この世界で生きていく
「お兄様!何を考えているの!?」
セシリアの怒りの声が庭に響き渡った。
模擬戦を終えエリックに支えられながらボロボロの体を引きずって別宅に戻ってきたわけだが、それ見たセシリアに詰められて経緯を説明した。
俺としては、こんな姿になっても満足している。
だがセシリアはご立腹らしい。
「リーナの綺麗な髪が……しかもこんなに傷だらけじゃない!」
セシリアの鋭い視線が俺の髪に向けられる。そして改めて全身を見回して……さらに怒りの感情が増しているようだった。
「セシリア、リーナは自分で望んで剣を持ったんだ。そうでなければ、俺だってこうはしない。確かに俺に責任があるだろう。しかしリーナの気持ちや決意と言ったものを考えろ」
エリックが冷静に答える。俺としてはごもっともと言った所だが、その態度がさらにセシリアを苛立たせた。
「いくらリーナの気持ちがそうであっても! 女の子をこんな目に合わせるなんて! それにリーナは私の侍女なのよ!」
セシリアが詰め寄ると、エリックは少しだけ困ったような表情をするが、エリックも折れることはなく反論をする。
「理屈でいうならお前の物ではないぞ。父上が雇っているのだからな。だがそれも些細な事。いくら俺が手加減をしているとはいえリーナは何度だって立ち上がり挑んできたんだ。試合とはいえ本気で俺に勝ちにきていた。その気持ちを無碍にするなどできるものか!」
言い合いはさらにヒートアップしながら続き収まる気配はない。
二人の言い合いを見ながらどうすることもできない俺は、その場で小さく肩をすくめた。
「やめろ! 二人とも!」
突如、エドワード様の低い声が割って入り、二人は動きを止めた。
声の方を向くとエドワード様が本館からこちらに向かって来ていたようだ。模擬戦のことを知って別宅の方に来たのだろうか?
「リーナは剣に興味を持ち自分の意思で戦った。リーナの目、態度からもそれが分かる。そしてエリックが相手をした判断も間違ってはいない。だがセシリアの言い分もわかる。いくら彼女の決意が固く何度も立ち上がってきたとはいえ配慮は必要だった」
その言葉にセシリアは不満げに唇を尖らせたが、それ以上は何も言わなかった。エリックもエリックでばつが悪そうな顔をしている。
「今日の所はこれで終わりにしなさい。リーナだって疲れているはずだ。そこまで彼女のことを考えるのならまずは休ませるのが筋というものだろう? エリック、リーナの体に問題はないんだな?」
「ええ、それは大丈夫です。大きな怪我がないのは確認しています」
「ならば良し。リーナ。お前は自分の部屋に帰りなさい。マリナに食事と、体を拭くための湯の用意をさせている。今日はもう体を休ませるんだ。よいな?」
「はい。ではそのようにいたします」
家族間でまだお話は続くようであるが、俺はここから離脱できることになった。さっさと休みたいと思っていたからこれは有難い。ここにいても話すことなんて無さそうだし、な。
夕方。
食事を取り、お湯入りの桶を持って部屋に戻ってきた。
模擬戦の興奮が完全には冷めていない。剣を振る感覚、エリックと交わした打ち合いの一瞬一瞬が鮮明に脳裏に蘇る。
神経が昂るとはこういうものか。人生で初めての感覚だった。
こんなんじゃ落ち着くことなんてできはしない。だからそれ鎮めるためにもお湯で体を拭く。こういう時は湯舟に使ってゆっくりしたいが、それはここではとんでもない贅沢だ。
日本での風呂を恋しく思いながら体を拭くが今日の感覚はどこか違う。すでに何度かやっている事なんだけど何かがおかしい。
……あっ、これって……興奮しているのか? この体に? 今更?
この世界に来て、この体になって二カ月くらいが経過した。その間、不自然なほど性欲を感じなかった。それでもあえてやってみても、それほど気持ち良くなれずに、することを止めた。
それは体が女になったからホルモンバランスとか色々あるんだろうと考えて、それにがっかりしていたんだけど……。
改めてこの体に触れる。
違う……いつもと全然違う……興奮がさらに増す。
心臓が早鐘を打つ。流石にこの汚れは落とさなくてはならない。全身に小さな電流が走るような感覚を我慢するようにして体を拭く。
なんとか手足を拭き、そして体を拭いていくがもの凄く敏感になっている。思わず出そうな声を必死に堪える。
「あぅ……」
駄目だ。声が漏れる。我慢しているはずなのに漏れてしまう。それでもなんとかした。なんとかして体を拭くという行為はこれで終わった。
だけど俺の手と指は違う目的で勝手に動き始める。
妄想が頭の中を支配する。これは俺が日本にいたころだ。性欲が溜まったらTS物の作品が好きだから良く使っていた。
それを思い出して。
「あっ……」
声が漏れる。もう止まらないし、止められない!
