EP32:凶弾と鮫の牙と聞こえざる舞踏
《1》
——彼の一族は、かつての姿を失った。あるいは、本来あるべき姿に戻ったとも言えるかもしれない。
「……」
今は亡き《黒崎重工》、その廃工場。現在は死の商人として裏の世界に名を馳せる《茉莉花組》に占拠され、さらにそのスポンサーである《解放教会》に、臨時拠点の一つとして貸し出されている。
黒崎亜玖斗——《黒崎重工》の御曹司として生まれ、その後《茉莉花組》によって人生を狂わされたその少年は、おどろおどろしい雰囲気を醸し出すその工場に足を踏み入れた。
「……来てやったぞ」
決して大きな声ではなかったが、その言葉は確かな重みを持って工場の敷地に響いた。そしてそれを合図に、物陰から無数の人影が現れる。
(——俺如きに対してもこの手厚い歓迎か……俺がいない間に、奴らは随分と懐を潤したようだな)
アクトは足元から飛び出してきた、液体状の影を浴びた双剣の柄を掴み取る。鮫の牙を並べたかのような肉を引き裂く鋸刃が、静かに殺意を滾らせた。
それと拮抗するように、暗がりから群衆が飛び出す。「ギュイィイィイン!」と、誰かしらが握っているであろうチェーンソー型の《ツインズ》が、悲鳴のような駆動音を響かせた。
「俺の『影鰐』……《彷徨える牙》……力を貸せ」
アクトは即座に双剣を逆手に構え直すと、上体を沈めて地面を蹴った。もはや這うような姿勢で一気に群衆との距離を詰めると——
——ジャギシュッ!
肉が引き裂かれ、抉り取られるような斬撃が炸裂した。
《2》
綿密な話し合いの末、《焚書図書館》からは『閑散』のエントレ・レギュレイトに加え、『黒塗』の紙魚綴幸と『排他』の進藤朝景が出陣することとなった。トウジは本部からのバックアップに徹し、必要があれば自前のワープでこちらに向かうとのことだった。
そしてヒロを含めた《焚書図書館》陣営は、トウジの手引きによって道中何事もなく、無事廃工場に到着した。
「うわっ……!?」
先陣を切って工場に入ったヒロは、最初に目に飛び込んできたその光景に対して、思わず声を上げた。
「……酷い」
彼に続くスイコウも、ヒロの後ろからその光景を見て嗚咽を漏らしかけた。
そこには、ありとあらゆるものが赤茶けた血の色に染まった工場のラインがあった。元々あった光景は何度も何度も塗りつぶされたかのようで、床や機械類はもちろん、壁も下半分のほとんどが染まってしまっていた。
まるで、この部屋が血の洪水で満たされていたかのようだった。
「……これ、まさか全部アクトくんが……?」
「あいつが、か……スイコウ、アクトってこんな派手にやるタイプなのか? 俺は付き合いが短いからあんまり分からないんだけど、なんだかこういうことするタイプには見えない気が……」
「……実を言うと、僕もアクトくんのことはよく分からないんだ。初めて会った時は敵だったし、ルリが説得して仲間になってからも、あんまり自分のことは話さなかったから……」
ヒロの問いかけに満足できる答えを返せなかった自覚があるのか、スイコウは申し訳なさそうに俯いた。
「《黒崎重工》とアクトくんの関わりについて知ったのも、つい最近なんだ。《焚書図書館》の資料を読めるようになったのも、本部で動くようになってからだから……だから、ごめん」
「……」
彼が話す様を見て、アサカゲは胸が締められる思いだった。
(——スイコウくん……君に真実を話す日は、来るのでしょうか)
紙魚綴幸は、本来《焚書図書館》にいる人間ではなかった。彼は《解放教会》を始めとしたそれぞれの《サイダーズ》、その率いる組織の勢力拡大を危惧した《クロノサイド・オウル》が、補完のために無理矢理味方につけた不幸な能力者の一人。『虚報』の写絵風鈴によって植え付けられた偽りの記憶・記録によって、今の「《焚書図書館》に属するスイコウ」は成り立っている。
だがその偽りの歴史を成り立たせていた《ゴシップ・オーシャン》が破壊され、《レスト・イン・ピクチャー》という不完全な状態で復活した今、彼への欺瞞がどこまで成り立っているのか、いつまで欺くことができるのかは未知数だった。
(——ごめんなさい、スイコウくん。あなたが負い目を感じる必要はないんです……でもどうかもう少しだけ、私たち《焚書図書館》のために、騙されたままでいてください)
