襲撃2
エリックは悲痛な表情で話を続ける。
「父上とも話したが、ここを放棄してヴェリウス辺境伯領へ落ち延びることも視野に入ってきた。いや、今のままだと確実にそうなるだろう」
「それは……騎士や兵士、使用人はどうなるのですか?」
セシリアが悲痛な顔でそう訴えでる。
「あきらめろ。皆を連れてぞろぞろ歩いて行くなんて現実的じゃない」
「そんな……」
「だが、相手は高地人傭兵だ。それも名高き『銀狼』だからな。抵抗さえしなければそれほど酷いことにはならないだろう。敵の慈悲に期待するなど忸怩たる思いだが……仕方あるまい」
エリック俯きながらが恥じ入るように言葉を絞り出す。
「ついに屋敷まで押し込まれたようだ。剣戟の音がここまで聞こえる……」
確かに音がする。これが剣戟の音なのか? それと怒号に断末魔……すぐそこに戦場が迫ってきていた。
しかしそれを認識することで気持ちを切り替えたのか、エリックが顔を上げるとそこある感情は悲哀ではなく決意、使命感と呼ばれるもののように見えた。
「事ここに至らば……だな。セシリアは逃げる準備をしておけ。リーナはその手伝いだ。俺は父上と逃げ落ちるための算段を考えねばならん。ぎりぎりまでこの屋敷に引き付けないと、逃げた先で敵と鉢合わせするかもしれんからな。だから、むっ……なんだ。戦場の音が……消えた」
たしかに……外からの喧騒が突然止んだ。
静寂が訪れたことが安堵に繋がらない。むしろ不気味な不安が満ちていくようだ。
「……なんだ、この静けさは?」
「不気味ですね……いきなりこんな風に戦闘を止めるなんてあるんですか?」
「ない……はずだ。何かしらの意図はあるんだろうが、それが分からん。何故こちらに態勢を整える時を与える? 今は軍を起こすために兵を集結している最中であることは敵にだって分かるはずだ。それなのに、一体どういう事だ?」
そうだ。兵を集めるためにエドワード様が指揮を取っていた。その最中に、しかもこれだけの騒動だ。伝令をだしていなくても味方はこの事態を把握しているはずだ。各地に散ったアリオン家の家臣たちが集結するまでそれほど時間はかからない。
敵の攻勢が突如として止まるという謎。しかしこれはチャンスでもある。逃げるにしても逃げずに籠城を続けるにしても、態勢を整えることができれば。
そう考えていると、何か違和感がする。
声だ。声が聞こえる。人の悲鳴? そしてそれがだんだん近づいてくるような?
その時、重々しい足音が聞こえてきた。それは一定のリズムを刻み、徐々に近づいてくる。
「何奴!?」
エリックが体を翻し廊下の先に視線を向ける。そして血が付着した剣を鞘から抜き警戒するが。
「……邪魔だ」
「う、ぐ、うぁぁ」
たった一言。低く、冷たく響く声が、廊下に響き渡る。明らかに小さい声量であったはずなのにそれは思いのほか耳に届いてくる。
するとエリックが突如として廊下にうずくまった。そのエリックを蹴って転がすと、それをなした男がこの部屋に入ってくる。
現れたのは、一人の黒いローブの男だった。その姿は不気味な威圧感を放ち、彼が放つ空気は異様だった。
「お前がセシリアだな」
男の視線が、まっすぐにセシリアに向けられる。その目は冷たく、すべてを見透かすようだった。
「抵抗することなく私の指示に従え。そうすれば、この屋敷の人間を見逃してやろう。そこの男も助けてやる」
俺はセシリアの盾となるようにとっさに前に出て剣を構える。本当に手になじむ。何年も使いづづけた道具の如く鞘から自然に抜くことができた。
視線を蹲ったエリックに向けるが命に別状はないように見える。なんだこれは? 何かの術か?
