エリックとの邂逅3
模擬戦を手伝った翌日から、剣への興味が頭から離れなくなった。
初めて熱中できたものが自分にできた時。これはそういう感情だ。まさか剣にたいしてこういう感情になるなんて。
仕事をこなしながらも、男爵家配下の男たちの訓練風景を思い返しては、もう一度あの場所に行きたいという衝動が次々と湧いてくる。
あまり仕事に集中できない。悪い兆候だ……。
社会人として経験がある。はまったゲームがあると仕事中でもその事を考えてしまう。これはつまりそういう類の問題だ。
今日も仕事である別宅の庭の掃除をしていると、見覚えのある男たちが広場に向かうのが見えた。今日は模擬戦ではないはずだが、通常の訓練もあるのだろう。
俺の視線に気が付いた男たちが俺に手を振る。俺はそれに答えるように手を振り返すが、俺の視線は彼らの持つ木剣に向かうのが自覚できた。
仕事を終え別宅に戻る。そこで会ったセシリアは心配そうな顔で俺を見た。
「リーナ、最近は仕事に身が入っていないみたいね」
「うっ、その、すみません」
「うーん。叱らなければならない立場なんだけど……私も許可した身だからなぁ」
「えっと、何がですか?」
「模・擬・戦! あれを見てからでしょう? そうなったのは。だからあなたがおかしくなった切っ掛けを作ったのは私ってこと。いくらお兄様の頼みとはいえ、あの時許可しなければ……はぁ」
セシリアにはばれていた。
……そうだよな。あきらかに態度が違うもんな。
あぁ、駄目だな。俺。自分のことを社会人だなんだと言って結局これか。これじゃあマリアの方が上か?
彼女にはたまに顔を合わせるが楽しそうに仕事をしているところしか見たことはない。それに比べたら俺は……。
「……仕方ないか」
「仕方ないとは?」
「いいわよ。見に行きなさいな。興味があるんでしょ。お兄様には私から言っておくから」
「えっ、でも仕事は?」
「お兄様にあなたを貸す、そういう事にするわ。お兄様にだってあなたを使う権利はあるからね。だからあなたの気が済んだら戻って来れば良い。私は主人として度量を見せるわ。ならあなたのするべきことは何かしら?」
俺のするべきこと? それは勿論。
「はい! 気が済んだらちゃんと戻ってきて。誠心誠意セシリア様に尽くします!」
「よろしい! ただし期限を設けます。それは次の模擬戦までよ。それまでに気持ちの整理をしなさいな」
そういうわけで訓練の手伝いに参加することができるようになった。素敵な上司を持って俺は幸せだ! ……うん、実際人生で一番の上司かもしれない。
でもだからこそ期待を裏切ることはできない。そこだけはちゃんと意識しないとだな。
そして、一カ月が経ち、再び模擬戦の日がやってきた。
この日が来るまで訓練の手伝いだけでなく、自分でも素振りをしたり人に見立てた立木を叩いたり、色々することができた。ただ剣を振るだけのことがこんなに楽しいなんてな。
今日の模擬戦も前回と同じだ。男達が円を描いて整列し、エリックが中心で指示を飛ばす。俺も雑用として動きつつ、その場の空気にまた胸が高鳴るのを感じていた。
そして行われる戦いの数々。どれも目を離せないものばかり。しかし今回はちゃんと仕事をしている。前回は特別だったという自覚はある。セシリアとの約束も今日まで。だから仕事をしながら試合を見る程度に今の俺は心を抑えつつあった。
「リーナ、こっちへ来い!」
「はい、今行きます」
エリックに呼ばれたのでそちらに向かう。彼の手をみると何かを持っていた。あれは服?
「セシリアとも話したよ。俺としてはリーナに手伝ってもらって助かっているが、あいつは大分やきもきしているらしい。リーナを俺に取られるとな」
「一応今日で最後にするつもりなんですけどね……それで一体なんでしょうか?」
「どうせ最後なのだ。試合をしてみろ。これは俺からの褒美だと思え。文句はあるまいな皆の衆!」
おおー! っと男達の野太い声が俺の体を震わせる。彼らの声には様々なものがあるが、その一番は感謝だった。ただその感謝にしたって可愛い子と一緒に訓練できて楽しかったぜ! というような声だが。
でも試合か。実際に素振りだけでない剣を使った……試合……勝負!