アサカゲはギリギリと拳を握り、掌に爪を食い込ませた。
そんな彼を背後に、ヒロは床の血痕に手を伸ばす。
「フェニックス。この血……」
(——十中八九、『羊飼い』に踊らされた馬鹿者のだろう。固まり具合乾燥具合と、生命力の残留度合いを見るに……うん、この血は体外に流れてから、まだ一時間程度しか経っていないと見える)
「一時間……アクトがここについてから、それくらいしか経ってないってことか? だったら、もう離れたって可能性は少ないか……?」
(——こいつらを殺した人物を黒崎アクトと仮定するなら、そう考えてもいいだろう。……まあ、傷口に残っている《ツインズ》の残滓のパターンからして、黒崎アクトであることは確定だろうけどさ)
「フェニックス……お前の力って、そんな便利だな……」
(——今更そう思われた所で、嬉しくもなんともないけどね)
「そこは素直に喜んだほうが人気出るぞ」
フェニックスの無愛想な態度に愚痴を垂れながら、ヒロは後ろを振り返った。
「……アクトは、まだ近くにいるみたいです。奥に進みましょう、まだあいつに追いつけるかもしれません」
《3》
同時刻。立ち並ぶ廃工場の中でも、特に奥まった場所に建った工場の屋上にて。一人の少女が、今にも日が沈まんとしている空を見上げていた。
短く切った黒髪を夕方の空気にたなびかせるその少女は、細い手足の目立つ真っ白なスーツに身を包んでいる。少し見ただけでは、彼女は男性だと勘違いしてしまうだろう。しかしその物憂げな表情には、少女らしい可憐な——あるいは、儚げとも言える雰囲気を感じることができた。
「……」
そしてその少女の背後から近づく人影が一つ。深淵を思わせるほとんど黒に近い紫色の長髪は、手入れが行き届いておらず癖が目立つ。その下から覗く灰色の瞳の片方の上には、紫色に変じた三筋の傷が通っており、それらは未だどくどくと脈打っており、傷を受けた少年——アクトに痛みを訴えかけているようだった。
「……来ると思っとったわ、アクト」
少年の気配を察知した少女が、声を発した。彼女の声は、年相応に少女然とした、ハリのあるアルト・ヴォイス。それとミスマッチな、常なる激しさを秘めた口調は、彼女の立場を言外に示している。
「俺が抜けた後で、下剋上を果たしたと聞いたぞ……『組長』?」
「やめろ。ワシはお前さんに、そんな仰々しい肩書きで呼ばれとうない。……昔のように、『ホノカ』と呼んどくれりゃええんじゃ」
アクトが口にした、『組長』という呼び名。それは日の沈みかけた空を見つめる少女——茉莉花仄香の、現在の肩書き。即ち、彼女こそが現在の《茉莉花組》をまとめ上げているということだ。
「……」
アクトは何も言わず、《ホーンテッド・ファング》の柄をより強く握る。金具が擦れ、カシャン、と小さな音が鳴った。
「お前さん、どうせワシを殺すつもりなんじゃろ?」
「言わずとも分かるはずだ。俺は《茉莉花組》を恨んでいるからな」
「……変わらねェな、お前さんはよォ」
ホノカは振り向き、アクトの擦り切れた容姿を視界に入れた。髪はボサボサ、服もボロボロ。昔は組への復讐心に満ちていたその瞳も——「あの頃」の輝きを失っているように見える。
「ハッ」
そんな旧友を、彼女は鼻で笑った。単なる被験者の癖に、よくここまで生きられたものだ、とでも言いたげな嘲りに満ちていた。
「テメェみてェな三下の実験鼠が、ワシと殺り合おうってか?《茉莉花組》も随分と舐められたモンだなァ! アァ!?」
ガシャン! と金属音が鳴ったかと思えば、いつの間にか彼女の左腕が変化していた。暮れの光を浴びて、燃えるように輝く黒鉄の銃身。それが彼女の左腕の現在の姿。彼女の左腕が、無骨な大砲に置き換わっていた。
「……っ」
「その様子……テメェ、ようやく思い出したんだなァ? ワシの《インビジブル・フレンズィー》の恐ろしさをよォォ!」
体を銃火器に変化させる彼女の《ツインズ》であり、同時に彼女自身を、《茉莉花組》を表す二つ名、《見えざる狂乱》。
「だが……ワシが相手するまでもねェ。テメェにはまず……『こいつ』に勝って、テメェの強さを示してもらわねぇとなァ!」
——ザッ!
