新たな学び2
「では気を取り直して次に進もう。ゼイガイト大公国だな」
エイル先生が指さす地図の西部に目を向ける。そこに描かれているのは、北の平野部と南部の山岳地帯を基盤とする領土だった。
「ゼイガイト大公国は、地理的条件を活かして発展した防衛国家だ。国土の半分が山岳地帯に位置するため、自然の要害を利用して外敵を防ぎつつ、鉱物資源を基盤に経済を発展させてきた。また傭兵の派遣業も盛んにおこなわれている。これは勢力均衡を国家戦略に位置付けているからだな。大公国は列強三国のなかで一番国力が低い。どこか一国に強くなられては困るということだ」
地図に描かれた山々がまるで大きな盾のように見える。大きく広がる平野部にしてもそこに辿りつくには山脈の途切れた箇所を進むしかない。たしかに防衛に適しているように見える。
そして勢力均衡か。これは地球の歴史上でもあった話だ。十分に理解は及ぶ。
俺の様子を見て、エイル先生は頷きながら話を進める。
「現在の大公は、ヴィルヘルム二世の時代に築かれた統制を維持しようとしているが、高地人氏族の間で自治の拡大を求める声が強まっている。これにより、中央政府の影響力が徐々に弱まっており、国家の統制力が試されている状況だ。最近はなおのことその傾向が強く弱まる気配はない」
民族自決……とは違うのかな?
でも似たようなものか。こういうのは世界が違っても、人の心は同じというのが分かる。
「以前から高地に住む自治を求める氏族集団との対立が続いておりそれが軍事力や経済力の分散を招いているんだ。そしてこの氏族集団というのが派遣されている傭兵の大部分を占める。高地人傭兵と呼ばれる者たちだ。エリック様はヴェリウス辺境伯の主催する会合で彼らに会ったことはありますね?」
エリックは大きく頷いた。
「一言で彼らを表すなら手練れだ。傭兵はヴァリエンタ帝国にも存在するが、奴らはお世辞にも強いとは言えないだろう。実際に戦場で戦う姿を見たことはないんだが、一目見れば分かる。まるで鍛え方が足りていない。士気も高いようには見えないしな。だがゼイガイトの高地人は違うぞ。以前彼らの戦う様を見たことがある」
エリックはその時の光景を思い出しているのか、一瞬だけ目を瞑る。
そして目を開けるとその時のことを話しだした。
「あの時は会合の場で腕自慢の貴族の次男坊がいて、高地人に喧嘩を売ったんだ。辺境伯閣下は余興としてそれを許可した。調子にのった若者に対する戒めの意味もあったんだと今になって思う。決着は長引いたがそれは高地人傭兵が次男坊の面子を気遣って手加減しているように見えた。あれは俺としても衝撃だった。まるで勝てる気がしない。それは今でもそう思うし、俺にとっても良い戒めになったよ」
自嘲するように話すエリックを見る。彼は困ったような微妙な笑みを浮かべていた。
上には上がいるというが……やはり武芸者の歩む道は険しいものだな。
「つまり、そのような技量を持つ者たちが主となっているのが高地人傭兵だ。個人の能力を重視するその特性からして集団戦には向かない。それでもいざという時は一声で一つにまとまり圧倒的な威圧感を放つ集団になる。その切り替えが彼らの恐ろしいところだ。普段は個々の戦士が遊撃戦を展開し、散開した状態でも滅法強い」
普通の軍隊というよりかは特殊部隊のような感じだろうか?
