#23【瞼の帳が落ちるまで】
床が温かいからと言って、じーっと全裸であの場に留まるのは流石にこたえた。
足も手も、指先までしっかり冷えていて、指同士を擦り合わせて暖を取ろうとするやり方は、森での生活を思い出す。
けれど、もうこれからはあんな地獄ではない。
(俺を待つのは温かい生活っだぁああ!!!!)
俺はウキウキとした心を携えて椅子に座り、シャワーの取手を手前に引いて見せる。
すると聞こえた、キュッという音と。
「ぅ"ぁちょおぼぼぼぼ」
顔面に直撃する、質量を伴った雨嵐。
視界は全て局所的な豪雨によって覆われている。
ちょっと、痛い。
「ごほっ…ごほっ……」
俺の身体の反応は鈍く、顔をそこからずらすのもかなりのっそりとした動きになってしまう。
取り入れた酸素を十全と嗜みながら、シャワーの勢いを緩めてみる。
(うん、これくらいかな)
じっちゃんが用意してくれたシャンプーとコンディショナー、ボディーソープ。
使い方はシャンプーが先で、コンディショナーが次。最後にボディーソープで全身綺麗にしろと言うことだった。
泡立つ方がシャンプーらしい。
でも泡が立つって、どんな感じなんだろう。
俺はそれを全く知らない。
「ぉ、ぉおおお!! すっげぇ!! 泡立ってる!! あわあわだすげぇえ!! ぉおおお!!!!」
頭をとても優しく包み込んでくれる白い泡!
揉み込むのも気持ちがいいし、泡に手を当てて触るだけでも気持ちがいい!
よく揉み込むほどに泡が膨れ上がり固くなる!
風呂場の鏡に目を向ければ、俺の髪の毛はボヨンボヨンのアフロヘアーになっていた。
超楽しい!!
「ぉ、おっおっ、す、すべすべだー!!! すげぇええ!!!」
シャンプーの泡を流せば次はコンディショナーだ!
シャンプーの液体感とは違い、粘度が高い個体として手に降り立つコンディショナー。
それを手の上で広げさっと髪に揉み込んでいくと、次第に毛の一本一本が滑りをまとっていき、ツヤツヤな輝きが視界に爆発していた!
香りもいい!
ツヤツヤでスベスベ!
おもしろい!
薬剤をよーく洗い落とした後の髪はしっとりスベスベしていた。
「うぉお、ボディーソープすげぇ……」
ボディーソープもシャンプーと同じく泡で包み込んでくれる感じなのだが、全体的にまとわりついてくれる感触は新しい世界を俺に見せつけてくれる。
洗い流した後は肌がしっとりしていた。
「ほへぇ…」
髪の毛しかり、肌然り。
傷薬以外で明確に効能を感じた事はなかった。
だからこそ湧き上がる興味と驚き。
誰かにとってはシャンプーもコンディショナーもボディーソープもお風呂すらも当たり前で、情緒を動かされることがないほどに見慣れたものなんだろう。
でも俺にとってはまさに未知との遭遇であり、未知との接触そのものだった。
実にワクワクが止まらない。
そしてやってきた、この瞬間。
じーっと見据える先。
湯気を揺蕩わせている水のかさ。
そこに映る自分の顔と睨めっこしながら指をお湯の中に落としてみる。
「んー……」
よく分からなかったので腕ごと入れてみれば、43度と言う温度は少し俺には熱すぎたことがわかった。
少し赤みがかった腕を見ながら水を足す。
そうして自分にとっての適温になったところで俺は。
もう勢い任せに身を投げ入れた。
トポンッと大きく跳ねて揺らぐ波。
バサンッと音を立てて流れていく水の滝。
少しばかり水嵩が減ったのだけれども、まだ全然ここにはお湯がつまっている。
「ぷはぁー……」
全身がお湯に浸かると同時に襲いきた、芯を温めようとする熱の応酬。それは苦しいものなんかじゃなくて、とても心地のいい温もりそのものだった。
俺は今日初めて水の中に入ることを心地いいと思った。幸せだと思った。気持ちがいいと思った。
それと同時に、今までの苦行はこの全てを取り返すような幸福感を体験させるための仕込みだったと考えてしまえた。
俺の中にあったじっちゃんのイメージが、鬼から仏へと移り変わっていく。
「ぁー……すごい…いい……」
声に出すつもりのない言葉が自然と口の端から漏れ落ちる。
けれどそれは仕方ないことなんだ。
だって俺は今、全身を温もりに包んでもらっていると言う至極の世界を噛み締めている。
初めての感覚であり快感。
口元すら弛まないなんておかしな話なんだ。
(このまま、眠っちゃいそう……)
しばらくして、元よりうすらボケていた頭の中に更に白いモヤがかかり始めた。
強い白濁色だ。
それに合わせて睡魔もぐわっと襲いかかってきた。
「あー……出なきゃ…」
でも、出たくない。
そんな思いが、俺の行動意思を支配する。
これは下手な足枷よりも鈍重で、分からず屋だった。