「……」
アクトとホノカの間に割り込むようにして、工場の天井に落ちる影が一つ。ホノカやアクトと同年代の、よく手入れされた学生服を着た少年だった。
アクトは二人の乱入者の姿を確かめつつ、《ホーンテッド・ファング》で戦う感覚を思い出すように、双剣を手のひらでくるりと回す。
「……俺の知らない顔だな……《茉莉花組》の成員か?」
「ああ。テメェの生半可な攻撃じゃ殺せねェ手馴れだぞ?」
「それくらい気配で分かる。……それよりも、俺はお前のような餓鬼が組長でも、組についていく物好きがいることに驚いている」
「……チッ」
ホノカは重厚な左腕を軽々と持ち上げ、天に掲げる。
「ナナヒカリ、遠慮はいらねェ。……確実に殺せ」
「了解です組長。……尾山七光、参ります」
ピリつきながら両拳を合わせる少年と、アクトは睨み合う。
「……黒崎家の、名誉にかけて」
草むらから獲物を狙う獣の如く、アクトは上半身を低く沈める。双剣が闇夜の空にも等しい色の刀身に力を巡らせると——
——ドゴン!
「《ホーンテッド・ファング》!」
「《ビッグ・ダディ》!」
キャノン砲に続くように、二人の少年が叫びを上げた。
《4》
「……銃声?」
「ただの銃声にしては大きいでしゅ……それこそ、大砲とか」
「大砲……例の密造武器か……?」
ヒロはエントレと共に警戒をより強めながら、血みどろの工場内を歩く。後ろにはスイコウが続き、さらにその後ろでアサカゲが背後からの奇襲に備えている。
しばらく工場内を歩いているものの、光景に新鮮味はない。いくら歩を進めども、少し前まで鮮血のプールの底だったような、悍ましくも単調な場所が続くばかりだ。
「……」
そんな道中は、徐々に四人の精神力を削いでいく。まだ完全に固まりきっていない血液に僅かながらも足をとられ、ねと、ねと、と足音を立てながら進む一行の中で、スイコウが不意に足を止めた。
「……スイコウくん、どうしたんですか?」
「アサカゲさん、静かにして……今、何か聞こえたような気がするんです……ほら、耳をよく澄ませてください……ほら、あっちから」
スイコウは今来た道の方を指さす。アサカゲは彼の言う通りに耳を澄ませ、そして暗闇に向かってよく目を凝らす。
「……?」
その暗闇の中に、アサカゲは何かを見つけた。それは蛍の放つものに似た、か細い黄緑色の灯りだった。その場で一切動くことのない、明滅すらしない機械的な黄緑色の光。アサカゲがじっとそれを見つめていると、自然と他の視線もその一点に向けられていく。
「なんでしゅか、あれ……工場の設備のランプでしゅか……?」
「いいや違うよ。トウジくんが、この工場の設備はとっくにダメになってるはずじゃなかったっけ……でも、だったら何なんだ……?」
「……」
そんな中で、ヒロの足は独りでに、その小さい光に吸い寄せられるようにして一歩を踏み出していた。ねち、ねち……と不快な音とともに、ヒロはエントレを、スイコウを、そしてアサカゲを追い越して、誰よりもその光に近づいていた。
だからこそ彼は、その光が知らず知らずのうちに、赤いものにすり替わっていることに気がつくことができた。
「——!」
ヒロは咄嗟に振り向き、両腕を大きく広げる。
「下がって、早く!」
「え——」
「早くッ!」
彼の警告が仲間の意識を引き付け、彼らの足を背後へ向かわせた、その時だった。
——ピー————。
奇妙な耳鳴りが、一同の意識に介入した。そして同時にほとばしる閃光が、荒ぶる爆風が、一同を呑み込まんと光の方向より迫った。
「《不死鳥の翼》!」
ヒロは反射的にその言葉を叫び、両腕を巨大な鳥の翼に変化させていた。それは爆風を受け止める肉壁となり、迫り来る熱を全身に浴びた。
「あァ——ッ!?」
爆風はヒロの背中と緋色の羽を黒く焦がした代わりに、その勢いを著しく減衰させる。爆風は後ろに残る三人に届くことはなく、彼らの頬に熱い空気を押し付けるだけに終わった。
「くっ……ヒロくん!?」
スイコウは顔を覆う手を退けられると判断するや否や、目の前でうずくまるヒロに駆け寄り、その肩に手を置く。彼の背中と腕は大きく焼かれて皮が捲れて、生々しい赤い肉が露わになっていた。
「いきなり盾になるなんて……まさか、最初から気づいて……?」
「過ぎたことはどうでもいい……今すぐ応戦しろ!また次の攻撃が来るぞ!」
ヒロは苦い顔で叫ぶ。その言葉にスイコウは、来た道の方——爆破が起こったほうを眺めた。
「もしかして、誰かいるのか……?」
「でも姿形が見えないどころか、音の一つも聞こえないでしゅ!」
「だったら俺が……《血眼・大鷭》!」
ヒロの瞳が緋色に染まる。生命力を可視化した視界に映し出された痕跡は、確かに人の形を捉えていた。しかし、それを追う前に。
ピー————。
(——また耳鳴り、だけど今度は後ろから? ……まさか!)
