#2【放課後勉強会!】
朝は結局盛大に遅刻した。
教室棟の玄関口へ早歩きで入り込み靴を履き替えようとした時、遅刻した生徒を指導するために立っていた相川先生と出会した。
「今日は前より早かったからセーフだが遅刻は遅刻だ、気をつけろ」
そんな注意を受けたがそれ以上のお咎めはなかった。
それから教室に入ってからも特に何か言われるでもなく、問題なく席に着くことができた。
そうした1日の始まりはどこか昨日と似ているのだけれど、今日からは明確に違うと言う事を身を持って知ることになる。
沢山の授業。
長い授業時間。
語る話はちんぷんかんぷん。
なんとから覚えようと頭を働かせるも、百杯酒を浴びるが如し。
何度か教室で気を失ったり保健室に運ばれたりして、都度周りの人たちが助けてくれた。
そんな今日という日はようやく終わりを見せていた。
時刻は放課後、17時過ぎ。
けれど、これで帰れるというわけではない。
教室は19時まで開放されており、帰路に立ったクラスメイト以外は班ごとに固まって机を合わせている。
いわゆる勉強会だ。
とはいえ、その残ったのは2班のみ。
俺達と青峯さんの班だ。
青峯さんの班は4人の女性と1人の男性で構成されていて、青峯さんを中核に据えているようだ。
唯一の男の子は、初日のくじ引きの際にお姉さんと争っていた弟くん。もちろんお姉さんもそこにいた。
仲が悪いのか良いのか、あまり判断がつかない2人。
5人のうち残り2人。
1人は翡翠色の髪を後ろで束ねた、ほんわかした雰囲気を放つ女の子。一度面識のあった鳥田……多分鳥田さんだ。
それと、蘇我さんに負けず劣らずの長い髪を持っている桃色の髪の女の子。目元が髪で覆われているのだが、前が見えているのか気になるところだ。
そんな人物たちで構成された青峯さんの班は、2日目でありながらかなりまとまりが感じられた。
「どう昇也くん、続けられそう?」
そんな青峯さんたちの様子を見ていると、米田くんが今日一日の俺の様子から気にかけてくれていた。
「んー、うん。まだいけそう」
「無理は禁物だよ」
「うん」
ホログラマーがあり、スマホの時代と比べて資料を感覚的に手に取れるようになった時代。
機械が人間の体に組み込まれたと言っても過言ではないほどに馴染んだ拡張機能は、人間の効率性を飛躍的に向上させ、それを補助するアプリなどが充実するほどに現実にあった物は姿を消していった。
紙やペンといった用具が特にそうらしく、文房具コレクターくらいしか今や集めていないのだと言う。
じゃあ紙やペンがない今はどうなっているのかといえば、今日より配布されたホログラマー専用の電子ペン。
それと、紙アプリという、まるで本当の紙がそこにあるかのように投影されるアプリを用いる。
投影されている箇所目掛けてペンを走らせれば、遅延なく文字が書き込まれていく仕様となっている。
そんなノートを活用し、一心不乱にペンを走らせる。
俺は今、今日1日分のノートを書き直しているところだった。
一日中、繰り返し限界に達していた俺。
それをみて灰田さんは俺の頭の容量の問題だと思っていたようなのだが、もしかしたらと俺のノートを確認すると予想通りといった顔をしていた。
そんな酷いノートを取っていたつもりはない。
むしろ一生懸命に書き連ねた。
しかし、逆にそれがいけなかったらしい。
『んーここまで頑張ったのは凄いと思う。けど、先生の発言含めて一言一句書きこむのは流石にだめよ…』
ノートの書き方を指摘された。
けれど先生の発言も大事だと考えると、これ以上の正解はないだろうと思えてしかたなかった。
