襲撃1
屋敷に不穏な空気が漂い始め、さらに数日が過ぎた。
その間、動員が進み俺も忙しく働いていた。無駄なことを考える暇などなかった。
農兵が少しずつこの屋敷の周囲に集まり始めている。まだ規模としては五十人にも満たないけど、それでもだんだんと軍と呼べる体裁が整ってきたように思う。
早朝。
そんな中で突如として野太い男の声が本館に響き渡った。それは大声での、伝令! というものだった。
あきらかにやばい事態が動いている。それを確認するために倉庫内の物資の整理をしていた俺は大広間に向かう。
そこには険しい顔で兵士の報告を聞くエドワード様と、その隣には悩ましい顔をするエリック。そしてアリオン家に仕える騎士たちが集合していた。
「まさか敵襲とは……そして直接本拠地であるここを狙ってきたか。敵は高地人傭兵と言ったな? 数はどれほどだ」
「確認できたのは二十人ほどです……はぁはぁ。しかし敵傭兵は狼をあしらった紋章をつけていました……ヴォルファング氏族の傭兵かと……」
報告をする兵士は息も絶え絶えといった様子だが、それでも必死に現状の報告をしていた。
「ならば発見が遅れたのも説明がつく。世闇に紛れ無灯火で山林を超えてきたか。やっかいな……ガレン、詰所に配置していた兵は何人だ?」
「いつもの定数に加え、十人ずつを主要の三箇所に増員しております。招集する騎士や兵たちの受け入れの際、混乱を避けるための威圧感を持たせるために槍を携行させておりましたが……」
「ただの敵なら十分だが、高地人相手には少なすぎるか……すでに外縁部にある詰所は制圧されていると思った方が良さそうだ。お前は農兵を指揮して防御陣を築け。南の門を重点的に守れ。そして身軽な者を偵察に出すんだ。すでこの地は敵の緩やかな包囲網の中にあると思った方がいい。決して敵の数は多くはないはずだが、どこまで浸透を許したか確認をする必要がある!」
「はっ! ただちに!」
ガレンと呼ばれていた騎士はおそらくマリアやカイルの父親だろう。アリオン家の筆頭騎士だったはずだ。彼は指示をうけ広間から急いで出て行った。
「今すぐ動かせる戦力は……エリック。お前の即応隊はどうだ?」
「準備は万全です。すぐに出られます」
「よしっ! では部隊を率いて敵に一当てしてこい! 伝令にきた兵を案内に付ける。敵の撃破は望むべくもないが、勢いをそぐだけで良い。今は主導権を完全に握らせない事が肝要だ。では行け!」
「はっ!」
エリックが大広間を走る。一瞬だけ俺に目をやったが、すぐさま前を向き屋敷の外へ出て行った。
そして残りの騎士たちに指示を出し終わると、さっきの喧騒は何だったかと思うくらいに静寂が広間を満たした。だがこれも今この時だけで、すぐさま状況は変化するだろう。
「リーナ。セシリアはまだ別宅だな? ならばセシリアを本館に連れてこい。あちらは本館より一段低い場所にあるから、先に戦場になるし、兵を詰めねばならん。携帯の可能な貴重品だけは持ってくることを許可する。急げ!」
「はっ、はい!」
突然の俺への指示。しかしそれに俺は対応できる! エドワード様は俺を頼ると言った。なら俺はその期待に応えるのみだ!
急ぎ別宅に行けばセシリアはすでに準備を整えていたようだ。普段とは違う、覚悟の籠った瞳で俺を見ていた。
「支度はできているわ。本館よね? 行きましょう」
セシリアはそれだけを言って歩き出す。俺は彼女の後ろに付き従うように歩いてゆく。セシリアの普段とは違うこの態度が、否応にも現実を感じさせるものだった。
再度本館広間に着くと、さきほどあった静寂はすでに消え去り喧騒と狂騒に満たされている。エドワード様が様々な指示を兵士や使用人に出しているからだ。その中をセシリアが堂々と歩いていき、エドワード様の前に立つ。
「私は何をすればいいですか?」
「お前にできることはない。もはやそのような段階ではないのだ。通路のある部屋に隠れていなさい」
「分かりました。部屋で大人しくしています……」
「そうしてくれ……それとリーナに少し用がある。すぐにリーナも行かせるからお前は先に行って待っていなさい」
「……はい」
セシリアは静かに返事をし、部屋を出ていった。しかし、最後に俺を振り返ったその視線は、何か言いたげでどこか不安そうだった。
彼女に一声かけたい衝動に駆られる。が、それは駄目だ。今はそれよりも重要なことがある。俺に用とはなんだろうか?