ぶるり、と体が震える。なんだこれは? もしかして武者震いってやつか?
「リーナ。これに着替えてこい。それとこの靴も渡そう。その恰好のままで試合はできんぞ」
「……はい!」
服と靴を受け取り周囲を見渡す。訓練用具を入れた小屋でいいか。あそこならメイド服を置いても問題はない。
小屋に向かいすぐ着替えをする。渡されたのは訓練用のシンプルな服だった。見た目は地味だけど、触ると丈夫な布地だと分かる。それと靴もだ。履き替えて小屋から出る。
「エリック様、準備ができましたよ。しかしエリック様が相手をするとは」
「こういうのは一番強い者が相手をするものさ。強者ほど手加減を心得ている。それともお前がやるかカイル? 女の柔肌を傷つけるかもしれんぞ」
「ご勘弁を。そんなことしたら母に怒られる。マリアにも嫌われてしまうかもしれませんからね」
エリックとカイルの話声が聞こえる。どうやらエリックが相手をしてくれるようだ。
でも会話の内容としては納得だ。エリックが相手なら本気でかかっていっても受け止めてくれるという事。
「来たな。では相手をしよう。作法は知っているな」
「はい。審判の合図で開始。どちらかが参ったというまで続ける。降参したものに追撃はなし」
「よろしい。だが今回は特別だ。俺は最後の詰めはしない。だからお前が飽きるまで相手をしてやる。ではカイル。合図は任せる」
ついに始まる! 剣を打ち合わせることができる!
勝つことは無理だろう。だけどそれでもいい。全力でぶつかって、全力で負けたい! ここで戦っている……男達のように!
「では……はじめ!」
やるのは木剣を振り下ろす。ただぞれだけ。
何度も繰り返した剣の振り方だ。これをエリックに向かって全力でやる!
だがその瞬間、視界がぐらりと揺れた。気づいた時には、木剣が地面に転がり、自分も仰向けに倒れていた。
「終わりか?」
エリックの平坦な声が耳に刺さる。
「……まだ始まったばかりですよ」
ゆっくりと起き上がる。体に問題なし。
降参をするまで負けにならない。なら色々と試してみる。一番練習したのは上段からの振り下ろしだけど、ほかにも教えてもらっている。
だが駄目だ。まるで手応えがない。剣を叩き落とされるのは良い方で、柄頭でそのまま当身を受けることもある。
痛い。特に息ができなくなるような一撃を貰うのは苦しい。
だけど俺は立ち上がる。
「思っていた以上に根性があるな。手加減しているとはいえ痛みはあるだろうに」
「痛いです。でもまだ動けます。なのにやめるなんて、せっかくこの場を用意してくれたエリック様に失礼です」
「いいだろう。お前の気が済むまで付き合ってやる」
それから何度挑んでも結果は同じだった。弾かれ、払われ、躱され。有効打はでない。そしてそのたびに俺は倒される。
「すげえな。あそこまでやられてまだ食い下がるとは」
「動きはまるでなっちゃいない。だがあの目。まだあきらめるつもりはないようだ」
「女がやられるだけの戦いなんざ見ていて楽しいもんじゃない……最初はそう思ってたけど。これはあれだ。初めて剣を持って、親父と訓練したのを思い出すよ」
そんな会話が耳に入ってくる。少し面映ゆい。
でもこれは俺が女だからこその言葉だろう。それが少し悔しい。
駄目だ……戦いに集中しろ! 余計なことが思考に浮かんだ。これはノイズだ。余計なことは考えるな!