背中側から、熱が迫る感覚がヒロを襲った アサカゲとアノンが振り向く先には、炎がすぐそこまで迫って来ていた。爆弾だ。
そしてヒロよりも早く、スイコウが二人の方に走っていた。
「ペンパル!」
(——承知しました、スイコウ様)
スイコウは迫り来る炎へと右腕を突き出し、手のひらで触れた。
「呑み込め《レター・フロム・ブラックワールド》!」
炎は彼に触れられた瞬間に「ゴウッ!」と音を立てて、その色を混じりっ気のない黒へと変え、そして彼の手のひらに吸い込まれるようにして消えた。
「ま、間に合った……」
彼が手のひらを確認すると、そこには「爆」の一文字が、殴り書きしたかのような荒々しく細いフォントで刻み込まれていた。
「……フェニックス、どうやら敵に自分の手を汚すつもりはさらさら無いらしい。いつの間にか仕掛けておいた爆弾からの奇襲……スイコウと俺が防御に徹したからいいものの、なす術なくこっちがやられてる世界線もあり得た……卑劣で、卑怯で、吐き気がする」
(——殺しというのは、基本「先に相手に膝をつかせた方が勝ち」が絶対の「理」だ。それに則るなら、卑怯だと言われるような戦法を使っても、なんら問題はないだろう。君も理解しているだろう?)
「ああ、そうだな。俺たち殺される側のことをゴミ以下だと思ってるような屑の考え方は、大抵そんなものだろうよ」
ヒロは再生した肉体の動きを確かめるように、剣の形に実体化させた《スーサイド・フェニックス》を右手でしっかりと握った。
「でも俺は正面から勝負したいわけ。……スイコウ、質問があるんだけど、ちょっといい?」
「うん、何?」
「もし俺が敵の居場所を炙り出すために、ここで自爆するって言ったら、スイコウはどうやって後ろの二人を守ってくれる?」
「……『球』か『壁』って地面に書いて、防壁を作るよ」
「いいね。ならそれで頼む」
「わかったよ、それで……え?」
スイコウは思わず流れで返事をしたことに対して、後悔するフェーズまで一瞬で思考を進めた。突然両腕を胸の前で交差させて腰を落とし、全身に力を入れ始めたヒロを見たからだ。
「待って待って、自爆って何!?」
「何って……ほらあれだよ、メガ○テ」
「分かりやすい例だけど……それを『する』って何なのさ!?」
「俺の中の全生命力を、俺の外側へ押し出す。そしたら俺の体っていう殻に収まってたエネルギーが……レンチンした卵みたいに炸裂するんだよ。多分……ここ一体は吹き飛ばせるかなぁ……」
「絶対やめて!ペンパルの力じゃ防ぎきれないから!」
スイコウ、そして後ろの二人が顔を青くする中、ヒロの体の表面に不気味な凹凸が現れ始める。コンテナの内側に閉じ込められたクリーチャーが、外に出ようとガンガンと内壁を叩いているような、そんな不気味さがあった。
そんな異様な光景を前にして焦りを覚えたのは、どうやら味方陣営だけではなかったようだ。
「————!」
それは文字通り、音沙汰なく四人の前に姿を現した。いや、それというのは「彼女」に対する人称としては失礼に値するだろう。
音のない世界を作り出す彼女は、喪服と見紛うほどに、純粋に黒いドレスに身を包んでいた。ピンヒールがアスファルトを本来ならカツン、と鳴らすところを、彼女はふわりとも鳴らさずに着地した。
そして何の予備動作もなく拳銃——と言い切るには大振りな、心電図のような文様で飾られた黒い銃身を持つ銃を構え、迷いなくヒロの額に発砲した。
「———!」
「痛ぁッ……!」
不死身のヒロ相手では分が悪いが、仮に普通の人間相手であれば確実に、その弾丸は「死神の鎌」と同義の言葉になっていただろう。
「————、——————。……?」
女は鉄のように冷たい輝きを持った灰色の髪を揺らしながら、ぱくぱくと口を動かした。どうやら何かを言っているらしいが、恐らくは(自分の能力で)声すらも消してしまっているようだった。
