42.恋の先へ
アウドーラの国民になって数週間が経ち、フレヤは聖女として働いていた。
「フレヤさん、ハーブできました! 確認お願いします!」
「はい!」
新たに研究室が創設され、フレヤはそこの責任者になった。仲間もできた。
研究室は竜騎士団のすぐ近くに作られ、もちろんフレヤはどちらも自由に行き来できる。
竜神殿の建設も急がれており、そこには結界装置が置かれる予定だ。
「聖力をこめました。持って行ってください」
「かしこまりました!」
フレヤからハーブを受け取り、研究員が部屋から出て行くのを見届け、フレヤはふうと息を吐いた。
イシュダルディアから魔道具の技術者が来ており、フレヤは連日打ち合わせで忙しい。ハーブの作成を研究員たちに任せられてはいるが、最終チェックを兼ねて聖力をこめるのはフレヤの仕事だ。その合間に魔物研究も怠らない。
厚待遇の仕事、好きな研究ができて満ち足りている。しかし忙しすぎて竜騎士団に顔を出せていなかった。
(ノア、元気かな)
ノアにも会えていなかった。
飼育係をまとめる役をノアはキリとフレヤに任せようとしていた。しかしその二人が抜けてしまったので、後継者を育てるべく動いているらしい。その上、戦場にも少しづつ同行しているらしい。
結論、ノアも忙しかった。
「守るんじゃなかったの……」
結界装置の図面を広げ、椅子に座る。
ここにいれば安全だ。ノアがフレヤを守ると言っていたのは、騎士として国民を守るのと変わらないのかもしれない。
会わないだけでこんなにも不安が募る。らしくない考えにフレヤは首を横に振った。
(でもお互い忙しいからって、私たち婚約したのよね?)
それなのに会いにも来ないノアに不安を覚えるのは、当然のことじゃないだろうか。
「なーに百面相してるんだよ?」
開け放たれたドアの入口には、形だけノックをしているエミリアの姿があった。
「帰ってきたの?」
イシュダルディアにユリウスと留まっていたはずのエミリアがここにいるということは、そういうことだろう。
騎士服姿のエミリアに駆け寄り、研究室の中へと促す。
「めどがついたからな。フレヤもそのうち行くんだろ?」
新しくできた研究室を物珍しそうに見渡すエミリアは、棚に並んだハーブの瓶に自身を映して言った。
「うん……」
魔道具の技術者が両国を行き来するように、もうじきフレヤもイシュダルディアとアウドーラを往復するようになる。そうなれば、ますます忙しくなるだろう。
「元気ないな? どうせノアのことだろ?」
沈んだフレヤの顔をエミリアが覗き込む。お見通しだ。
「お互い忙しくて会えていなくて」
フレヤをアウドーラ国民にするために、婚約までしてくれたのだ。ノアの気持ちはフレヤと同じなのだと思っていた。
しかし会えない時間が、フレヤにそんなことはないと囁きかける。
守ると言ってくれた想いは仲間としてなのか、それとも……。
「フレヤらしくない!」
そんなフレヤを笑い飛ばすエミリアに顔を上げる。
「フレヤは、気になったことにはガツガツ行くタイプだ! それが竜であれノアであれ、同じことだ。そうだろ?」
にかっと笑うエミリアに背中をとんっと押されて、前に足が出る。
そんな単純なことだろうか? エミリアを振り返れば、ぐっと親指を出している。
「ノアは今、竜舎にいるぞ!」
「――うん!」
エミリアの笑顔を見れば、ぐだぐだ考えているのがバカらしく思えた。
フレヤは竜騎士団へ、竜舎に向かって走り出した。
(そうよ、わからなければこの目で確かめれば良いんだわ!)
そう思えば気持ちもはやる。
(早く……ノアに会いたい!)
そうだ、自分はただノアに会いたかったのだ。婚約とか仲間とか、複雑なことなんて何もない。
ただ、ノアに会いたい。
フレヤが走るのに、理由はそれだけで十分だった。
「ノア!」
「フレヤさん!?」
竜舎に踏み込めば、ノアとエアロンしかいなかった。他の竜たちは飼育係と外に出ているのだろう。
「ノア! あのね……!」
息を整えながらノアに歩み寄る。久しぶりに二人きりだ――正確にはエアロンもいるが。
鼓動がうるさいのは、緊張からか走って来たからか。
「お忙しい中、竜たちの様子を見に来てくれたんですか?」
「は?」
フレヤの次の言葉を待たずに、ノアが目を逸らす。
「ちが……」
「竜たちは散歩に出ています。案内しますよ」
「ぴゅい!」
「った、何だよエアロン」
フレヤと目も合わせようとせず、はぐらかすノアの頭をエアロンが口でつつく。
「私はノアに会いに来たのに……」
「え?」
エアロンとじゃれていたノアに、フレヤの呟きは届いていない。
でも、こっちを向かせた。
「私は、ノアが好き! ノアと会えなくて寂しかった!」
「――っ、」
重なり合った視線の先に、想いを吐き出した。
やっと、伝えられた。
それなのにノアは明らかに何かをためらっている。それをフレヤには話してくれないようだ。
それが何だか悲しくて、悔しい。
ふいと目を下に逸らしたノアに、フレヤは思わず叫んだ。
「ノアはそうじゃなかったんだね!」
踵を返して竜舎を出ていく。しばらく走ったところで、フレヤの腕がぐんと引かれた。
「ノア、足っ……」
振り返れば、足を引きずり、中腰になっているノアがフレヤの腕を掴んでいた。
「……ですか」
「えっ?」
ノアの身体を支えようとしたフレヤを、アイスシルバーの瞳が見上げる。
「本当に僕で良いんですか? 騎士じゃなく、ただの男としてフレヤさんに近付いて」
熱を帯びたその瞳に、フレヤの頬にも熱が集まっていく。
「僕は、フレヤさんが嫌なら婚約破棄したっていいと思っていました」
ノアがそこまで思い詰めていたなんて。ふるふると首を振るフレヤの両手を、ノアの両手が包み込む。
「でも、そうじゃないなら……もう遠慮はしませんよ」
子犬の彼はもういない。フレヤの瞳をとらえ、離さない。
「僕と結婚してください」
「はい――」
返事とともに、フレヤの瞳にアイスシルバーしか映らなくなる。
ノアの唇が自分のものと重なるのを感じたときには、二人は抱き合っていた。
控えめに、でも嬉しそうに降ってくるエアロンの鳴き声を聞きながら、これまでの時間を埋めるように。