さらに何度目かの挑戦の後、地面に転がりながら気づいた。顔にかかる長い髪が邪魔をしている。視界にチラつくこともありうっとうしい。
これ……邪魔だな。
立ち上がり、軽く手を上げて一時中断の合図をする。確かこれであっているはず。
何か声が聞こえるが知ったことではない。近くの用具置き場へ向かうと、雑用中に見つけたナイフを手に取った。その場で髪を掴み、一気に切り落とす。
「リーナ……!」
騒めきは耳に入るが何も聴こえない。そんな状態の中、何故かエリックの驚いた声だけが不思議と頭に入ってくる。
うん、悪くない。肩に届くくらいの短い髪に変わった自分を感じながら、再びエリックに向き直る。
言葉はいらない。ただ構えるのみ。
エリックが頷いた。彼の眼差しはさっきとはまるで違う真剣さがあった。
何度も同じことする。そして何度も打ち倒される。
そこで閃いたことがあった。剣の振り方を一つだけに絞る。一番練習した上段からの振り下ろし。
エリックの反撃は段々容赦がなくなってきた。しかしまだまだ手加減はされていて体は動く。
そしてだんだん分かってきた。エリックが何をしているのか。何度も倒されるその理由。何度も食らったからこそ分かってきた!
なら狙うのはそこだ。この技の隙を突くことこそが唯一の勝機!
ここだ! そう思った。数種類の技をエリックは使うが、その中でも一級品に見えるのはカウンター技。剣閃の中心目掛けて少し遅れて打つこの技。俺はこれを知っている。漫画で、動画で見たことがある。これが俺のアドバンテージ!
剣の打ち合う音が聞こえる。打ち合いは当然俺が負ける。勝てるはずはない。しかしこの技は敵の剣を打ち払い、剣の流れを止めずにそのまま頭を打つ技。
だけどこれは模擬戦。そのまま頭を割るなんてことはしない。するのは柄頭での当身のみ!
この瞬間を待っていた!
極限まで圧縮された一瞬。視界から色が消え狭まる。聞こえていた騒めきが無音になる。
打ち合いの衝撃を全て受けない程度にあえて緩く握っていた。これで剣は飛ばされない。そしてエリックの柄頭の一撃を体捌きで逸らす。
いける! 俺の体幹は崩れてない!
狭くなった視界にかすかに映るエリックの瞳に、動揺が走ったような。そんな気がした。
……えっ?
気がつくと俺は仰向けに倒れていた。いや、気が付くってなんだ? 俺はエリックの胴に一発入れようとして、それからの記憶が飛んでいる。いったいどうなった?
頭だけでエリックの方をみる。極限の集中はすでに終わり、いつもの視界に戻っていた。彼の姿に異常はない。場は静寂に包まれている。どういう事だ?
俺の体は? ……痛い。痛いが動く。なんとか動く。
でも駄目だ。体力はこれが限界。もう戦えない。一応立つことはできる……が辛い。足に力が入らない。
そんな俺を見てエリックが近寄り手を差し出す。お互いが終わりを理解しているのだろう。ははっ、なんか良いな、こういうの。
エリックに引っ張られながらもなんとか立つ。全身痛いけど……これならなんとか歩けるかな?
「降参です。ありがとうございました」
頭を下げて礼をする。日本人なら当然だな、うん。
「いや、俺の負けだ」
「はっ?」
んん? いったいなに言ってんだ?
「隙を突かれとっさに風打ちを使ってしまった……見事だ。もうこの場に誰もお前を侮る者はいないだろう。そうだな! 皆の衆!」
「おおおぉおおおぉおぉぉぉおおおぉおおおお!!!」
とてつもない歓声が広場に響く。これはなんだ? 俺の勝ち? なんで? 風打ちって何!?
良く分からない。分からないけど、勝利を讃えられたならそれに答えるもんだよな!
歓声に答えようと、剣を持つ右手を上げようとして……上がらない。力が入らない。
そんな俺の手を掴んで引き上げたのはエリックだった。その顔を見る。悔しさはあるはずだ。だがそこあるのは満面の笑みだった。
歓声がさらに大きくなっていく。先ほどまで静寂であったはずの広場は、鳴りやまぬ歓声に満たされるのだった。