「——、—————。……解除」
その声を境に、彼女の元へ音が舞い戻る。
「……チッ、なんでアタシの力はこうも扱いづらいのよ……あと《サイダーズ》の宿主ってんのは、全員crazyなのがお約束なのかしら、嫌になるわ……まあいい、アタシの役目はアンタら全員あの世へ送ってやることだから、そのことだけ考えてればいいわ」
「……貴女は、何者ですか?」
アサカゲがいつの間に取り出した《ノイジー・マイノリティ》の柄に手をかけながら言う。
「わざわざ名乗らなくてもいいでしょう? あなたたちはアタシが天誅する流れになってる……処刑人の名前なんて、知らなくていい」
そう言うと彼女は、懐から何かを大量に取り出した。ラグビーボールのような楕円形にピンが生えたそれは——《ツインズ》に関係なく存在する、手榴弾だった。
「《ダンス・ウィズ・サイレンス》。この舞台を静寂で彩るのよ」
《5》
アクトと「尾山七光」を名乗る《茉莉花組》の尖兵との一対一の戦いは、激化の一途を辿っていた。最早「タイマン」という言葉の通りの形を取らないまでに、だ。
「はァァァ……!」
ナナヒカリは腕を組みながら息を吐き、自らの髪を煽る風に乗って運ばれる《ツインズ》の気配を感じ取った。
「御山が如き『威厳』の化身。父なる者よ、この僕に改めて、その七光をお貸しください——《ビッグ・ダディ》」
彼は手を正面に振りかざす。その正面には、アクトの姿がある。
「改めて問うよ、アクトくん。君は、何を思って戦う?」
「俺は……過去との決別のために戦う。この体に刻まれた、《茉莉花組》に受けた傷の全てを、お前たちに返上するために——」
アクトは両手に《ホーンテッド・ファング》を構えたまま、足元にできた自らの影に潜った。暗黒の海を泳ぎ、通り抜けた先に見えるのは、ナナヒカリの無防備な背中。
「関わる全てを、切り伏せる!」
「……立派な態度だね、尊敬するよ」
ガン! と金属音が響いた。アクトの腕に重い感触が乗る。ナナヒカリの背中には、紫色の機械的な装甲が出現していた。それが彼を凶刃から守ったのだ。
ナナヒカリの《ツインズ》である《ビッグ・ダディ》の能力は、目に見えないほど小さなナノマシンの使役だ。最早粒子にも等しいそれは、寄り集まることによって彼の鎧となり、刃となる。
一見すると宿主を多くの時間無防備にしているように見えるかもしれない。が、その力は攻防一体なことに加え、凝集と霧散をノータイムで繰り返すため、隙はほぼないと言っても誇張にならない。
奇襲に秀でた《ホーンテッド・ファング》でも、その隙をなかなか突けていないという現状を加味すれば、分かりやすいだろうか。
「でもね、僕も引くわけにはいかないんだ——ッ!」
ナナヒカリの右手にナノマシンが凝集し、剛腕を模した武装が展開される。彼はそれを大きく、背後のアクトへ目掛け振り下ろす。
アクトは咄嗟に今出てきた影に身を潜め、再び彼の前から姿を消した。影から片方の刃を垂直に地面から突き出し、地中を縦横無尽に泳ぎ回るその姿は、まさにパニック映画のサメそのものだ。
ナナヒカリはすぐにナノマシンを組み換え、自らの足に凝集させた。瞬く間に彼の足は、巨人の豪脚を模した機械で包まれ、一度それで地面を叩きつければ、堅牢なはずの工場の屋上にヒビが生まれた。
「ナナヒカリ、工場は壊さねぇ約束じゃろ?」
「わかってるよホノカさん……ちょっと冷静さを欠いただけだ」
主と会話すると、彼は改めてナノマシンを組み直し、再び剛腕をその両腕に装備した。彼の向く先には、サメの尾鰭が如く地面から突き立てられた《ホーンテッド・ファング》の片側が見えている。どうやら、刀身によってできた影そのものから浮上しているようだ。
(——あくまで仮定にしか過ぎないけど……潜ってる影を作る物体を取り除いたら、引き摺り出されるか、浮上できなくなるかするんじゃないか?)