この世界の政治体制は封建制度だ。そうなると軍の組織力は大したことはない。そう考えると、そういう一騎当千の兵ってのはかなり重要そうだ。
「私の親類縁者で彼らと戦った事のある者がいるが、その者の話は今でも覚えている。森の中での追撃戦の話だ。その時に追撃をかけているはずの自分の指揮する騎士や従騎士、従卒などがたった一人に全て斬り殺されたというのだ。その強さに男として憧れは持つが、戦場では会いたくはないな。こうして教師などやっているからまず会う事などないがね」
エイル先生は困り顔をしつつも、その目は男が憧れの何かを夢想している時のものだった。
「分かります。憧れますよね。それだけの強さ、簡単に身に付くものじゃない。相当な鍛錬を積み、それを実戦で練り上げたんだ。男なら誰だってそうなることを夢見るものです」
「おや? リーナ君は女なのに随分と男の気持ちが分かるようだ。当然ながら、セシリア様はそれほどでもないようだが」
セシリアを見ればあまり興味はなさそうだった。
「私は女ですから、強さに執着はありません。リーナがおかしいだけです。でも困ったことにそこがリーナの良い所でもあるんですけどね」
そう言ってほほ笑むセシリアを見て、なんとも言えない感情になる。
認められるのは良いけど、結局、言っていることは俺が変な奴ってことだからな。
いやまあ、実際そのとおりなんだけど。
「ははは! そうですな。そんな変な女がいてもよろしい。実際に……いや、なんでもない。授業を続けよう」
何かを言おうとして止まったエイル先生。
まあ何か事情とかそういうのがあるんだろう。結構厳しい世界っぽいからな。
「この話の肝は高地人傭兵は山岳地帯や森林の地形を熟知しており、狭隘な道を封鎖し、敵の補給路を断つのに長けていることの証左だ。正面からの戦闘を避け、奇襲と撹乱によって敵を消耗させる。話にあったのはまさにこれだ。場合によっては集団となり攻撃をかけてくると言うおまけもつく。驚愕すべきなのは一人でそれを撤退戦の最中に行い殲滅までしてしまうその武勇だが、さすがにそれほどの手練れはそうはいまいよ」
そこでエイル先生は一息つき俺たちを見回す。
「横に逸れた話を戻そう。その高地人傭兵を擁する氏族とゼイガイト大公国の中央との間で軋轢があるという話だったな。中央の統制が取れない。また統制から離れて独自に行動する氏族が増えているという事だ。これは傭兵の派遣業という国家事業が揺らいでいると言い換えることができる」
「防衛国家として国家戦略の破綻ってことですね?」
例えるなら将棋やチェスの駒が勝手に動き回るってことだ。
しかもそれが国家の収入にまで響くんだから、そりゃあ一大事だ。
「その通りだ。ゼイガイト大公国はこの問題に対処をするべく内部への統制を強めるために軍備を強化しつつも、大公国の斡旋した傭兵派遣に対しては高地人氏族にたいして別途報酬を与える形をとっている。これなら少ない出費で大公国の均衡政策を遂行しつつ、各氏族の歓心も買えるからね。ゼイガイトの高地人傭兵は誇り高い真の戦士だ。その逃げない姿勢が周辺諸国にとっての信頼につながっている」
そうなると確かに傭兵は重要だ。気軽に使い捨てにできはしない。中央政府が気に掛けるのも分かる。
「そして周辺国との外交に力を入れている。特にヴァリエンタ帝国との緊張関係は彼らにとって重要な問題だからだ。ヴァリエンタ帝国は、かつてゼイガイトの傭兵団がオルダリス王国に加勢したことを苦々しく思っている。そのため、ゼイガイトに対して常に疑念を抱いており、傭兵団の動向を注意深く監視している。ゼイガイト大公国の主な問題はこんなところか。理解できたかね?」
エイル先生の言葉に、俺は深く頷いた。
想像していたよりも数段やばそうな地域情勢だった。残るルミナシア聖王国はどうなんだ? なんかこっちもやばそうな雰囲気がすでにプンプン漂っている。
「では最後ににルミナシア聖王国について説明しよう。さきほども話題に上ったこの国は信仰を中心に発展した特殊な国家だ」
エイル先生の指が地図の中央部を示す。そこには、まるで光を放つような象徴的なマークが描かれていた。国土の大半が平野部で構成されていて、南にはルミニア海という小さな海がある。
これ、黒海みたいだな。今にして思うが地球に少しにている気がする。となるとルミナシア聖王国はウクライナに相当する感じか。
「ルミナシア聖王国はオルダリス信仰を基盤にして、聖女ルミナシアの教えを持って完成した信仰国家だ。中央には聖女庁があり、周辺地域に強い影響を与えている。この教えはルミナ教と呼ばれていて聖王国だけでなくほかの二カ国にも少なからず信徒がいる。ルミナ教の教義は、この地域全体に広がりを見せている。実際にこのアリオン領にも信徒は多い。たしかセシリア様は信徒のはずでしたね?」
セシリアの方を見ると彼女は軽く頷いた。
「一応そういうことになっているわ。私としてはそれほど信仰心がある方じゃないけど、一度だけルミナシアからきた伝道師の説教を受けてね。あの時は坊主の話は教養を得るのにいいからってことで話を聞いたんだけど……それで信徒扱いになってしまったみたい。でもなんだかんだで良かったと思っているわ。平和を祈る教えだからね。ルミナシア聖王国も聖女の力があるのに平和主義を信奉しているって聞くし、良い事だと思うわ」
この物騒な世界で平和主義とは……そしてそれをできる聖女の力、ね。一体どんなものなんだろう?
