機的な動きであるかのようで全く隙が見えないからだ。
「これは……まずいですよエリック様!」
ヴァルガの攻撃をなんとか防ぎながら、カイルの焦る声が俺たちの敗北を意識させる。
ヴァルガは先ほどとは違い無言でひたすらに攻撃を仕掛けてくる。あれだけ取り回しの悪そうなハルバートを軽々と振り回す。
俺は、俺はどうしたらいい!? 奴の後ろに回り込むか? だがそうしようとする動きは全て奴に見切られていた。俺の動きをどこか視線で追っている節がある。あいつに隙がないのは、全部見えているからだ!
だけどそれ以外に手もない。なんとかエリックとカイルの動きに合わせることができれば。連携の訓練なんかしていないけど、それでも、もしかしたら。
「ぐわぁぁぁ!」
だがそのプランを練る意味を失った。カイルがやられたからだ。見る限り致命傷は負っていないようだが、あの苦痛を訴える表情を見るに、戦えるはずもない。
だがカイルに対するその攻撃の一瞬。それこそが隙だ! そこを狙いエリックが一気に間合いを詰める。魔法を使った突進だ! 見るからに不自然なあの加速はそうに違いない。
だがエリックが剣を振り下ろすその瞬間、ヴァルガのハルバートがくるりと回り石突をエリックの腹に押し込んだ。
「ぐっ……!」
とたんにエリックに致命の隙ができてそこをハルバードの一振りに狙われるが、咄嗟のところでのハルバードの軌道がそれた。あれも魔法だ。『風打ち』。あの迎撃魔法がなければエリックはこれで終わっていた。
しかしそれでもヴァルガのほうが上手だった。『風打ち』で逸れたハルバードの軌道をそのまま使いエリックの剣を巻くようにして弾き飛ばす。
そして丸腰になったエリックを第三撃が襲う!
「エリック様!」
確実な死。それが予感されたがエリックも流石だった。命を断つハルバードの一撃を再度魔法で防いだようだ。
しかしもう戦えないところまで体に損傷を負い、ついにエリックも地に伏せる。
「ここまで食らいついてくるとは思わなかった。鍛えれば良い戦士になるだろうが……」
憐憫の目でヴァルガがエリックを見る。あれは、トドメをさす気か! させるもんかよ!
「やめろぉぉおおお!!」
駆け出し、全力で斬りかかった俺の剣をヴァルガは何でもないかのように受けた。駄目だ。俺の力じゃどうにもならないし、技術はさらに天と地の差がある。
しかしだからと言ってあきらめるわけにはいかない! 覚えた技をヴァルガに向かって振り続ける。どれか一つでも! 一発でも当たれば良い!
しかしその全てが防がれる。視界に映るヴァルガの顔にはどこかうんざりしたようなものが浮かんでいた。
「女を殺す趣味はない。しかもお前は子供だろう? 抵抗しなければ見逃してやる。だから剣を捨てろ」
「その場合エリックとカイルはどうなる! セシリアはどうなるんだ! 言ってみろ!」
「男は死んでもらうし、そこのお嬢様は確保する。それが仕事なんでな。まあ譲歩するとしたら男の命か? そこは別に指示を受けているわけでなし。単に俺の仕事の信条として、戦った相手はできる限り殺すことにしているというだけだ」
そっか、セシリアを渡せばエリックとカイルは助かるかもしれないのか。なるほどね。
「そんなの飲めるわきゃねぇだろうが!」
意識を集中する。すでに極限には入りかけていた。だからエリックとヴァルガの攻防が俺には見えた! なら今はさらに極限の中に入り込むまでだ!
俺のこの体に特別な力があるというのなら、今ここで目覚めてみろ!
目的を絞る。それはヴァルガを打倒すること。その一点に意識を集中する!
するり、と。さらに奥まで入った気がする。頭の中にある最速の思考に、今俺はたどり着いた。
ただ、この剣を奴の体に突き立てる。それだけを考える。それが成される軌道を計算する。
弾かれる。捌かれる。防がれる。どれもまだ届かない。
でもヴァルガはまだ本気になってはいない。俺を殺すことを良しとしていない。俺が女だから手加減されている。
それは幸運だ。女であるという身体能力の低さと訓練不足という力量のなさを、ヴァルガの手加減という幸運が上回っている。
今だ、今しかない。今やるしかないんだ。
だが、それでも……俺の攻撃はまるで届かなかった。
「おえぇぇぇえええ。ぐ、がぁ、あああああああ」
極限が解ける。
胃のあたりをしこたま強く打たれた。吐しゃ物が口から止めどなく溢れる。立ち上がれない。体が言う事をきかない。痛みが全身を襲い俺から戦う意志を奪う。
「すまなかった。お前を見くびっていた。お前は戦士だ。ただの女ではない。非礼は詫びる」
ヴァルガが近づいてくる。俺のすぐ側まで近づいた。そこに……いる。
「この一撃で詫びとする。お前のことは生涯忘れることはないだろう……さらばだ」
声の方向を見上げる。そこには涙でにじむ視界の中に、ヴァルガがハルバードを振りかぶる光景が映っていた。
そうか、俺は終わるのか……ここで、俺は終わる……のか。
「ち……く……しょう」
リーナとしての生涯最後になるであろう言葉は、敗者が言うようなありふれたものだった。