ナナヒカリは刃に走って近づく。そして右の剛腕を引くと——
——ゴガンッ!
……それから〇・一秒とない間に、鉄の拳骨が衝撃を伝えた。屋上にはさらにヒビが入り、不安になる砂埃が巻き上がる。その拳は確かに《ホーンテッド・ファング》を捉えていた。それなのに、ナナヒカリは感じなかった。《ツインズ》という命と意思を持った存在が壊れる時に感じる、独特の罪悪感を。
「あれ——」
彼が違和感の正体を掴む前に、答えの方が彼に迫ってきた。突如として彼の視界を「ベチャ!」と、何か粘着性のある液体のようなものが覆い尽くしたのだ。
「うわッ——!?」
「それは『影』で作ったダミーだ。俺はここにいる!」
アクトの《ホーンテッド・ファング》は、ただ「影に潜る」だけの能力ではない。影という現象を介して、自分と自分が運び入れた物しか立ち入ることのできない異空間を行き来する能力だ。
その過程で、彼が干渉した「影」は、本来の「影」という言葉が表すところの「影」を超えた何かとなる。具体的に言えば、彼の作り出した異空間の中に充満している、闇色の保存液になるのだ。
それに沈められたものは、冷凍されたように劣化が極端に遅くなるため、長い間保存できる。だが生物——アクトを除いた生物は長時間それを浴びると、強い苦しみを覚えることになる。その訳は。
「『影』はそう時間が経たないうちに、お前の表面から体内に侵入していく。そしてさらに時間をおけば、お前を構成する要素は軒並み影に染まる……!」
アクトはナナヒカリが正面から浴びた「影」から上体を出し、這い出るようにして姿を現した。パニックものはパニックものでも、今度はゾンビパニックものを見せられているような感覚に陥らされる光景を、ナナヒカリは目の当たりにさせられた。
「ヒィッ——!?」
塗りつけられた影が、ナナヒカリの体を侵食し始める。奇しくもその様子は、ヒロや幕内鳴海という少女が目の前にし、そして今、アクトを助けようと奮闘しているスイコウの《レター・フロム・ブラックワールド》の様相に似ていた。
「俺はもう《茉莉花組》の奴隷ではない……故にお前たちの誇りなど知ったことではない!お前たちには、死に向かうことの叶わない、極限の後悔を与えてやろう!」
「くッ……《ビッグ・ダディ》!」
這い出る深淵じみたアクトに睨まれるナナヒカリは、咄嗟にナノマシンの制御を開始する。風に乗った不可視の粒子は、自らを呼ぶ主人の体——ではなく、その正面に積み重なった。
「『父上』、助けてくれ!」
(——承知)
積み上がった塵はすぐに形を成した。それはナナヒカリが使う全ての武装を組み合わせた鎧だった。しかし、その頭部に光る紫色の単眼が、それがただの鎧でないこと、いわゆる「生きた鎧」であることを暗に示していた。
「《ビッグ・ダディ》起動。息子を守る使命を全うする!」
「なっ——!?」
鎧となった《ビッグ・ダディ》——その通称を『父上』とする意思及び存在は、直ちにその剛腕を以ってしてアクトの胴を掴み、勢いよく投げ飛ばした。
「がはっ……」
アクトの屈強な肉体は地面に叩きつけられ、それと同時にナナヒカリはダディの方を向く。
「ありがとう、『父上』……危ないところだった」
「息子を守ることは父親として当然の義務だ」
「……本当の父さんも、そんなこと言ってくれたら良かったのに」
ナナヒカリはそうこぼした後、すぐにアクトの方を向き直る。その腹部には相変わらず影の侵食が見られるが、彼は立ち上がる。
アクトは自らの前に立ち塞がる二つの影を前にして、改めて刃を握り直した。
「二体一とは……相変わらず《茉莉花組》の連中は趣味が悪い」
「そうやって全員を一纏めにするのはやめてくれないかな。……少なくとも僕らは、君が知っている連中とは違うんだ」
「御託はいい、お前たちは絶対に許せないッ——!」
「……そうだよね、君はそういう人なんだよね」
アクトは双刃を逆手に持ち替えてガシャガシャと打ち鳴らし、ナナヒカリの懐目掛け突撃する。それはハサミにも似たシルエットとなり、ナナヒカリの頸を断頭するべくギラリと煌めいた。
「……ホノカさん言ってたよ。『いつも真剣で、直球で、ちょっと頭が硬いけど、正義感がある』……本当に、本当に——」
ナナヒカリはチラリとダディの方を見ると、胸の前で腕を交差させて、拳を深く握り込んだ。ダディの一部がナノマシンに分解され、再び彼の腕に武装を展開した。
「本当に、邪魔で仕方ないなぁ!」
ナナヒカリの剛腕に紫色の雷が現れ、それがアクトの方へと打ち込まれる。アクトはすんでのところで自分の影に潜り、すぐさまナナヒカリの——否、ダディの背後に飛び出す。
(——先に《ツインズ》を潰せば……!)