もういい! 俺は好きにする! 知ったことかよ!
そして夜は更けてゆき、疲れて眠ってしまうまで俺の夜は続いた。
翌朝。
少し寝不足気味だ。昨日の夜のハッスルしすぎた。体力おばけってこういう事をいうのか?
それにあれだけ叩きのめされても体は違和感なく動いている。これは体の基本性能が恐ろしく高いって事なのか? 疲れにくい事を地味だが良いチート能力だなとか冗談まじりに思っていたけど、本当にそういう力があるのかもしれない。
ただ今の俺にはありがたい限りだ。何せエドワード様に呼び出しを受けたからだ。書斎までたどり着きノックする。
「入れ」
許可が出たので部屋に入ると、彼は窓辺に立ち遠くの庭を見つめていた。その背中は広く、重責を一手に背負っている威厳が感じられる。
「この窓からあの広場は見えるのだがね。普段とは様子が違うから広場を見たらお前とエリックが戦っていた。私が見始めたのは最後くらいだったか。あの後に詳しい事情をエリックから聞いたよ。あそこで起こったことの全てを知らねばと思ってな」
エリックが俺のことをどう話したのだろうか。そこに不安はある。
しかし振り向きこちらを見るエドワード様の顔はどこか優しげだ。そしてゆっくりと歩きだし、近くにあるそして幅の広い椅子に座った。
「そこに座りなさい」
ローテーブルを挟んだ先に同じ椅子がある。わざわざ座らせるということは短い話ではないということだ。
「失礼します」
勧められるままに椅子に座る。さて、どんな話が出てくるのか。
「セシリアが同世代の女の子を求めていた。事の発端はそれだ。あの子は親の贔屓目を加味しても良い子だが、どうにも複雑な心情を持っている。それゆえ友と呼べる者ができることはなかった。そこでお前ならもしやと思い別宅に送った。そうしたら正解だったな。セシリアがすぐに気に入り側付きにしろという。だがお前に期待していたのはそれだけではない……実はもう一つ理由がある」
女の子に気に入られるってはどうにもこそばゆい。だが男としては素直に嬉しい。
まあ俺が今、女だからって点を無視すればの話だが。
しかし他にも理由があると言うがなんだろう? どうやら模擬戦の事よりも大事な話のようだ。
「理由、ですか?」
「エリックのことだ。あいつは剣術に興味を持ちすぎて女の子には全く興味を示さない。そういうアレかと思いきやそうでもない。そこは安心したのだが、結局興味を示さないことに変わりはない。親として、領主として困っていたんだ。そこにお前のような変わった子が現れた」
「……変わっている自覚はあります」
俺を見てエドワードは微かに笑った。
「自分のことを元男だと言うような子だ。しかもここではない遠い所から来たともいう。実に変わっている。何かが起きることを予感させる程度にはな。そして予想以上だった。エリックがリーナに興味を抱いているようだ。それが親として純粋に嬉しい。あれだけ剣一筋だった息子が女の子に興味を示すようになったのだからな」
その言葉に胸の奥が少し熱くなるのを感じた。恥ずかしさが先に立つ。
エリックが興味を抱いている女の子だぜ? 気恥ずかしいよ。
これがそこいらの男相手ならこんな気分にはならないけど……エリックだからな。日本での基準で考えても尊敬できる男だ。俺より年下なのに務めを果たそうとしている様に敬意を覚える。
でもこれはTS作品にあるお約束か? 男の心を持った女の子が魅力的に見えるってあれだ。模擬戦であれだけ闘志を出して戦ったんだから、そりゃあ、そこいらの女ではないよな。
まさか俺がTSヒロインムーブをしてしまうなんて。それに何故か少し嬉しいし……もしかして心まで女に寄り始めているのか? 複雑な感情だぜこれは……。
エドワード様が一息ついて、こちらを真っ直ぐに見た。
「使用人たちの間ではお前はすでに認められつつあった。そしてそれはアリオン家の兵や模擬戦に参加した家中の者たちにも広がっているだろう。無論、私もそうだし、エリックやセシリアもお前を気に入っている」
認められている。そうか、俺は認められたのか。ジン、と胸に染み入るものがある。
こんな感情は今まで生きてきた人生で感じたことはない。たとえ家族との会話でもこんなことはなかった……。
そしてエドワード様は微笑みながらこう言った。
「これで君もこの家の一員だな。リーナ」
その言葉に俺はなんの迷いもなく大きな声で答えた。
「はい!」
そうだ。俺はもうリーナなんだ。
俺はこの世界で生きていく。今、そう決めた。