「邪魔立てするか、侍女風情が」
「抜かせ、お前こそ丸腰で何ができるっていうんだ?」
そう挑発するが、こいつには何一つ響いた様子はない。むしろ何が可笑しいのか、くつくつと喉を鳴らす。
やはり、何か持ってるのか……武器か? 魔法か? そもそも素手の戦闘に自信があるのか。まずそれらのどれかだ。
「ならばお前も知るがいい。現実のような悪夢をな」
その言葉とともにローブの男が手を俺にかざす。くっ、魔法か? そんな強力なものじゃないって習ったけどコイツは魔法使いなのか?
そう想い身構えるが何も起きない。いや、起きてはいる。なんだこの不快感は……想像するのも嫌なイメージが入れ代わり立ち代わり頭に思い浮かぶ。
俺が死ぬ光景があった。エリックが死ぬ光景があった。マリアが死ぬ光景があった。エドワード様が死ぬ光景があった。仲良くなった屋敷の皆が死ぬ光景があった。そして……セシリアが死ぬ光景が、頭の中に浮かんでくる。
くっそ……ざけんな! 何が悪夢だ! しゃらくせぇ!
「やろう! ぶっ殺してやる!」
心で負けちゃ駄目だ! 心が負けたらその時点で終わり! なら俺はなんでもいいから強い言葉を持ってくれば良い! こちとらネットの海をさまよって、いろんなジャンルの強くて汚い言葉を知ってるんだよ馬鹿野郎! コノヤロウ!
「なっ! ぐっ、馬鹿な!」
技術なんて何もない突進攻撃! やくざのドス攻撃をイメージのしながらのタックルだ。初めて人を刺したその不快感に一瞬たじろぐが今は無駄な事を考えるな! コイツを殺すことだけ考えろ!
「ちっ、ぬかった」
それだけ言って男は逃げ出した。俺にそれを追う余裕はない。初めて人に殺意を持って剣を突き刺したという事実に嫌な汗が出る。
くそっ、これがそうなのか……覚悟をもって剣を使わないと、これじゃあ敵を殺すなんてできないな。
だけど多分あいつは死なない。浅い、というか腕で防御したような、そんな気がする。
「セシリア様。セシリア様は御無事ですか?」
「……ええ、無事よ。あなたが守ってくれたから。ありがとう、リーナ」
セシリアが不安げに寄り添ってくる。その手は震えていた。
「なら良かった。っと、エリック様!」
思い出すようにエリックの元へすっ飛んで状態を確認する。顔を見れば恐怖を浮かべた顔しているが、これがあいつの言っていた悪夢なんだろう。そしてそれなら問題ない!
パチーン! という擬音が相応しくなるような平手打ちをエリックにかます! 起きるまで何度でもだ!
「ぐっ、もういい、リーナ。目は覚めた」
「良かった。無事ですね。悪夢を見させるというのがあいつの魔法? 能力だったみたいです。俺はエリック様ほど効かなかったから対処できました、セシリア様を狙っていたみたいです」
「そう……か。悪夢、か。そんな魔法聞いたことなどないが、確かに悪夢としか言えないな。そしてセシリアをか? 分からん。聞いたことの無い能力といい意図といい、まるで分からん事だらけだ」
エリックは立ち上がり体の不備を確認している。体に問題はないはずだが、どんな能力かまだ分かったものじゃない。神経質になるくらいがちょうどいいだろう。
「奴はどうした?」
「多分屋敷の外に逃げたのでは? 俺に反撃されたのがよほど驚いたようで」
「仕留めそこなったのか……いや、責めているわけじゃない。リーナには感謝しているさ、ありがとう」
そう慰められるがやはり仕留めておくほうが絶対に良かった……次は覚悟を持って剣を握らないと駄目だ。
「状況は不明だ。このことを父上に報告せねばならん。おそらくあの男は、あの不思議な力によって屋敷の兵士を無力化してここまで来たのだろう。リーナは直接の報告を父上にしてくれ。セシリアも来い。何故だか知らんがお前が標的になっているようだ。それも相談せねばならんしな」
俺とセシリアはエリックの言葉に頷き、エリックの歩む後ろに続く。
なんとかピンチは切り抜けたが、状況は悪いままだ。籠城か、逃亡か、一体どうなるのだろう?