アクトの断頭鋏が、ダディの首に打ち付けられる。しかしナノマシンの集合体たるダディに、斬撃は通用しない。
「……息子に歳の近い子供を殴るのは気が進まないな、だが」
ナノマシンが再構築され、アクトの繰り出した刃を巻き込んで機体が修復される。刃を呑み込まれた《ホーンテッド・ファング》はせめてもの抵抗にと影を放出するが、効果がないように見える。
「背に腹は変えられない……失せてもらおう!」
「——っ!」
ダディの拳が、アクト目掛けて炸裂した。
《6》
——ピー、ピー、ピ、ピー————。
途切れ途切れに、かつ連続して迫る耳鳴り。人によってはモールス信号のようにも聞こえるだろうが——その正体は、《ツインズ》によって認識を暈された「銃声」、そして「爆発音」だ。
「抜刀、《ノイジー・マイノリティ》ッ——!」
アサカゲは漆黒の刀を大きく振り、頭上から降り注ぐ絨毯爆撃を一閃した。《ツインズ》の力を否定するエネルギー刃が切り伏せた数々の手榴弾は、そのまま炸裂して天井を吹き飛ばした。
「やはりあの手榴弾、《ツインズ》由来のものではないようです!」
「素直に防御するしか方法はないってことでしゅかっ!?」
今にも泣きそうな顔の悪魔・エントレは大鎌と化した自らの《ツインズ》、《ユー・マスト・ゴー・アウト》を地面に突き立て、それを支えにして立っている。爆発が起きる度、その衝撃に体を震えさせているその姿は、はっきり言って哀れだった。
「チッ——せめて音が聞こえれば、方向が分かるんだけどな……!」
「今は防戦一方……持久戦なら負けないが、こうも膠着状態が続くとイライラしてくるな……臆病者がよォ!」
ひたすらに爆風を手のひらで受け止めて文字に変えていくスイコウ、そして両腕を変換した翼で風を起こし、飛んで来る手榴弾を遠ざけるヒロ。二人とも徐々に表情から余裕が消えていっており、威勢も同様に無くなってきている。
(——せめて、あの動きさえ止められれば……!)
スイコウはチラリと、爆発の奥の影に目線を送った。そこには人影が、狂ったように踊るように、バラバラと手榴弾を撒き続ける人影が一つあった。時折巨大な拳銃を取り出しては、ピンの抜けていない手榴弾を狙撃して爆破、そしてその爆発で他の手榴弾を巻き込み、欠片と火を撒き散らすのだ。
逆光で表情を伺うことはできないが、彼女はきっと笑っているのだろう。《ダンス・ウィズ・サイレンス》——「静寂に踊る」というその名の通りに、彼女は静寂を楽しんでいた、そう見えた。
「——、—————————!」
聞き取ることのできない、蚊の羽音にも満たないような小さな耳鳴り。それは爆撃であり、足音であり、あの女性の声でもあった。
(——何か、あのダンスを止める方法は……!)
