#17【炎天無比】<< 玄武体 >>
頭に乗っていた砕けた木片が、チリチリと床へと落ちていく。
背にしていた壁はボコッと凹んでしまっているのだろう。背にフィットする不思議な壁感触に身を任せながら、呼吸を整えていく。
「いって…」
そんな時、背面の壁に飾られていた金枠の絵画が頭上にドスンと落ちてきた。
パタンと腑抜けた音で着地する絵画。
それを目で追いながら、やってきた道へと目を向ける。
吹き飛ばされたのは仮想戦闘施設の前にある宿泊施設。
この施設はどうも洋館のような様相で、この部屋の家具はベッドやヴィンテージランプといった洋式の物だ。
廊下は道幅広く、その道の真ん中を指し示すように金の刺繍が入った赤いカーペットが敷かれていた。
そんな廊下から一望できる、開放感が凄い一面ガラス張りの窓からの景色。20階から見渡す景色はなんだかんだ素敵な物。
そんな景色、微塵も見渡す余裕なんてなかったけど。
(5式…玄武体…解除…)
肥大化し、重くなっていた肉体が多量の熱を放出しながら収縮していく。
身体から噴き出る湯気を手で撒いて、壁に手を当てながら立ち上がり、息を吐く。
(ギリギリ、間に合った)
この10式まで存在する肉体強化という技には、更に3つの要素を付与できる。
今行使したのは【玄武体】。
【玄武体】
形態評価 ー 【肉体の強靭化と重量化を促す使いにくい形態】
効果詳細 ー
○筋肉の肥大化。
○体重の鈍重化。
○痛覚の鈍化。
○全身に波及するような衝撃力のある攻撃が理論上可能。
○攻撃速度が低下する。
○思考回路が一つ増える。
刹那も刹那だった。
この形態は構造上、どの形態よりも変身に少しばかりの時間を要する。
(ヒリヒリするし沁みるな…)
服が部分的に燃え、拳状に露出した腹筋。
それは真っ赤に焼き爛れていて、ダラリとしたまま固まった血を乗せている。
玄武体へ完全に変身したのは、赫糸の拳が腹に突き刺さると同時。半ば貫きかけられた所で、押し返すようにして肉体が膨らんでいき攻撃を防いだ。
それにより、返ってこんなところまで吹き飛んでしまったが。
(これが仮想世界でよかったよ…修繕費がどうなるかなんて想像したくない)
部屋の中へ吹き飛ばされる直前、勢いを殺す為に何かに捕まろうと横に広げた腕。それによってドアも、周囲の壁も見事に破壊してしまっている。
トイレやお風呂の壁に出来上がった一直線の隙間を、これはデザインです! なんて言い張れる自信と胆力はない、俺には。
そんなしょうもないことを考えているが、思惟に浸る暇があるのかといえばない。
けれど戦闘においてリラックスした状態がないのも好ましくない。
冷静さを生み出すのは強張った体ではなく落ち着いた体。どんな時でもリラックスしろ。
無理そうなら無理やりいつもの生活に即したことを考えろ、というのがじっちゃんの教えだ。
(なにあれ………?)
ガラス片や壁材が押し込まれ、散乱している部屋。
その上をリラックスムードの構築の一環で、ジャリジャリバキバキと言う道を闊歩して覗いた、風呂場の中にあったもの。
浴槽で不自然に横たわっている剣が一本。
握って持ってみれば、異様にずっしりとした重みを感じた。
少し高い所から落とせば、簡単に床が抜けてしまうのではないかと思える重さ。
鞘からその身を取り出してみれば、宝石のように透き通った翡翠色の刀身があらわとなった。
それと同時に伝わってくる、この剣が持つ能力の使い方。
柄から手を離せばすっかりそれを忘れてしまうのだけれども。
(能力が付与された剣か……。それもこの能力、かなり使い勝手が良い)
そんな折り。
首の皮一枚で壊れずに済んでいた色んな物たちが、外からやってきた激しい衝撃によって吹き飛ばされた。
どうやら赫糸は、俺が通った道がお気に召さなかったようだ。
トコトコと、この部屋へ向かってくる足音。
(可能なら赫糸とはこういう狭い空間で戦いたい)
見ている限りあいつが本来得意とする戦い方は、自身の身体能力の高さからくる行動領域の広さを最大限活用したーー
ーー徹底的な攻る姿勢。
本来、と想定しているのは、まだ赫糸がその力の片鱗しか見せていないだろうからだ。
さっきの一撃から鑑みるに様子見の終わりかけなんだろうが、まだ全力じゃないのはもうよく分からされた。
そうなると、必要になってくるのは行動領域の広さを活かせない限定的な空間の強制。
人間に限らず生物というものは、どうしても外壁などの枠組みがあるとそれを回避しようと意識してしまう。
潜在意識というものだ。
そして、それが赫糸にも備わっていればだが、実質的な行動制限になる可能性が高い。
もちろん、この時俺は剣を使うつもりで、剣を振り回す以上狭い場所というのは好ましくない。
だが、部屋の前の通路くらいでなら十分振れそうだった。
(他に好ましくない事といえば……ここに剣があった。つまりは他の部屋にも何かしらの武器があるはずってこと。ここで戦う以上それを見つけられる可能性がある)
一長一短。
リスクを天秤にかけ、メリットの重さに目を凝らす。
「………」
そうして下したのは、やはりここで戦おうという判断。
不公平を効果的に押し付けられる状況、それを作り出す事はかなり難しい。
できる限りの利用はしたい。
それに、危惧こそしているがあくまで可能性であり、その対処として触れられないように立ち回る事は不可能ではない。
加えて、俺自身、ここで決着をつけようと考えている。
それを考えられるくらい、好都合な盤面の利用と言うのは優位性の塊だった。
そして、やってきた。
肩まで伸びる真紅の髪を揺蕩わせた苛烈な一身。
絞られた肉体に浮かぶ血管は、持ち合わせていた威圧感に拍車をかけさせる。
そのショッキングピンク瞳は魅惑的なのだけれども、異様なギラつきは恐怖を漂わせてくる物だ。
まとうカゲロウは一気にこの部屋の温度を加熱した。
玄関口をのぼり、ミキミキと床を鳴らしながら歩いてくる。よどみなくスタッスタッと、廊下を歩き来る。
「………」
勝利条件の、降参させるか欠損させるかの話。
剣を手に入れた今ばかりは、降参ではなく欠損を目的として動く事が好ましい。
「……」
このアドバンテージを捨て去れるほど楽な相手ではない。それが分からないほど愚鈍でも未熟でもない。
殺しが嫌という事は人を斬ることも嫌なんだけれども、それに固執していて負けてしまえば本末転倒。
ほんとに度し難い話だ。
(武器能力解放!!)