「リーナ。お前にはセシリアの護衛を命じる。そのための武器としてこれを渡す」
「これは?」
渡されたのは一振りの剣だ。飾り気のない鞘と、革を巻き付けただけの柄が見える。しかし手入れ行き届いているようでその不思議な光沢は美しさを覚える。
「抜いてみなさい。お前にちょうど合う重さ、長さのはずだ」
言われた通りに鞘から刀身を引き抜くと、そこには鈍い光を放つ刃が存在した。こちらも整備がなされ剣としての機能に些かの陰りもないことが見るだけで分かる。
「亡き妻リーナの形見の剣だ。お前が持っていなさい」
「かっ、形見って! そんな大切なものを!」
驚きと戸惑いが同時に込み上げてくる。自分のような者が、そんな大切な剣を手にして良いのだろうか。そんな疑念が頭をよぎった。
だが、エドワード様の眼差しは真剣で、迷いは一切なかった。
「今は余計な感傷に浸る時ではない。そして護衛をするなら武器が必要だ。軽く振って見なさい。お前に良く馴染むはずだ」
今は無駄な問答をしている場合じゃないか。
言われた通りに剣を振るってみるが……確かに馴染む。驚くほど軽やかで、刃を振るうたびに空気を切り裂く音が耳に届く。まるで自分の一部になったかのようであった。
「大の男が使うには短すぎるし、予備の短剣とするには長すぎる。お前のような剣を振る女にこそ、その剣は相応しい。それでセシリアを守ってくれ……頼んだぞヤスヒコ君。では行け」
すでに話は終わったと。エドワード様が歩き出す。俺との話の最中に使用人たちから鎧を着用する準備ができたという声が広間に届いていたからだ。鎧を身に着け、武器を帯び、そして戦場に出る。その背中は、静かだが揺るぎない決意を語っていた。
俺はもう一度託された剣を見つめる。刀身に宿る鈍い光の煌めきは、俺の魂を映し出す鏡のように見えた。
なら俺も覚悟を決めよう。この剣に恥じることのない行いを……絶対に!
心の中でそう誓い。装具一式を家令から受け取る。
剣を帯びるためのベルトに丈夫な革製の鞘、そして簡素な肩当てだった。それらもまた、リーナ夫人の形見だという。
剣と同じだ……身に着けると違和感なく体に馴染んだ。
準備が終わりセシリアの元へと向かう。一歩一歩踏み出すこの足は、まるで揺ぎ無い意志の力によって動かされているようだった。
通路のある部屋に入ると床に座り込んだセシリアが顔を上げ俺を見た。俺を見るその紫色の瞳は不安に揺れている。
無理もない。家が襲撃され、屋敷の防衛が次々と崩れていく状況だ。貴族としての覚悟が彼女にあることは分かっている。けれど、どんな人間だって、こういう時に弱気にならないほうが不自然だろう。
俺はふっと息をついて、静かに言葉を紡いだ。
「エドワード様から、セシリア様を守るように仰せつかりました。だから安心してください……なんて、口が裂けても言えません。でも俺にできる限り、必ずセシリア様を守ります」
言いながら、少し無理に笑ってみせた。ピンチの時ほど笑ってやれ。自分の中にある、そんな男気みたいなものを信じて。
セシリアは驚いたように一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を緩めた。そして、ふっと俯いて小さな声を漏らす。
「リーナは……強いのね」
その声は、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「私だって覚悟を決めた。決めたはずなのに……すぐに不安になってしまうの。お父様が、お兄様が、使用人のみんなが……誰かがいなくなってしまうんじゃないかって……」
言葉の端々が震えている。その震えは、彼女が必死に耐えようとしている証拠だ。貴族としてのプライドを保ちながらも、彼女は今、ひとりの少女としての弱さを見せている。
「貴族の娘失格だわ……こんなんじゃ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は首を横に振った。
「失格になるにはまだ早いですよ」
俺の言葉に、セシリアは、はっと顔を上げる。