相手の使う武器に火気がある以上、お得意のメモ帳戦法は好きなように使えない。かといってこれ以上防戦を続けていると、スイコウの体がまたしても耳なし芳一のような、文字まみれの悍ましい姿に変わってしまう。それだけは、避けたい。
あの状態はスイコウという白紙が、イレギュラーな認識に塗りつぶされている状態と言える。文字による侵食が悪化すれば、紙魚綴幸という「存在」が「文字」によって塗り替えられ、
(——長期戦を避けて、かつ文字を排出する方法は……あ)
その時スイコウの頭に、天啓の如くアイデアが降ってきた。そしてそれを思いつくや否や、彼は突然走り始めたのだ。
「おいスイコウ、何やってるんだ!?」
「ちょっといいこと思いついてね!」
そう言ってスイコウは、身体中に刻み込まれた「爆」の文字の一部を足下に集めて、一気に爆発させて跳躍した。
「なっ——!?」
「スイコウくん……随分と大胆なことをしますね……!」
ヒロやアサカゲが見守る中、スイコウに向けて更なる爆撃が襲いかかる。しかし、彼は《レター・フロム・ブラックワールド》を発動し、その爆風を逆に呑み込み尽くしてしまった。その体はほとんどが黒くなり、文字がひしめき合っている。
「喰らえ……《レター・フロム・ブラックワールド》、《爆》!」
「——!」
スイコウは驚く女性に向かって、まっすぐ拳を突き出した。その拳が女性に届いた瞬間に、彼は全身の「爆」という文字を一気に拳の打面に集め、そのエネルギーを——解放した。
——ドゴァッ——!
「ぎゃあああああああああああ——ッ!?」
女性は目の前で閃光が瞬き、少年の拳が弾けるようにして火を噴いた光景を前にして、思わず悲鳴を上げた。それが能力によって遮音されることはなく、爆発音と拮抗するほどの雄叫びは、確かに《焚書図書館》陣営の鼓膜を揺らした。
「うわぁっ!?」
「危ないっ——よし、キャッチ!」
反動で勢いよく背中側に吹き飛ばされたスイコウの体を、考えるより速く体を動かしていたヒロが慌ててキャッチする。そしてすぐさま彼の体に弱めの不死鳥の炎を放ち、その拳を治療した。
「ありがとうヒロくん……ちょっと痛かったけど、おかげで元気になったよ……でも、ちょっと飛ばし過ぎちゃったかな……?」
スイコウは開け放たれた天井に目線を送る。夕暮れの空はすでにほとんどを夜の闇に侵食されており、もうその空は夜と呼んでも問題ないほどのものだった。
「俺が様子を見てこようか? まだそう離れたところにはいないはずだ……よっと」
ヒロは誰に教わったのか(十中八九彼の《ツインズ》の手解きだろうが)、妙に小慣れた動きで翼を動かし、その鳥人の姿で徐々に高度を上げていく。工場の天井の高度を超え、吹き飛ばされた女性の方を向いた、その時だった。
——ブゴォッ!
「な——がはぁっ!?」
何か見えない腕のようなものが、勢いよくヒロを殴りつけた。強い風に煽られたような、それでいて硬いものが衝突したような不思議な感覚。鋭い痛みとともにそれは襲いかかり、容赦なくヒロを再び工場の地面に戻し、彼を叩きつけた。
「ヒロくん! ……今、何が起きたのですか?」
「分からないよアサカゲさん……上空で、いきなり空気の腕に殴られたみたいな……ん、待てよ……『空気』の『腕』……?」
ヒロはそこで奇妙な、否、極めて自然とも言える既視感、記憶の一致に辿り着いた。彼は今まで戦った中で一人、「腕」を「空気」にして戦うことのできる男を知っている。色彩の感じない夕暮れ色の瞳を持つ、ほの暗い哀愁を身に纏った男のことを。
「まさか……あいつがここに!?」
「あいつって?」
「心当たりがあるんですよ……体を気体にする能力を持った人間に」
「それは……」
「私のことで間違いないか?『不殺人鬼』」
その声は、頭上から響いた。
「「「「——ッ!?」」」」
四人は一斉に上を見た。そこにいたのは——
「アノンを一度、一撃で倒したことは賞賛に値するだろう。だが、それで終わりと思い上がっているようなら、お前たちは馬鹿だ」
「ホントホント。それに『たった一回』だけでしょう? アタシはもうピンピンしてるんだから、舐められたら困るわよ」
「アノンさんこそ調子に乗らないでください。僕がいなければあなたもボロ雑巾のように使い物にならなくなっていたでしょう。本当に……どうしてあなたたちのような方は……!」
《茉莉花組》の『陰風』を名乗る男、風解天凪。
同じく《茉莉花組》の爆撃姫、『静寂』ことアノン・ミューテッド。
そして《解放教会》からの刺客、『救命』の虚月御霊。
三人の《ツインズ》能力者の姿が、そこにあった。
——そしてその中でも違和感が一つ。
アマナの槍を持つのと反対の腕に、彼の身の丈に匹敵する巨大なレールガンの姿。そして彼の背中には蒼炎を放つ、六枚の神々しい天使の羽が、恐ろしく聳えていたのだ。




