#20【炎天無比】<< 手負いの虎 >>
身体が、なくなりそうだった。
激しく呼吸を繰り返して、溶岩のような生唾を胃の中に抑え込みながら立ち尽くす。
半ば放心状態。
でも、腰は絶対に降ろさない。
今座ってしまえば、もう立てない気がするから。
「はっぐっはぁっ、んっ…はっ」
手からズリ落ち、赤いカーペットにドテンと重い音を立てて落ちるそれは、柄から先が溶けて無くなった、役割を失った剣の残骸。
「はぁっはっ…っ……ぁ、っ"、はぁっ…はぁっ」
全てを出し尽くして薙ぎ払った、先の一刀の軌跡。
それが描いた一筆は、刀身の範疇を超越し、まごう事なく全てを断絶していた。
断崖が生まれた一面風景。
まるで失われた空気を意図的に吸い込んでいるかのような、歪な呼吸をする建物。
強くはためく髪の毛。
多分についている、服の金具の揺れ動き。
その強風に当てられて倒れそうになる力のない身体。
一瞬頭の中が真っ白になり、グラッと身体が揺らぐ。
既に剣豪のイメージは解いているのだが、あの苛烈な変化を肉体に強いていたところからいきなり落ち着かせたのが毒になってしまったのだろう。
風に流されるままに倒れていく体。
ピクリとも動かない指先、途切れた呼吸。
方向感覚が掴めない程にぐちゃぐちゃな思考回路。
痛烈な疲労感。
(……まだ)
それらに縛り上げられながらも。
(まだ、倒れちゃダメだ)
そう強く言い聞かせ、足をタンッと叩きつける。
もやがかる視界。
そこに映る、太陽の光が砂塵の中に差さっている光景。
恐らくこの感じ、洋館ごと斬り裂き、後続の道や建物も幾つか破壊している。
(昔より、強くなったよな、俺…)
久しく放つ事のなかった、巨大な質量を伴った一撃。
その反動は、肉体の変化によるものだけでなく、剣を振り上げた事にも重くのしかかっていた。
意識を失ったかのようにダラリと項垂れる右の腕。
そこに重く残るこの感触を、俺は痛みと表現していいのかわからなかった。
この腕を当分は使う気になれない。
もちろん無理をすれば使えるだろうが、それだと腕がちぎれて飛んでいってしまいそうだ。
それくらいに脆くもなっている。
吸い込まれるように爆ぜた空気によって割られた、廊下一面に張り巡らされたガラス窓。
ジャリジャリと、今、部屋の中へ落ちていっている。
(……俺、かなり頑張ったよな)
あの死んだ方がマシだと思える苦しみを堪えて、全力でやりきった。
それに、斬撃を放つ手前。
赫糸を惑わした景色。
あれは本来成立しない流れだった。
それもこれも、幻惑とイメージ強化の併用はできないと言う技術上の制約があるから。
だがあの時、高速の剣閃だけでは赫糸を捉えられないと思った。
だから一瞬だけ剣豪状態を手放して、幻惑を使用した。
言うなればあの状態は、一度碇を放ち、高速で落ちていくそれをすぐに引き止めると言った風な、かなり危ない状態。
あの瞬間、筋肉が完全に断裂してもおかしくなかったし、剣豪状態の解消を止められずに、深いダメージを負うだけになっていてもおかしくはなかった。
自分で言うのもなんだが、上手い事やれたと思う。
「………なぁ、赫糸」
漂い、視界を覆うそれ越しに感じた赫糸の気配に、弱々しく問いかける。
「お前の、力の底はどこなんだ」
「………」
赤く点滅した、対岸の砂塵の壁。
その色の煌めきは継戦の意思表示。
「なんで、避けれた、あの攻撃を」
そして、再び鳴らされる戦いの鐘。
ブワッと砂塵が押しのけられ顕になる、赫糸のご大満足な姿。その姿を強調するかのように吹き出でた強烈な熱波。