恨めしい存在なのだけれど、それを許容する自分がいることを忘れてはいけない。
「それに……みんなに…早いとこ…連絡……しなきゃ…」
それ同時にしなくてはいけない事柄が頭によぎる。
この幸せと不幸せの板挟み。
なんとも言えないマリアージュ。
「でよう…」
そうして脱衣所に逃げ込むように這い出すと同じくして、見た事ないほどにシワシワになった自分の指を見て戦慄する。
けれど、水でふやけたことがないわけではなかったから変な焦りは生まれなかった。
湯気を上げる身体。
茹だる頭。
服を着るには暑過ぎる。
4月の部屋の冷たさは、そんな体に丁度いいものだった。
「あっぅ…」
ベッドに身を投げ打つと、この過労感から解き放たれようと身体が勝手に力を抜いていく。
本当にこのままでは意識が飛んでいく。
今でもちょくちょく白目を向きそうだ。
俺は布団の中に顔面を埋めながら、ベッド近くの棚に置いてあるメガネ型のホログラマーを手探りで探す。
ぜんっぜん見つかりません。
だから仕方なく顔を上げて取った。
メガネをかけて、起動して、ウィーコネクトを確認する。
(あー……眠い)
米田くんからメッセージが来てる。
返信する。
『別に大丈夫だよ、交換してくれても。まぁ先に誤解とかはしてないって伝えておいてくれたら助かる』
『わかった、ありがとう』
米田くんから許可は降りた。
次は…青峯さん……だ。
『交換していいって。あと誤解は元からしてないよって言ってたよ』
と、送ってすぐに既読がついて返信が返ってきた。
はやい。
『やぁああったぁああ! ありがとうありがとう! 本当にありがとう!』
『どういたしまして〜。けど…どうそっちに送ればいいの?』
詳しい操作はよく分からない。
だから指示を仰いでもらった。
連絡先を渡せた。
青峯さんは非常に満足している様子だった。
『眠い中ほんっとうにありがとね!』
『うん』
『学園でまた話そっ! また明日っ』
『うん明日』
『おやすみ!』
『おやすみ』
最後に……後回しになったけど…西条さんに連絡……する…。
(あ、これもうダメなやつだ)
西条さんには申し訳ないが明日返信するという旨だけ伝えてメガネを外す。
外したまではよかった。
けれどそこで限界を迎えた。
充電をしたいがもう余力なんてない。
ただ導かれるままに全身をベッドの中へと沈み込ませていく。
もう2度と開かないんじゃないかと思うくらいに閉ざされた二つの瞼。安らかな心持ちのままいざなわれるは闇の中。
目と脳みそがようやく休むことができる事に歓喜しているのか、雄大な野を駆け走っているかのような開放感を味わわせてくれる。
とても、気持ちが、いい。
(明日も……頑張ろう………)
今日一日でいろんな人と出会い、仲良くなった。
嫌いな人も見つけた。
頭もよく使った。
新しいことを沢山体験した。
とても濃い1日だった。
これからもこんな色んな思いのできる日々を送れるのだろうか。もっと友達が増えていくのか。
それとも、もっと嫌いな人が増えていくのか。
楽しみと不安、どちらも俺にはあった。
でも、ただ一つ言えることは、みんなと過ごせるこれからの日々が楽しみで仕方ないと言うこと、それだけだ。
そんな日々を連ね綴って、最後には、ちゃんと学園を卒業しよう。
これが俺の思いであり、じっちゃんとした約束だ。
留年どころか退学だってあっちゃならない。
勉学を疎かにする理由もなければ、全力を注がない理由もない。みんなの足を引っ張らない為にも俺はやっぱり勉強も頑張んなきゃだ。
それを考えると少し頬がこけてきた気がする。
小テストという言葉だけでも嫌気がさしてきた。
それも2週間に一度の高頻度でさせられる。
そんなテストに追われる日々が明日から始まると考えると、ちょっとだけ億劫になった。
でも、俺には友達がいる。
みんないい人たちだ。
だから怖くない。
心地よい睡魔。
微睡がまとわりつく頭。
振り解く余裕も、意義も。
もう、完全にここにはない。
俺はただその誘いに呑まれるがまま、黒く透き通った意識に溺れ落ちていった。
【次章予告】
沢山の出会いと、沢山の新しい事、覚えるべき事。
自身の未熟な部分と、嫌いな人間に出会うという初めての知見。
様々な出来事が折り重なった、そんな濃密な1日に目を瞑る。
そうして終えた1日目。
そして始まる2日目の朝。
ついに華園昇也の学園生活が動き出す。
しかし、そんな矢先に降り掛かった最悪の事態。
果たして昇也は切り抜けられるのだろうか。
「次回」
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