幕間 この世界の魔法
アリオン男爵家の談話室には、朝の柔らかな陽光が差し込んでいた。
その穏やかな雰囲気の中、リーナ、エリック、セシリアが席に着く。
家庭教師であるエドモンド・エイルはいつもどおりに。内心はいつも以上に張り切りながら授業を行っている。
リーナという新たな教え子は実に教えがいのない、優秀な生徒であった。
しかし魔法は未習得ということで、これを教えることこそ教師としての威厳を保つことができると考えたからだ。
「さて、今日は『魔法』について説明しようと思う」
エイルが立ち上がり、談話室の中央に進み出た。
「魔法の基本は、万物に宿る力を引き出し、操作する技術だ。その力は目に見ることはできないが、自然界に満ちているとされている。その原理の解明はされていないが、実際に使えるものだから、真理の追求はしない……そのような考えもあるが、それは魔法史に関連する講義になってしまう。まずは知ることが重要だから、今日は魔法技術の実体について説明しよう」
リーナは興味深そうに身を乗り出し、エリックはすでに知っていると言わんばかりの顔をする。
たが、セシリアだけはどこか居心地悪そうに視線を落とした。
「とにかく、まずはその目で見て感じることが大切だ。見たまえ」
そう言うと、エイルは手をかざし、談話室の中央に淡い光が浮かび上がった。
「これが照明魔法だ」
「少し明るくなった、かな? でも、良く分からないですよ。これが魔法なんですか?」
首を傾げるリーナに、エイルは微笑み説明をする。
「今は昼間だから、明るさの違いが分かりにくいかもしれないね。でも、夜になればこの小さな光がどれほど役立つかが分かるだろう」
エリックが腕を組みながら口を挟む。
「照明魔法はヴァリエンタの貴族の家なら誰でも使えるように教えられるものだ。俺も使えるぞ」
「私も……少しだけなら」
セシリアが小声で言った。その声には少し恥ずかしさが混じっていた。
「エリック様が模擬戦で使っていたやつも魔法ですよね?」
「魔法ではあるが、分類としては戦闘用の魔法技術といったところか。俺が使うのは威力を強化する『強撃』や、瞬間的な動きを補助する『瞬動』だな。それと模擬戦でも見せた『風打ち』だ。戦闘での魔法なんて、せいぜい攻撃や移動の補助や、咄嗟の防御に使う程度だ。それに習得も容易ではない。数年修行してようやくと言ったところだな」
「そもそも、高威力の戦闘用魔法は簡単には使えないんだ」
エイルが言葉を引き継ぐ。
「魔法には高度な知識と訓練が必要だ。これは国家単位で素養のある者を養成して、初めて大きな威力のあるものが使えるようになる。戦闘規模を超えた戦術規模の魔法も存在しはするが、それは帝国の中央にいる上澄みも上澄みなエリートくらいだな。誰もが簡単に使えるものではない」
エイルの説明を捕捉するように、エリックも自身の意見を述べる。
「戦争に使う魔法には火や水を飛ばす簡単な魔法もあるが、とてもじゃないが決定打にはならない。せいぜいが崩し程度だ。剣術が重視されるのはそのためだな。近接戦闘が重要なんだ」
「なるほど……」
リーナは顎に手を当てて考え込んだ。
(魔法の強さは作品によってピンキリだからな。この世界ではその程度ってことか)
一応の納得をして、リーナは感想を述べる。
「魔法ってもっと派手で凄いものかと思ってました」
その感想にエイルは小さく笑いながら説明をする。
「幻想を抱くのは自然なことだ。だが、現実の魔法はもっと地味で、実用的なものだよ。幻想に惑わされるより、現実を知ることが大切だ」
リーナは肩をすくめた。
「なんだか夢がないですね」
その言葉に、エリックが笑いながら付け加えた。
「たしかにそうだが、役に立つ魔法はたくさんあるぞ。最初に説明があった照明魔法はその最たるもので、行軍中の夜でも俺たちは地図を読めるし、剣の手入れもできる。鍛冶を生業にしている者たちは平民でも火の魔法を使えるとも聞くしな。実体験に基づく属性の魔法ならまだ習得しやすいんだ」
「想像力が大事だからですね?」
リーナが興味深げに尋ねると、エイルは頷いた。
「その通りだ。例えば火をつけるという魔法を使うには、火が燃える様子、熱の強さ、燃える音や匂いまで、頭の中で鮮明に描かなければならない。これを座学だけで習得するの不可能だ。その点エリック様が言うように実際に目で見て、耳で聞き、肌で感じる。それが魔法の習得には必要不可欠なわけだ。仕事のある平民に魔法の修行に専念しろというのは無理がある。だから貴族や騎士に魔法を使える者が多いということだな」
「なるほど、良く分かりました」
訓練に専念できるのは戦士階級だけである。
そんな当然の事実を理解して、リーナは魔法の習得の難しさを知るのだった。
その日の夜。
魔法を使うにはイメージが重要だと理解はできた。
そして魔法を使うのに魔力……のようなものはなく、精神力のようなものが必要らしい。
練習だけはしてみよう。そう思った俺は、与えられた自室で魔法を試してみることにした。
「よし……火、火……暖かくて、赤くて、燃える音がして……」
手をかざして集中してみるが、何も起こらない。
「うーん、全然ダメだな」
次は光のイメージを試す。
「光、ライト、電気……蛍光灯? LED! 駄目か」
数分間試行錯誤を繰り返したが、やはり何も起きない。
「これ、無理ゲーじゃない?」
手を放り投げるように諦める。
まるで分からん。魔法ってなんだよ!
「そもそもイメージで魔法が使えるなんて、曖昧過ぎるんだよ。つーか順序逆じゃね? 実際の何かを習得するってのはまず体を動かしてからイメージを掴んでいくんだ。最初の工程をすっ飛ばして覚えるなんて不可能だろ……」
愚痴しか出ないが、当然そんなことで魔法なんか使えない。
まあいいや。飽きたから寝よう。
俺はベッドに倒れ込み、やる気を失いながら目を閉じた。
次の日。
別宅での仕事中にセシリアがこんなことを聞いてきた。
「魔法、できた?」
「無理でした。全く理解が及びません。全然駄目ですよ」
見栄を張る意味はないから正直に答えた。
というか翌日すぐに魔法なんて成功するわけがないけどな。
そんな当然のことを言っただけなのに、セシリアはどこかほっとしたような顔をする。
「まあ、そんなものよね。できなくて当然だから気にしなくていいわ」
もしかして、慰められた?
全然気にしてはいないんだけどな。でも気に掛けてくれるのは有難いか。
「所詮は使用人ですから、そこまで気にしていませんよ。それで今日の仕事ですが――」
結局一日だけで魔法の練習は終わった。
メイド業の合間に魔法を覚える無謀さを良く理解したからだ。
このことを少しだけ後悔する日が訪れるのだが、この時の俺にそんなことが分かるはずもなかった。