「セシリア様が帰依するのに十分な理由は確かにありますとも。私の実家も今ではルミナ教の信徒ですからな。ルミナ教は簡単に言えば日々の平穏と労働を重んじる教義を中心にしていると言う分かりやすさもある。そういう事で特に農村部では素朴な信仰という形で勢力を広げている。小難しい理屈など民には不要だし、そもそも好かれはしないからね。そして実は商業などとも相性がいいんだ」
「商業ですか? 一応労働には入りますけど、それでも農耕とは全然違いますよ。どういう理屈なんです?」
ちょっとこれは俺には分からないな。そんな宗教地球にあったか? イスラム教は商人の宗教ってのは聞いたことあるけど、農耕はどうだったかね?
「都市部では教義が変化するんだ。商業や学問の発展を重視し取引は神聖な契約とみなされる。商人たちは、大きな取引を行う前に神殿で祈りを捧げる習慣があるし、契約の成立は神の加護の下で行われると考えられている。それゆえにルミナシア聖王国の商人は誠実な者が多い。ここまでなら人でなしの多かった商人を真人間にした素晴らしい教えで終わるのだが、実はこの話には先がある。それは信用だ。これが実は画期的だった。何せ信用というものが実は売り買いのできる商品だったのだからね。これは最近私も知った話でエリック様とセシリア様も初めて聞くはずですな」
エリックとセシリアは頷くが良く分かっていないようだった。そりゃ分からんよな。
ここで信用が出てくるんかい! 信用取引をやってるってことじゃん! どういう世界観なのこの世界?
「私も正確な理解は及ばない。ルミナシア聖王国の商人たちは使いこなしているようではあるが、私は商人ではないからね。これによって商取引の活性化につながって、それが豊かさに結び付くのだという。ルミナシア聖王国は聖女だけの国では決してない。そこに根付く文化があの国の強さなのだろう。だが光があれば闇もある。それもまたルミナ教から来ているのが皮肉なものだ」
おおっと! やはりきな臭くなってきた。日本人として偏見塗れだけど宗教ってのはやっぱりそういうのあるよな絶対。
エイル先生はヴァリエンタ帝国やゼイガイト大公国のいくらかの場所を指さしこういった。
「現在、これらの地域ではルミナシア聖王国の活動が大きな問題となっている。信徒の保護を名目にしたさまざまな行動だ。無論これには軍事的な物も含まれる。これには特にヴァリエンタ帝国で反発を生んでいる」
これに対してはエリックが口を開いた。
「これは我がアリオン家も無関係ではない。十年前に起こったヴェリウス辺境伯領の戦いにも、ルミナ教徒を助けるという大義名分からの援助があった。たしかあの時にルミナシアがしたのは物資の無償援助だったはずだが、それでもルミナ教を守るための戦いと言えなくもない。俺はまだ子供であったがあの空気は忘れてはない。そう……忘れては、な。そしてその時の信徒に対する援助は今や信徒保護になってヴァリエンタ帝国に対する挑発になっている」
エリックの声にどこかやるせなさが混じる。ルミナ教に対する複雑な思いが潜んでいるように見えた。
エイル先生がエリックの説明に頷き話を引き継ぐ。
「そういう事ですな。どこもかしこも問題ばかり。良い事を聞く日があるならば、それ以上の悪い知らせを聞くことの方が多いのが現在の情勢です。今を生きる者として、後悔のない生き方をするには少々難しい時代なのかもしれませんな」
そう言って締めくくったエイル先生の目はどこか遠くを見ていた。
俺はどうなのだろう? この世界で後悔なく生きられるのだうろか? 日本での生活を突如として失った俺にとって。
この世界での未来の事を考えるのは難しい課題だった。