そう言う想いを伝えると、灰田さんが書いたノートを俺に送ってくれた。
それを見て俺は驚愕した。
『う、美しい……!!!』
なんだこの無駄のない、計算し尽くされた文章は。
『師匠と呼ばせてくださいっ』
『そ、そんな、大げさだって』
授業ごとの板書を基盤に、別のページにその要点と要約を書き込んでいる。
文字の配列にゆとりがあるのも明確な違いだ。
俺のノートは窮屈そのもので、はたからみればデスノートの表紙みたいだと古賀君に言われた。
そんな特徴の中に文字の綺麗さもある。
俺が書いているガタガタとした文字の隣に灰田さんの文字を置けばその違いは歴然。
とにかく灰田さんの文字には丸みがあって、かわいらしくて、丁寧に文字が作り上げられている。
一文字一文字目に入ってきやすい見た目をしている。
空白や改行も、ノート全面を最大効率で利用しているかのような使い方。
板書自体も疎かにせず書き込んでいて、先生の発言をワンポイントと称して要約しながら書いていた。
全体的に今日何をしたのか、何を学べたのかが簡単にわかる見え方。
その無駄のない、美しい煌めきを放つ文字の海。
圧倒的な才覚を前に、指摘を受け入れられないと言う俺の心は打ち砕かれてしまっていた。
そうして生まれ変わった俺は、こんな文字を書きたい。こんなノートを取れるようになりたい。
その一心で灰田さんのノートをお手本にさせてもらっている。
「…んー……」
手首の疲れが文字を書き進める速度を鈍くさせてくる。痛みは出てこないが少し休みたくなってきた。
俺と違ってみんなはノートが元から出来上がっている。だから内容に軽く目を通す以外にやることはない。
しかし、今も彼らが黙々と机に向かっているのは、灰田さんが作った穴埋め問題を解いているからだ。
問題自体は手作業ではなく、問題生成プログラムに情報を突っ込んで雑に作った簡単なものらしい。
一応俺にもその問題が配られているのだが、今日手をつけるのは無理そうだ。
ペンで机をつついたり掻いたりする、なんともノスタルジーな筆記音。
窓から入っていた温もり混じる夕焼けは、寒さが支配する月明かりへといつの間にか差し代わっていた。
すごく疲れたなぁとペンから手を離し、ホログラマーの表示を切って背もたれに体重を押し付ける。
そんな時だった。
「ぅーわっ!!!」
「ふぎゃぁ!!?」
急に両肩に手を叩きつけられ、椅子から数センチほど飛び上がってしまう。
突然の事に変な叫び声がでてしまった……。
そんな俺をみてケラケラ笑っているのは青峯さんだった。ミディアムボブの灰色の髪が楽しそうに揺れている。
「ふぎゃぁっだってふぎゃぁっ」
「いや! だって! いや!!!」
「言い訳は署で聞こうか…」
「犯人は青峯さんでしょ!!」
「くっくっく…さすが探偵さんお見事だよ……。牢屋でわたしの言い分を聞いてください」
「まったくもぉ」
そういやなんでこっちに青峯さんが来たんだろう。
わざわざこっちにくる用なんてあるんだろうか。
膝丈にヒラリと揺蕩う紺のスカート。
「何かあったの?」
「えー? ぁーんーいやぁー普通にそっちの勉強ってどんなことしてるのかなーって」
「ほーん敵情視察ってやつか」
古賀くんの一言。
それに青峯さんは拳銃のように折りたたんだ指を古賀くんに向け「古賀くーん、まさにそれっ」とウインクがチャームポイントのキメ顔を輝かせる。
「まーそうやなぁ。つっても普通よ。普通にノートを読んで、穴埋め問題やってって感じ。あ、穴埋め問題はうちの師匠が作ってくれました」
「へぇー! 流石お師匠さん!」