エリックと一緒に広間に入る。そこには野戦病院もかくやと言った感じだ。傷つき戦えなくなった兵士たちだけでなく、エリック配下の即応隊の従騎士たちもいる。見知った顔が今にも死にそうにうめき声をあげているのはここが悲惨な戦場だとすぐに理解ができた。
「父上! 報告があります! 来い、リーナもだ」
俺たちはさっきのローブの男のことを報告した。不思議な力を使うこと、セシリアを狙っていること。そして俺がなんとか対処できた事だ。それを聞いてエドワード様はしばし思案を行い、こう告げた。
「突如として止んだはずの敵の攻勢が再開された。それはここに来るまでに声や音で分かっただろう。その男が攻撃の一時停止に関係があるのは間違いあるまい。だが、分かるのはそれだけだ。そして今、この瞬間に決断をしなければな」
確かにそうだ。あの剣戟や怒号がまた鳴り出した。止まったはずの不利な状況が再開したのだ。
「アリオン男爵として命ずる。エリックとセシリアはヴェリウス辺境伯領へ逃げろ。そして辺境伯閣下へ此度の件を報告しろ。補佐としてカイルとリーナを付ける。その黒いローブの男とやらが居なければ逃亡はエリックだけでも良かった。人数が少ないほうが捕捉もされ辛いしな。しかしセシリアが狙われているというのなら話は別だ。意義は認めん。よいな」
エドワード様の表情からは言うほど感情というものを感じ取ることができなかった。でもそれは心を押し殺しているからなんだろう。今は貴族としての責務を全力で果たそうとしているのだ。
「……承知しました。では父上はいかがするのです?」
「使える戦力。その頭数がどうしても足りん。ゆえにここで私という最強の手札を切ることになっただけのことだ。私とガレンの二人が居れば少しは持つ。敵を引き付けている間にお前らは落ち延びよ。そして私が命を落としたその時は……お前がアリオン男爵だ。エリック。しかと心得よ」
「はっ、心得ました。しかし父上ならばこの状況ですら切り抜けてしまうと……期待します。ご武運を」
「お前もな、エリック。アリオン男爵家嫡男として恥じぬ生き方をしなさい」
これが最後の会話になるかもしれない。しかしエドワード様とエリックの二人はたったこれだけの会話で理解したような。お互いを分かり切った表情をしていた。
「そして、セシリア」
「……はい」
今にも泣きそうな顔でセシリアはエドワード様の前に立った。そのセシリアをエドワード様は微笑みながら諭すように話し始める。
「時間がないから多くは言わん。だからお前に言うのはこれだけだ。幸せになりなさい……こんな時に、こんな言葉しか言えない父を許してくれ。しかし私がお前に望むのはそれくらいだ。貴族としての務めはエリックに押し付けても良い。お前は幸せになるんだ」
「うっ、は、はい。お父様……」
ついにセシリアの目から涙がこぼれた。しかしセシリアは俯くことなく父であるエドワード様を見つめ続ける。まるで目に焼き付けるように……。
「そしてリーナ!」
「はい!」
どうしてか、最後に俺の名が呼ばれる気がした。俺は背筋を正してエドワード様の顔を見る。
「お前、いや、君に対してであるのなら命令はできないな。よってこれはお願いだ。エリックとセシリアを頼む。いざとなれば君が二人のための道標になって欲しい。その力が君にはあると、私は勝手に思っているよ」
「承知しました。エドワード様。いえ、エドワードさん。俺に任せてください。必ずやり遂げます!」
「うん。良い返事だ。では、さらばだ」
これ以上の会話は不要だろう。後は自分の仕事を、自分に課した務めを果たすだけ。
エドワードさんは最後に俺に頼んだんだ。だから俺はそれに答える。
男として自分に課した責務を果たす。それだけだ。