実態のない不透明な五角円錐は、絵画の掛かった壁の凹みを覆うように膨れ上がり、色づきながら形成されると同時に流転しーー
ーー高速で射出された。
剣が保有している能力。
その名前は【翡翠鐘】。
【翡翠鍾】
○壁や床などの【面がある事】が発動条件。
○出力方向は【垂直】のみ。
○全長 ー【1人部屋3つ分】
○最大直径 ー【成人男性の腕一本分】
○一回の発動につき、出現させられる翡翠鍾は【1つ】のみ。
凄まじい勢いで一直線に駆ける翡翠の濁流。
反対側がよく見えるほどに透き通った、綺麗な、けれど分厚い翡翠色の一本柱。
その柱が射出すると同時にその上へ飛び乗り、直進するままに部屋から飛び出て、それと同時にブンっと振り返る。
(赫糸は!)
同時に解消した翡翠鍾。
間違いなくさっきまでそこにいたはず。
なのだけれど、そこには影すらいなかった。
訝しみ、周囲に神経を張り巡らせる。
そんな時に聞こえてきた、何かが破壊される音。
それは、小さな物を破壊する音じゃない。
もっと大きくてーー
(嘘だろ…おい!!!)
ーー分厚い物。
それは部屋の全ての壁をぶち破る破壊音だった。
まとめて破壊しているのか、木々や様々な物たちが爆ぜる音は強烈なまでに大きい。
それも、旗上げをしているかのような速度で響き渡ってくる。
高速で遠く離れていく粉砕音。
絶え間なく聞こえてくる部屋の悲鳴奏歌。
(最悪だっ…)
危惧していたことを早速とやられてしまう。
止める間もなく、なのか、それとも俺の爪が甘かったのか。
……間違いなく後者だ。
赫糸は俺なんかよりもずっと仮想戦闘施設のことを知っている。少なくとも、ここに来る為に使わなきゃいけない機械の触り方が慣れた手つきだった。
だとすれば、こう言った仕様は念頭にあって当然だ。
戦闘に集中しすぎて前後の因果性を蔑ろにしていたツケ。
悔やまれる失態。
(……いや、過ぎた事はもう仕方ない。すべき事としたい事を考えろ)
けれど、悩んでいても悔やんでいても仕方ない、次に備えろというじっちゃんの教えを胸に、爆ぜた向こう側の部屋の前に目を、据え、固定。
長い廊下の端の方。
俺と対極に位置する部屋の前。
足元で歪に倒れ落ちている部屋の残骸と、真っ二つになったドア一枚。
ドアノブのない、不思議なドア。
ではない。
黄金色の煌めきが乱反射する。
「………」
「………」
その金塊を足の甲に乗せ立つ赫糸。
見つめ合うまま幾度かの呼吸。
嫌な静寂。
高速で周り回る脳は急加速的に熱を帯びていく。
無限とも取れる行動の思考。
そして。
俺たちに取って悠久とも思えた時間。
動いたのは。
赫糸。
太陽の光を乱反射させ、一直線に飛来した金色のドアノブはその速さに赤熱し、眩しく輝き、溶けて、既に礫と化していた。
脳みそを貫く殺人液。
光の尾を輝かせながら伸ばすそれを前に、首を逸らして躱わそうとするーーそれと同時に、ブンっと力強く振り抜かれていた剣の一光。
突然背後から飛来した、激しい回転を描く、人3人分の霜降りまく巨大な氷柱。
剣とドアノブの肉薄は、まるでハサミのように対照的で正確だった。
左右どちらに逃げても攻撃が命中する。
この攻撃は、どちらかに逃げても大きな負傷は免れない。だから後ろへ躱わしたいのだけれど、後方には氷柱が差し迫っている。
こういうシンプルな攻撃が1番避けにくかったりする。
完全に封じられた側面と背面への回避。
敢えて残されている上下への移動は誘導か、手が足りずか。
それとも、どっちへ抜けても仕留められる自信があるのか。
これだろう。
回避が間に合ったとしても、あのおかしな肉体の挙動で補完されてしまう。
脱出の手立てはないのか。
時が止まって見えるほどに加速させる思考。
幾万もの時間を費やして、脳を燃やして、そして、駆け巡った一筋の光。
(いや、ある)
それはとても簡単な事だった。
(6式、玄武体)
分厚く膨れ上がる全身の筋肉。
充満する怪力感。
増幅する鈍重体。
(今ならギリギリ鹿の角一本分動きは間に合うっ)
満ちた体躯から繰り出す、指一本に満たない小さな跳躍。
それを合図に。
ーー力強く床を踏み抜いた。