「2人して悪ノリしないでくれない!? もぉ…普通だってぇ……」
灰田さんは顔を隠すようにして頭を抱えていた。
「昇也くんはどう、勉強。くるしい? 苦痛? 苦患に苛まれてる? 艱苦に耐えられない…? 取り敢えず死ぬ?」
「悪魔の教典か?」
古賀くんが思わずと声を上げると、青峯さんは指で頭からツノを生やすと「アイアムデビルー」と悪そうな顔をしながら言った。
「神はいないんですか、俺本当に今くるしいです、死んじゃいそうです」
「神は死んだ、バイ私」
そんなご無体なと思うばかりである。
俺は机に項垂れ手首を椅子より下へストンと落とす。
「疲れたよ……」
そんなマジなリアクションをとる俺に、流石に青峯さんはふざけてやってこなかった。
「気を失ったりしてたけどずっと頑張ってたもんね。凄い根性だよ」
むしろ、そんな優しい言葉と声に俺は思わず感極まった。
「…ありがとう…うれしい…」
「こんなに頑張れるなら頭の体力もすぐについちゃうね」
「…そうかなぁ……」
「そうだよぉ。これからも応援してるぞ、我が信徒よっ」
「…一生崇めさせていただきます……」
「許してしんぜよぉ」
「ははぁ……ありがたきお言葉ぁ…」
「本当にあなた達って昨日会ったばかりなの?」
灰田さんは不思議そうに俺たちを見つめていた。
「さーてさてっ。視察もそこそこに戻りますかねー。私達のグループ普段は仲がいいんだけど問題児がぶつかり合うと大変なんだー」
そう言って向けられる青峯さんのグループ。
そこは今ちょうど慌ただしさを増していたとこだった。
「ねぇさんっあぁもっ、馬鹿! 違うって! 漢字が違う!」
「うるっさいわねー! わかってるって! てかあんたの問題の出し方下手すぎ! 要点掴んで問題出してよ!」
「もう寧々さんやめて、喧嘩しないで」
「喧嘩じゃないわ! 改善を求めてるだけよ!」
「はぁあ? 改善って何様だよ! 問題の出し方が下手なのはねぇさんも言えないだろ!! てか俺より酷いじゃん! 考えてる途中に後付けしまくりやがって! なんで自分を棚に上げて毎回毎回そう言うこと言えるんだよ!」
金色の髪の男の子は机を叩きながら立ち上がった。
形相は鬼。
顔色も耳も真っ赤に染めている。
「雷斗くんも落ち着いて。怒って言ったら素直に受け止めてくれないの1番わかってるでしょ」
「わかってるよ! けどずっとそれを続けてきたからこそ今日という今日は我慢ならないんだよ!」
「はぁあ!? 上等よ! あんたもあんたでーー」
白熱する2人の貶しあい罵り合い。
日頃の恨みが燃料となって燃え上がるその火口に、鳥田さんはアワアワしていた。
反対に、前髪の隠れた桃色髪の女の子は積極的に仲裁へ入っていたのだけれど、努力虚しくその勢いが止まることはなかった。
「あぁもう喧嘩はよしてって」
そんな彼女の声はついに、2人の叫び声にかき消されてしまった。
誰にも届かない、制止の声。
「はぁ……」
強く、深いため息。
言葉の応酬と取っ組み合いが始まった2人。
流石に俺たちも駆けつけようと席を立ったと同じ時。
桃色髪の女の子はブレザーを脱ぎ捨て、空色のヘアバンドで前髪を掻き上げた。
そうして顕わになったつぶらな目。
綺麗な赤い瞳。
長いまつ毛。
綺麗な顔立ちに陰る、曇りのある表情。
明確に何かが起きる前兆が目の前にある。
と言うのに、喧嘩をする2人の興味は互いにのみ。
視野の狭い様子は、彼女の堪忍袋の最後の尾を切ってしまった。
「いい加減にしろっつってんだよクソガキども!!」
バンっと机を叩きながら立ち上がったその姿。
それは、身体も顔も男そのものへと変貌していた。