顔面をべったりと拭う熱気は、今の俺に取っては春風同然だった。
「………」
「なんとか言ってくれないか」
「……」
「なぁ」
半ばの絶望。
自暴自棄に近い投げやりな声で問うのだけれど、返ってきたのは俺の意向を汲まない言葉。
「…昇也。あんた強いのね」
その一声に、俺は目を見開いた。
初めて、あんたではなく名前で呼ばれた衝撃が、そうさせた。
謎に上から認められた感触は心地よくないが、何故だろう。少しばかり頬が上がった。
「私、一旦殺し合いに向けて様子見してたの」
生まれた断崖を大股の一歩で軽々と飛び越えて、赫糸は羽織る細く長い炎の羽衣に勢いを投じた。
爆発するようにそれは燃え盛る。
歩みくる姿は勇ましさよりも、楽しさが伺えるような軽やかな歩み。
「それは、わかってる」
「…そう。……まぁ、なんでもいいわ。今からあんたと本気で戦えるのが楽しみって言いたかっただけ」
それはつまり、宣戦布告か。
「もう勝つつもりか」
「元から勝つつもりだったわ。その上で、今がその時だって話。次の試合は本気でかかってきなさい」
「やめてくれ。かなり本気だ、俺は今も」
「躊躇って殺し損ねているくせによく言えるものね」
その無慈悲とも評せる言葉に突っかかる文言を、俺は有していなかった。
半分程度、その言葉を俺は肯定していた。
「…私の力の底だったわね」
少しの間と静寂。
それを切り裂くように、赫糸はようやく俺の問いに言葉を繋げた。
途端。
この廊下一体に走り渡った高温の熱。
着火し、猛り燃え始めた壁や床、家具。
溶解し始める、窓枠に張り付いていたガラスの破片。
「身を持って知ればいいわ」
更に膨れ上がった膨大な熱量。
赫糸を中心に収束していく炎の羽衣。
刹那。
熱を求めて食いかかる、龍頭を模す大兵肥満の胴を引いた炎の一線。
高音と重低音を併せ持った炎の絶叫は、瞬く間もなく全てを飲み込んだ。
荒れ狂った炎の濁流。
音が聞こえるよりも速く到来する炎の波。
窓から噴き上がった超高温の灼熱。
「はぁっ……はぁっ」
一瞬にして焼け焦げてしまう程に熱かった。
(溶岩すらも耐えるイメージをししてたのに……)
なかった事かのように肉に刺した強烈な熱量。
溶岩よりも熱いなんてあるのだろうか。
俺はこの世界の熱の高みを知っていない。
それもあって、現時点で知り得ている熱の限界は赫糸の炎となってしまっている。
なんとか巨大な炎の奔流から逃げのび、噴水のところまで戻ってきて見据える先。
とてつもない勢いの炎に巻きつかれ、轟々と燃え盛る宿泊施設の有様。
横にも縦にもかなり大きな建物なのに、一瞬にして全焼している。
黒ずみになった木材が道路へと落下しては、粉々に砕け散ってしまうほどの火力。
そんな灰燼となった物ですら火種にし、爆爆と高く燃え上がるその姿は、まさに炎として存在し続ける執念そのもの。
死を知らない焔は、周囲の建物へと加速度的に波及していく。
「……逃げないでよ。終わらせられないじゃない」
20階の高さからなんなく降り立ち、こちらに歩いてきた赫糸が明け放った言葉。
「俺が終わらせないと意味がないからな」
「……そ」
それは愛想のない、ただ捨てるように吐かれた言葉。
そして紡がれる。
「じゃあ死ぬまで勝手に頑張ってれば」
苛立ちを投げ打つ一節。
赫糸の背後一面に出現し続ける畝る火の玉々。
「っほんっとお前の事大っ嫌いだよ!!!」
「そう! ありがとう!! 早く死ね!!!」
無数のそれは、流星の如く尾を引いて舞い込んできた。