「最後の瞬間まで、それは分かりません。貴族ってのは、言うなれば生き様なんじゃないでしょうか? 人間なら、誰だって怖いものは怖いです。でも、それを押し殺して、最後まで貴族としての矜持をもって責務を果たせるからこそ、貴族なんだと思います」
俺はエドワード様の背中を思い出していた。常に毅然として、揺るぎない意志を持って家を守ろうとする姿を。
セシリアは、じっと俺を見つめていた。その瞳の奥に揺れていた不安が、少しずつ消えていくのが分かる。
「……慰められてるのは分かるの。でもこれって結構厳しいこと言ってるわよね?」
そう言って、少しだけ微笑んだ。
「つまり、務めから逃げるなってことでしょ? いつもの優しいリーナはどこに行っちゃったの?」
その冗談交じりの言葉に、俺は肩をすくめて答える。
「十分優しいじゃないですか。言うべきことをちゃんと言う家臣なんて、主君からしたら有難い存在でしょ?」
「ふふっ……まぁ、そうね。」
「それに、セシリア様だって発破をかけてもらいたかったから、あえて貴族失格なんて言葉を使ったんじゃないですか?」
その言葉に、セシリアは照れたように口元を押さえた。
「そうね……そうかも。ありがとうリーナ。少し落ち着いてきたわ」
「いえいえ。俺はセシリア様の側付きなんですから、当然です」
そう言いながら、俺は腰に帯びていた剣の柄に手を添えた。
「それに、エドワード様からこの剣を預かっています。これで、きちんとお守りしますよ」
剣を掲げて見せる。セシリアの瞳が一瞬、驚きの色を見せた。
「その剣は……お父様が大切にしている剣よね?」
「亡き妻の形見の剣だと聞きました。リーナという名前も……それもエドワード様から頂いたものです。あまりにも多くの物を頂いて、恩返しが大変ですよ。でも、悪い気分じゃありません。むしろ自分を誇らしく思います」
この想いを裏切ることはできない。それはエドワード様を裏切るというよりも、自分自身を裏切ることになるからだ。
「お母様の形見の剣……リーナがその剣を持っているのなら」
セシリアは立ち上がり、俺の方へ歩み寄る。その動作は、どこか儀式のような厳かさを帯びていた。
「リーナ、あなたに全て任せます。どうか、私をお守りください」
その言葉に、俺は一瞬、言葉を失った。だが、すぐに冗談を交えて応じる。
「随分としおらしい言い方ですね。いつものセシリア様じゃないみたいだ」
「なに言ってるの。この状況だもの、そうもなるでしょ? ……あーあ、せっかくリーナを私の騎士様だと思って頼ったのにな」
「そういう意図だったんですか? それは良いですね。では」
右膝をつき、差し出した手でセシリアの手を取る。こんな感じかな? そして一芝居うつ。
「セシリア様! この命を掛けて、全身全霊でお守りいたします。どうぞご安心成されませ!」
内心では不安が渦巻いている。覚悟は決めたけど、心なんて移ろいやすいもんだ。逃げたくなる気持ちも絶対に出てくるだろうさ。それでも守ると……決めたんだ。
そんな俺の心情などおくびにも出さずに芝居をやりきってみせた。俺の言葉にセシリアは満面の笑みを浮かべる。
「ふふっ、随分と可愛らしい騎士様ね」
その笑顔を見て、俺も笑った。やっぱり、セシリアには笑顔がよく似合う。曇った顔なんて、彼女には似合わない。この笑顔によって、俺の心も余裕を取り戻しつつあった。
そして少し時が流れると、廊下の向こうから重い足音が近づいてきた。金属が擦れる音と共に、扉が開く。
「セシリア、リーナ」
エリックが姿を現す。鎧の胸元には血が飛び散り、顔には土埃が付いていた。彼は壁に手をつき、荒い息を整えながら、低く静かな声で告げる。
「敵はヴォルファング氏族の傭兵団……その中でも最強を噂される『銀狼』だった」
エリックが『銀狼』の名を口にする時、声が少し震えていたのが分かった。
「俺たちの防衛線は、次々と突破された。一撃は加えたが、このザマだ」
エリックは胸元の血に目を落とし、苦々しく笑う。
「逃げ帰るのが精いっぱいだった。俺を逃がすために何人も……死んだ」
その言葉に、セシリアが小さく息を呑むのがわかった。
エリックの顔には普段の冷静さは微塵もない。浮かべているのは苦悶の表情、静かな絶望がそこにあった。
「……このままでは、ここが落ちるのも時間の問題だ」
短い言葉に、重い現実が凝縮されていた。